旅立ち
聖ルミナス寄宿学校の卒業式は、春の陽光に包まれていた。けれど、ソフィアの心は、吹き抜ける風のように冷え切っていた。
式の終わりに読み上げられた進路のリスト。名だたる上級貴族たちが華やかな官職や領地経営に名を連ねる中、エドワードが選んだのは、最前線の国境警備。事実上の、一兵卒としての志願だった。
「……本当に行ってしまうのですか、エドワード様」
放課後、二人が最後に辿り着いたのは、あの図書館のひだまりだった。窓から差し込む光には埃が舞い、数えきれないほど二人で図鑑をめくった机が、今はやけに遠く感じられる。
「ごめん、ソフィア。……でも、今の僕には、血統という盾も、黄金という鎧もない。君を誰にも文句を言わせない場所へ連れて行くには、この身ひとつで武勲を立て、階段を駆け上がるしかないんだ」
エドワードの碧い瞳には、あの日温室で見た時よりも、さらに深く、揺るぎない覚悟が宿っていた。
彼は既に、学生が着る柔らかな制服を脱ぎ、安価で硬い軍服を纏っている。そのあまりの無機質さに、ソフィアは胸が締め付けられた。
「……待っています。たとえ何年かかろうとも、私は貴方が帰ってこられる場所を守り続けますわ」
ソフィアは震える指先で、自分の髪を飾っていた小さな、けれど彼女が一番大切にしていた祖母の銀の髪飾りを外した。それは、彼女の家が唯一誇れる、慎ましやかな家宝でもあった。
「これを……私だと思って、持っていってください。貴方が戦火の中で道に迷いそうになった時、私が貴方を見つめていることを忘れないでほしいから」
エドワードは、その小さな髪飾りを壊れ物を扱うように丁寧に受け取ると、軍服の胸ポケットへと大切に収めた。その瞬間、彼の表情から一瞬だけ「兵士」の冷徹さが消え、一人の少年に戻ったような気がした。
「約束するよ、ソフィア。……次に会う時は、この銀の飾りを、君の頭上に載せる『王冠』に変えてみせる」
彼はソフィアの額に、誓いのような、けれど切ないほどに短い口づけを落とした。
言葉にすれば、それが「さよなら」になってしまう。だから二人は、ただ無言のまま、夕闇が図書館を飲み込むまでその手を握り合っていた。
翌朝、校門を出ていく兵員輸送の馬車の中に、エドワードの姿があった。
ソフィアは、馬車が森の向こうへ消えて見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。
彼の手には剣を。彼女の胸には祈りを。
名もなき下級貴族の少年が、歴史に刻まれる「覇王」へと歩み出す、これが孤独な第一歩だった。
そして、慎ましい令嬢が、一国の「王妃」となるための長い待機が始まったのである。




