劇場の歌姫・前編
レベル、魔法、スキルといった不思議な力を土台にして、様々な種族が共存する世界。
その中で、最も人口が多い人族の王が住まう王都は、世界最大の都市である。
故に王都は、流行の最先端としての機能も担っており、様々な文化がひしめき合っている。
演劇もその一つであり、金と暇を持て余し、娯楽に飢えている貴族が多いことから、幾つもの劇場が立ち並んでいた。
そんな王都の中心部で、通り行く人々に演劇の案内チラシを配る男が一人……。
男は、真っ黒な衣装を纏って舞台裏を支える介添え人――――黒子の格好をしている。
そのくせ、振る舞いはサーカス劇のピエロに近い。
「本日から新しい劇が始まりますよー。今だけ初回特典で半額ですよー。オマケでお菓子とジュースも付いてきますよー」
勧誘役の黒子は、中年男独特の野太い声で陽気に喋りながら、チラシと一緒に白いお菓子と黒いジュースを渡していく。
「へえ、異国の歌謡劇とは珍しいな」
「初めて見る食べ物だが、凄く美味しいぞっ」
王都には珍しい物や新しい物好きが多いため、興味を示す者は少なくない。
特に、柔らかく小粒な白いお菓子と、シュワシュワしていて甘くて黒いジュースが好評を得ている。
「とても素晴らしい劇なので、是非一度見ていってくださーい。お菓子とジュースは、来場者に無料で配布してますよー」
飛んだり跳ねたり回ったりして人目を引きながら、黒子は次々と宣伝していく。
その奇妙な動きと美味しいお菓子に釣られた者達が、一人、また一人と劇場へ足を向ける。
多少の興味は持ったものの、大して期待している訳ではない。
彼らにとって劇とは、暇潰しの手段の一つでしかないのだから。
精々退屈させないでくれよ、と薄ら笑いしながら劇場の中へと入っていく。
それが、一生忘れられない体験になるとは知らずに…………。
「――――そこ行くお嬢さん、ちょいと劇でも見ていきませんか?」
◇ ◇ ◇
人族の中心街である王都には、騎士を養成する訓練場がある。
主に貴族の子息で構成される騎士とは、いわば人族の未来を担う官僚候補。
貴族とは、膨大な既得権益とともに、厳格な義務も課せられているのだ。
そんな養成所での訓練を終えたバナードは、同僚兼親友のガルムに声をかけた。
「演劇を見に行かないか?」
バナードは、金色の髪を肩まで伸ばした優男。
嫌味のない爽やかな笑顔がよく似合う。
ガルムは、銅色の髪を短く刈り上げた筋肉質な男。
滅多に笑みを見せない。
「演劇……?」
外見で誤解されがちだが、バナードに男色の気はない。
それなのに、芸に興味がないガルムを劇場に誘ったのは、大きな理由があるからだ。
ガルムの家は、代々男ばかりが生まれる家系である。
母親は早くに亡くなり、父親は第二夫人も後妻も迎えていない。
兄弟は全て男。
挙句の果てには、使用人も全て男。
これでは男色一家と噂されても仕方ないが、そうではない。
彼の家は、根っからの武骨な武人の家系なのだ。
そんな環境で育ったガルムが、男とは大きく異なる「女」という存在を理解できないのは、無理もなかった。
――バナードの妹が、その超絶鈍感男に懸想してしまったのが、事の始まり。
以来、兄は妹のために、そして色恋沙汰に疎い親友のために、二人の仲を取り持とうと画策してきた。
ずっと、献身的に。
それこそ自分の恋愛を後回しにしてまで頑張ってきたのだ。
それなのに、成果は出ない。
ガルムは依然として異性に興味を持てず、妹の方も引っ込み思案過ぎて、二人を対面させても何も起こらない。
このままでは、何も始まらないまま終わりを迎える羽目になる。
「そう、舞台の上で役者が芸を披露する演劇だよ」
「劇の善し悪しなんて分からんぞ?」
華やかさに縁がないガルムは、自分の嗜好を隠そうとせず素直に伝えた。
その答えを予想していたバナードは、にやりと笑って口を開く。
「それが最近、異国の変わった劇が流行っているそうなんだ」
「異国の劇か……」
「騎士の役割には遠征も多いから、他文化に触れておくのも勉強になるだろう?」
「む、そうだな。では、行くぞ」
ちょっと仕事に絡めただけで納得したガルムを見て、バナードは計画通り事が運んだとほくそ笑む。
兄は妹の恋を成熟させるためには、親友の意識改革が必要だと強く感じていた。
容姿や性格、そして肉体関係など恋愛には多くの相性が必要になるが、まずは異性の素晴らしさを知らない事には話にならない。
そこで、最近王都で話題となっている演劇に目をつけたのだ。
バナードもまだ見ていないのだが、伝聞によると美しい娘が登場する大層きらびやかな舞台であるらしい。
流行の最先端を走る王都でも初めて見るような、革新的な歌と踊り。
さらには予想がつかない巧妙な演出が話題となり、公開して間もないというのに、チケットがすぐ完売してしまうほどの人気を博している。
バナードの叔父が劇場を貸し出しているオーナーだったため、そのコネを使って何とか二枚のチケットを確保したのだ。
小難しい演劇ではなく、若い女性を前面に出した華やかな舞台に触れれば、朴念仁の親友も少しは異性に興味を持つだろうとの算段であった。
「――――これが全部、演劇目当ての客なのか?」
「おおっ、噂には聞いていたが、大した人気だなっ」
劇場へと到着した二人は、その盛況っぷりに驚く。
まだ開場まで時間があるというのに、既に大勢の客で賑わっていた。
その誰もが期待に胸を膨らませ、楽しそうな表情を浮かべている。
「最近の劇は、こんなに人気があるのか?」
「いやぁ、これは特別だろう」
王都の外れにある立地や建物の古さから、いつもは人気のない小さな劇場である。
それなのにこの客の多さは、すなわち演劇の面白さに他ならない。
「入り口はー、こちらになりまーすっ!」
バナードとガルムが入る前から感心していると、劇場の入り口付近から少女の元気な声が聞こえてくる。
「おっ、もう中に入ってもいいみたいだな。行ってみようぜ、ガルム」
「む、そうしよう」
二人が赤色の髪をした少女にチケットを手渡すと、代わりにお菓子とジュースが返ってきた。
「おや、なんだいこれは?」
「それはー、劇を見るのに欠かせないー、ぽっぷこーんとこーらー……?、だそうでーす」
「なぜ疑問形なのだ?」
「私はアルバイトでしてー、劇の偉い人が言う通りに渡しているだけなんでー、よくわかりませーん」
「ははっ、入る前から愉快な劇だな」
「中身もとっても面白いですよー。私も最初はお菓子に釣られて劇を見たんですがー、そこでとっても感動しちゃってー、ここでアルバイトするようになったんですよー」
おもむろに語り出したモギリ少女によると、このお菓子とジュースは、開幕当初から客寄せとして無料で配られていたらしい。
まずは前座として宣伝とお菓子で呼び込み、本番の歌謡曲で客の心をガッチリ掴む寸法だ。
こうして劇が有名になった後も、サービスとして続けているという。
「王都のどこにも売ってない特注品らしいんですよー。劇のオマケのためにこんな美味しい物まで用意しちゃうなんて、ほんと凄いですよねー。でも、劇はもっともっと凄いんですよー」
何とも明け透けなモギリ少女に見送られながら、バナードとガルムは中に入っていく。
「おおっ、確かに美味いなっ、これ!」
「何だこの飲み物……、泡立ってパチパチしているぞ?」
「さすがは異国の劇だっ。お菓子まで珍しいときている」
「む、口の中まで弾けるとは……。なんと力強い飲み物だ」
訓練に関係する物以外に、ガルムが興味を抱くのは珍しい。
「期待できそうだ」と、バナードは口元を緩める。
こんなにも客を魅了する劇であれば、きっと親友の心にも響くに違いない。
「……バナード、この劇の名前は何だ?」
「演劇自体には名前が付いていないそうだが、出演者の名は『コン・トラスト』という二人組の少女だ」
「コン・トラスト……、聞き覚えがない言葉だが?」
「どうやら異国の言葉で、『白と黒』を意味するらしい――――」