騎士団長と辺境伯
"ヴィンセント・ベリウス"
王都フォルトゥナに住む者で、この名前を知らない人はいない。騎士団長の肩書きに違わぬ剣の腕は王国でも指折り。その優秀さは剣技に留まらず、頭脳明晰かつ眉目秀麗。彼の聡明さを民衆は讃え、甘い顔立ちは世の女性を虜にしている。
人々は言う、彼こそが【戴冠せし者】に相応しいと。
「団長、アストラ辺境伯がいらしております」
「通せ」
ヴィンセントは、書類から顔も上げずにそう言った。扉が音もなく開き、長身の男が滑り込むように入ってきた。
「お前が王都まで出てくるとはな。一体どう言う風の吹き回しだ?」
男は執務机の手前にあるソファに腰掛けると、何か考えるように沈黙していた。ヴィンセントも、男の返答を急かしたりはしない。フェンリル・アストラとはそれなりに古い仲で、彼が話下手なのは理解していた。昔から、伝えるべきことを精査して、頭の中で全て並べ終えてしまってからでないと、口を開かない男だった。加えて言葉足らずなので、よく周囲を混乱させている。
「……陛下から、【戴冠せし者】の選出に参加するようにとのお達しがあった」
「陛下から直々にか?……あの噂も、あながち間違いではないかもしれないな」
「噂?」
「今回の【戴冠せし者】選出は、王女殿下を王妃にするためのもの。要するに、姫の婚約者探しという噂だ」
王が後妻の娘であるイザベラを溺愛しているというのは、貴族の間では有名な話だ。コンコルディア家が王位を継承するようになってからの約三百年間、一度も行われていなかった【戴冠せし者】の選出を急に執り行うことにしたのも、【戴冠せし者】をイザベラの婚約者とし、彼女を将来的に王妃へ据えるためだともっぱらの噂だった。
「お前は姫に随分気に入られていただろう」
「そうなのか?」
「相変わらず鈍い奴だな。だが……もしお前が王になれば、北部は一層厳しくなるんじゃないか」
「……王になる気はない」
北部の国境沿いでは、数十年に渡って隣国カザールとの小競り合いが続いている。つい先月も、カザールの騎馬隊が国境壁を破ろうと進軍してきた。しかし、カザールが国境を越えウェリスタスに入ったことは未だ一度もない。北での戦いが"小競り合い"程度で済んでいるのは、ひとえに北部を守るアストラ家の働きによるものだった。
「兄上も居ない今、アストラの直系は俺だけだ。傍系に家は任せられない」
「相変わらずの純血思想だな。俺は、優秀な人間に血筋は関係ないと思うが」
フェンリルは応えなかった。少しの間沈黙があり、珍しくフェンリルから口を開いた。
「ヴィンセント、君は【戴冠せし者】の選出には参加するのか」
興味もないだろうにそんなことを聞いてくる。話題を変えたかったのだろうことは察せられるが、それで【戴冠せし者】について話し出すあたり、やはり口下手な男だなとヴィンセントは苦笑した。
「あぁ、する。俺に負けるような無能に、王になられたら困るからな」
「そうか」
「お前が【戴冠せし者】になるなら、悪くなかったんだが」
「……」
ようやく書類に目を通し終えて顔を上げると、フェンリルが窓の外を眺めていた。その視線の先にある訓練場では、騎士たちが剣の稽古に励んでいる。そこでふと、"サイラス・レーラント"と名乗る生徒を馬に乗せてやった時のことを思い出した。
「そう言えばお前、セシルの弟に会ったことはあるか?」
「セシル?」
「セシル・レーラント。今は確か王国軍にいる」
「あぁ……。弟に会ったことはないが、噂を聞いたことはある」
噂というのは間違いなく、黒髪金眼という容姿についてだ。俗世に疎いフェンリルでも知っているあたり、かなり知れ渡っている話なのだろう。
「弟がどうかしたのか」
「あぁ、いや。ただ、前に一度乗馬を教えてな」
「乗馬を?」
「厩舎で馬を前に呆然としていたんだ。どう見ても初心者だろうに、乗ったことがあると言い張って……。可愛らしくて揶揄ってしまった」
フェンリルがあからさまに顔を歪める。いつも無表情な男なので、なんだか珍しいものを見た気分だ。あくまで珍しいというだけで、見て面白いものではない。
「なんだ、その顔は」
「いや、いきなり"可愛らしい"なんて言うから」
「それだけで、そんな化け物でも見たような表情になることないだろ」
「……すまない。君が男相手にそんなこと言うとは思わなかったから、気持ち悪くて」
「お前なぁ……」
フェンリルは婉曲な物言いというのを知らないらしい。ヴィンセントは呆れて口を噤んだ。そうして、自分が乗馬を教えた生徒について思い出す。サイラス・レーラント、レーラント伯爵家の次男、セシルの弟。しかしあれは……。
「お前も、【戴冠せし者】の選出が終わるまでは神殿にいるんだろう?もし会ったら優しくしてやってくれ。あの容姿じゃ、何かと苦労するだろう」
「あぁ」
またあの子が、自分に馬術を教わりにくればいいと考える。それか、神殿内で出くわすことがあるかもしれない。そうすれば、色々と確かめることもできる。そんなことを思いながら、ヴィンセントは機嫌良く目を細めた。




