旅路の姉弟⑤/悪魔の商人
ハンナは神を、信じている。
神を敬うような幸運に恵まれた訳ではない。
大きな不幸に見舞われなかった。
それだけで、神の存在に疑問を抱かなかったのだ。
だからそれは、神を信じているという事だ。
ハンナが19歳の時、彼女の両親は病魔に侵された。
この世界では医学が進んでおらず、重病の対処は魔物のドロップアイテムに依存している。
薬系アイテムは出現率が低く高騰し、資金と権力を持つ貴族において独占され、市場に出回らないのが常であった。
自分達が助からないと悟った両親は、治療を止め、残される子供達に財産を残そうとした。
だが、ハンナは、ミイナは、カイルは、諦める事が出来ず治療を続け、続け、続け、そして両親はこの世を去った。
ハンナに残されたのは泣きじゃくる妹と弟。
そして何も無くなった家だけ。
両親の死後、助けてくれる者もなく、街で暮らせなくなった姉弟は、遠縁の村への引越を余儀なくされた。
ハンナは神を信じていた――――――――それまでは。
目的の村は遠く、子供の足では厳しい道のりだった。
だが、頼れる者など居ない。
最初から、居なかったのだ。
魔物に襲われた時も、神に祈りはしなかった。
人も神も、自分達を助ける者など居ないのだ。
…………ハンナは思う。
だけど、もしも、自分達が助かるとしたら。
それは、人や神とは異なる存在――――例えばそう、悪魔と呼ばれる者の仕業だろうと。
だからハンナは、突如空から現れ、魔物を一瞬で倒し、全身を灰色に包み酷薄な笑みを浮かべた中年男を見て、それが悪魔だと疑わなかった。
悪魔に魅入られた彼女は、商人と称するそれに協力を依頼された時、素直に従う事にした。
正直な話、魔物との戦いを強要された時は後悔したのだが。
残された家族――――ミイナとカイルを守ること。
それが両親を失ったハンナの最後の望みである。
自分では妹と弟を守る事が出来ない。
ならば、悪魔であろうとも自分達を助けてくれた存在を受け入れる事にしたのだ。
たとえこの身を捧げても……。
ハンナは男からどのような要求をされても、首を縦に振るつもりでいた。
だが男は、成人した自分よりも、十代半ばの妹の方に興味を抱いているように見えた。
ハンナは年相応に育った自分の胸を見下ろし、次に妹の平坦な胸を見て、気のせいだと思う事にした。
悪魔は、その名に相応しい力を持っていた。
空を飛び、食べ物を生み出し、魔物を寄せ付けず、そして優しさまで持っていた。
泣き虫だった末っ子のカイルが、笑うようになった。
人間不信になっていたミイナも、男を頼るようになった。
――――そしてハンナは、魔物と戦う力を手に入れた。
力を望んでいた訳ではない。
だが、残された家族を守るために、生きていくために、力は必要となるだろう。
悪魔に助けを求めた自分は、悪魔の眷属。
ハンナは家族を守るため、どんな力でも躊躇わず使おうと決めた。
それほどの力を、施しを、情を与えておいて、悪魔はあっさりと去っていった。
いつか代償を取立てに来るのだろうか。
……だが、不思議と姉弟は、二度と男に会えないと感じていた。
男にとって、出会いは単なる偶然で、気まぐれで、取るに足らない出来事だったのだろう。
ハンナは思う。
悪魔の眷属となった自分達は、これから何をすべきだろうか――――。
男からは様々な事を学んだが、今後すべき事は教えてもらっていない。
ならば、自分達の好きにしていいのだろうか。
――――そう、男のような、それこそ悪魔のような身勝手さで。
手に入れた力は、自分自身を、家族を守る力。
それが一番の願い。
…………だけども、それがもしも家族を守りつつも出来る事だとしたら。
あの時、自分達家族を助ける者は居なかった。
今なら少し、その理由が分かる。
人が人を助けるには、力が必要なのだ。
だから、力を手に入れた今、自分達に出来る事があるのなら。
あの男のような気楽さで、手を差し伸べてみようと――――――――――。
◆ ◆ ◆
―――― ?日後 ――――
その村は、喧噪から離れた地にあった。
多くの者は、農業と動物の狩りで生計を立てている。
魔物を倒せる者は居なかったが、それまで襲撃を受けた事のない村は、平和であった。
――――何処の村も平和なのだ。
突然の天災に見舞われる、その時までは。
村に迷い込んだのは、数匹の魔物であった。
数の上では村人が大きく優っていたが、レベルが低く戦闘経験の無い彼らは逃げ惑う事しか出来ない。
多くの者が村を諦め、逃げ遅れた者は命さえも諦めた。
諦めた者は、目を閉じ、神に祈った。
せめて安らかに、と。
…………祈り、祈り、そして目を開けた先には――――炎に包まれる魔物の姿があった。
魔物は焼かれ、断末魔の悲鳴を上げ、そして消えていった。
その後も。
最初に炎が。
次に矢が。
最後に槍が。
魔物の大きな体を穿っていく。
村人達は、全ての魔物が倒されるまで、厄災に立ち向かう見知った後ろ姿を、ただ呆然と眺めていた。
――――その姉弟は、遠縁を頼り外から来た余所者であったが、村人に温かく受け入れられ、畑仕事を営み静かに暮らしていた。
年相応の子供にしか見えなかった彼女達は、突然現れた魔物を倒し、その後も村の守り手として厄災を退けていくのだが――――――それはまた、別のお話。