28.三人称混在
出来るだけ抑えた食器の音がする。かたり、ことり。水の音、お湯が沸く音。
ゆったりと立ち回ってる、足音。
「おはよう」
「おはよう、カナ。起こしちゃったのならゴメン」
「違うよ、ブックロゥ。手伝いたいからむしろ起こしてよ」
「ん、……うん」
おいおい寝起きのイケメン、パネェ迫力だな。顔赤くされると、私の方が死にそうですよ。っつか巻き毛なのにどうしてくしゃくしゃにならないんだろう。あれっていわゆる、天然パーマですよね? 手に負えなくない?
「顔を洗ってくるね」
「あ、カナ? 着替えるなら、いくら部屋の中だって足を出しちゃダメだよ? できるだけ何枚も着てね? 肌を隠して」
「……いっそブルカにするか」
半ば本気で返事をして、脱衣所に設けられた私の箪笥を探る。恐ろしいことにここの脱衣所には、それぞれのクローゼットが用意されてた。うん。確かに洗濯物の動線を考えるとベストだよね。隣が物干し場っぽいしね。
ぶつぶつ言いつつも箪笥、クローゼットをあさる。あ、嘘だ。すげぇ。
ブルカがありますよ工場長。
イスラム圏のごく一部で言うところの女性用外出着、真っ黒じゃないけど目だけ隠してすっぽりとふくらはぎくらいまで隠すそれを意気揚々とそれを着てキッチンに行くと、いつの間に起きてきてたのかユーリもその場にいた、のは、いいんだけど。
「……それは、ナーナ、風呂上り用のローブです。しかも下穿きはどうしました? 足首が出てますよ?」
「うぇ?! ブルカ着てるよ? あ、ろ、ローブ?! ローブまであんの? っつか、言われてたから、これでもイロイロ隠してるって、結構!」
ちょ、そんなにものすごい衣装の縛りがあんの、ここ? うわ、マジで?
「カナ。えっと…………昨日の夕方に出た段階じゃあね、女性の服装にはそんな複雑な決まりはないと思う。この層の女の人も、カナとあんまり変わんない感覚じゃないかな? でも」
「ナーナ。僕が嫌なんです。僕以外の人にカナの肌を見せるんですか? 僕が、龍が自分のつがいの肌を他の誰かに見せるとでも?」
「う、うぇぇぇぇ?!」
怒涛の駄目出しのあとに、なんかとんでもないような単語が付いてきた、気がする。
なんじゃそりゃ。
ねぇ。
なんていったの? いま。
キッチンは、私が硬直したせいで恐ろしく静かだ。けど、ユーリはてきぱきと動いて、脱衣所から私の洋服をチョイスし、持ってきて下穿きを穿かせてくる。この場で。
あまりのことに思考が停止したせいで、私もなんだかぼんやりとその指示に従ってしまった。大人しく足を突っ込み、膝のところで仮止めされたズボンを見やる。こ、ここで引き上げるわけにはいかないよね? 下がパンツだし。
ブルカを取られてから、シャツのようなものをまた下に一枚足された。だまって、手を通されるままにする。脱いだブルカはあとで着てくださいと押し付けられ、受け取ると太ももをすくいあげられて抱き上げられた。……ちょっと、意味がよくわかりません。
脱衣所の中でそっと下ろされた時はもう、混乱もピークで。
何が何だかよくわからなかった。夢? じゃないにしろ、何が起こってるの? これ。
閉められた脱衣所の扉のこっちで、私はズボンを引き上げて腰ひもで結ぶ。ユーリが扉の向こうでブックロゥと会話するのが切れ切れに聞こえた。聞き流して、もう一度ブルカをかぶる。なんだそりゃ。駄洒落?
「ああ、これで最低限です。ナーナ。いいですね? もう二度と、あんな軽装で雄の目の前に出てはダメですからね?」
「………………はい」
イロイロと言いたいことはあったんだけど、ユーリの眼が怖い。とりあえず素直に返事をしておいた。呆然とキッチンに行けば、ブックロゥの痛ましそうな目。
「ね、……ブックロゥ、今のって」
「僕が宣言することじゃないから言いたくないな。けど、夕べも同じようなこと、ミハルがバルトに言ってたでしょ?」
「き、聞いてない」
「っあー。なんとなくそうじゃないかって思ってたよ。突っ込みに忙しいカナにしては華麗に流してたからね。……というか、カナには濁さずに、とっとと言わなくちゃダメだって結論に達しちゃったみたいだよ? かわいそうだけど、僕もだから」
「え?」
「僕もね、カナ。君が欲しい。つがいだとか、そんな乱暴な言葉じゃなくて、恋人として」
「緑の巻き毛よりも僕が先です。ナーナを一目見た時からうすうす感じて、昨日一日かけて確信しました。ナーナ。貴方が僕のつがいの相手です。どうか僕に、愛を告げる権利をください。ナーナを、いえ、ナーナの一番近くにいたいんです」
な、…………何言ってんだこの人たち。
「…………いつからそんな会話をしていらっしゃるのかはよくわかりませんが、ブックロゥに風龍。私も参戦表明はしますからね? カナ。おはようございます」
「お、……はよう、ございます、トール」
「よく眠れたか? カナ。残念だが、こいつらがそう出るのなら俺も出遅れられないから告げておく。俺もな、お前の連れ合い、婚姻の相手を希望している。意味が分かるか? 恋人の意味で、お前が欲しい」
「…………」
くたくたって足元が崩れそうだ。なんなの、このお兄さんたちは。
何を言ってるの? 意味がわからない。何?
「ケルンも、そうだと思うよ、きっとね。雄として、君が欲しいんだ。カナ」
「け、……ケルン?」
ブックロゥの言葉をおうむ返しにして、耳から聞いて初めて理解する。
は? ケルンは精霊、もふもふだよ? ケモノなんだよ? 種族が違うじゃん。
「…………やれ、愛し子よ。鍵の子よ。昨日に引き続き、随分とゆすぶられ続けるようだな。若造の繰り言に朝から付き合わされるとは」
「……ケルン」
シンクに手をついて、前のめりになりそうな自分を叱咤する。ちょっと。
ちょっとだけ待ってほしい。
意味が分からない。さっきからそう言ってるのに。
「精霊婚姻譚を聞いたことは? 異種の婚姻譚は? カナ、お前が思うよりも我らはお前に近い。その姿を、とることができるくらいに」
瞬きする間に、ケルンはオオカミから姿を変えていく。青銀の毛皮はするりと地肌に溶けた。肌色は褐色。目の色は相変わらずに冬の色。尖っていた鼻づらは見る間に人間の顔になって…………渋めの兄さん、えらいイケメンになった。
長髪。頭頂に近い部分に生える獣耳。青銀の毛皮は髪の色と、それから貫頭衣みたいな服になるらしい。
袖なしの服、ゆるい合わせからびっしりと刺青が見えた。色気が体現化したような胸板。腰のライン。トールやライと同じくらいの背丈。
「そ、んな…………」
ここまでテンプレ通りだと笑いも出ない。遅れてくるはずのしゅ、……いやいいよね、現実逃避したいよね? 主人公はまだか。
獣の変異まで見られるって、おいおい好感度とかはかなり上なんじゃないの? コレ。もしくは転換期だよ。物語の。……なぁ、スタートから二日目でここまで進むってなんなの? っていうか、そろそろガチで。
「あの、ちょっと休憩……」
無理です。詰め込まれすぎ。情報が処理できなくて私が落ちる。ゴメン、もう無理。
私はふらふらとソファに寄り、夜に使っていた毛布を取り上げた。肩から回してすっぽりと体に掛ける。
誰もが無言のままのキッチンとダイニングを背中にしてガラスをあける。中庭へと下りた。
寒い。場所的に砂漠の始まりだからか。朝もまだ早いからか。
くるりともう一周させて、厳重に毛布を体に巻きつける。昨日も寄りかかった樹にもたれて目を閉じる。
ちょこっとだけ、ん、ほんのちこっとだけ。
そう念じて。
意識をシャットダウンする。
室内は、もう無音ではなかった。ガラスの扉を開け、カナが樹にもたれてしまってからブックロゥが朝食作りを再開したのだ。無言のままでユーリがそれを手伝う。
ダイニングテーブルのセッティングはライとトールが担当するようだ。ため息をつき、しゅるりと獣の姿に戻ったケルンがベンチの椅子へと飛び上がる。
行儀よく両手を組み、その上に顎を載せてから目を閉じた。
「……ミハル、済まぬが暴走した。今はまだ、カナのところに行かんで欲しい」
「……なるほど? 私の伴侶をあれだけ呆然とさせておいてそれを抜かすか。冗談にしても笑えん」
「だが、ミハル」
「黙ってろバルト。こいつらはな、自分たちが庇護すべき鍵に、その使命よりも先だとよりにもよって自分たちの恐ろしく個人的な事情を押し付けた下種だ。私が腹を立てても当たり前だろう」
「ミハル」
再度バルトに名前を呼ばれたミハルが黙る。ぐっというなんともしれぬ音を立てて情けない男どもが呻くのを聞き、苛々とダイニングテーブルの足を蹴った。
「年頃の、揺れやすい娘にしでかすにはあまりにも罪が重い。私の伴侶に対するそれとすれば、もっとの重罪だ。万死に値する」
「……」
それもそうだと、理解はできると、無言のままでバルトがミハルの肩を叩く。火を噴くようなミハルの視線の先、唇を引き結び、眉間のしわを揃いでこしらえ手を動かし続ける彼らは顔を落としたままだ。それがさらにミハルの激昂を誘う。
「あそこまで男ずれしていない上に、ましてや他人といては食べ物を口にできないなんて異常な事態を抱えている以上、カナの方にはある程度の事情があるはずだ。もちろん私だとて恋愛情動の理解はできる。意識してもらわねばカナのことだ、夕べのようについうっかり嫁に行くとでも言いかねん。しかし」
「それがおわかりなら母上、僕の焦りも」
「染み入るともユーリ。だからこそ私が怒っていることが理解できんのか。お前は、ようやく風の流れを読めるようになった龍に対して、今すぐ広く深い湖を凍りつかせろと命令したも同じだ。お前が走ってしまえば、執着の度合いが同じである人間の雄もつられて走り出すしかない。忍耐を求められるのは常に年長者だ。年齢の比較の問題でなく」
「250年を超えて生きているのだから、お前が自重すべきだったな、ユーリ。……まぁ我としては、つがいの問題であることだし、まだ年若いお前にそこまでは求めんが」
ほわりふわりとミハルの顔の付近を小さな蛍火が飛ぶ。青白いそれの危険性をよく知るバルトはミハルの名を呼び、蛍火を始末させた。じゅっという短い音がして、それが飛び込んだ先、大きな寸胴一杯に張られていた水からたちまちのうちに湯気が上がる。ライの顔が引きつった。おいおい、と小さくつぶやく。
ユーリがミハルの例え話にがくりと肩を落とす。ミハルの蛍火をいくつか鎮静化させるあいだもずっと黙っていた。その顔色は白く、後悔と大きく頬に書いてあるようだ。
「……言葉を軽く扱っては」
「くれぬだろうな。カナは賢い。お前たちが務めてそうすれば、調子は合わせてくれるだろうが。……つくづくと、先走りすぎだ、ユーリ。淡い恋心にも発展していない花を、お前たちは全員そろって体重を込め、踏みにじった」
はっとユーリが顔を上げる。同時に、ブックロゥも。
苦い顔をしたのはトール、しまったという表情を浮かべたのがライだ。
各々、心当たりがあるらしい。
「やれ、このような様に陥ったは初めてで、勝手が掴めぬ」
「人間の恋心は、いわゆる人外には納得しがたい。これもありふれた話ではある。なぁケルン」
「なんとまぁ煩わしい。面倒な感情だ。ミハル」
鼻を鳴らさんばかりにケルンが吐き捨て、その一拍後に含み笑った。ゆっくりと、それに釣られるようにしてミハルも口角を上げる。
「そうさな。ああ、まったくのところ」
「面倒だ」
だが、それがいいのだとお互いの表情は告げている。苦笑、自嘲に近い笑みは決して笑い声を立てることなく、しかしその場にいた全員に伝播した。恋情、恋着を理解するものならだれもが共通して持つ感情に、そうせざるを得ない。
唯一の存在に関わりあうことで生まれる、すべての感情に振り回される幸せと苦痛をぎしぎしと噛みしめる。
そうしてそれは、冷え切ってしまってくしゃみを連発したことで強制収容されたカナがふんわりと笑うまで、続けられた。




