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「あ、そういえばケルン。私が鍵だってことは、王様は知ってるの?」

 なんだかものすごく回り道をしたような気がする。私はようやく他人と近い距離にいることに心の折り合いをつけて、大精霊と目を合わせた。だるさが半端ないのでまだミハルの膝の上だけどね。かっこ悪いなぁ。

 ケルンいわく、私は鍵だそうだ。扉を閉めるための。

 「名前は知っていような。だが、鍵がカナであることは知らぬ」

 「つまり、カナの性別や外見その他は伝わっていない」

 「その通りだミハル。鍵を召喚する陣は、中央に各種の条件を満たした人物の名前を浮かび上がらせる。召喚主が名を呼び、答えれば陣の発動だ」

 

おっと、思ったよりサーチエンジンっぽい仕組みなんだね召喚陣。……ああ、だから誰かに呼ばれたような気がしたんだ。運動会の会場だから不自然にも思わなかったけど。

 あれで召喚が成っちゃったわけなんだね。


「鍵には戦闘能力がなく、魔力もなく、気性が穏やかだ。だがそれでは、この層のどこにあるかわからぬ『ほころびている場』や扉を見つけ出すこともできん。辺境を行けば獣も出るだろう。教義の違いからくる教会の利権に覇権争い、領主や貴族の権力争いやらで各種の妨害も多々入る。危険性は高い」

 「……だから守護者をも同時に呼び出すわけですか」

 「守護者とは、鍵を守るものだ。これは鍵を固定した後に陣により自動で選ばれるな。この三人や、欄外でユーリもそうだろうが、当人を保護することに疑問を持たないような人間が条件となる。高い攻撃力や魔力を持ち、守ること自体に誇りをかけ、鍵のためなら他者を屠ることすら躊躇しない強い精神力の持ち主がな。鍵と同様に性は定まっていないが、今回の三人は多い。大概は一人、ないし二人。扉を探して、間が悪ければ長期間の旅をすることが前提ゆえに、相性のいい者を、とまでは召喚陣に描き入れてるようだが」


 ははぁ、なんだかえらくこっちの人にとって都合がいいっていうか、……いやまぁ、そりゃそうだろうけどねぇ。どうせ喚びだすんならできるだけ便利なのがいいんだろうし? 鍵を穏やかな気性だって条件づけてれば呼び出した側の言うことを聞く確率も跳ね上がるんだろう。……私は穏やかじゃないけどな? 性格。けど確かに、お兄さんたちはやけに私に親切だし、ユーリも親切だ。ミハルも。


………………ミハル、も?


 「……そもそも、地の精霊どのが召喚に関わっているのだろうか。やけに詳しいが」

 「それを龍に言われるとは思わなかったな。ミハルとても層をいくつも隔てた遠目から陣を見たのみで理解しただろうに。……我がここにいるのは、失われた約状により、地の精霊が扉を閉めることを見届けることを定められているからだ。人が失っても我らは失っておらん。良くある話でな」

 「……なるほど」

 「今回は異例に異例、さらなる異例が重なったが、つまるところ鍵は道具だ。扉を閉めてしまえばお役は御免になる。守護者をも異層から呼び出した例は極端に少ないが、ないわけでもない。他の事例と変わらずに収束するだろう。ただ、鍵が珍しやかななればこそほころびの扉への施錠が困難かもしれんし、鍵の異例さゆえに守護者も異例なのかはまだわからぬ」

 「あれ? お役御免って、じゃあケルン」

 

 その言い方だと、私は扉を閉めさえすれば帰れるんじゃなかろうか。


 それまで黙っていられたのに、ついうっかりそんな合いの手を入れてしまったせいで一気に周囲の温度が下がった。気のせいじゃない。だってたき火が止まったもん。炎のゆらゆらが止まったまま『ただそこにある火』って怖いもんだよね。知らなくていい情景だけどね。

 そっとミハルの腕が私の腰に回る。この人、背が高いんだなぁ。腕は私の体を余裕で抱きしめてまだ余る。苦しくない程度で一番きつく、ぎゅってされた。うん。


 …………うん。わかってる。


 「……扉を閉めた後、お兄さんたちは、か、帰られる?」

 「…………そう、だな。過去の例からするに、彼らもそれぞれの居場所に帰るだろう」

 「おうちに?」

 「いるべきところに」


 今までも、泣きたいときは山ほどあった。おじいちゃんもおばあちゃんも死んでしまったとき。ジャングルジムのてっぺんから落ちた時。大学に落ちちゃったとき。ヒロトが骨折した時も、本当はわんわん泣きたかった。けど、我慢した。我慢なんてしなくていいのにって言い含められても、泣きたくなかった。

 負けたみたいで、悔しかったから。

 ケルンの声は低く、同情に満ちていた。お兄さんたちの視線は今度こそ、痛々しい子を見るそれだった。ユーリと、それから見えないけどミハルは必死な顔をしてる。離れないで、行かないでって、声に出さないだけで絶叫してるのがわかる。


 「見るな。誰も、……見るなぁ」


 ぽろぽろと流れる涙を、必死で隠そうと手で顔を覆う。ケルンが『いるべきところ』って言った瞬間に、流そうとしても流せなかった涙は零れ落ちた。いつだって我慢できてたはずの涙腺の決壊は、どうしても止められなかった。


 帰れない。かえれない。にどと、だれにも、あえない。


 …………本音を言うと、向こうの世界への未練はそれほどでもないだろうと思う。私はあまり物事に執着する方じゃない。仕事はまだ始まってないから執着のしようもないし、読んでた本の新刊やネット小説の更新が気になるくらいで、秘蔵の画像とかもない。

キーロックしてあるフォルダとかもない。薄い本もないし。

 なのにこんなにショックなのは、故郷をなくすからだろうか。自分の寄って立つ場所を、永遠に喪失するからだろうか。


 見るな、と呟けば何拍か遅れて何かが私に掛けられた。手触りからすると、寝てた時に掛けられてた毛布かもしれない。ふかふか具合がおんなじだ。

ミハルが毛布の上から私を抱えなおして、身動きできないほどに強く抱きしめてくる。

誰のものかわからない低い声が何事かを呟くと、すぐに弦楽器の音が聞こえてきた。バイオリン……ビオラ……胡弓。うん、胡弓みたいな音だ。試し弾きしてすぐに音楽に変えてきた腕前は、こんなときじゃなきゃ素直に感心してただろう。心得たように笛の音色も加わる。前振りもない究極の即興なのに、ブックロゥとユーリの歌声までハーモニーを奏でる。


 「声を上げても、もう誰にも届かない、要。泣いていい」


 耳の中に直接届けられたような響きのミハルの声が、私の涙腺をさらに壊す。初めて名前を正しく呼ばれた。きっと、これからはもう二度と彼女以外は呼んでくれないだろう私の名前。

優しい心遣いが素直に泣ける。自分を抱きしめるようにして掴んでいた腕で、ミハルを捕まえる。心の底から大絶叫して、大声でわめいた。


 かえりたい。かえりたい。あいたい。いやだ。




 おかあさん。



 



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