戦火に届く手紙
エドワードが発ってから、幾年。
かつて花冠を編んだ平和な学び舎は、今や傷ついた兵士たちの仮療養所へと姿を変えていた。
ソフィアが暮らすローゼンタール領もまた、平穏とは程遠い。国境付近での激化する戦争は、人々の心から余裕を奪い、法が届かぬ街道には盗賊が蔓延るようになった。
「……また、訃報ですわ」
ソフィアは、届いたばかりの手紙を握りしめたまま、力なく椅子に座り込んだ。
そこには、かつて学園で彼女を嘲笑っていたあの上級貴族たちの名が、無機質に羅列されていた。ある者は騎士として最前線に駆り出され、一矢も報いぬまま泥の中で命を落とし。またある者は、疎開中に盗賊の襲撃に遭い、家宝と共にその短い生涯を閉じたという。
かつての階級や誇りなど、降り注ぐ鉄火の前では、濡れた紙のように脆いものでしかなかった。
(エドワード様……貴方は、生きていらっしゃいますの……)
彼からの便りは、半年に一度届くかどうか。
その内容は、ソフィアを案じる短い言葉と、押し花にされた見たこともない異国の小さな野花だけ。けれど、その筆跡が回を追うごとに力強く、鋭くなっていくのを、ソフィアは恐れと期待の入り混じった思いで見つめていた。
「お嬢様、早く地下へ! 盗賊の残党が、村の検問を突破しました!」
老執事の悲鳴のような叫びが響く。
窓の外を見れば、遠くの村々から黒い煙が立ち上っていた。騎士たちの多くが戦争に駆り出された今、この屋敷を守る盾はどこにもない。
ソフィアは、震える手で胸元のポケットを確かめた。
そこにあるのは、エドワードが最後にくれた、あの古びた植物図鑑のしおり。
「私は、逃げません。……ここで彼を待つと、約束したのですから」
彼女は、護身用の小さなナイフを手に取った。それでも、彼女の瞳には、かつての控えめな令嬢にはなかった「覚悟」の灯が宿っていた。
執事も銀の燭台を扉のドアノブに挟み、壁に飾られていた真剣を取り、震える手で身構えた。
そして……。
略奪者の荒々しい怒声が、屋敷の重い扉を叩き壊す音が聞こえてくる。
階段を駆け上がってくる足音。
二人の鼓動は限界を迎え、不規則で荒い呼吸へと変化する。
大きく震える手でナイフを握りしめるソフィアは覚悟を決め、ナイフを両手で持ち、扉の方へと身構えた。
扉の一部が破壊され、盗賊の1人が体をねじ込むようにして、部屋へ侵入してくる。
「お嬢様には、指一本触れさせん……っ!」
悲鳴のような叫びと共に、老執事は震える両手で重い剣を構えた。
だが、扉を破り雪崩れ込んだ略奪者の暴力は、老いた肉体にはあまりに無慈悲だった。
荒々しく振り下ろされた略奪品の杖で、ソフィアを庇うように差し出された執事の左腕を直撃した。
メキリッ、という、生々しく硬い音が室内に響く。
「ぐ、あああああ……っ!!」
不自然な方向に折れ曲がった前腕から、皮膚を突き破らんばかりの衝撃が伝わる。老執事の顔は瞬時に土気色へと変わり、脂汗が噴き出した。砕かれた骨の軋みが、彼の脳裏を真っ白に染め上げていた。それでも彼は、激痛に視界を歪ませながらも、折れた腕をだらりと下げたままソフィアの前に立ちはだかり続けた。
「まだだ……まだ……」
扉を突き破ろうとする他の盗賊の背中を、一本の黒い槍が貫いた。
壁を突き破るほどの剛力。
廊下を満たしていた略奪者たちの悲鳴が、瞬く間に静寂へと変わっていく。
煤と血の臭いが立ち込める中、ゆっくりと扉が開いた。
そこに立っていたのは、返り血を浴びた黒鉄の鎧。
かつての銀細工のような繊細さは、幾多の死線を潜り抜けた冷徹な闘気によって塗り替えられている。
しかし、兜の奥で光る碧き瞳だけは、あの日のひだまりと同じ、狂おしいほどに深い色を湛えていた。
「……遅くなった。ソフィア」
数多の貴族たちが没落し、命を落としていく激動の時代。
一兵卒から「戦場の死神」とまで恐れられる将領へと成り上がったエドワードが、ついに彼女の元へと帰還した瞬間だった。
部屋の中に侵入した盗賊は、騎士を見るや否や武器を地面へ捨て、膝をつき、すぐに降伏した。
彼の手には、略奪者の首ではなく、かつて彼女が託した銀の髪飾りが、鈍い光を放ちながら握られていた。




