白い結婚? よろしい、ならば夫すげ替えだ!
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「アイリーン、お前は名義上の妻に過ぎない。俺の邪魔をせず、部屋でつつましく暮らすんだ。社交に出る必要も、家内の差配も不要だ。すべてジェーンがいるからな、お前など必要ない」
目の前の男──新郎であり、本日わたしの夫になったアルフレッド・オルタナは、美麗な顔を醜く歪ませてそう言い放った。冬の空のような水色の瞳が底光りしている。
「あら──まぁ」
初夜の床で言うセリフではないな、というのが第一の感想だ。あと、おつむが弱く、軽薄な流行りものが好きなんだろうなこの男、という感想が続いて湧く。なにしろ、数年前から劇場では白い結婚ものが流行っているのだ。ただし、主人公は白い結婚を言い渡されるわたし側──つまり夫はざまぁと嗤われる側なのだが、それでいいのだろうか。仮にこの結婚の下地を考慮しなくとも、色々考えが足りないと思う。
「つまり、旦那様は──」
「名義上のものだ。俺はお前を妻とする気はない」
「アルフレッド卿は義妹嬢と愛し合っているから、わたくしを娶ったのはお金目当てだとおっしゃりたい?」
そう返すと、傲慢な表情を浮かべていた目の前の男は、わかりやすく不快感をあらわにする。とうに学園を卒業し、今年二十三にもなろうというのに、彼の精神は幼いままのようだ。六つも年下のわたしより幼く感じるのは、伯爵家嫡男としては大問題だろう。
「な……っ! なんと下品なのだ、お前は! 金目当てなど──」
歪んだ顔を赤らめ激昂する名義上の夫を冷めた目で見ながら、下品も何も事実だろうにとわたしはため息をついた。この政略結婚は、没落直前の婚家を救うためのものだ。それ以上でもそれ以下でもない。
アルフレッド・オルタナは、婚約解消の過去があるリード伯爵家の長男だ。学園在学中に幼いころからの婚約者と別れたと聞いてはいたが、その後新しい婚約が調うわけでもなく、伯爵家継嗣としては珍しいことだが、そのまま独り身でいる。
本来なら学園卒業後、領地を継ぐはずの継嗣は早々に結婚し、子どもを儲けるとともに夫婦で両親から仕事を習いつつ継承の準備をするはずなのだが、それが五年も婚約者も定めずにいるのは、没落が見え隠れしている貧乏伯爵家といえども異常である。いや、貧乏だからこそ、一日も早く裕福な夫人を娶って助けてもらいたいはずだ。由緒あるリード伯の名前は軽くはなく、オルタナ家は財政状況がよろしくない家といえど、領地をうまく運営すれば安泰な爵位である。特に下位貴族からしたら、いくらでも婚姻を結びたい相手ではあるのだ。
(ジェーン・スコット。後妻であるリード伯夫人の連れ子で、アルフレッド様より三つ下。たしか養子ではなく平民のままオルタナ家に迎え入れられたとあったわね。リード伯の再婚が六年前、アルフレッド様とミストレッド侯爵令嬢メリア・レガーロ様の婚約破棄が五年前。完全に婚約者がいなかった理由はジェーン嬢だわ)
わたしが嫁いだリード伯は歴史のある伯爵家だ。その歴史はわたしの生家であるフォルズベリー伯より少し短いくらいで、かつ遠い縁戚でもある。もとから財政が傾きかけていたところに、昨年の小麦の不作──リードは小麦の産地だ──に今年はじめの水害と、続けてとどめを刺されたオルタナ家は、もはや没落待ったなしの状況に追い込まれた。
歴史ある伯爵家が没落することは、稀ではあっても前例がないわけではない。領地は他の家が継ぎ、あらたなリード伯となればいい。国として問題なのは誰が治めるということではなく、国民が安心して暮らし、きちんと見合った税収を上げることである。
だが、前リード伯夫人の生家であるミストレッド侯爵レガーロ家はそれをよしとしなかった。
前リード伯の時代から資金援助を続けてきたレガーロ家は、家門から養女を迎え入れてまでオルタナ家を支えようとしたが、その娘も婚約破棄となり──アルフレッド様の幼少時からの婚約者が彼女だ──怒り心頭と思いきや、姉への心酔具合が深い前ミストレッド侯の意向もあり、オルタナ家を見捨てず、新たな縁を探してきた。
それが、わたしだ。
我がフォルズベリー伯ハワード家とミストレッド侯レガーロ家は親戚ではない。だが、いまだ権勢を誇る前ミストレッド侯とわたしのおじいさまが親友であったため、こちらにお鉢が回ってきた次第である。
ハワード家としても、縁戚であるオルタナ家が没落するより立て直せるならばよしと受けたのだ。レガーロ家に貸しを作れるのも大きい。いや、理由としてはこちらが主か。
だいたい、わたしだって急な話でびっくりしているのだ。婚約期間は半年という短期間。新郎とは二度会っただけで結婚。──しかも学園の在学中に! 伯爵家の末娘であるわたしは、鷹揚な両親の下、のんびり学生生活を楽しんでいたというのに!
(元々、結婚せず領地でのんびりしていいとお兄様やお義姉様たちもおっしゃってくれているし、お父様たちからも、もしうまくいかないようならば帰ってきていいと言われているけれど)
末娘を溺愛する両親や兄夫婦はわたしの結婚を渋りがちではあったし、嫁いだ姉が侯爵家で跡継ぎを生んでいたため、なおさら急いで他の家と縁続きにならなくてもと、わたしの婚約者探しは延びに延ばされ、学園で気の合う人が見つかればそれでよし、そうでなければ好きな道を選んでよしと言われてきたのだ。
それなのに──だ。学園の一年の時には思ってもいなかった現実に、頭が痛い。
(おじいさまのたっての願いですものね……。仕方ないから貴族として義務を果たそうと覚悟してきたのに)
アルフレッド様の婚約破棄の理由は伏せられていた。元婚約者であるメリア様は、あくまで円満な婚約解消として元の家に帰されることなく、そのまま侯爵令嬢として別の伯爵家へ嫁いで行ったと聞く。
「アルフレッド卿、わたくしとあなたの婚姻は政略です。わたくしは、オルタナ家を立て直すよう言われて参りました。あなたの妻としてではなく、家を再建する者としての立ち位置すら奪われるようならば、仲介したミストレッド侯爵になんと言っていいのやら……」
要は、文句を言うなら権力者に言いつけるぞ、である。アルフレッド様の不快そうな顔が引き攣る。
「つ、妻としては扱わないが、家政に関わること、は」
「関わることは?」
「その、認める……」
「領地運営にも口を出させていただきますよ?」
「……っ!」
「内情は白い結婚でよろしいです。期間は三年。その間領地の改善をして、オルタナ家を持ち直して見せましょう。三年を以てあなたとの結婚はなかったことといたします。もちろん慰謝料はいただきますよ?」
容赦なく条件を伝えると、光を束ねたような金髪を振り乱してアルフレッド様は激昂した。
「そんなことは認めない!」
「白い結婚と申しますと、継嗣には恵まれません。親戚から養子をとるとしても、我が家には利益がない。政略としては成立しませんよね?」
「継嗣は俺の子が継ぐ!」
「まぁ、もうそのようなご関係に? ジェーン嬢が身籠られましたから結婚を承諾したのですか?」
「それは……」
途端に口ごもるアルフレッド様に、的を射ていたのだと知る。子ができたなら義妹と結婚すればいいが、なにぶんジェーン嬢は平民である。どこか──この場合レガーロ家が妥当だろう──に養子に入ってから婚姻を結べばいいものの、それをしなかったということは、さすがに断られたのか。アルフレッド様の婚約者として養女に入られた令嬢は、元は子爵家と聞く。血縁の貴族家から養子に取るのは許せても、見知らぬ平民の血は混ぜたくない、そういうことか。
いやはや、なんとも身勝手な話である。これはレガーロ家からも慰謝料が取れるのでは? 祖父に泣きつく前に、愛する姉の血に青くない血が混ざることをよしとすれば、誰も迷惑を被らなかったのだ。平民上がりが蔑まれるのは貴族社会ではありがちだが、オルタナ家を助けたいのならばジェーン嬢の経歴詐称くらいしてみせればよかったのにと、前ミストレッド侯にいら立ちが湧く。
「対外的にわたくしとの子としたいのでしょうが、子が生まれてからでは白い結婚の証明が難しくなります。三年ではなく出産までに片をつけましょう。そうなると経済的に上向くまでではなく、多少改善が見込まれるまでくらいとなります。また、やり方が少々手荒くなりますが、それも受け入れると。よろしいですね?」
「いや……その、俺に決定権は」
「ないのに義妹と子を儲け、政略結婚相手に白い結婚を申し入れたと?」
「あ……その」
最初の勢いはどこにいったのか、きょろきょろと視線をさまよわせ、困惑するアルフレッド様に見切りをつけたわたしは、夜着の上から羽織っていたガウンの帯をきっちり締め、そばに置いていたショールを巻き付け、ナイトテーブルの上のベルを鳴らして続き間に控えていた侍女のマリーを呼んだ
「アルフレッド卿では埒があきませんね。では、わたくしの父と、リード伯にお話をさせていただきます」
夜着で夫以外の方とお会いするわけにはいかないから、着替えつつ面会の申し入れをする手順を脳裏に描く。宴席も終わり夜も更けつつある。面会は明日の朝にされかねないが、ことがことだ。強引だが今日中にお願いするとしよう。今夜は両親もこの家に泊まっているが、明日にはタウンハウスに戻ってしまう。現ミストレッド侯爵もいらっしゃるので、そちらも巻き込めるかも。
わたしはにっこりと微笑んで見せた。
「ではアルフレッド卿、ごきげんよう!」
◇
頭に綿花の詰まっているアルフレッド様を夫婦の寝室から追い出し──あの男は夫人の部屋を義妹に渡すつもりだったのか、わたしの荷物は夫人用の部屋にはなかった──、侍女のマリーに手伝ってもらって、寝室でアフタヌーンドレスに着替える。その間に使用人経由でオルタナ家当主であるリード伯と、客室に戻っただろう父につなぎをつけ、会合の場として応接間を準備してもらった。
宴席で使っていたホールから遠いせいか、応接間は静かだった。手入れがされた調度品からは、没落の気配は感じない。ただ、供された紅茶は香りの薄いものだし、お茶菓子は宴席の残り物だ。使用人の人数も実家と比べると格段に少ないので、身の回りのことを任せる侍女は実家から連れてきたマリーだし、オルタナ家のメイドからティーワゴンを受け取って、ソファに座るわたしたちにお茶をサーブしてくれたのもマリーである。
そういえば宴席の準備に人手が足りないからと、ここに来る際にタウンハウスの使用人をたくさん連れてきたことを思い出す。オルタナ家では客室用のメイドなどは雇っていないため、全員分のお茶の用意も仕方なくマリーにお願いした次第である。
「──で、オルタナ家としましてはどうされますの?」
ミストレッド侯爵と話をつける前に当事者で詰めるべきだと思いなおし、まず呼んだのは両方の父親だけだ。幸い、まだ宴席の場にいたのかすんなり揃った。なお、元凶のわたしのおじいさまも前ミストレッド侯も前リード伯夫人も、みな王都ではなく領地にいるため不在だ。前リード伯はアルフレッド様が学園に入られる前に亡くなったと聞いた。
「……その、まさか、ジェーンとそのような関係になっているとは」
「ジェーン嬢が原因で婚約解消になり、その後婚約者が決まらなかったのはさすがにご存じですよね?」
「あ、ああ……」
わたしからの状況説明にうなだれるリード伯へ、お父様が冷たい目を向ける。アルフレッド様? 場をかき回す図しか見えなかったのでこの場にはいない。一人にしてジェーン嬢のところへ行かれても困るので、オルタナ家の使用人と、お父様が連れてきた護衛を見張りに立てて私室に閉じ込めている。
「白い結婚、ねぇ? さすがにフォルズベリーを舐めてはいないか?」
「いえ! そのような!」
刺々しいお父様の声に、リード伯が慌てた声を上げて膝の上に置いた手を握り締めた。
「しかも籍に入ってはいないとしても、実質義妹として扱っていた娘と子を儲けるとは……ミストレッド侯爵はご存じなのかな?」
「まさか! その……ジェーンと結婚したいと言われたときに、メリア嬢と入れ替える形で婚約できないか打診したのですが、その、おじい……前ミストレッド侯は平民を迎え入れることは許さないと」
「おや、現リード伯夫人はよく許されましたな?」
「……その、妻の件で怒らせてしまい、その……難しく」
「怒らせた?」
口ごもるリード伯は、容貌だけでなく思考も行動もアルフレッド様と似ていた。彼は平民であった現リード伯夫人を後妻として迎え入れる際、誰にも相談せず独断で行ったらしい。平民出身で、離婚歴があり、連れ子がいる夫人の存在を、自身の祖父である前ミストレッド侯や、前妻の父でありアルフレッド様の祖父であるピクト伯が知ったのは、もう籍を入れてしまった後。しかも双方が再婚なのを理由に式を挙げなかったせいで、結婚のことをお二人が知ることができたのもだいぶ後のことだったようだ。本来なら当主の再婚の前には親族会議が開かれるはずだけれど、それもなかった様子。
ジェーン嬢も、はじめは貴族籍へ養子縁組をしようとしていたようだけれど、すんでのところで祖父と義父、両方から横やりが入ったとのことだった。他家のことに口を挟むのはよろしくないことだけれど、さすがに目に余ったのかしらね。オルタナ家にはアルフレッド様の下に弟君もいらっしゃることだしと、子を儲けない条件で許されたとリード伯は力なくつぶやいた。
(しかしまぁ……この親にしてあの息子あり、ね)
没落もさもありなんといった印象だった。考えなしに動く上、打つ手がことごとく最悪すぎる。この家を再興させるのは……この家族の下では無理じゃないかしら。リード伯の話を聞くお父様も同意見なのか、眉間の皺が一段と深くなっている。
(問題は……すでに籍を入れてしまったということよね)
対外的にはわたしはすでにリード伯嫡子アルフレッド・オルタナの妻なのだ。白い結婚で白紙に戻すのには三年かかる上、その間にジェーン嬢の宿している子は生まれる。
──確実に、傷がつく。
かと言ってこのまま夫婦生活を送る気にはなれない。彼と正式な夫婦にはなりたくない。教会では誓いのキスを交わしたけれど、そのときは夫婦になれる相手だと思っていたからだ。もう指一本たりとも触れてほしくはない。
ジェーン嬢の子を迎え入れないで三年を過ごしてお別れするか──はたまた夫を入れ替えるか。
(アルフレッド様の弟君、レイナルド様はわたしの二つ上ですし、ちょうどいいのでは?)
レイナルド・オルタナ卿はこの春に学園を卒業しているが、顔は知っている。優しそうで、穏やかそうな青年だった。アルフレッド様のような華やかさはないけれど、一見して誠実そうではあった。
学園での記憶を探る。オルタナ先輩は生徒会に入ってらっしゃったから、ある程度優秀なはず。性格はどうかしら。変な噂は流れていなかった。あ、同じ生徒会に入ってらしたミランダ先輩が、生徒会の皆さんの説明をしていた際に、「オルタナ先輩は兄と姉には似ずに穏やかなのよねぇ。まるで日向ぼっこをしている犬みたいなの」って話していた気が。犬……犬ね、アルフレッド様が狂犬だとしたら、オルタナ先輩は細身の大型犬かしら?
式の前にご挨拶したときは、短期間でずいぶん瘦せてしまったなと思ったけれど、ご病気だったり? 穏やかそうな雰囲気はそのままだけれど、目の下の隈は消えていないし、どうにも疲れが抜けないといった様相だった。
仮にオルタナ先輩がご病気だとしても、不治の病とは限らない。寄り添って回復に励んでもらえばいいことだ。なによりアルフレッド様には子どもが付随するが、オルタナ先輩には……多分いないはず。
(ああ、情報が足りない)
兄弟揃って性格や女癖が悪かった場合はどうしましょう。そんな不運はできたら避けたいけれど、貴族の政略結婚だもの、兄と違って粗略に扱わないと誓ってくれるのならば受け入れてみせるわ。
わたしの中の天秤は簡単に傾いた。
お父様を横目で見ると、お父様も同じようにわたしを見て──そしてにやりと口の端で笑った。
これは──同じことを考えているかしら?
「オルタナ家とハワード家の婚姻は成立しています。だが、私は娘を粗略に扱うことを許して嫁がせたわけではない。白い結婚も、他の女との子の受け入れも許しません」
きっぱりと言い切ってくれるお父様。言葉の端々に、お父様の愛を感じるわね。
うちは政略結婚でも仲がいい夫婦だ。物語のような恋愛結婚に憧れないと言ったら噓になるけれど、貴族に生まれたからには政略結婚は当然のもの。でも、せめて両親のような関係を築けたら。
「結婚当日にこのような愚かなことをしでかすアルフレッド卿に、娘は任せられません。ロバート卿、ここにミストレッド侯爵リチャード・レガーロ卿を呼んでも?」
「しかしそれでは我が家は……」
ソファから立ち上がってすがろうとするリード伯を無視して、お父様は室内に待機していたオルタナ家の使用人にミストレッド侯を呼ぶよう伝える。
まだまだ、夜は終わりそうになかった。
◇
「なんと……」
ミストレッド侯爵リチャード・レガーロ卿はお父様からの説明を聞くなり、低くそうつぶやくと額に手を当てて俯いてしまった。父親がかき回した結果がこれだと知らされたミストレッド侯は、続けて深い深いため息をつく。
「アイリーン嬢にはなんと謝ればよいのか……」
衝撃を受けている卿に、素直にレガーロ家も慰謝料をくださいとは言いづらいわたしは、かすかに唇に笑みを乗せるだけにした。この方も巻き込まれただけ。悪いのは、かき回した前ミストレッド侯と、やらかした当事者であるアルフレッド様とジェーン嬢だもの。この方は責めづらい。
「どうにかオルタナ家を存続させたい前ミストレッド侯の意向はわかります。それを受け入れた父の手前もありますし、私としてもこの結婚を受け入れるのはやぶさかではない。ただ、父親として娘が不幸になるのを見過ごすわけにもいかない」
「そうですな。メリアの際も思ったが、ロバート卿はアルフレッド君を甘やかしすぎてはいませんか? 継嗣としてあの体たらくでは、いくら我が家が援助したとしても、領地の繁栄は難しい」
前当主同士で取り決められた話だが、わたしを輿入れさせたのは現当主であるお父様だ。交渉はお任せすることにして、わたしは当主たちのやり取りを見守る。
「娘の夫はアルフレッド卿では困る」
「その……ではどうしたら」
「ロバート卿はどう思われますか?」
「その……ああ、そうですね」
他家の継嗣のすげ替えを命じるわけにはいかない。あくまでもリード伯に決めていただかないと。
笑顔のお父様と渋面のミストレッド侯を前にして、リード伯は口ごもったまま俯いてしまった。
「失礼、僕もお話に加わってもよろしいですか?」
そんなとき、重苦しい空気を押しのけるような軽やかな声がした。見ると応接間のドアを開ける家令の横に、オルタナ先輩がひょろりと立っている。
「レイナルド! お前は執務室におれと……」
さっきまで二人の当主に詰められて色をなくしていたリード伯が、噛みつくように叫んだ。しかし、オルタナ先輩は動じずミストレッド侯とお父様をじっと見つめる。
「いや、レイナルド卿にも参加してもらおう。彼はもう成人しているし、なにより家族のことですからな」
ミストレッド候の誘いを受けて、先輩は一礼と共に父親の隣に腰を掛ける。礼服を身に着けたままのリード伯の隣に座ると、オルタナ先輩の線の細さが際立つ。だが、ぴんと伸ばした背筋といい、まっすぐなまなざしといい、倒れそうな細さとは逆に凛とした強い雰囲気を漂わせている。
「レイナルド卿、しばらく会わぬうちにだいぶ痩せたようだが……具合でも?」
幼いころから交流があるのか、ミストレッド侯は心配げに問いかけた。オルタナ先輩は緩く首を振ると、ちらりと隣の父親に視線をやる。はっとリード伯が顔をこわばらせたところを見ると、病ではなく家に問題があるのかしら。
「いえ、僕は病気ではありませんよ……今のところはね」
「レイナルド、差し出口を挟むでない! これは当主同士の……」
「いや、私が許可を与えたのだ。ロバート卿では話が進まないのでな」
「私も問題ない」
やましいことがありますと、顔前面に書いたようにリード伯がオルタナ先輩を追いやろうとするが、ミストレッド侯もお父様もそれを止める。口ごもるばかりのリード伯は見限られたようだ。こんなところも長男は父に似たのだろう。次男であるオルタナ先輩はどうだろう。
オルタナ先輩を窺っていると、先輩もこちらを見た。
「アイリーン嬢、先ほどぶりだね。この度は本当に兄をはじめとしたうちの家族が申し訳ない。フォルズベリー伯も、ミストレッド侯も、我が家のために色々と手を尽くしてくださったのに、このような騒ぎを起こしてしまって申し開きもできません」
オルタナ先輩はそう告げると、対面にいるわたしたち親子と、対角上のミストレッド侯に頭を下げた。
「家令から、兄と義姉が起こした顛末は聞きました。アイリーン嬢になにを告げたのかも、ハワード家の侍女から伺っています。父上、兄上はもう無理です。あの人にリードは治められない。わかっているのでしょう?」
アルフレッド様に伯爵家当主は無理だろう。もしかしたら能力は高いのかもしれないけれど、あのように情に流されて正しい判断を下せる気がしない。
「レイナルド……」
「父上もわかってはいるのでしょう? だから、兄上に執務をさせず、すべて僕に押し付けている」
……前言撤回。アルフレッド様は、能力も低いようだ。
聞き捨てならないことを聞いたミストレッド侯とお父様は眉を顰め、リード伯はたまらず頭を抱えてうなだれてしまった。
「私は……」
「父上の分、兄上の分、義母上の分……僕もいい加減限界なのです」
そう……先輩があんなにもやつれているのは、オルタナ家で酷使されているからなのね。
オルタナ先輩はさらに燃料を投下する。反撃の狼煙は上がった。先輩は自分の持っている手札を、一番効力があるだろう場で並べてくる。
「せっかく手続きをした春の水害の助成金をこっそり義母上と兄上は使い込んでしまうし、義姉上も当たり前のようにそれを享受する。当主である父上が止めないからあの三人はやりたい放題だ。レガーロ家からのお金は、おばあ様の生活を支えるだけだと何度言っても聞いてはくださらない。我が家は没落直前なのですよ」
「家の恥を……!」
「そのような段階はとっくに過ぎているのです。アイリーン嬢が嫁いでいらしたのに、我が家が爵位返上なぞしてはハワード家にも申し訳が立たないと、何度も言ったではありませんか」
思った以上に腐りきっているオルタナ家の実情を暴露した先輩は、ため息を一つこぼすとお父様に向かって再度頭を下げた。
「僕の力が及ばず、婚姻を結ばせてしまって申し訳ありません」
「いや、レイナルド卿が悪いわけではない」
「もし許されるならば、愚兄ではなく……私と縁を結ばせてはくださいませんか」
リード伯と違って、オルタナ先輩にはわたしたちが望む先が見えているようだ。水を向けられたお父様の唇に笑みが戻る。
「オルタナ家が持っている爵位は、リード伯爵と、テュルリー子爵だったかな?」
「はい。元々私は兄の独立後、子爵位をもらって分家となる予定でした。父が思っていた以上に兄が使えないため、それも宙に浮いて卒業後はずっと補佐をしていましたが」
「補佐……ねぇ」
補佐という名の下、一身に伯爵家の運営を担っていたと告げるオルタナ先輩に、ミストレッド侯とお父様は鷹揚にうなずいた。
「アルフレッド卿の病気は治りそうにもないからねぇ。ハワード家としては急遽弟君と娶せることになったのは仕方ないねぇ」
「メリアとの婚約の時から五年も患っているのだね……もう領地で静養されては? うちも父が似たような病にかかっていて、現在静養中ですよ。それはもう具合が悪くてね、今回の結婚式も欠席せざるを得ませんでしたが」
「ひっ」
次男には強気なところを見せていたものの、両当主にすごまれたリード伯は、顔色を紙のように白くした。
でもそう、前ミストレッド侯は領地で静養されているのね。では今後リードの地からは手を引かれるのかしらね。ええ、きっとそのほうがいいわ。
「そ、その……」
リード伯はものすごい汗をかきつつ、ちらりとミストレッド侯を、続いてお父様を見やった。口元は笑っているものの、まったく笑ってない目を向ける二人に落胆したのか、そのまま肩を落とした。
「うちの長男は……ずっと病気がちでして。メリア嬢との縁もその病が原因でお断りさせていただいたのに、そろそろ治るかと思って、結果アイリーン嬢にも迷惑をかけてしまいました……。継嗣は長男でなく、次男のレイナルドに変更するので、アイリーン嬢の夫はレイナルドということに……」
苦渋のにじんだリード伯の言葉に、わたしはようやく肩の力を抜いた。
◇
その後、初夜に向かうことなく新郎が病死したため、急遽跡取りとなった弟とハワード家の令嬢が結婚したことが貴族院に報告された。戸籍上は一旦未亡人となったわたしだが、リード伯夫人の未来は変わらず、結果些末なことである。
貴族籍を抜かれたアルフレッド様が、同じく貴族籍の無いジェーン嬢と結婚するのはなんの障害もなく、すんなりと受け入れられた。次期伯爵の地位をなくし、領地の片隅に追いやられたアルフレッド様と、それに付き合うことになったジェーン嬢はなにやら騒いでいたようだが、それもまた些末なことだ。
当主として仕事のできなくなったリード伯ロバート・オルタナ卿は、継嗣であるレイナルド様に引継ぎを行った後、同じように領地に向かわれて静養されるとおっしゃっている。こちらは好いた妻とゆっくり過ごせると、意外とにこにこ顔のようだ。財政の厳しいリード伯爵家は、前伯爵にあまり予算を割けないのだが、そこを理解しているかどうかは難しい。
あの夜、宴席に親族の方が軒並み揃っていたので、継嗣の交換の話もすんなり終わったと聞く。伯爵家のあまりにも酷い内情に、前夫人のご実家をはじめとした皆様はあきれ返っていたようだ。特に長男を優遇しすぎてもう一人の孫が過労死寸前だったことに、祖父であるピクト伯は激怒していたという。
「あなたには色々と迷惑をかけてしまった上、いらぬ傷を負わせてしまいましたが、これからは全力でお守りします」
兄より色の濃い、春の空のような瞳がわたしを見る。髪の毛だってアルフレッド様のような明るい金色ではなく、温かな小麦色だ。そういう些細なところが父親には好まれなかったようだが、わたしからしたらその温かな色合いはとても好ましい。
「あのような傷は、傷には入りませんわ。だって、すぐにレイナルド様が治してくださったもの」
そっとつないだ指に力を込める。食べる暇も寝る暇もなく、ひとり領地運営につぶされかけていたオルタナ先輩──レイナルド様の手は、まだ細い。
でもわたしより大きいその手は、つないでいて安心感があるものだった。
「レイナルド様は隠し子などおりませんよね?」
笑みを含んだわたしのからかいに、レイナルド様は笑う。笑うと目じりが下がって確かに犬っぽいかも?
「いませんね。婚約者もいませんし、恋人もいない。兄と違って僕は地味なんです」
「まぁ」
自己肯定感が低いのは、今までの弊害かしら。女癖が父親や兄に似てなくて重畳だが、この自己否定はよろしくない。
わたしはレイナルド様の小麦色の髪に、つないでいないほうの指を滑らせる。
「レイナルド様は小麦の産地であるリードのような方だと思うわ。本来は実り豊かで素晴らしいのに、災害で今はちょっと疲れてしまっているだけ。知っているでしょう? 小麦は強いの。踏まれたほうが実りが大きいと聞くわ。大丈夫、わたくしがいます。あなたがわたくしを守ってくださるのなら、わたくしはあなたを守りますわ。そして、二人で領地を守っていきましょうね」
領地と、そこに暮らす領民を守ること。それが貴族の基本であるはずだ。豊かな暮らしはその上にある。
わたしたちは互いに微笑みあうと、どちらからともなく顔を寄せあった。
よくある初夜にお前を愛さない系の話をリハビリがてら書いてみました。
家族が滞在してたらすぐ親族会議ものだろうな、と。
そしてリード伯を書きながら、そのそのうるさいなこのおっさん、と思っていたことを白状します。気が付いたらそのその言ってた……。




