劇場の歌姫・後編
(なんだ、これは…………)
劇が始まると同時に、ガルムの口は開きっぱなしとなった。
(これは、本当に劇なのか?)
今まで付き合いで何度か見てきた劇とは、まるで違う。
内容は、至ってシンプル。
ただ、歌って踊るだけ。
構成という点では、従来の劇に劣るだろう。
けれども、その一つ一つは、従来の演出とは一線を画する。
――――――♪
どのような形をした楽器なのか想像もつかない美しい音色。
音の変化に共鳴して動く人形のように飛び跳ねる踊り。
音楽劇というよりは、サーカスに近い見世物だろう。
しかし、楽しさを追求する曲芸とは決定的に違う。
歌と踊り、そして背景を以て表現される、強烈な想い。
喜劇と悲劇が、ストーリーを魅せるように。
曲芸が、面白さを魅せるように。
この歌と踊りは、女性の赤裸々なまでの感情を否応なくぶつけてくる。
――――――♪
(演出も凄まじい)
主役は、舞台の中心に立つ二人の少女に他ならないが、彼女達の魅力を引き上げているのは演出だ。
光と影で創り出される芸術的なまでの明暗。
時には、情景を盛り上げるため、客席にまで風を吹かせ。
感覚を刺激するため、雨をも降らせる。
(恐ろしいまでに練り込まれた魔法だ。これほどの現象を発生させるには、一流どころの術者が十人以上も必要なはずだ。しかもそれが、寸分の狂いもなく連携されている。王都の精鋭部隊でもできるかどうか…………)
何かと戦士の視点で見てしまうのはガルムの悪い癖だが、それだけの精密な魔法がこの劇には詰め込まれている。
たかが歌と踊りの見世物にここまで力を注ぐ執念には、畏怖さえも感じる。
――――――♪
(それに、こんな歌詞は初めてだ……)
舞台に上がるのは、たった二人の少女。
二人一緒にうたう場合もあれば、どちらか一人だけでうたう場合もある。
褐色の肌をした少女は、明るい歌を担当。
恋する女性の想いを熱く歌い上げる。
白色の肌をした少女は、悲しい歌を担当。
女性の切ない悲恋を儚くも美しく歌い上げる。
――――――♪
悲恋を扱う劇は少ない。
演劇の多くは、ハッピーエンドで終わる。
その方が娯楽として受けが良いからだ。
なのに、客の評価など気にせず、堂々と悲劇が見舞われていく。
(おお、これはっ…………)
悲恋歌の中で、ガルムの心を最も揺さぶったのは、冬の街を舞台にした歌であった。
――――――♪♪♪
その物語は、舞台が暗いままに始まった。
――――――♪♪♪
前奏は、ピアノとヴァイオリンの静かな調べ。
真っ暗な劇場に響き渡る。
『――――――』
音が収束するように一瞬途切れた後、そこから歌が流れ出す。
同時に天井から光が射し、歌い手の姿が顕わになった。
『――――――』
うたうのは、白い髪、白い肌、それに白い服を着た少女。
儚いまでの白さに誘われるように、天から白い粉が舞い落ちてくる。
(冷たいっ。まさか、魔法で本物の雪まで降らせているのかっ)
ガルムは、頬に当たる白い粉の冷たさに驚く。
細やかな温度調整が必要となる雪を魔法で創り出すには、とても難しい技術が必要だ。
『――――――』
はらはら、はらはら、と……。
少女がうたうに連れ、雪は増していく。
そして――――。
『――――――!』
最初のフレーズが終わると同時に、吹き出るように大きな音楽へと切り替わる。
それと同調して強烈な風が吹き、たくさんの雪を劇場の中いっぱいに舞い散らす。
(おおっ、おおおっ!)
凍てつくような雪は、荒れ狂う激しい風は、悲しみを押し込める少女の心情そのもの。
己の目、耳、肌が、その強い想いを感じ取り。
後はもう、強い悲しみが止めどなく流れ続ける。
『――――――』
……舞台は、雪が降る街中。
想いを募らせるのは、一人の少女。
少女の想い人は、友人と付き合っている彼。
絵に描いたような、片想い。
(なんという、明け透けな想い…………)
一般的な悲劇とは、魔王討伐に赴く勇者に懸想する姫や、最愛の者を失った悲しみを綴る一大叙情詩。
それなのに、少女の歌は違う。
恋心を抱くのは、過酷な運命に翻弄される姫でも、病魔に侵された薄幸美人でも何でもない、ただの街娘。
その相手もまた、世界を守る勇者でも、高貴な生まれでも何でもない、普通の男性。
運命的な障害も、時間的な障害も、物理的な障害も無く。
なのに、すぐ手が届く距離なのに、決して届かない関係。
唯一の障害は、横恋慕であること。
それだけだが、それこそが、二人を分け隔てる巨大な壁。
決して壊せない、見えない壁。
(おおおっっ――――)
少女は、嘆く。
恋した男性に、既に恋人が存在することに。
その恋人が、自分の友人であることに。
そんな報われない恋に落ちてしまった自分に…………。
(これが、女性の、本当の気持ちなのか?)
女性と言葉を交わす機会が少ないガルムは、彼女達がどのような考え方をしているのか分からない。
そういった意味では、厳しい教官よりも、凶悪な魔族よりも恐ろしい、未知の存在。
だから今まで、女性に触れる事を極力避けてきた。
しかし――――。
(女性とは、こんなにも儚く、それでいて強い想いを抱いているのか……)
この劇で、ガルムは女性を知った。
それは、美しさだけでなく、内面のドロドロした感情までも含めた、まさに本質に迫るもの。
ガルムは、思う。
このような力強い意志を持つ女性という存在に、もっと触れてみたいと――――。
◇ ◇ ◇
ここは、劇場内に設置された控え室。
大歓声の中、無事に劇を終えた出演者が反省会を開いていた。
「――――今更だが、こんな風に舞台の上に立つ日が来るなんて思いもしなかったよなぁ」
「そうだよねぇ、あたいらが日の当たる場所で歓声を受けるなんて、考えもしなかったよ」
話しているのは、中年男と少女。
「何にせよ、ルーネとティーネが夢中になれるものが見つかって良かったな」
「旦那が好きな事をやっていいって言ってくれたからね。……ようやく、普通に近づけた気がするよ」
「随分とご謙遜だな。今や毎回満員御礼の立派な舞台女優様なのに。もっともっと誇っても良いと思うぞ?」
「これも全部旦那のお陰だよ。旦那の指導と演出がなければ、こんなに注目されなかったはずだよ」
「俺は地元の映像を見せただけ。それを元に練習して形を成し、客に認められたのは二人の努力と魅力のお蔭だろうさ」
「そ、そうかな」
「そうそう。いやー、ティーネの元気な歌もいいけど、ルーネの切ない歌もたまらないよなぁ」
「だ、旦那っ、からかわないでおくれよっ」
「普段チャキチャキしているルーネだからこそのギャップがたまらないんだよなぁ」
「うーーー」
茶化された白い肌の少女は、顔を真っ赤にして男をポカポカと叩く。
そこには、普段の姉御肌な様子は見て取れない。
「……ところで、お宅の妹さんは、何であんなにむくれているのかな?」
「……きっと、旦那のせいだろうね」
もう一人の褐色の肌の少女は、椅子の上で体育座りをし、頬を膨らませてすねたご様子。
白色少女が答えるまでもなく、最近の褐色少女が喜怒哀楽する原因のほぼ全ては、中年男に起因していた。
「――――旦那様は、ずるいです」
「ど、どういう意味かな、ティーネちゃん?」
いつもは妹らしく可愛らしい少女は、低い音程の声で男を非難する。
「休憩時間にやっていた旦那様の芸が、一番拍手が多かったです」
「そっ、そんな訳がないだろう? 俺の芸は笑いを取るものだから、そう見えただけだって」
劇は、基本的に二人の少女の歌と踊りで構成される。
しかし、次の曲の準備や休憩を挟む際には、場繋ぎとして男の芸が披露されていた。
男の芸とは、ポップな音楽に合わせて、魔法で創られた大勢の黒子が連携して踊り回るもの。
この世界では珍しいラップ系の音楽であったこと。
そして、ロボットのように一糸乱れぬ動きが妙に受けてしまい。
主役であるはずの褐色少女は、対抗意識を持ってしまったのだ。
「お、俺の芸が無くても、客の数は変わらず満席のままだと思うぞ。俺の芸は、あくまでオマケ。ちょっとした気分転換だから、単体で客が取れるようなものじゃないさ」
「でも、でもっ――――」
男が必死になだめても、褐色少女は納得できない。
確かに幕間の余興なのだが、悪乗りが大好きな男が凝った作りにしているため、一定のファンが存在するのも事実であった。
「……いやー、お宅の妹さんに、こんな負けず嫌いな面があったとは知らなかったよなー。こんな隠された表情が見られるなんて嬉しい誤算だよなぁ?」
「……誤魔化したって駄目だよ、旦那。全部旦那がやりすぎたせいなんだから、ちゃんとフォローしておくれよ。むくれたティーネの機嫌を直すのは大変なんだよ」
「お姉ちゃんは大変だなー」
「また人ごとみたいに……」
――――コンコン。
話が一段落したところで部屋の扉がノックされ、金髪の男が入ってきた。
「失礼するよ。オレはバナード。この劇場のオーナーの親族に当たる縁でね、無理を言ってここに通してもらったんだ」
コン・トラストと名乗る彼女達は面談の一切を断っていたため、バナードはこのような形で訪問する他になかったのだ。
「すまない、君達が面会を断っているのは知っているんだが、どうしても言いたい事があってね。……ええと、代表はどちらになるのかな?」
「――――代表は、私です」
応対したのは、主役の少女達ではなく、裏方であるはずの黒頭巾のうちの一人だった。
「き、君が代表だったのかい……。すまない、雑用係か何かだと思っていたよ」
「いえ、訳あって顔を隠していますが、私がこの劇団の代表で『プロデューサー=サン』と申します」
「ず、随分と変わった名前だね」
「ええ、お気づきの通り、異国の出身なもので」
「なるほど、あの新鮮な歌と踊りは、やはりそれが理由だったようだね」
「私の地元の伝統芸のようなものです。…………して、ご用というのは?」
「そう警戒しないでくれ。貴族の権力で、芸を強要したり秘密を聞き出したりするつもりはないんだよ。オレはただ、君達にお礼が言いたくてね――――」
バナードは、自分の妹と親友の仲を取り持つため、先日劇に訪れた時の様子を話した。
その結果、親友の女性に向ける意識は劇的なまでに変わり、もう既に二人は婚約者の関係であるとも…………。
「そんな訳でね、きっかけをくれた君達に、どうしてもお礼が言いたかったんだよ」
「――――それはそれは、大変素晴らしいお話ですね。特に、妹のために頑張るお兄ちゃんってところが最高です!」
「おおっ、分かってくれるのかいっ」
「はい、私にも妹がおりまして、外見と外面はいいのですが……。普段は兄と距離を取っているくせに、懐が寂しくなったら近づいてくる小狡さが憎いと申しますか、それでも頼られるだけで喜んでしまう自分の不憫さが憎いと申しますか…………」
「そうそう、どこの兄妹も似たようなものだよ。オレの妹も親友の前だと大人しいんだが、あれでどうして家の中では小言ばかり呟いていてね。反抗期というか、妹特有の思春期なのだろうな、あれは」
「ええ、ええ、よーく分かりますともっ」
「そうだろうそうだろうっ」
興奮気味に説明するバナードに対し、劇団の代表を名乗る黒頭巾の男もまた、興奮したように応対する。
初対面であり、外見や性格も似つかない二人であったが、妹という共通点が話を盛り上げていた。
「それにしても、失恋ソングで成就する恋があろうとは、大変素晴らしい皮肉です。それに一役買ったのが、この私という事実も含めて、ね。はははっ」
「謙遜しなくていい、君達の芸はとても素敵なものだよ。オレの親友も、失恋ソングがとても気に入ったようでね」
「それはそれは、兄に妹、そして親友まで含めて、とても素晴らしいご関係で羨ましい限りです。――――そうだ、よろしければ婚約祝いとして、この指輪を進呈させてください」
「……これは、お揃いの二つの指輪だね。アイテムじゃなくて普通の工芸品みたいだが、どんな風に使うんだい?」
「私の地元では、婚約や結婚の証しとして、男性から女性にペアの指輪を贈る習わしがあるのです」
「へえ、それは洒落た習慣だね。うん、とても素敵だと思うよ。……でも、随分と作り込まれた指輪のようだけど、本当にいただいても大丈夫なのかい?」
「はい、戯れに職人に依頼したものの、私には不要な物です。今回このような素晴らしい縁が結ばれた記念としてもらってください。そして友人の手から、片方の指輪を妹さんに渡していただけると完璧です」
「――――分かったっ、必ずそうするよ! 今日、君達に会えて本当に良かった。今後も一人のファンとして応援するよ」
「ありがとうございます。今後とも、どうぞご贔屓に」
バナードは、爽やかな笑顔のまま話を終え、颯爽と去っていった。
「あんな妹思いの貴族もいるんだな。仕方ない、イケメン貴族を滅ぼすのは保留にしておくか」
にこやかに指輪を渡したはずの黒頭巾の男は、ぶっそうな感想を述べる。
「……旦那って、あんな社交的な対応もできるんだね。驚いたよ」
「わたしもびっくりしました」
「おいおい、流石の俺も意味もなくイケメンをぶん殴るような阿呆ではないぞ。それに俺は皮肉な話が好きだから、今回みたいな奇妙な縁を見てしまうと楽しくなるんだ。まあ、一番好きなのはイケメンがへこむ姿だがな、はははっ」
黒頭巾の男が、男性相手に善意のプレゼントをするのはとても珍しい。
「…………」
「…………」
「どうかしたか?」
いつものおちゃらけた様子に戻った男を、二人の少女が見つめていた。
「旦那、あたいも欲しい」
「わたしも欲しいです、旦那様」
「何が欲しいのかな?」
「指輪が欲しいんだよ」
「はい、指輪が欲しいです」
「ああ、そうかそうか、身だしなみは女性の必要経費だからな。愛人契約しているんだから、その程度はもちろん払うぞ。俺はこう見えて太っ腹な男なんだ。実際の腹もけっこう太いけどな。はははっ」
「…………」
「…………」
「ほら、この金で好きな物を買えばいい。一つと言わず好きなだけ買えばいいさ」
「……ほんと、旦那はどこまでも旦那だねぇ」
「ふふっ、それでこそ旦那様ですね」
「んん? それはどういう意味かな?」
姉妹に笑われながら、黒頭巾の男は首を傾げるばかりであった。
◆ ◆ ◆
―――― ?日後 ――――
王都をはじめとした人族では…………。
ある貴族の青年が想い人に贈った指輪がきっかけとなり。
結婚の証しとして、男が女にペアの指輪を贈る行いが定着するのだが――――――それはまた、別のお話。