30
ずっと、心のどこかでぐるぐるしてた疑問。
私が、こんなふうにこの人たちと一緒にいていいのかって。
物語のヒロインがいつかどこかで出てきて、私と入れ替わるんじゃないかって。
役目だのなんだの言われた時から、ちょっとだけ楽観視してその願望はあった。はっきりとした形になってなかったから、頭の片隅に浮かんでは消えるようなものだったけど、でもいつか誰かがこの面倒そうな人たちとの関わり合いを、代わってくれるんじゃないかって。
これが現実じゃないんなら、私が彼らに少しくらい誠実じゃない対応をしても。
いいんじゃないかって。
でも、だからこそ私は今朝、すごく混乱させられた。
私がつがいだって言ってきたユーリの言葉にもみんなの態度にも、笑えるようなものは欠片もなかった。
男の人に口説かれたことなんてただの一度もなかったけど、人間の本気って、伝わってくるもんなんだね。好きだって熱っぽく言われたとき、笑い飛ばそうとかぜんっぜん思えなかったよ。
私がいいんだって。私じゃなきゃ嫌なんだって。や、あの時にそこまでは言われてないよ? けど、視線が、距離が言外に伝えてくるんだ。言葉以外の言葉で。
……おいおいちょっと待てよって、そう思った。だってそうでしょう? 鍵が私だって、常に自分でも半信半疑なんだよ? いっちゃなんだけど、恋愛だとかなんだとか、まだそこまで行ってないよ。行けないよ。
ガチでの感情の応酬なんて、せめて一緒にご飯が食べられるようになってからにしてよ。
って、そう思ってるのと同時に、怖くなった。
私は、ミハルやユーリから受けるべき愛情を、来るはずだったヒロインから横取りしてるんじゃないかって。
ケルンが変異することは気にならない。それはそれでいい。けど、それを『私に』見せたことが問題なんだ。変身事情がケルンにとってどれだけ軽いものだろうと、ことが異種の婚姻だ。そこの思いは決して軽くないはず。
昨日会ったばかりの私が、ましてやヒロインの自覚がなくて場繋ぎだって思ってる私が兄さんたちの思いを正面で見てもいいものか。
受け止めるかどうかは別にして、この本気、本当に私に発せられていいものかって。
当事者として、ね。
「ず、随分とすっきりした…………」
ミハルとバルトがまとめてくれた私の愚痴は、まとめてもそのくらいのボリュームがあったはずなのに。たった二つの文章にまとめられた。
いわく、
『私が誰かの立ち位置を押しのけてここにいやしないか』っていう不安。
『本当に私がヒロインだって、わかってもいないのに事態を進めるな』っていう不満。
すっげぇなおい…………。
頭のいい人って、簡潔にして美しく要点をまとめるよね。いつだって。
黙ったままお互いを見つめ合ってると、ミハルが業を煮やしたように私を膝へと持ち込んだ。うっはぁ、こんな時になんだけど私、ソファの大きさの理由がわかったよ! そりゃそうさ、こんなふうにするためにはある程度の大きさが必要だね!
シリアス、どこにいったのさ!!
「ミハル……」
「我が愛しの伴侶は、酷なことを言う。私の思いを疑うとは」
「え?!」
ぎょっとして顔を上げようにも、例の顎乗せのおかげでミハルの顔が見られない。ベッドの上でこっちを向いてきたバルトの顔は見えるのに。
「そうさな、ミハル。龍の生態を疑われるか。つらいな?」
「カナのいた場所には龍がいないそうだからな……。さて、どうすれば伝わるか」
ああそうだ、この層から全ての人間を取り除けばどうだろう。
軽く言われた言葉の意味がよくわからなくて、私は首をかしげる。
バルトが楽しそうにミハルに向けて笑った。
「伴侶への忠誠を疑われるは身を切られるよりも痛い。私にこのような痛みを与えた報復として、まずは王もどきとその国を無くそうか」
「この層から全ての人間を消し去ったとして、カナの心はまだ揺らぐだろう。ミハル、移動できるだけ層を移動して、その層にいる人間を片端から消してしまおうか。なに、我とお前がいればできよう。ユーリも加勢するだろうし」
「……もちろん、喜んで」
不意打ちでユーリの声がした。びくって体が跳ねる。それは、自分の部屋に招いた覚えのない人がいるってことで、決してミハルとバルトの言葉を理解したわけじゃない。
「カナはどう思う? 我にすればミハルとお前さえいれば、世界は世界たりえる。幾層もの人間を滅ぼし、さらには他の存在を否定してもいい。罪悪感からでもなんでも、お前がミハルのそばにいてくれれば」
「私は、極論を言えばカナの正気を欲しているわけではないのだよ。むろん、カナの笑う顔は好きだとも。だが、五体が満足かどうか、精神が正常かどうかは些細なことだな。悲しみ不安に思うその感情が不快ならば、カナの愁いを解いてあげる」
「この世界から僕以外の存在が無くなれば、ナーナがひどい怪我を負い、僕の介助なしで日常生活が送れなくなったならナーナは僕だけを見てくれますか? それなら、僕はいつだって世界の敵にまわります、ナーナ。喜んで」
待って。……っつか、はぁ? この人たち、何言ってんの。
人間を全部消せば、私がミハルを見るだろうって? 私以外の他人に価値はないって言われたの? 今。私が誰でもいいって? 私が、私ですらなくても?
正気を欲してないってつまり、気が違っちゃってても構わないってこと? 五体満足に至ってはもう、想像したくもないけど。そういう意味? 世界の敵? 敵って、アンタ。
待って、待って待って。
この流れは覚えがある。畜生、この人外どもめ。私が怒涛の押しに弱いって知っててやってるな。
はくはくと、精一杯の必死さで息を吸う。吐く。子猫の速さで打つ鼓動。震える手をぎゅっと握った。ミハルの腕ごと。
ものすごく悔しいことに、ミハルの肩がそれで揺れる。くそったれめ、怖すぎる単語のチョイスの後で笑ってもみせるなんて。ずるい。もうっ、ずるすぎる。
ミハルは、私が主人公じゃなくてもいいよって言ってくれたんだよね? 後から来るだろう完璧な彼女じゃなくて、欠点だらけの、柔生 要がいいって言ったんだよね。私に言わせればそれは早い者勝ちの理論だけど、それでもかまわないんだよね?
どうしよう。ちょっと、『それでもいい』の結論は言われると思ってなかった。ヒロイン適性の問題じゃないんだ。初回条件っていえばいいのかな。いや、それも違う。だってミハルも今までに数えきれないほどの人間の女性に会ってきてるはずだし。じゃあつまり。
インプリンティング。
ひよこの誕生のシーンで必ず言われる言葉が脳裏を踊る。
龍のつがい、伴侶は、擦りこみの問題か。
他の誰でもない。ミハルは私が、私だけがいいって言ってるんだ。ん、この後でヒロインが来ても、もはや代われないって意味だよね? 擦り込みを、しちゃったから。
な、なるほどね。
じゃあ、私も腹をくくらないと。世界を、違う意味ですくわないと。
今のぐるぐるから助けてもらってすごく楽になった、ほっとした分を、はっきり口にして伝えないと。
「ほ、滅ぼすとか、そんなことは、望んでないっっ」
どうしてこう、心の奥底の言葉を絞り出す時って勝手に涙が出るんだろう。うざい。邪魔だ。
「では何を望む」
「何も!! わ、私はっっ」
ミハルめ。こんな時くらいは立ち上がらせてくれるものですって!
龍たちの言葉でちこっと、ちこーっとだけ振り切った勇気を、絶叫にかえる。せーのって言っちゃえばそれが事実になるかもって、腹の底に力をためる。
「私はっ、か、覚悟を決めるんだからっ! こうなったから潔くっ! ミ、ハルとその他にっ、あっ、……っ」
くそ、くそったれ。こんな恥ずかしい単語、口から出すのは初めてだ。
はくはくと口を開いては閉じる。たった二音節が簡単に出てこなくてもどかしい。顔が赤い。涙がこぼれる。にじんだ視界にバルトが揺れる。
畜生、聞いてくれた龍に答えを返したい。
答えを直接出すんじゃなくて、わざわざ私に気付かせてくれた優しさに、報いたい。
「あ、愛されて、みせるんだからねっっ」
………………あぁぁぁぁぁ。
ど、どこの誰がツンデレ風味にしろと。
あぁ?
しろって言われてもねぇよなぁ。




