非ロマンチックな出会い
森の中、吐き気でうずくまるカルディアの背後には、背の高い銀髪の男が立っていた。気配に気づき振り返ったものの、気分が悪くて立ち上がることもできない。
(なんかこんなこと、前にもあったな……)
半ば現実逃避でもするかのように、カルディアは過去の出来事に思いを巡らせていた。初めての馬術の授業、厩舎で右往左往していたカルディアの背後に突然現れた、ヴィンセント・ベリウスのことだ。しかし目の前の銀髪の男は、彼と違い恐ろしい雰囲気はない。凪のような人だと感じた。しかし、ただ立ってこちらを見るだけで、話しかけてもこないので少し気まずい。
「……気分が悪いのか」
しばらく黙ってカルディアを見ていた男は、突然そう声をかけてきた。ゆっくりとカルディアに歩み寄り、地面に膝をつく。カルディアは答えることもできず、顔面蒼白で蹲っている。
「吐いたほうが良い。楽になるぞ」
男に言われるままに、嘔吐してしまおうと下を向くが、なかなか上手くいかない。喉に指を突っ込んでみるが、喉がきゅっと引き絞られたようになって苦しく、嗚咽が出るだけだった。
「うぇ……」
上手く吐けないが、気分も良くならない。顔を顰めるカルディアを黙って見ていた男が、そっと背後に回った。
「口を開けろ」
「っ!?うぐ」
男は片手でカルディアの体を抑える。もう片方の手の手袋を口に咥えて外すと、中指と人差し指を合わせ、カルディアの口に突っ込んだ。長い指が喉に入り、舌の奥をぐっと押し込む。途端、強い吐き気が湧き上がってきて、口から胃液が溢れ出た。
「ゲホッ!はーっ、はーっ……」
「楽になったか?」
「……は、い」
森の中で見知らぬ男に吐かされる。異様な状況だったが、半ば放心状態のカルディアは、それについて何かを言う気にもなれなかった。
「あの、手、汚してしまって」
しばらくの間ぼーっとしていたが、少し落ち着いてくると、大変なことをしてしまったと気付く。身なりからして、身分が高い人なことは明らか。どうしたものかと心の中は大騒ぎだ。
「別に構わない。洗えばすむ」
「そ、そうですか」
「あぁ」
「……」
「……」
会話が全く続かない。別にベラベラと喋る必要もないのだが、こんな森の中で見知らぬ相手と二人、沈黙というのは妙に居心地が悪かった。カルディアはなんとか場を繋ごうと、もう一度口を開く。
「あの、貴方はどうしてこんなところに?」
「君がこの森に入っていくのを見て、追いかけた」
「えっ、どうして」
「俺も昔はここの学校に通っていた。神竜の森は危険だ」
つまり、見ず知らずのカルディアを心配して追いかけて来たということだろうか。その上、介抱までしてくれるなんて、随分なお人好しもいたものだ。
「本当にありがとうございました。どうお詫びをすればいいか……」
「構わない。ヴィンセントに頼まれたからな」
「はい?」
ヴィンセントとは一体誰のことだろう。少し考えてみるが、ヴィンセントという名前で、カルディアの知る人物は一人しかいない。しかし、そうだとしたらおかしな話だ。その人物には一度乗馬を教えてもらっただけで、知り合いとすら呼べない間柄なのだから。
「あの、私を別の誰かと勘違いしているんじゃ」
「勘違い?」
男は、手袋をした方の手でカルディアの顔を挟むように持つと、ぐっと上向けさせた。カルディアの前髪がはらりと落ちていく。男の切長な銀色の瞳が、カルディアの金の瞳をじっと見つめる。こうして落ち着いて見てみると、目の前の人はなんだか現実離れした、彫像のような美形だと気づいた。同時にレオやヴィンセント・ベリウスの容姿を思い出し、身分の高い人というのは皆顔も良いものなのかとつい考えてしまう。
「勘違いではない、サイラス・レーラント。お前にあったら優しくしてやれと、ヴィンセントに言われている」
「は、はぁ」
黒髪金眼を見ても眉ひとつ動かさない男だったが、カルディアもその反応に驚くことはなかった。というのも、目の前の男が容姿だけでなく醸しだす雰囲気まで、それこそ建国神話にでも出て来そうな人物だったからだ。目の前にいてもなんだか現実味がなく、彼が普通の反応をしないことにも違和感はなかった。
「その、それで貴方は」
結局目の前の男は誰なのかとカルディアが尋ねる。男は顔を挟む手をそのままに答えた。
「フェンリル・アストラ」
「アストラ様、一つ――」
「フェンリルで構わない」
「では、フェンリル様」
「様もいらない」
「……フェンリルさん、一つお聞きしたいんですが」
いつになったら手を離してくれるんだろうと思いながら、カルディアはフェンリルに最大の疑問を投げかけた。
「ヴィンセントというのは、王立騎士団のヴィンセント・ベリウス様のことですか?」
「そうだ」
「どうしてベリウス様が、私のことを?」
「それは知らない」
フェンリルは考える間もなく即答した。全く取り付く島もない様子だ。そのまま顔から手を離し、音もなく立ち上がる。
「立てるか。気分が落ち着いたならここを出る」
「はい。あ、でも、掃除」
「人は立ち入らない、野生動物だらけの森だ。いちいち排泄物や嘔吐物を片付ける必要はない」
「は、排泄物……」
フェンリルのあまりに直球な物言いに、そういえば思い切り吐いてしまったと、年頃の女子として羞恥心が湧き上がってくる。その代わりと言ってはなんだが、演劇を見たことで生まれていた過度な緊張は和らいでいるようだった。カルディアは微妙な気持ちのまま、先を歩くフェンリルの後をついて行った。




