堕天使編3
「今日からお前、“翠”な」
ご飯に味噌汁、焼き魚という朝ご飯にぴったりの簡易な和食を彼に提供しながら、俺は唐突に言った。
「スイ?」
「お前、名前無いって言ってただろう?だから、名前付けた」
いつまでも、「何か」や「彼」なんて呼び続けたくない。
それに、名前は大事だ。
あるだけで、自分は存在していると実感できる。
「翠……スイ……すい」
噛み締めるように繰り返し呟くと、翠は満面の笑みを浮かべた。
「喜んでくれて、嬉しいよ」
翠はたくさん頷くと飛び付いてくる。
「おい、口のまわりベタベタなのにくっつくなって。ほら、拭いてからだ」
雛鳥を育てる気分になりながら、手拭いと化した赤いTシャツで鮭でギトギトの唇を拭う。
きれいになった瞬間、振り払うように俺の腹へ顔を埋めると、翠はもごもごと何かを言った。
「ん?」
「鮭食べたい」
「はいはい。じゃあオーバーリアクションしてないでメシの前に戻れ」
「?」
ずるずると元の位置に戻ると、俺にご飯の催促をしながら疑問の目を向けてくる。
「おんばーりあくしゃん」
「オーバーリアクション」
「ってなに?」
「大袈裟に感情を表すこと」
解した鮭を白米にのせて、翠の口に突っ込みながら、答える。
翠は素早く咀嚼を終えて飲み込むなり、首を振った。
「おおげさじゃない」
「そうか」
「うれしかった。たくさん嬉しかったから」
「……そうか」
どうしようもなく恥ずかしくなってきた。
照れ隠しに、翠のために解した身を自分の口内に放り込む。
それを見ていた彼は、だらだら涎を垂らす。
「スイももっと食べたい」
「お、おう……」
食欲旺盛なのは良いことだ。
……17歳にして親体験してる俺って一体。
そうそう、名前の話ですっかり忘れていたが、右手の骨折は二度寝しているうちに完治していた。
翠に聞くと、何かしら彼と間接的に触れていれば、その治癒力で綺麗に治す事が出来るらしい。
抱きしめて寝ていたから、かなりの力がこちらに流れ込んで来ていたみたいだ。
まぁ左利きなので、あまり勉強に困ったりすることは無かっただろうが。
噛み付いた理由は単に怖かったから、思わず。と言いにくそうに言っていた。
知らない人がいきなり触ってこようと近づいてきたら、常識的に考えても怖いのは当たり前だ。
そんなことで、翠を責めたりなどしない。
むしろ恐がらせてごめんと謝りたいくらいだ。