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困ってる間にもお腹は鳴り続ける。……ぶっちゃけ、迷惑だよね。これ。お腹空かせた子の前で食べられる人たちっぽくないもんねぇ、お兄さんたち。
だってほら、ブックロゥがなんか取り出しかけて元通りにしまったよ? ど、どうしようかなこの状況。
ふぅ、と仕方のないようなため息がユーリからこぼれた。不本意です、と顔に描いてある。
「ナーナ? どうしても、僕と一緒では食べられませんか?」
「…………うん。こんな異常事態なのにもらった飲み物もダメだったでしょう? ほんと、ややこしくてうんざりする女でゴメン。試しに聞いてみたいけど」
「無理だな。アンタが危険になるのは俺らが無理だ」
「私はまだそこまでお腹が空いていませんので大丈夫ですが……。安全面よりも早く、カナを安心させてあげたいです」
「うーん、カナが持ってる食べ物でも無理なんだよね? えとね、カナが暗いところで一人で食べる選択も、何が襲ってくるかわかんないところで戦えるように見えないカナを放置する選択もできないし、こんなにお腹が鳴ってるのに食べ物の匂いなんてさせられないからね? ごめんね、僕たちのわがままで」
「わがままなのは貴方たちだけでしょう。……ナーナ」
ユーリが優雅に手を動かし、一抱えの荷物を『どこからともなく取り出す』。白く凍り付いてるそれは、私の持ってたお弁当の包みだ。
「……それ」
「ナーナの持ち込んだ食べ物、ですよね。凍らせた状態を解くので待っててください」
焚火のそばに、座り込んだ私と同じくらいの大きな包みが据えられる。本当ならとっくの昔に食べられてるはずの地区運動会のために用意したお弁当。薄く霜が降りてる包みは、まるで孫悟空の魔法のように、ユーリが手のひら経由で息を吹きかけただけで見る見るうちに溶ける。……どういう原理なんだろう、これ。
「この中からいくつなら食べられますか?」
「いくつ?! ひ、ひとつ……かな」
選べ、とユーリの眼が言ってるので包装紙を解いて、お弁当を一つだけ取り出す。それだけ? って顔してるけどね、普通の成人女子ならこれ一個でも多分、大きいよ? おじいちゃんおばあちゃんなんかは、それで夕飯まで済ませちゃうんだから。
いったん冷凍を解いてしまったのなら、と焚火周りにいた全員にお弁当を取ってもらう。再冷凍は許しません。美味しくなくなっちゃうじゃん。
自力で開けられそうにないケルンの前に、お弁当を広げる。お弁当屋さんに注文するときに箸も手拭きも付いてるタイプにしてよかった。使わない分を回収すれば、お箸にしばらく不自由しない。
抜かりなくバランとかパックのソースも取る。ケルンの口に引っかかったらかわいそうじゃない。よし、えらい私。やればできる。
「なんとまぁ、玩具のような食べ物だな。ふむ、どれが食べられるものかな?」
「うん? ……いや、ミハル、全部食べ物だよ。白いのが主食。あとは副菜とか小鉢代わりっていうか」
「あぁ?! これ、全部が食べ物?!」
何をそんなに驚くことが……と言いかけて、よその国のお弁当事情を思い出す。そうか、そういえば日本のお弁当は作り物みたいって言われるレベルだったか。
「ライ、器と、あと、仕切りみたいな緑のペラペラは食べられないよ。他はねぇ、食べられる、はず。一応、和風主体だから色は地味でも……っと」
しきりに匂いを嗅いでるケルンがぺろりと梅干しを舐め、きゅう、と鳴いた。なんだそれ、えらくかわいいな。
「赤い粒が梅干しっていって、ものっすっっごく酸っぱいから。あと、木の根っこにしか見えないそれは牛蒡っていうの。私のいた場所じゃ一般的な食べ物だから安心して」
「どうしてこんなに綺麗に、彩り豊かに盛り付けてあるんですか?」
「文化だとしか言いようがないよ、トール。私のいた地域ではね、あらゆるものに対して箱庭のように見立てる遊びが一時期すごく流行って」
……一時期。流行って。
茶道その他の文化をそんなふうに乱暴に説明していいのかちょっとだけ不安だけど、他にどんな言い方があるのかな。
「長い時間をかけて、作ってからしばらくたった時でも美味しいように、見た目を綺麗にすれば食べるときにもっと楽しくなるかもしれないし、ワクワクとドキドキを追求しつつね、食べた人の元気が出るようにって進化していったのがお弁当の歴史なの。食べるときのことを考えて、その人の体調とか年齢に合わせて作るのが一般的だね。これはこっちでも一緒でしょ?」
「……それは、そうかもしれないけど」
「若い男の人だと、もしかしたら足りないかもしれないからいくつでも食べてね。どうせあとは捨てちゃうし、食べられないものはどんどん残せばいい」
「捨てる? これだけのものをか?」
「仕方ないよライ。これはこの場所にとっての異文化だし、持ち込んじゃダメなたぐいのものじゃない? 大体、もう一度同じようにしまったら味が落ちちゃうよ。いさぎよく無かったことにした方がいい」
本来なら私は残すのが大っ嫌いだし、使い捨ての容器も嫌い。けど、TPOはわきまえる。
再冷凍を許さないのは私の勝手なんだから、たとえどんな食べられ方をしても…………あれ? ってかね。
そもそものことの発端は、私のご飯の問題じゃなかったっけ?
「……ナーナ。ようやく自分の食事を思い出してくれてうれしいですよ。さ、お弁当を持ちましたか? ちなみにそれはどうやって食べる……ああ、カトラリーも容器に付いてるんですか。それは? 濡れた布みたいですが……ふぅん、手を拭くために付けられた紙ですか。……聞きたいことが、本当に、たくさんありますね。けれど今はナーナの食事を先にしましょう。この紐を腰に巻きつけさせてください。いいですか、これ、ほどいちゃダメですから」
「ユーリ?」
「ナーナが人前で食べられないなら、隔離してあげます。大丈夫、僕たち風龍なら確実に見失わない空間ですよ。出入りも自在だし、安心してください。食べ終わってその紐を引けば、またこちらに戻しますから。いいですか? 食べたら、すぐに紐を引いてくださいね?」
ユーリはブックロゥと同じで、どっちかっていうと言葉の長い人らしい。告げられた、たくさんの情報をかみ砕こうと頑張ってると軽く肩を叩かれる。
そうとしか思えない簡単さだったのに、瞬きするのと同じくらいの時間で移動されたみたい。……や、隔離って言ってたか。うーん、結界、の、なんというか特殊バージョン、かな? つくづく、異世界トリップ物が好きで、今までいっぱい読んでて良かった。パニックしない。
私がいるところは、乳白色の空間だった。天地もない。果てもない。ココに私が存在してるって証拠は、腰に回された紐とお弁当だけ。なんてシュール。
だけどどこまでも不思議なことに、絶望感は欠片も浮かんでこなかった。当たり前だけか、一人にして欲しいって言ったのはこっちなんだから。むしろ感謝の気持ちしか湧いてこない。
どこにどうやって『座ってる』のか全く理解できないけど、ともかく。
私は胡坐をかき、お弁当を広げて手を合わせて……すべてのものに感謝した。