鳴らない鼓動
教室中の視線が、こちらに向いている。廊下にまで野次馬ができている。その原因は、カルディアの目の前にいる少女にあった。
「お願いよ、レーラントさん!」
ふわふわの金髪、薄く上気した頬、可愛らしい桃色の瞳。ウェリスタス神国第一王女にして、学校一の人気者。イザベラ・コンコルディアだ。
「お願いって、いったい何を……」
「あら、わたしったら説明していなかった?これを見て!」
差し出されたのは薄い冊子だった。表紙には大きな字で、『竜と戴冠者』と書かれている。
「来週の芸術奨励会でやるお芝居なの!貴方に、どうしても出てもらいたくって」
「私に出て欲しい?」
「えぇ、実はね――」
イザベラによると、劇の準備自体は随分前からしていたらしい。彼女自身、周りに勧められて出ただけで、そこまで熱心に取り組んだわけでもなかった。しかし、昨日【戴冠せし者】の選出が正式に公布されたことで、事情が変わったということだった
「芸術奨励会は来週……つまり、来月の初日にあるの。【戴冠せし者】の候補者達が、フォルトゥナ神殿に集まってくる日よ。そのことを知ったお父様が、折角だから候補者達の前で劇を披露してはどうかって」
「は、はあ」
「でもそうなったら、中途半端な物は披露できないでしょう?それでどうしようかって考えて、貴方に参加してもらうのが良いって思ったの!」
全く話について行けていないカルディアをそのままに、イザベラは冊子――おそらく劇の台本だろう――をぺらりとめくり、ある一箇所を指差した。
「『竜と戴冠者』って題名から分かる通り、建国神話を元にしたお芝居でね。貴方にやってもらいたいのは、"咎の娘"役よ!」
「――っ!」
"咎の娘"その言葉を聞いたカルディアは、緊張からぐっと胸元を握りしめた。
「大丈夫、大した台詞はないのよ。出番自体多くないし、すぐに覚えられるわ」
「で、でも……娘役、ですよね?私は男ですし」
「そんなの分かってるわ。だいたい貴方が女の子だったら、本物の咎の娘ってことじゃない。恐ろしくて声なんて掛けられないわ!呪い殺されちゃうかもでしょ?」
そう言ったイザベラが、悪戯っぽく笑う。カルディアは、今すぐ立ち上がって、ここから走り去りたい気持ちでいっぱいだった。
「"咎の娘"は黒髪金眼でしょ?髪の色はまだしも、目の色なんて変えられないもの。黒髪金眼の貴方が参加してくれたら、きっと良いお芝居になるはずよ!」
「だけど私は……」
「正直、わたしも貴方のことが怖いの。でも、一緒にお芝居すればそんな気持ちもなくなるかもしれない。ね、貴方にもお友達が出来るかもしれないわよ?」
悪意なんて一つも無さそうな弾んだ声音でイザベラが言う。どうすれば断れるのか、どうすればここから立ち去る事が出来るのか、そんな問いだけが頭の中に浮かぶ。
「受けてくれるなら、この台本――」
「お前、何してんの?」
「あら、お兄様」
冷たい声でイザベラの話を遮ったのは、いつの間にやら教室に入ってきていたレオだ。レオの視線が、イザベラの持っていた台本に向く。
「『竜と戴冠者』?」
「来月の芸術奨励会で披露する劇よ。レーラントさんにも出て欲しくて」
「コイツが劇に?」
レオが訝しげにカルディアを見る。カルディアは、何度も無言で首を振ると、口をぱくぱくと動かした。
(た・す・け・て)
レオが深々とため息をついた。カルディアは祈るような気持ちで彼を見つめる。
「それ見せろ」
「えぇ。レーラントさんには"咎の娘"役をして欲しいの」
「"咎の娘"、ね」
レオは台本をパラパラと捲り、一通り目を通すと、イザベラへと投げ渡した。
「建国神話をいじくり回しただけじゃねえか。コイツの参加はナシ、却下だ」
「なっ、どうしてお兄様が――」
「お前と親父の自己満足でお遊戯を披露するのは勝手だが、俺の周りでちょろちょろすんな。鬱陶しい」
「っ〜〜〜!!そんな言い方……もういいわ!退いて!!」
イザベラは椅子に座っていたカルディアを突き飛ばすようにして、バタバタと教室を去って行った。いきなりの出来事に、教室は騒然としている。
「おい、立て。行くぞ」
安堵で放心していたカルディアの腕を引っ張り、レオが立たせる。そのまま裏庭まで連れて行ったかと思うと、レオは手を離して芝生に寝転がった。
「お前も今日はサボれば?あそこじゃ落ち着かねえだろ」
「……もし咎の娘が目の前にいたら、殿下はどうしますか?」
「ンだよ、いきなり。さっきのこと気にしてんの?」
「……そんなことは」
「ない」とは言えなかった。咎の娘というのは、カルディアにとって、切っても切れない関係にある存在だったからだ。
咎の娘とは、ウェリスタス神国の建国神話に登場する、神殿仕えの娘の呼び名だ。
建国神話によると、娘は神竜フォルトゥナの力を我がものにするため、封じられていた滅竜を呼び起こし地上に災禍をもたらしたのだという。その争いによって神竜は亡くなってしまうが、咎の娘も代償を払ったとされる。神竜に心臓を喰いちぎられ、死してなお消えない呪いを受けたのだ。神話には、『咎の娘は、その代価として心臓を喰い取られる。漆黒の髪、薄金色の瞳、胸に傷を持ち心臓を持たぬ。その姿のまま、贖罪を果たすまで永劫終わらぬ輪廻に囚われる。』とある。
この国で黒髪金眼が恐れられるのは、この神話のせいだ。特に女は悲惨だった。男であれば不気味がられるだけで済むが、女の黒髪金眼は神話と同じく"咎の娘"の生まれ変わりとされ、ほとんどが生まれた時点で親の手によって殺される。運良く殺されずにすんでも、異端審問会に捕まれば、まず間違いなく極刑に処されるだろう。
「黒髪金眼の女なんて、ここ百年近くは生まれてないって話だ。だいたいお前は男なんだし、そう重く考えることでもねえだろ」
「…………」
レオの言葉に、カルディアは返事をしなかった。もし正体がバレたら、退学じゃ済まない。それはカルディアが、正真正銘"咎の娘"だからだ。
*
気落ちした様子を見かねたレオに促されるまま、カルディアは自室に戻った。一つ一つボタンを外し、服を脱いでいく。胸を潰しているサラシを外せば、それはバサリと音を立てて床に落ちた。
晒された胸元には、大きく、痛々しい傷跡があった。生まれた時からあるそれに、そっと手を当ててみる。
(…………)
本来あるはずの鼓動が、そこにはなかった。脈はあるのに心音がない。カルディアには心臓がないのだ。生まれた時からこうだった。
胸の傷については、レーラント家の人たちも知らない。顔も思い出せない母親に、「その胸の傷だけは誰にも見せてはいけない」と最後まで口酸っぱく言われていたからだ。
もし誰かに正体がバレて、異端審問会に突き出されでもしたら……待っているのは絞首台だ。いや、火炙りにされるかもしれない。鬱々とした気持ちで、床に蹲る。頬を伝う涙が、恐怖によるものか寂しさによるものか、自分でさえも分からなかった。




