10.ライ視点
「やれ。隔離空間にカナを放るとは。『ユーリ』も大胆な」
「私の目の前で伴侶の姿を消すとはね。お前、本当にアレに似てるよ『ユーリ』」
青銀の狼、ケルンと、腰まで届くような長さの絹糸じみた黒髪を無造作に後ろに投げたミハルは目を細め、俺たちから見ても年若な金髪の風龍、ユーリを睨みつけた。彼らの鼻のあたりにしわが寄っている以上、本気で嫌がっているらしい。しかもカナいわくミハルはユーリの母親だそうだが、カナが名付けた名前で呼んでいる。
嫌味の一環なんだろうか。
もぐもぐとカナのくれた弁当を食べながら、不思議なほど心穏やかな気分でユーリに飲み物を要求した。この場所についてから最初の時にくれた、緑色の冷たくて爽やかなアレだ。
そういえば、あの時も思ったんだがこいつ、本当は俺たちのことなんてどうでもいいんだろうな。要求されたからした、くらいの淡々とした様子でユーリが俺たち三人の前に木のカップを出現させる。そらぞらしい笑みがうさん臭い。これに騙されるのは女子供の一部だけだろう。
「……なるほど、風龍って風の大精霊の上位種か。この地にエーテルが満ちてるようには思えないけどたぶん、同族の精霊とそのあたりの力を使って転移とか温度の調節をするんだろうな。……あぁそれなら、他の属性でも似たようなことができるってこと? 個体差はどのくらいだろう?」
焚火のこちら側に座っている俺たちのうち、最年少に見える緑の巻き毛、ブックロゥがぶつぶつとこぼしている。独り言を続けていても食べる速さが落ちない。ウメボシとやらは苦手だったようで避けているが、それ以外は口に合ったようだ。早くも二個目の弁当に手を伸ばしている。気もそぞろに飲み物の礼を言っているが、ユーリもこいつも目を合わせてないままだ。他人に興味がないんだろうな。
たぶんそれは、俺の隣にいる灰青のローブ、トールもそうなんだろうが。
食べられるときに食べておくのが兵隊の心得というものだろう。俺はさりげなく三つ目の弁当を開き、特に気に入った白くてふわふわしているものを口に運んだ。あれ、子供用のフォークはこっちに入ってたんだ、ラッキーだったねとカナが渡してくれたカトラリーは俺にも使えるもので、正直、助かってる。
見たこともない食べ物に、些細なところまで気を使っている弁当の入れ物。使い捨てだよと事もなげに説明される文化の背景に透けて見える豊かさ。カナの着ているものだって縫製や素材の見事さなど見るべきものは大きい。
主食だと説明された白くぶにゅぶにゅした粒状のものをまとめて口に入れる。これ自体は見たことがないが、そこまで異常な食感でもない。文明は恐ろしく違っているが、そして習熟度も違うのだろうが、異質とまでは言えないだろう。
「こちらの王が、俺らを召喚したと言っていたようだが」
鼻づらで指示しては新たに弁当をひろげさせ、平らげていくケルンに問いかけてみた。ふと気になって転がっている空容器を数えると三個目だ。精霊や龍といったものは食事が不要なんじゃなかったか? っつーか、おいおい、その龍たちもそれぞれが三個目? その細っこい体のどこに……いや。
「……龍や精霊でも食事をとられるんですか。しかもかなり大量に摂られても平気なようですね。俗気に触れても変化なし。本当に、こちらは私の世界とも少し、違うのかな」
ローブ、いやトールが三つ目の空容器を閉じ、手拭きで口を拭った。そんなに大量に食える体型には見えないのはお互いさまじゃないか、人のことは言えないだろうの突っ込みは入れないでおく。
守護珠を埋め込むときにちらりと見たあたりでは、実にいい体だった。こちらに飛ばされてからは誰とも剣を交えていないが仕草でおおよそのところは見当がつく。トールはかなりの使い手だろう。
……それにしてもよく食ったな。全員が。
弁当容器が入っていた包装紙の中身はもういくつもない。ぱっと見、研究職に見えた緑の巻き毛すら二つも食べたからだ。それなりに戦えそうな体つきだったことからすれば少しの意外さで済ませられるが、カナが『再冷凍』はダメだと言っていたから皆も心置きなく食べたのだろう。
再冷凍という言葉の意味がわからないままに、残った弁当はユーリが再び凍らせて隔離空間にしまったようだ。無造作なところを見るとカナとはまた違う場所にしまっておけるようだな。ついでにとばかりに放置されていたもう一つの荷物、細長くて液体の詰まった容器が入った袋にも同様の処置をしている。
恐らく、次回以降にカナの抱える食問題へのとっかかりとするためだろう。
「ああ、ここは私のいた世界とも違うからな。腹も空くんだろう。しかし私の本来の場所では精霊も経口食なんぞ必要としていなかったぞ? 地の精霊が人間と同じものを食べるとは、こちらの層のことわりだろうか」
だが、精神的なものとはいえ、自由に食事をとることができないのはかなりの重要問題なんじゃないだろうか。今までカナはどういう環境で育ってきたんだろうな。見る通りなら、いい家で保護されている箱入り娘、だろうが。
令嬢たちが着るドレスを着ていないのは、それも文化だろうか。顎まではかろうじてあるが、髪も短いし。あれでは結えないだろうに。尼僧なのか?
「いいや、我の食事は趣味だ。普通の精霊たちはこちらでも経口食なんぞしない。ただ、この弁当は非常にうまかったな。いつか愛し子に、カナに作ってもらおう。……ああ、やはりそちらはこちらの龍ではなかったか。……ミハル、と、ユーリ。……こちらに来るのに、いくつの層を破った?」
しかし驚いた。何がって今日の昼、普通に昼飯を食おうと食堂への扉を開いたら次の瞬間には広い草原のど真ん中に立ってたってことがだ。幸い、敵には不自由してなかったせいで最低限の装備はしていたが、状況は把握できないし、ある程度の距離を取って立っていた他の二人ともまったく言葉は通じないしで、カナが来るまでぼんやり立ってるしかなかった。まあなぁ、たとえどこに立っていようが俺が俺だって時点ですべてがどうでもいいこの部類になるんだが。
だってそうだろう。俺の力が欲しいという男どもと、俺の種が、一夜の関係が欲しいとねだってくる女どもと。どこにいようが目立ってしまう俺がうんざりすることの一番、馬鹿げた権力争いは、呆れるほどに勝手に自然発生していく。ならば俺としてはげっそりしつつも、破滅しない程度にさらさらと人の流れを渡っていけばいいだけのこと。
そこには、俺の意志だけが優先されてしかるべきだ。
ふんわりとした一瞬の光のあとでぼんやりと尻もちをついてる女を見た時には、ああ、また誰かが増えた、くらいにしか思わなかったのにな。
意味の分かる言葉が急に聞こえて、なんだか小動物みたいにオタオタしているカナを見て、こみ上げてくる保護の欲求の強さときたら尋常じゃなかった。ハッキリ言って、魅惑の魔法でも掛けられたのかと勘違いするところだった。
「火龍である母に任せておいたらいくつでも破ったでしょうから。僕が舵取りを母に任せて転移を繰り返しました。層は壊していないと思いますよ。たぶん……十くらいでしょう。移動したのは」
短い時間に何度も、初対面としてはありえないほど近くに寄ったから今ではわかっている。カナは、俺の知っている成人女性の誰よりも小さくて柔らかい。幼い印象すら受け……けれども芯のあるあの目がそれを裏切る。きっと、あの目の色ができるならそれほど子供じゃないはずだ。心地いい裏切り。高すぎず、掠れてもない甘い声もいい。あの声質じゃ広い場所では通りにくいだろう。
それは、聞き取ることを口実にしてカナの口元に耳を近づけてもいいってことだよな。
変な色を付けられてない唇と、粉っぽさのまるでない顔の皮膚。舐めたいと思わせるような自然な桃の色をした頬。
あからさまに未成年に見えるカナは実に『手を出したくなる』類の女性だ。美人、じゃない。この土地の基準がどうだか知らないが、美しいと言われる基準に対して目が細いし唇が薄い。体つきだって発育途中なことに期待しろとしかいいようのない代物だ。だが。
「しかしここの王もどき、あの下種男の召喚陣がやたらと時間を喰うタイプで助かった。陣に干渉して、召喚人をすべて離れた距離に落とすように設定できたのがかなりギリギリだったからな。結果としてカナが呼ばれてから少し待たせたようだ。なぁ? ユーリ」
男だったらわかるはずだ。なんとなく、こいつは俺のものにしようって思わせるような女ってのは実際にいるもんだ。いや、思わせぶりな態度を取られるわけでもない。外見でもない。カナにその自覚があるかどうかはともかく、あのころころ変わる表情とか、すっぽり腕の中に入りそうなちょうど良さとか。かなりしばしば潤む瞳が実際に流す涙を見たいと思わせる、そんな危うさを重ねた結果だろう。明かりに引き寄せられる虫のように、どうしても彼女から目を離したくない。
「そうですね、母上。けれど泣き出したり混乱していたわけでもありませんでしたし。すぐに、こちらだとケルンが誘導してくれたおかげで早めに落ち着ける場所に来られましたから。ナーナも僕たちも運が良かったというか」
龍と精霊がうだうだと話しているのを聞くともなしに聞きながら、俺はカナが隔離空間とやらから帰ってくるのを待つ。
そう、”何かを待つ自分”に驚きながらも、待った。
※実はここからの他人視点、全員がこんな感じで進みます。彼らは基本的に全員が人の話を聞きません。会話と見せかけたそれぞれの独り言に近い状況です。っていうか多分どこかで出てくるでしょうが、彼らはそもそも恐ろしく傲岸不遜で傍若無人、『全てのことがどうでもいい状況』な人たちだと。自分の置かれた立場だとか、何をすればいいんだろうとかね。
……っていうか、外見をディスってる(この使い方で合ってますでしょうか)わりに、さわり心地とか質感とかはチェック済みなのかよライ。怖いよ。
そして、人の話を聞けよ。自分の問いくらいには返してもらえよ。




