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『もちろん毒は入ってないが、けれど、飲めないのなら無理はしなくていい。かわいい子』

救世主は彼女だった。穏やかな声でそういうと、私の手からカップを取り上げる。一口飲んでにこりと笑われた。毒? 無いよね。

どうしてだかそんな心配は欠片もしてない。

”飲めないのなら”ってどういうつもりで言ってくれたんだろう。あいまいに私が笑い返すなり、ふるりとかぶりを振ってビニール袋の中のペットボトルを指さされたけど、……やっぱりダメっぽい。飲めそうにないよ。彼女のまねをして私が首を横に振ると、いい子、と呟きながら頭を撫でてきた。意味がわからない。

彼女が飲み物を勧めるのを止めたことで、お兄さんたちと中学生にも何かが伝わってしまったようだ。するりと視線が外れ、不自然な沈黙と仕草未満の身じろぎをお互いで交わしつつ毛皮に座り込む。火の向こう側、つまり私にとっても向こう側だ。距離を取ってくれたらしい。

ささやかに軽い音を立てて私のそばで、というか私の腰を囲むようにして狼が、ケルンが座る。頭を彼女との間に突っ込んできたのはわざとだろうな。お前も距離をとれって、そう言ってくれたんだろう。彼女が舌打ちして、私の肩と腰から離れてくれたから。

その上で、ケルンは私には触らないような距離を取っている。毛皮は触れていい。どこからそう読み取られたのか想像もできないけど、本体だけが私の服に触らない距離だ。


何だこの狼の男前さ。惚れる。


私がほうっと息を付いたことで、彼らも一息つく気になったようだ。お兄さんたちは中学生から私に差し出したのと同じものを受け取って、気持ち良く飲みほした。あっちは冷たかったらしい。破顔して、もう一杯、と口々に彼にせがんで、また緑の飲み物をもらってる。言葉が通じなくても最低限のコミュニケートって変わらないんだ。……そっか。

ちょっと、安心するな。


爽やかな彼らの笑顔を見ていて、ついぽろりとこぼしてしまう。


「これが、夢であることを、私は切望してます」


そうして、自分の片言具合と唐突さに悶え苦しめられる。

っぁぁぁぁぁぁ、さっきと同じことしてる、してますよ私!! 馬鹿なの、あほなの、死ぬの?! ねぇ。


目を見開いて失言を後悔していると、彼女がぽんぽんと私の右手を叩いてきた。ぱさりと左脛をケルンの尻尾が撫でる。

察するに、気にすんな、の意味だろう。

ずどーーーーんと落ち込む私に、お兄さんたちが優しく諭してくれた。


『夢ならどれだけいいか、私も切望してますよ』

『そんなクルクル表情を変えなくても、理解できてるから。ああ、本当に、夢だったらいいのにな』

『現実からどれだけ離れてようとも、これが現実だよ。状況把握しよう?』


『あの、僕、さっきから母の言葉以外には貴方の言葉しかわからないんですけど、こんな不条理な夢ってそうそうないと思います。だから、その』


『夢であるなら私もそう願いたいな。なんせ、とうとう出会えた生涯の伴侶が女性だ。アレをつがいにすることが正式に決まったじゃないか。忌々しい』


『ふむ。我としては夢でも構わん。”鍵”がこれだけ我の好みで柔らかくていい匂いがするのならば現実に戻らなければいいだけの話。上位種である龍の伴侶ならば多少面倒だが、我とて大地の精霊としては少々の実績と力がある。こやつも無下にはするまいよ。人間たちの些末なことなど捨て置いて、我と短い間の旅を楽しまんか? なぁ』


例え、どれだけ優しい口調でそっと言われても。残念なことに、特に後半組の容赦のない言葉たちを、私の頭は聞き逃さなかった。

ごくりと喉が鳴る。さっき大量にかいた冷や汗が蒸発していて、自分が汗臭い。瞬こうとして、強く意識しないと目も閉じられないことに気がついた。思考が高速回転しすぎていて気持ちが悪い。聞いた単語から組み立てた推論の、理屈が通る気がして怖い。

空転して、回転して、嫌な結論を引っ張り出して。

それが真実かどうかを疑う気持ちを飲み込んで。


この結論が正しいのか確かめずにはいられないあたり、業が深すぎて泣きそうだ。


「もふもふのオオカミが、上位種も粗末には扱えないレベルでの大地の精霊。この、ものすごくきれいで理想の女性みたいな人が、もうすぐ旦那さまを持つことになる龍で、私は彼女の生涯の伴侶で、中学生の彼が、彼女の息子さん。そしてお兄さんたちは、たぶん、私と同じで、こちらにある何らかの事情に巻き込まれた人たち」


『……おや。考える頭はあるのか。かわいい子』


 意外そうに目を見開き、小首をかしげた彼女に口の端が引きつった。言い草がひどいことには何とも思わない。けど、私の言葉を否定されないことの方は怖い。


「ここには剣があって、魔法のある世界。私のいたところとはありえないほどにかけ離れてる。剣や魔法がデフォルトだなんて、それが事実なのか、私には確かめられる方法がない。この状況は、『もう、こんな大げさなドッキリしかけて!』って笑うとこ? それともパニックして泣きわめくとこ? あなたたちを、どうすれば信用できるの? っていうか、ねぇ、それなら、…なら、なんで私は、私のいたところからかけ離れている世界からはじかれてない? 言葉がわかる?」


『それは貴方がこの層のことわりに所属される“鍵”になってしまったから。さらに、貴方は確かに異物だけれども、こちらとそこまでかけ離れていない層で要の種族である『龍』とも深くつながりができてしまったから。……どうやらこの状況が夢ではないって、うっすらとは理解してるみたいだ。貴方の言葉は今のところ事実だけのようだし、そのあたりから考えるとすごく冷静な判断力をお持ちのようですね。……えっと、そうです、この男の人たちも、それぞれが異なる層から召喚されたんだと思います。ですから、本来なら彼らも異物なんです。今回はこの土地の王もどきが召喚したので、時間的猶予が設定されてないみたいですけど、界のことわりからいけば、彼らは帰るべき時が来れば帰れます』


 驚くほどの長い口上は、聞くのが難しくない言葉で構成されていてわかりやすかった。意味が理解できるかっていったらまったく違うけどね。追いかけるのが苦痛じゃない言い回しっていうか。うん、でも、やっぱり意味はわからない。

必死で、とにかくどうにか内容を飲み下そうと私は彼の言葉に聞き入った。


『要の一部になってしまった貴方とは違って、彼らは、この層とは貴方、つまり”鍵”と関わることによって仮定着したみたいです。現在は、貴方の言葉だけが彼らに伝わる。…………お気づきでしたでしょうか。母と僕を除き、ここにいる全ての存在の言語は異なっている。あなたと僕と彼ら、精霊の言葉も』


『私の生涯の伴侶よ。世界が違うことすら即座に理解するほど冷静なのはかわいらしいが、今ある事実から目を逸らすのは利口ではないね? この状況を確かめたいのならば、さぁ私に名を教えておくれ。……ああ、早く慈しみたい。すでに知っている、お前の名前を呼びたいよ。出会えたことはあの下種男に百歩譲って感謝もしようが、本来は私にだけその名を告げればいいものを、あのぼんくら男が引っ掻き回したせいで』


『この世界の精霊の一人として聞く。まだ子供でありながら、すでに愛おしい”鍵”よ。早く呼びたい。名前を我に告げ、世界に告げるがいい。我も早くそなたを愛したい。愛おしい人間の子』


人外だと、はっきり宣言したことで彼らは遠慮をなくしてきた。私に向かってそれぞれが意識を向け、笑いかける。


どう考えても名乗りが特別な意味を持つっぽい。

そんなことしたくない、イヤだと首を振りたかった。けれど空転する高速思考がそれを許さない。夢ならいつか覚めるのに。これが現実だとしたら対処方法よりも先に現状把握を優先させたいのに。いつだって事態は私の思い通りにならなくて斜め上で、そうして今はまったくもって、小説で時々読んでたような展開だ。畜生、この予想が当たってたらどうすんの、私。けど、試してみなくちゃ何事もわかんないし。試してみて確定しちゃったらそっちも嫌だし。思い浮かんでくる思考全部がそれぞれの真反対を向いてて気持ち悪い。


吸い込まれそうな蒼い瞳、彼女の双眸を覗き込む。視界が回りそうだった。頭の中も。

そうして、ほんの短いあいだにびっくりするほどたくさんの考えが浮かんでくる中で、なるほど私の名前は、だからだったのかなんて正気を疑う終わりに達する。

女の子には、長子にはまずもって付けないだろう男名前。

苗字と合わせて意味を持つ、自意識過剰な厨二的結論。


告げる声は震えた。恥ずかしさからか、ありえないと笑い飛ばしてほしかったからか。

……告げることにより、何が起こるかの想像が、怖かったからか。



「柔生 要」

ゆるぎ、かなめ。

そう告げた瞬間、風が吹いた。一瞬だけ、それでもかなりの強風だ。たき火が、ありえないことにふぅっと消えた。畜生、百物語かよ。



私の名前自体が怪談だなんて、どんなオチだ、ぼけ。




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