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ごおっっって吹いたすさまじい風は、一瞬で止んだ。名前を教えた時と違って焚火がちらっとも揺れないのが怖い。
どっちが自然にはありえないことなんだろう。
唐突に吹いて、すぐに止む風? それとも揺れない火?
てらいなく、初対面な同性の握りこんだ手にちゅーとかしちゃえる美人龍?
…………いやあ無いわ。どれも無いわ。さすが推定小説の世界。何でもアリだなあ。
ははは、と意味もなく空笑いしながら、そっと美人龍さんにとられてる手を引いた。片方だけの眉を上げる仕草って、どうやったら身につくんだろう。私だってほら、いつかはこんなふうに優雅な不本意を示したいよ。
『……本当に、愛おしい子だこと。こんなに素直にころころと感情をあらわにするなど』
『やれ、カーナ。愛らしいお前に同情しそうだ。どう見ても一筋縄でいきそうにない雌龍の伴侶でありながら、さらに風龍の執着まで身に受けるか』
『おまけの男たちにも思惑がありそうだし、息子からも、さらにはこのあたりの大地の守護者どのの寵愛をも受けることになるとはな。ふむ、人外からの執着は人にキツイとの噂もあるゆえに、お前たちは遠慮してくれても』
『母上。彼らには加護の珠を渡しました。……ナーナ、いいですか? 焚火の向こうの彼らに通訳をお願いします。ええと、僕の言った通りに繰り返してくれればそれでいいですから』
「は、……はい」
ふーぅ。どうも無意識のうちに息を詰めていたみたいで、慌てて肩の力を抜いた。……あのね、一度、美人っていうか規格外っぽい美形三人(いや一匹はオオカミだけど)に詰め寄られてみればいい。誰に言ってるのか知らないけど、ほんと、いっぺん同じ目にあってみてほしい。
息も止まるから。
やんわりと笑いかけてくる金髪龍は推定中学生のくせに迫力が半端ない。隙あらば手を握ってくるし、ほんともう、なんなんだこれ。
『それは風龍が授ける加護の珠。言葉の問題はそれで解決しよう』
「それは風龍が授ける加護の珠。言葉の問題はそれで解決しよう」
『身に着けるか付けるか体内に取り入れるか各々で選ぶがいい。あと、こちらの彼女の名前は呼ぶことまかりならん』
「身に着けるか付けるか体内に取り入れるか各々で選ぶがいい。あと、こちらの彼女の名前は呼ぶことまかりなら……ん? い、いやいや、あの」
呼びかけようとして、私は彼の名前を知らないことにようやく気が付いた。ええいしょうがない、こっちが先だ。
「着けると付けるは何が違うの? っていうか体内に取り入れるって」
『はい? ……ああ、ナーナのいた世界では守護の珠の概念がなかったんですか? 彼らに渡した珠は、……そうですね、ナーナのこの、小さくて華奢な人差し指を丸めたくらいの大きさなんです。体表面に少し切り込みを入れて貼り付けてもいいですし、手のひらか足の裏以外の皮膚に直接触れている状態を保持出来うるなら、貴金属で覆って首から下げてもいいと思います。ちょっと頑張れば飲み込むこともできますから、その手段も伝えていただこうと』
っうぉーい! 常識、常識が違ってるってこういうことなの?!
「なんじゃそら。直径3cmの珠を肌に切り込み? 丸飲み?」
『ええ』
えええぇぇ?! や、ダメだよ、そんな、痛いじゃん!
あわててお兄さんたちの方を向くと、お兄さんたちはすでに全員がもろ肌脱ぎの状態だった。早ぇ。素早すぎるよ。
待って、の、まの字も言えないタイミングで、それぞれのお兄さんたちがためらいなく自分の肌を傷つける。びっくりして硬直する私の目の前で躊躇なく、傷口に珠を押し付けた。じわりと球の表面がにじむように揺れ、傷口から血が止まっていく。異物が埋め込まれたって言うのに大した違和感もなく皮膚が珠を抑え、半ば埋め込まれて定着した。
取り込みが終わってしまえば、小さな珠だ、肌色にもごく自然な馴染みを見せる。異常なんだけど不思議じゃない。逆かな? 不思議じゃないけど異常だよ。いっそ半月状の飾りのようにも見えるね。
その間、一分もしなかったと思う。
……お兄さんたちは何事もなかったかのようにさらりと服を着なおした。申し合わせたように胸筋についてるはずの珠は見事に服のシルエットにまぎれ、その存在は傍からじゃわからない。さっきの即興簡易手術の名残と言えば、せいぜいがシャツに流れた一筋の血の跡くらいで。
でも、…………でも。
ぐぅって喉が鳴るまで、吐き気を飲み込んだ。悲鳴も。
私に騒ぐ権利はないから、だから代わりに握りこんだ掌に爪を立てた。顔を見せたくない。深く頭を膝の間に折り込む。
共通言語を持っていない彼らに対して、言葉がわかる私だけが彼らに通訳できる。私はそれを忘れてたんだ。うかつに、自分にとってセンセーショナルなところだけを切り取っておうむ返しした。私が、私だけしか意思を伝えられないのに!!
……つまり、どういうことかというと。
この事態を招いたのが私だって話のことだよ。彼らの痛みも流血も、私に責任がある。すぐに顔を上げ、謝罪して、そして……。
何て言えばいいんだろう。
自分に同じ傷をつける? 求められてるとも思えない。意味がない。
平身低頭で謝る? 痛みが肩代わりできるわけじゃない。
二度と同じことをしない? いいや、そもそも彼らにはもう、言葉が通じるはず。
馬鹿だ。異常事態に浮かれて確認を怠って。
言い訳をすればいくらでもできる。言葉が通じないなんて現代日本じゃそうはない事態だ。不自由さを推し量ることは難しい。しかも、いくら手段が限られてたからっていっても、だからって目の前でごく当たり前の顔をしたままで流血沙汰を繰り広げられるとか思ってもみなかった。
……彼らは、包丁じゃない刃物の扱いに慣れてる。傷をつけることにも。
私の中の常識と、違う。
助けてほしい。誰かに。すぐに。
夢なら今すぐに覚めて欲しい。誰でもいい。
現実世界の体を揺すって、そして起こして。
切実にそう思った。社会人になれてもいない私にはこの顛末、少しばかり荷が重すぎる。自分を責める顔をするのはお門違い。泣く権利もない。だから、飲み込むしかない。
たとえどれだけ、飲み込むのが大きい感情でも。
さわりと空気が動いて、一拍遅れで美人龍の体臭が届いた。なんかすごい言い方だけど、そうとしか言いようがない。ぎゅっと抱き込まれる。
たった何度かの経験で飲み込まれたのか母親の本能なのか、力は強いけど苦しくない。
ゆっくりと、二回、三回と抱きしめられる。
「見苦しいものを見せられたからか?」
「え?! あ、す、すまな」
「まだ子供とはいえ、女性に見せるものではなかったですね。すいません」
「ごめん。配慮が足りなかったのかな」
「……ナーナ? どうして泣いたんですか?」
「泣いてはおらぬだろう、年若い龍よ。見誤るのは失礼だ」
最後の、ケルンの声に唇を噛みしめる。我慢って、見て取られた瞬間にきかなくなるよね。一気に涙が湧き出てきそう。
もういっぺん、どれだけ苦しくても涙の塊を飲み下した。
感情の揺れが大きいから塊も大きい。喉が痛い。
泣きたく、ない。
ふ、と息を吐いた美人龍が片手を離した。頑なに顔を下げてる私の頭を強引に持ち上げて、両方の目尻と、鼻の頭と、口の端に唇を落としてくる。
落とされる。
なんじゃそら。