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二章 赤い夜の萌芽



 ズズズ……醤油のカップ麺を仲良く啜る四人を微笑ましく観察しつつ、ブラックコーヒーの入ったカップを傾ける。

「――へえ、じゃあシルクさんもあの預言者に会ったのか」

「ああ。リサの話通り、何とも掴み所の無い少女だった」

 ラーメン屋での顛末を説明し、妹の親友に貴社では取材しないのかと尋ねた。

「何回かアポは取ろうとしたみたいですけど、結果は御察し下さいって感じですね~」

「口コミだけで大繁盛しているようだな」

「百発百中、いえ千発千中の預言ですからね~。流行らない方がおかしいです」

「預言って何です?」

 クレオ殿が不思議そうに質問してきたので、教師役のアレク殿が「一日や一ヶ月、一年の運勢を占う奴の詳しい版さ。それもエレミアには無かったのか?」と言う。

「運勢を、占う?」

「例えばですね~、シャバム新聞の一番最後のページの左端に誕生月別占いって項目があるでしょ~?」

「あ、それなら今朝も見ました。十二月は」内臓メモリーを検索。「確か大安吉日、良い出来事ばかり起こるでしょう、です」

「外れだな。まぁあんなの結局十二パターンしかない訳だし、そうそう当て嵌まるはずがない」

「??当たる時もあるのですかアレク?」

「いや、精々五分五分だ。良い事が書いてあればそりゃ嬉しいけどさ」

「どうして当たるかどうか分からない物を毎日載せるんです?」

 アレク殿が軽く溜息を吐く。

「つまりクレオ、エレミアに占いなんて物は欠片も存在しなかったんだな?」

「はい」

 定められた滅亡へ向かう街。確かにその住人が占術などと言う世迷言を必要とするはずがない。仮にひとたびでも受け入れれば大パニックを起こし、終焉を待たずに自滅してしまうだろう。希望を持たなかった点では、エレミアは賢明な人々の集まりだったと言える。

(いいや、逆に考えれば)希望が残らず死滅した後にこの青年は目覚めたのだ。

「何故人は占いに頼るのか、か」カップをテーブルに置き、顎に手を当てる。「慰め、だろうな。生きる、毎日を送る事は酷く辛い苦行だ。仮令同じ人間が捻り出した物でも心の支えとしたい時はある」

「その口振りだと、シルクさんは全然信じていないようですね」

 幼き新聞記者は流石痛い所を突いてくる。

「生憎信心とは無縁な人生だったのでな、クレオ殿と同じく」

 生死を決めるのは鍛錬の結果と己の状況判断力。奴は運など言う物は都合の良い戯言で、力不足の言い訳でしかないと私に教えた。他はともかくその意見には賛成で、実際経験を積み、弛まぬトレーニングを重ねていけば越えられぬ難局など無かった。勿論不可能は幾らでもある。今回のように。

「……エレミアにも慰めが必要だったのかもしれません。僕の作り主のような人達のために……占いに一喜一憂する余裕があれば母もまだ……」

 寂しげな表情を浮かべ、カップ麺を置く。

「母親とは、発明者か?」

「はい。彼女は病死した御子息の代わりに僕を作ったんです。けれど……目覚める前に同じ病気に罹って、発狂の末首吊りを……」涙が出るかと思う程苦しげな顔。

「済まない、辛い事を思い出させてしまった」

 彼は首を横に振る。

「いえ……正直今でも実感が湧かないんです。天井からぶら下がった死体を見ても……どこか遠くの人としか思えなくて。生きて一言でも交わしていれば、少しは肉親の情も起こったのでしょうけど」

「それが普通だ。気に病む事ではない」

「そうだぜ。俺達だって、生まれる前に死んだひいじーちゃんばーちゃんはそんなもんだ」

 カーシュ殿の言葉に、青年は不思議そうに「この宇宙の人もそう思うのですか?こんな風に思うのは、てっきり僕が血の通わない機械人形だからだと……良かった、のでしょうか……」

 ようやく普段の表情を取り戻し、再びカップ麺を啜り始める。

(こうして見ると、まるで学校だな)同年代の男女が集まっての雑談、クレオ殿にとってはさぞや良い刺激だろう。

 今夜病室で一人眠るリサの寝顔を思い浮かべる。心臓の欠陥を抱え、自ら登校を諦めた妹。誰かと一緒でなくても積極的に出掛け、多くの友人を作れる日は果たして来るのだろうか。いや、人数の多少ではない。この間担任から新しいテキストと共に受けた指導を思い出した。

『お姉さん。一ヶ月に数回でも構いません。リサちゃんに学校へ行くよう説得して下さい。このまま引き籠りを続けているとその、あの子の精神衛生にもよくありません』

 毎学期変わらぬ忠告、勿論本人はNOと言った。私も経験上、絶対に学校へ行けとは言わない。ひょっとするとその教育方針が間違いの元かもしれないな。

 今日面会した際の弾んだ声を思い出し、心の中でニヤリと笑った。保護者の私でさえあんな楽しげな姿は滅多に見ない。クレオさんがクレオさんが……ふふ、今こうして一緒にいると知ったらさぞや羨ましがるだろう。

「シルクさん、どうしたんですか?」

「ああ済まない。リサはもう寝たかと思って」

 デイシー殿が自分の銀色の腕時計を見る。

「もう消灯時間です。多分今頃夢の中ですね、ムニャムニャ~」

「そうか。医師は明後日退院できるだろうと言っていた。私が留守の時はまた宜しく頼む」

 何故かその瞬間、クレオ殿の頬が真っ赤になる。

「わ、分かりました!シルクさんがお仕事に集中できるよう精一杯頑張ります!」

「ああ。そう言ってもらえると助かるが……余り力む事ではないぞ?」

 爆笑。当の私達は呆気に取られ、互いに困惑を表し合った。





 診察したお父さんは、「大丈夫だ、問題無い」シャツを戻しながら微笑んだ。

「大方この間風邪を引いた影響だろう。体調が変わると肌の色も変化する。もう完全に治ったのか?」

「うん。咳も一昨日から出てないよ」

「そうか。ならまた薄くなる……ふぁ、母さん。朝食は何だ?」

「もうお昼よ。今日はロディの好きなナポリタン、今から作るわ」

 お父さんに頭を撫でられていると、上から着替えてはいるもののまだ寝惚けた弟が降りてくる。

「おはよ……あれ、父さん早いな」

「おはようロディ。顔洗ってきて。髪もライオンみたいになってるわ、梳かしてきなさい」

「はぁい」

 十分後、洗面所から戻って来た弟は櫛を私に差し出した。

「自分で出来るようにならなきゃダメでしょ」

「だって後ろ見えねえんだもん」

「もう!」

 縺れた赤髪を辛抱強く解す。酷い癖毛、強引に力を入れ過ぎて手が痛くなる。

「ロディは本当に姉さんっ子だな」お父さんが呆れ気味に苦笑する。

「違うってば」

「でもあなた、赤ちゃんの頃は姿が見えないとよく泣き出していたわよ?ミルクをあげようとしても、いないと不機嫌で飲まなかったもの」

 弟は頬を目一杯膨らませた。怒っている証だ。

「はい、できたよ」櫛を返す。すると一転、照れ臭そうに笑って「ありがと姉ちゃん」

(これ、もしかしてシスコンなんじゃない?)両親の部屋の本棚にあった小説では大人の男の人だったが。え?成長したらロディ、あんな気持ち悪い変態になるの?うわ。

「明日からはちゃんと自分でしなさいよ。寝癖一つ直せない子供が死霊術師になんてなれる訳ない」シスコンにはもうなってるけど。「ね、お父さん?」上目を遣う。「そろそろ私にも練習付けて。私がお姉さんなのに何でロディが先なの?ねえってば!?」

「集中がちゃんとできるようになったらな」

「もう完璧だもん!!私だけ仲間外れにして二人共狡い!!」

 私の言葉に、お父さんは静かに項垂れた。

「……ルザ、私はお前に死霊術を教えるつもりはない」

黒ずんだ唇から漏れた言葉に、頭が真っ白になった。

「それにロディは」

「な、何で!?死霊は見えるし魔力も充分よ!歳だって」涙が溢れる。「お父さん酷い!!私楽しみにしてるのに!立派な死霊術師になってお父さんみたいに人の役に」

 椅子を思い切り蹴飛ばして立ち上がった。

「お父さんなんて大っ嫌い!!」

「「ルザ!!」」「姉ちゃん!!!」

 家族の制止の声も聞かず私は外へ飛び出した。



 宇宙船が着陸したのは山々が連なる間の川辺だった。そこから上流に沿い、デイシーさんを先頭に三十分ぐらい歩く。

 森が開け、僕等の行く手を遮るように黒い柵が横方向に広がっていた。柵の向こうは紫色の霧が一杯で全く見通しが利かない。

「お、おいデイシー……まさかここ」恐れを含んだ声でカーシュが言う。デイシーさんは一度大きく頷く。

「だが、ここは結界で封鎖されたはずだ。ルザは入れない」

「大爺様達はそう思っていないみたいだよ」

 彼女が目で示した先には暗闇の中柵の上で弱く光る魔力の球。僕等を照らすデイシーさんの物の数分の一の明るさだ。

「私達はこっちから入ろう。多分まだ結界は安定してないから破るのは簡単なはず。カーシュ君、持って来た物を出して」

 大きなデイバッグの中には、僕の背丈より少し低いぐらいの重そうな銀色の筒と鈴の付いた腕輪が人数分、水の目一杯入った霧吹きが三本。

「聖水は全身に満遍なく吹き掛けて。鈴飾りは歩く度になるべく意識して鳴らすように」テキパキと腕輪と霧吹きを渡しながら言う。

「デイシー殿、もしかしてここは忌み地なのか?」

「忌み地?」

「そうです。“黒の星”よりランクは下ですけど、準備を怠ると戻って来られないレベルです」

「矢張りそうか。私にとっても初めての事だ、気を引き締めよう」

 デイシーさんは霧吹きを自分とカーシュに使い、筒を持って柵の前まで行った。少しして朗々と呪文を唱え始める。

「シルクさん、忌み地って何ですか?」

「連合政府が定めた特別立入禁止区域の通称、つまり曰くつきの場所さ」

「曰くってあれか、まさか本物の化物が出るとかか?冗談だろ」

「え?昼間の映画みたいなのがいるんですか、ここ!?」

 あんな怪物、レイピア一本じゃ太刀打ちできない!!

「映画……ああ、そうだな。聖水はあの類を退ける」

「「ひぃ!」」僕とアレクは思わず両手を握り合う。

「何だ、怖いのか二人共」フッとシルクさんは余裕の笑み。「まあ生理的に受け付けないのは理解できるが」

「シルクさんは平気なんですか?」

「まあな。臭いさえ克服すれば手加減しなくていいだけ人よりやりやすい」

「さ、流石です」勇敢さに改めて惚れてしまう。

「どうしたお前等、優雅にワルツでも踊る気か?」

 戻って来たカーシュに揶揄され、慌てて僕達は手を離す。

「カーシュ殿、ここは何なのだ?中は集落のようだが……」

「死霊術師達の住処、ルザの故郷だ」

「ほう。確か彼女は養女だったな……ならば御両親は」

「この中にいる。本当ならもう死んでいる、はずだ」

「はず?」歯切れの悪い答えだ。彼は頭を片手で押さえる。

「俺も詳しくは聞いていない。けど、この村はある日を境におかしくなっちまったらしい。ルザはその影響を免れた唯一の生き残りだ」

 ピカッ!辺りが白い光に包まれ、一瞬で元に戻った。

「皆!結界を開けたよ、早く中に入って!」

 僕等は霧の裂けた所の柵をよじ登って順番に村へ侵入した。全員が入るとデイシーさんは筒を裂け目に構えて、

「全能な父なる神よ、聖壁の綻びを復したまえ!」

 再度の光。霧が吸い寄せられるように穴を塞いでいく。

「大丈夫かデイシー?随分魔力を使ったんじゃないか?」気遣わしげにカーシュが尋ねる。

「え?どうって事ないよ、カーシュ君心配し過ぎ~」ん?

「デイシーさん、さっき語尾伸びてました?」

「私も思った。先程は普通に会話していたように記憶しているが」

 彼女は丸い黒縁眼鏡を直して、「そうでしたか~?私はいつも通り話してたつもりですけど~」惚けているのかいないのか首を捻る。

「僕とシルクさんの気のせいでしょうか?」

「多分そうです~二人共緊張してるんですね、程良く、でお願いします~」

「分かりました」

 深呼吸深呼吸――。よし、システムエラーは無し。

 空を見上げると夕暮れ時の赤と青が入り混じった微妙な色合い。あれ、今は真夜中……?

「誰かいるぞ!」

 古ぼけた家のドアの前にふうっ、景色から浮かび上がったかのように二人の老婆が現れた。両方共幾何学模様の入った臙脂色のショールを頭にすっぽり被っている。

『今朝庭で蝶様を見たよう。そろそろ代替えかねぇ』

『さあねぇ。前は二十歳じゃったか』

『えーえー、楓の家の跡取り。だけど次はまだ八歳じゃなかったえ?女子じゃけえせめて十五六はいってねえと』

 何だ、ちゃんと生きている人がいるじゃないか。

「あのうお婆さん方。この辺で僕等と同じ年頃の女の子を見ませんでしたか?」

『あの子は死んだ母親似のええ美人になるぞ。蝶様も好き者やねえ』

「あのう」

 僕に気付かないのかお婆さん達はヒャヒャと笑うばかり。話を聞いてもらおうと肩に手を伸ばそうとした。

「クレオさん駄目です!!」

「え」

 途中で止まった指がショールの端を僅かに掠めた。次の瞬間、お婆さん達の姿は黒く変わる。ふわり、重力を無視して二人は飛び、節くれた腕で僕目掛け急降下してきた。

「えい!」

 デイシーさんが聖水を吹き掛ける。すると彼女達は白く透けていき……元の位置に戻った。

『今朝庭で蝶様を見たよう。そろそろ代替えかねぇ』

『さあねぇ。前は二十歳じゃったか』

 最初と同じ会話が始まる。

「大丈夫ですかクレオさん~?」

「何とか。ありがとうございました」

 今し方僕を襲ったのが嘘のように、老婆達は一言一句違わない会話を続けている。

「何なんだこいつら」

「死んでいるのに生きている。この村はある一日の時間を十数年繰り返しているのです~」

「??」デイシーさんの言う意味が全く分からない。アレクやシルクさんも同じみたいだ。カーシュは何となく理解できたらしく頷いている。

「乱暴に言ってしまうと~、ここは映画の世界なのです。村の最後の一日を撮ったフィルムが延々再生され続けていて、このお婆さん達は映画の登場人物~。私達とは存在軸が違うので意思疎通はできなくて、接触して軸を無理に合わせてしまうと死霊化して襲ってきます~」

「つまり観客は手を出すな、と?」得心がいったのか頷きながらそう言った。

「ほー、シルクさん上手い喩です~。そうそう、私達はフィルムの中に迷い込んだお客って訳です~。くれぐれも役者さんの演技の邪魔はしないよ~に」

「クレオ、分かったか?」

 心配する保護者に対し小さく頷いた。

「大体は。とにかく村人に触らないよう注意すればいいんですよね?」

「はい。この報告書通りなら、接触さえ回避すれば害は無いそうです~」

 見た感じ、この村はシャバムよりずっと狭い。ルザを探すのは簡単そうだ。

「デイシーさん、他に気を付ける事は?」

「う~んと、時の流れがおかしくなってるから、一応触れるけど物を動かしっ放しにしない方がいいね~。移動させた事で時空に歪みが生まれたら~悪い方に変化していっちゃうかも~」

「悪い方?」

「保たれていた規則性のバランスが崩れて、最悪村ごと消滅するかも~若しくは宇宙と時空の接点が切れて戻れなくなっちゃうとか有り得るね~」

 予想以上の大惨事も、いつもの間延びした喋り方だとやや緊張感に欠ける。

「そいつは困るぞ」

「だな、気を付けよう」

「まあ短時間なら大丈夫、後一つだけ~一番大事な事を。私達以外にも外から入ってきたお爺様達、それにルザちゃんを誘拐した犯人にはくれぐれも見つからないよう慎重に行動して下さい~」

「分かりました」

 同意を示すために腕を上げる。腕輪の鈴がシャラン、と涼しげに鳴った。

「でもデイシーさん。離れていても、これが鳴って気付かれてしまうのでは?」

「それは魔除けの鈴です。装着した本人と死霊化した村人達、邪なる者にしか聞こえないようになっています~」

 シルクさんが試しに腕を思い切り振って鳴らしたが、僕達には全然聞こえない。不思議な鈴だ。

「離れ離れになった時は、私がその魔力で探すので外さないようお願いします~」

「なあ、その肝心の誘拐犯についてだが、どうしてここに逃げ込んだって分かるんだ?山奥のしかも結界まで張ってある所に隠れる必然性があるのか?」アレクが尤もな質問をする。

 デイシーさんは一瞬表情を硬くした後、「仮説の域を出ていないので断定はできません~……でも可能性は大です。と言うよりここしか有り得ません」

 理由には触れず、しかしキッパリ言い切った。

「アレク、ここはデイシーの言う通りにしてくれ。どっちにしろ今はルザを早く見つけないと」

「敵の正体を知らずに突っ込むのは愚か者のする事だぜカーシュ?推測であれ耳に入れておく必要はある」

「うう……正論ですね。確かに私の予想通りなら危険は充分過ぎる程あります~何しろ相手は」


 バタンッ!!


『待ちなさいルザ!待つんだ!!』

 奥の民家からおじさんが飛び出してきてそう叫ぶ。顔面が人間とは思えない程どす黒かった。

 彼は自分の右隣のかなり下の方、何もいない空間に顔を向ける。

『ロディ、お前は東を探してくれ。私は冥蝶の森の方を見てくる――心配無い、すぐに頭を冷やして戻って来るさ』

 成程、ロディ君は死霊になってルザと外へ出たから登場人物には入らなかったんだ。あれがルザの生家……時間の干渉を受けないはずだが、他の家と同様古びた印象。

 おじさんは僕等とは反対の道、鬱蒼とした黒い森の方へ走っていく。

「僕、あの人を追ってみます!」

 たとえ過去の映像でも彼はルザを探している。行く先に彼女がいてもおかしくはない。

「クレオさん!そっちは一人では危険です!!戻って」

「私が共をする、聖水は貰っていくぞ」

「二人でも大した違いは、あ!?」

 重いハルバードを持っているとは思えない速さでシルクさんは僕に追いついた。持っていた聖水の霧吹きを投げて僕に渡す。

「二人共駄目です!その森は冥蝶が」

 小さくなった警告が耳を通過する。

「あの男性意外と速いぞ。見失わないようにしなければ」

 僕は頷き足の速度を上げた。



 迂闊だった。

「ってて……」

 滑り落ちた際に捻った足首を魔術で治療しながら辺りを見渡す。視界内に登れそうなルートは見つからない。

「最近は怪我ばかりだな」

 早く本路に復帰して友人を追わねば。すぐ後ろにいたのに一向に助けに来ない――いや、まさか。

「マズい……」

 本当迂闊な自分を呪うしかない。

「おおい!誠!僕はここだ!!」

 捻挫の治りが遅い。くそ、罅が入ったか?全身もあちこち擦り傷があって痛む。幸い死霊を祓う聖水は手元にたっぷりあるが、調査ではこの辺りに奴等は出なかったはず。

「どうする……?」

 落ちてきた崖は足場になりそうな岩や木が殆ど無くサラサラの砂地だ。不健康でモヤシの僕でなくても登るのはかなり困難。

「おうい!燐、いるなら助けてくれ!!」

 矢張り反応無し。夜冷えが肌を刺し悪寒が走った。初夏なのに風邪を引きそうだ

「こんな事なら防衛団の彼女だけでも借りてくるんだった」

 ほうっ、溜息を吐く。携帯は当然圏外だし、一般人が通り掛かるなんて有り得ない立地だ。結局誠か、考えたくないが冥蝶が通り掛かるまで待つしかないのか……。

 粗方怪我を癒し、滑った辺りを見上げる。運良く引っ掛かったのは崖の平らになっている部分で直径が三メートル前後、楕円に近い足場。下には更に急な斜面が見える。降りるなら相当な覚悟が必要だ。

 ガサッ。上の方で何かが動く音がした。続いて魔術の白い光が微かに現れる。

「おかしいな。確かこの辺で聞こえたんだが」

「大お爺様、お兄様と一緒ではないのでしょうか~?」

「分からない。でも実質誰もいないこの村で助けを呼ぶとすれば相手は誠さんのはずだ」

「それもそうですね~」

 流石僕の孫娘。家の道具で結界をこじ開けたな。一緒にいるのはアレクか。

「おーい!二人共ここだ!」

「わっ!?大お爺様~!」

 光源が真上にきて一気に明るくなる。

「大丈夫ですか~?怪我は」

「もう自分で治した。今登る術が無くて困っていた所だ。アレク、君のロープを貸してくれないか?」

 彼は崖の様子を確かめて、「砂地で地面が軟い、自力で登るのはキツいです。降ろしたロープを身体に括り付けて下さい。上で引き揚げます」

「ああ、頼むよ」

「ちょっと待った!」

 孫娘は人差し指をビシッ、僕の方に向けた。

「アレクさん、大お爺様と言う人を甘く考えてはいけません。いいですか、私達は本来シャバムで待機しているはずの人間です。ここにいるのは明らかな命令違反。つまり私達を偶然発見した大お爺様は如何様にも処分を下せる訳です――政府館のトイレ掃除とか窓拭きとか小間使いとか家の書庫の整理とか、何でも押し付け放題です」

 幼くとも七代目にして新聞記者、鋭い。

「だからこのまま素直に助けてはいけません。むしろ恩を売っておいてもいいぐらいです――と言う訳で行きましょう」

「え?」

「私達は誰の声も聞かなかったし、崖の下に誰の姿も発見しなかったのです。ぐずぐずしてないでルザちゃんを探しましょう」

「い、いいのか?」

「アレクさん、誰もいなかったんですよ?いいんです」

 よく聞くと語尾の~が消えてる……眼鏡を、掛けているのにか。末恐ろしい子だ。

「分かった。助けてくれたら新しいカメラを買ってあげるよ」流石にここで救助してもらわないと本気で死ぬ。

「私だけじゃ駄目ですね。引き揚げるとなるとカーシュ君も呼んで来ないといけないし、クレオさんやシルクさんの分もねー、アレクさん?」

「……いつもこうなんですか?」尤もなやや呆れ顔。

「偶にね。ジャーナリストに交渉術は必須だろ?」

「血筋を感じました。じゃあ俺は……最近発売された魔力感知機でも貰いますか、親父と二人分」

「面白そうですね。一回遊ばせてもらっていいですか?」

「ああ」

 不死省で開発された魔術機械だな。定価三万前後の割にかなり高性能という噂。

「何喋ってんだ二人共?」

 どうやらカーシュが合流したようだ。少ししてこちらを覗き込む。

「あ、ホントだ。誠さんはどこ行ったんですか?」

「分からない。足を踏み外した僕に気付かず行ってしまったようだ。ずっとルザの氣を探していたんだ、無理もない」

「最近よくボーッとしているから、どっか落ちてるかもしれないですね。燐さんが付いているんで大丈夫とは思いますが」

「そろそろ引き揚げてくれよ。見上げるのも疲れてきた」

「助けたら大お爺様がお礼にプレゼントくれるんだって、カーシュ君」

 孫娘が嬉々として捏造した提案を話す。予想通り彼は爛々と目を輝かせた。こいつ、さてはデイシーとのデートでも御所望か?

「何でもかぁ、迷うな……帰ってからじっくり考えてもいいですか?」

「買える物限定で五万以内にしてくれ」

 予想的中。明らかガッカリした様子に内心ほくそ笑む。

 輪状に結ばれたロープがスルスルと降りてきた。重心がある腰の辺りで固定した後、三人の協力で吊り上げられる。数十秒の空中遊覧の後、無事生還。

「ありがとう。で、状況はどうなっている?」

「重かった~言い忘れてたけど、専用の望遠レンズもちゃんと付いてきますよね~?」

「はいはい、デイシーの御希望通りにするよ。だから大お爺さんに状況説明をしておくれ」

 外したロープを器用に肩に巻き直すアレク。流石トレジャーハンター、慣れた物だ。

「クレオさんとシルクさんが~、ルザちゃんのお父さんの死霊を追い掛けて冥蝶の森へ行ってしまいました~」

「あそこは妙な力が働いて入れないはずだ」

「うん、報告書はそう書いてあるね~。腕輪の魔力探査もあの中じゃ使えないし~。だから二人が戻って来るまで、私達はこの辺りを虱潰しに調べるつもり~」

 五人を退去させたいのは山々だが、ここまで来た以上ルザと一緒でなければ帰らないだろう。しかし……父親が冥蝶の森に、か。気になるな。以前の調査でそんな報告は無かったはずだ。

「大お爺様はどこを探そうとしてたんですか~?こっちは山で民家は無いはずです~」

「ルザの父親の書斎さ」

「?書斎って、こんな林の真ん中に?大体普通書斎ってのは家にある物じゃ」

「無かった。どころか、彼女の家には死霊術に関する書物は一切置いていない。明らかに不自然だ」

「ですね。ルザも父親は村の中で一、二を争う強力な死霊術師だって自慢してましたし」

「そう、でだ。彼女の話によれば、父親は弟を連れて毎日どこかで修行していたらしい。死霊術の訓練の、特に初期は厳密に描かれた魔方陣の場が必要だ。他の家は大体一部屋それに充てていたが、彼女の家には見当たらない」

 見方を変えれば、娘を死霊術に触れさせたくなかったようにも思える。褒められた事でないとはいえ、自力で習得するだけの才能があったにも関わらず、だ。

「でも何でそこが重要なんです?見つけたってその魔方陣と本が置いてあるだけでしょう?」

「それがそうとも限らないのさ」魔術で自前の光球を浮かべ歩き出す。「発見するまで何とも言えないけどね」




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