黒薔薇令嬢は幸福になれない~悪役令嬢だらけのデスゲーム。みなさん愛しの侯爵様の為に死んでください~
「不幸だ・・・」
黒井輝美は不幸な女だった。
朝起きれば目覚まし時計が壊れ、急いで出勤すれば電車が止まり、ようやく会社に着けば取引先のシステム障害に巻き込まれる。学生時代は修学旅行で台風に遭い、成人してからは旅行先で地震に遭った。だが本人だけならまだよかった。その不幸は周囲にも伝染する。輝美の近くにいると何かしらの災難が起きるのだ。
誰も死なないわけではなかった。
だから彼女は人付き合いを避けるようになった。
それでも皮肉なことに、自分自身だけは死なない。
交通事故に遭っても生き残り、倒壊事故に巻き込まれても奇跡的に助かった。
友人からは冗談半分でこう言われた。
「輝美ってさ、不幸を撒き散らしながら生き延びる主人公みたい」
その言葉を最後に、輝美は死んだ。
いや、正確には死んだはずだった。
巨大な看板が落下し、周囲を巻き込みながら彼女に直撃した瞬間、世界は暗転したのである。
◇
次に目を覚ました時。
彼女はレイナ・ダークネスになっていた。
黒髪の長髪。
漆黒のドレス。
胸元には黒薔薇のブローチ。
そして悪役令嬢である。
「よりにもよって悪役令嬢ですって?」
鏡を見ながら彼女は呟いた。
言わせてもらうと悪役令嬢が出る乙女ゲームなんて言うのは夢小説の中だけである。
あまたの乙女ゲーをやってきた彼女はそう自負していた。
まあとにかく転生先はなろう小説でよくある乙女ゲームによく似た世界だった。
ただし一つだけゲームと違う部分がある。
それはロイド侯爵の存在だ。
権力絶大。
王家よりも豊か。
軍部も貴族も逆らえない。
美貌、知性、武勇、そのすべてを兼ね備えた完璧超人。
そして世界最高の独身男性。
彼はこう宣言した。
「私の妻を選ぶ」
全国の悪役令嬢たちが歓喜した。
だが続く言葉で凍りつく。
「最後まで生き残った者を妻とする」
その日から。
悪役令嬢デスゲームが始まった。
◇
舞台は巨大な孤島。
百人の悪役令嬢が集められた。
剣術の達人。
毒使い。
魔法の天才。
暗殺者の娘。
ありとあらゆる怪物が揃っている。
レイナは開始十分で頭を抱えた。
「帰りたい……」
彼女の隣で金髪縦ロールの令嬢が鼻で笑う。
「弱音とは情けないですわね。私はエリザベート・ブラッディ。優勝するのは私ですわ」
「あ、はい」
「もっと悔しがりなさい!」
「すみません」
直後だった。
エリザベートの頭上に巨大な枝が落下した。
「きゃああああ!?」
幸い無傷だったが、美しい縦ロールは鳥の巣みたいになっている。
レイナは顔を背けた。
始まった。
いつものやつだ。
◇
その夜。
最初の脱落者が出た。
いや。
一人ではない。
二十人近くが脱落していた。
原因は連鎖事故だった。
ある令嬢が仕掛けた罠で火災が発生し、その避難中に別の罠が作動し、建物が倒壊してまとめて失格。
レイナは何もしていない。
ただ近くにいただけだった。
「もしかして……私の体質も転生してる?」
恐る恐る呟いた。
答えは翌日判明した。
◇
三日目。
優勝候補の一人。
紅髪の大魔法使いカトリーヌがレイナに勝負を挑む。
「あなた、怪しいのよ」
「え?」
「何もしていないのに生き残っている」
「それは私も不思議で」
「黙りなさい!」
巨大な火球が空に浮かぶ。
観客なら歓声を上げただろう。
だが火球は放たれる直前に、鳥が激突した。魔法が暴発した。
カトリーヌ自身が爆風で吹き飛ばされ、そのまま失格。
レイナは立ち尽くした。
「私、悪くないですよね?」
誰も答えない。
◇
日数が進む。
人数は減る。
しかしレイナは気付いていた。
不幸は公平ではない。
残酷なほど偏る。
彼女を殺そうとした者だけが不運に遭うのだ。
毒を盛ろうとした令嬢は自分で飲む。
襲撃しようとした剣士は足を滑らせる。
策略家は策略に潰される。
まるで世界そのものがレイナを守っているようだった。
そして十日後。
生存者は五人になった。
◇
最後の五人。
レイナ。
エリザベート。
白銀髪の剣姫セシリア。
紫髪の策士ヴィオラ。
漆黒の魔女リリス。
彼女たちは巨大な城の大広間に集められる。
最後の決戦だ。
「ここまで来たのです。正々堂々決めましょう」
セシリアが剣を抜く。
「賛成ですわ」
エリザベートも頷いた。
しかしヴィオラが笑う。
「馬鹿ねぇ。本気でそんなことを?」
彼女は床を指差した。
魔法陣。
城全体を巻き込む巨大な罠だった。
「全員まとめて消し飛びなさい!」
その瞬間、天井が崩落した。
「え?」
ヴィオラの頭上だけ。
正確に。
綺麗に。
巨大なシャンデリアが落下した。
失格。
残り四人。
「な、何なのあなた……」
リリスが後退する。
初めて恐怖が広がった。
レイナ自身も泣きたかった。
「私も知りたいです」
◇
剣姫セシリアとの勝負は美しかった。
互いに剣を持ち。
正面からぶつかる。
だが数合交えたところで。
城壁に雷が落ちた。
崩れた瓦礫がセシリアを巻き込み失格。
「納得いきません!」
そう叫びながら運ばれていった。
レイナも同感だった。
◇
リリスとの戦いはさらに酷かった。
最上階で暴風雨・・・そんな中魔女は禁呪を放とうとした。
しかし雷が魔法陣を直撃。
魔力が逆流しリリスの魔術回路をずたずたにする。
全身から血を噴き出し気絶した。
終了。
残るはエリザベートだけとなる。
◇
最終決戦。
雨の屋上。
金髪縦ロールはボロボロだった。
「最初から気付いていましたわ」
「何をです?」
「あなた自身が災害ですのよ」
レイナは沈黙した。
「だから私は戦いません」
「え?」
「そんな相手に勝てるわけありませんもの」
エリザベートは笑う。
初めて見せる穏やかな笑顔だった。
「ですが一つだけ聞かせなさい」
「はい」
「ロイド侯爵を愛せますの?」
レイナは考えた。
そして答える。
「まだ会ったこともありません」
「正直ですわね」
「でも幸せになりたいとは思います」
「そう」
エリザベートは目を閉じる。
その直後、突風が吹いた。
彼女の足元が崩れた。
「ちょっと待ってください!」
レイナは手を伸ばした。
掴んだ。
一瞬。
掴んだはずだった。
しかし濡れた手が滑る。
エリザベートは落下した・・・その刹那、彼女は最初から分かっていたかのように笑っていた。
レイナの脳裏にはその笑顔がこびりついて離れなかった。
こうして優勝者が決まった。
◇
ロイド侯爵は完璧な男だった。
銀髪。
蒼眼。
誰もが振り返る美貌。
圧倒的な知性。
そして優しさ。
「あなたがレイナか」
「はい」
「苦労をかけた」
その言葉にレイナは呆然とした。
これまで誰からも言われなかった言葉だったからだ。
結婚式は盛大に行われた。
人々は祝福した。
ロイドは本当に彼女を愛してくれた。
誰よりも大切に。
誰よりも誠実に。
レイナも少しずつ恋をした。
生まれて初めて。
心から幸せだと思えた。
◇
デスゲーム優勝の翌日。
レイナはロイド侯爵の私室へ呼ばれていた。
扉を開くと、窓際で書類を読んでいた銀髪の青年が顔を上げる。
「レイナ・ダークネスか」
「は、はい」
緊張で背筋が固まる。
だがロイドは堅苦しい態度を取らなかった。
「座ってくれ」
そう言って自ら紅茶を淹れ始めた。
侯爵自ら。
使用人ではなく。
レイナは唖然とする。
「なぜご自身で?」
「客人に茶を淹れるくらい普通だろう」
「普通ではありません」
「そうなのか?」
本気で不思議そうに首を傾げていた。
その姿に思わず笑ってしまう。
転生してから初めて自然に笑った瞬間だった。
ロイドは少し目を見開く。
「君は笑うと綺麗だな」
「えっ」
「……失礼だったか?」
「い、いえ!」
顔が真っ赤になる。
デスゲームを勝ち抜いた悪役令嬢とは思えない反応だった。
婚約期間の三か月。
ロイドは頻繁にレイナを誘った。
豪華な舞踏会ではない。
宝石店でもない。
もっと地味な場所だった。
領地の孤児院。
病院。
農村。
災害復興現場。
人々が暮らす場所ばかり。
「ここが私の守りたいものだ」
そう語る横顔を見てレイナは知る。
彼が王より慕われる理由を。
権力ではない。
誠実さだった。
ある日。
孤児院で泥だらけの子供たちと遊んでいたロイドがレイナに言う。
「どうした?」
「いえ……」
「子供は苦手か?」
「そうではなくて」
レイナは少し迷った。
そして本音を言う。
「こういう人だとは思っていませんでした」
「悪い意味で?」
「逆です」
ロイドは笑った。
「それは良かった」
◇
不幸は始まった。
最初は小さな事故だった。
馬車の車輪が外れる。
書類が紛失する。
屋敷が火事になる。
ロイドは笑っていた。
「問題ない」
しかし不幸は加速していく。
商船団の沈没。
領地の災害。
投資の大失敗。
側近の裏切り。
暗殺未遂。
疫病。
反乱。
あらゆる災難が彼に集中した。
レイナは理解した。
原因は自分だ。
近くにいる人間を不幸にする体質。
それが夫を蝕んでいる。
「離婚してください」
彼女は泣きながら言った。
ロイドは首を振る。
「断る」
「どうしてですか!」
「君を愛しているからだ」
「私はあなたを不幸にしている!」
「それでもだ」
レイナは絶望した。
◇
結婚から五年後。
ロイド侯爵は死んだ。
戦争でもない。
病気でもない。
暗殺でもない。
複数の不運が連鎖した果てだった。
事故。
崩落。
火災。
混乱。
そして死。
完璧だった男は。
最後までレイナを愛したまま逝った。
◇
葬儀の夜。
レイナは短剣を握る。
涙が止まらなかった。
「ごめんなさい……」
全部自分のせいだ。
あのデスゲームも。
失われた令嬢たちも。
愛した夫も。
何も守れなかった。
だから死のうと思った。
胸に刃を突き立てた。
深く。
確実に。
だが。
死ねなかった。
短剣の刃は突如砕け散った。
断面でも刺せないように根元から粉々に。
しかし彼女は諦めなかった。
彼女は特別な短剣を常に20本は持ち歩いていた。
それには特別な付与魔術師の強力な魔力が込められていた。
その内の1本がなくなっただけだ。
残りで死ねればいい。
しかしそれは甘かった。
20本全てが砕け散った。
まるで彼女の死を運命が拒絶している様だった。
「あはは……」
笑い声が漏れた。
壊れたみたいに。
「死ねないんだ……」
そうだった。
黒井輝美も。
レイナ・ダークネスも。
死ねない。
ただ生き続ける。
◇
十年後。
二十年後。
三十年後。
レイナは老いない、老衰で死ぬことすら許されない。
死なない、ナイフでさされても崖から落とされても毒を盛られても苦しいだけ、痛いだけ。
黒薔薇のブローチだけを抱えて生きていた。
人々は彼女を不死の魔女と呼ぶ。
しかし彼女が思い出すのは一人だけだった。
雨の日に自分の手を握ってくれた男。
完璧なのに。
なぜか自分を選んだ男。
ロイド侯爵。
彼の墓の前で。
レイナは今日も座っている。
「あなたと結婚しなければよかったのでしょうか」
答えはない。
風だけが吹く。
けれど彼女は知っていた。
もし時間を戻せても。
きっと同じ道を選ぶ。
そして同じ結末を迎える。
それでも構わないと思うほど。
彼を愛していたからだ。
黒薔薇のブローチを胸に抱きながら、永遠にも等しい後悔の中で、死ねない悪役令嬢レイナ・ダークネスはただ静かに涙を流し続けた。
幸福を手に入れた代償が、その幸福を永遠に失った記憶を抱えて生き続けることだとしても。
彼女にはもう、それを受け入れることしかできなかった。終わることのない人生の中で、ただ一人の夫を想いながら。




