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驚きのあまりに涙が引っ込むって、本当だったらしい。ぽっかーんとした顔の私に、美人龍はもう一度同じ手順でキスをしてきた。途中から我に返るものの、どう考えても回避行動の方が惨事を呼びそうだ。大人しく目を……いや、閉じても大惨事になりそう。うう、こんな時ってどうするんだっけ。般若心経だっけ。
たぶんきっとそうぞうするに、はんにゃしんきょうちがう。
一巡、同じ数だけキスを落とされた後、少しだけ離されて目線を合わされた。優しい光があふれてる。うーん、なんていうか、好きだよって言ってるんだけど熱がないっていうか。安定した愛情のダダ漏れって言うか。
距離が近すぎたことで、また真っ赤になっちゃうんじゃないかって思い至ったけど、そうはならなかった。ふにゃりと唇が勝手に笑う。目が合っててそんな情けない顔を見せられたのが面白かったのか、美人龍さんも笑顔になった。手も離れていく。
ぱたり、とケルンの尻尾が私の腿を叩いた。さっきから何度もフォローされてるし、今回のこれも慰めなんだろうな。ありがたく思って、何とか同じような思いを返したいと迷う。
ケルンに敵意はない。それは知ってるけどやっぱり大型動物に触るのは緊張する。でも触りたい。
恐る恐る手を伸ばすと、向こうの方から私の手のひらの中に頭のてっぺんをこすりつけてくれる。気持ちいい。思ったよりさらさら。するんとしてて、地肌の方は温かくて。
気が付いたら、腰をひねって私の方からぎゅって抱きついてた。顔をケルンの肩あたりに擦り付けてみる。ぐる。ぐぅ。ケルンは喉を鳴らして、それでも私の好きにさせてくれた。どうでもいいけど、今の威嚇じゃないよね? だとしたらイヌ科の動物も喉、鳴らせるんだ。知らなかった。
右手と左手をばらばらに動かして気持ちのいい肌触りを堪能する。ブラッシングしたい。匂いをこっそり嗅いでもまったく動物臭がしないなんて、やっぱり精霊っていうだけあるんだろうなあ。むしろ森林浴の匂いすらする。爽やか。……あの、ちょっとだけ耳を口で、はむってしてもいいだろうか。
あーん、とケルンの耳に向かって口を開く。そこから何センチも動かないあたりで唐突に何かの感触に口をおおわれた。ざらりとまではいかない硬質の皮膚。柔らかく私の顔の輪郭に沿う指の関節。心持ち湿った……誰の手だ。
ぱちりと瞬きして目を動かす。金髪黒目だった。目の端では美人龍のものだろう黒髪が後ろだけ見える。すでに両手の中に合ったもふもふの感触はない。ケルンを……引きはがした、のかな? やっぱり、あーんはダメだったっぽい。
どことなく引きつってる金髪龍に、えへへ、と愛想笑いしてみる。途端にすごい勢いで手のひらが無くなった。というか、近距離にいた彼が飛びずさった。……中学生にされると罪悪感のこみ上げる反応だ。そんなに気持ち悪かったか。
焚火の向こうにはお兄さんたちが中腰で固まってた。…………きつくない? 私なら立つか座るかしないと、その姿勢、十秒ももたないんだけどな。推定年下で推定研究者の緑髪、ものすごい明るめのエメラルド色の瞳の彼まで微動だにしないとか。あ、でも良く思い出したら半裸の時も、ひとつとして生っちろい筋肉はいませんでしたね。高速で意識を逸らしたから、どれが誰の裸だかつながってないけどね!
…………ああ。もういいや。もう、いいことにしよう。
目を逸らしたことで倒木窟の木肌が目に入る。視線を落とせば私の常識にない生き物の毛皮。縫い合わせてるんじゃなければね。で、理屈の合わない出来事の数々。
もう、ここがどんな世界でもいいやって、唐突にそこらをぶん投げる気になった。たとえ本命の主人公が後から来るとしても、私の存在がバグであったとしても。
傷をつけたのは、私なんだから。
謝るのも、私じゃないと。
改めて、焚火のこちらへ座りなおす。正座だ。土下座ではなく、きっちりと指をついて深く頭を下げる。
「取り乱した態度を見せて申し訳ありませんでした。私の気遣いが足りずに流血沙汰にしてしまったこと、深くお詫びします。加護の珠は皮膚に埋め込まなくても役が足りたそうです。不必要な痛みをお兄さんたちに与えてしまいました。さらに、私の周囲にはたとえ半裸でも見せない習慣の男性しかおらず、また、日常に料理以外で刃物を使用することもない上、流血を躊躇しない気性のものもおりませんのでこの手の事に慣れていないようです。本当に、お見苦しい時間をさらしました」
口上は一気に途切れなく。謝るときは顔をさらすな。
芝居がかっていようがこれが私の謝罪方法だ。もちろん、当たり前だけどこんなふうに謝ることなんて滅多にない。身にはついてるけどね。
でもって、美人龍やケルンの態度、お兄さんたちの態度を読むにつけ、きっと私のこだわりの方が変なんだと思う。だから先手も打ちたかった。
脱ぐな血を見せるな刃物を抜くな。さもなければ、私が不必要に取り乱す。
牽制するべき状況がこの先あるかはともかく、言いたいことはそれだけだろうか…………えーと、いや待て、まだあった。あったけど、うん、さらに待て。子供に間違われてることは、否定も肯定もしない方針で行こう。もう少し様子を見たい。っていうか年齢が間違われてるのはなんとなく理解したけど、性別は間違われてなかったのか。うーん、髪が短くてもスカートじゃなくてもいい文化なの?
「頭を、あげてくれるか」
「ごめんね、急にいろいろ、びっくりしちゃったんだね」
「あなたの目が見えないのはさびしいです。どうかお顔を上げてください」
おい最後、どういう意味だそれ。
顔を上げると、それぞれの兄さんたちがほっとした表情を浮かべる。……まぁね、見えないところまで頭下げて謝られてもね。本心かどうかわかりにくいだろうし、そういう意味だよね。
「加護の珠は、こうして身に埋め込むのが一般的なんだ」
「誰かに奪われでもしたら面倒ですし、管理も一番これが楽ですしね」
「だから、そんなに謝らなくてもいいんだよ。僕たちは、自分で選んで埋め込む手段を取ったんだからね? ……僕たちが痛くないかって、心配してくれたんだよね?」
優しい子だね、ありがとう。と言われて顔が引きつりそう。なんなんだかなぁ、良くとられすぎてないか? もっと私の、なんていうか、うかつさを責めれば…………ああ、子供だと思われてるからか。そっか。
子供の利点、ねぇ。
それよりも大事なことがある。ことこれだけかかって今さらそれかよって思わんくもないけど、ともかく。
「あの、私は柔生です。呼び方はご自由に……呼んじゃダメでした。えーと、カナでもカーナでも、ナーナとでも好きなように」
「ダメです、ナーナ。ナーナは僕だけが呼びたいから、それは誰にも許さないで」
「…………カナ、と呼んでください」
負けた。中学生の圧力に負けたよ。
敗北感をひしひし感じつつお兄さんたちに向かって一言を付け加えた後、上げていた頭を軽く下げる。謝罪の時間を終わらせるために正座も解いた。
一歩分あけて横に来ていた……ケルンを引き離した時からかな? ……金髪龍からの懇願に負けてみました。うるうるの黒瞳の迫力、パねぇッスよ旦那。
旦那?
「改めまして、カナ、です。他人事みたいですけど、ここじゃない世界から来た、ようですね。えーと、もしも差支えがなければ、こちらには真名の制度があるようですので、私が呼べる、簡単な名前を教えていただいてよろしいでしょうか。あの、簡単な発音でお願いします」