堕天使編
眠れなかった。
発端はそれだけ。
昼間学校をサボって部屋で寝こけ、夜眠れなくなった。そんなまるで小学生のようなことが、事の始まり。
部屋の角でひたすら同じトラックだけをループするよう設定してあるオーディオから流れる音が、流石に耳障りになってきた頃。
時間でいうと、針が中心を基準に三週目に突入しようかという時。
ガシャン
激しい破壊音がして、俺は布団から飛び起きた。
音がした方へ目を向けると、現実にはあり得ないものがそこにいた。
幽霊ではない。
しっかり実体はある。
グロテスクな影に俺は震えた。
しかし、部屋の明かりに照らされて浮かび上がったのは、まがまがしい姿は姿だが、顔はある意味この世のものとは思えないほどに美しかった。
それで幾分か怖さが半減した俺は、じっとその場でそれを見つめる。
よく見れば体型は俺より小柄で、歳という感覚が在るとすれば、頭部から察するに俺と同い年かすこし幼いくらい。
窓ガラスを大破させて入ってきた何かは、ピクリとも動かない。
死んでいるのだろうか。
俺は意を決して何かに近づいてみた。
動かないのを良いことに、明かりを便りに、何かの姿をじっくりと観察する。
両方の肩からは腕ではなく大きな極彩色の翼が生えて、背中には無数の生傷。左脚は大量の包帯がぐるぐるとまきつけられていたが、対して右脚はというと、あらぬ方向にぐしゃりと曲がっていた。
よく見れば、おかしいのは肩の翼だけで、身体は人間であることが分かる。
髪は白い絵の具に少量の紫を入れて、大量の水に溶かしたような色だ。
グロテスクなのはグロテスクなのだが、それ以上にこの何かは美しい。
綺麗だ。
その綺麗さに何を血迷ったか俺はこの何かに触りたくなってそっと、手を伸ばした瞬間。あまりの痛みに目眩がした。
噛み付かれた。
先ほどまでかたく閉じられていた瞼からは薄紫の瞳が現れこちらを睨み付け、少年の鋭く尖った歯が俺の手をギリギリと噛み締め続ける。
「う……くっ……」
叫びだしたい程の激痛だったが、ここで叫んで人がきたらこの何かはタダじゃすまされないはずだ。
ただでさえガラスが割れて、閑静な住宅街の眠りを妨げたかもしれないのに、更に叫んだりしたら人が集まらないわけがない。
この何かを、人目にさらすわけにはいかない。本能的にそう感じ取った俺は、必死に歯を食い縛った。
「………」
ゴリッ
「!!!!!!!!!」
ほ、骨が……折れ……。
意識が遠退いて行くのがわかる。
あまりの痛みに耐えかねて、強引に意識を奪い取られた。