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ただの使用人の女ですが、伯爵家次男の振りをして士官学校に入学します  作者: 睦見むに
序章

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乗馬の手解き


 つつがなく授業を終えた教室、カルディアは一人、机の上に置いた用紙を見つめ、頭を悩ませていた。先ほど教師より配られたそれは、選択授業の希望を書くためのもの。今日中に、全員提出するようにとの指示が出ている。


「選択授業……」


 剣術、槍術、馬術、魔法術、古代フォルトゥナ史、用兵学、薬学、貿易学。全てあげればきりがないほど種類豊富なそれらから、最低でも一つ、最大で五つまで選んで受講することができる。人と関わる機会は減らした方がいい、当然カルディアは一つしか受講しないつもりだった。しかし、その一つを選ぶのが難題。貴族が通う由緒正しい学校だけあって、授業のレベルは全体的に高い。選択授業もなれば、専門性も上がってくるだろう。ろくな教育も受けておらず、文字を読むのがやっとなカルディアがついていけるはずもない。要するに、出来るだけ難易度の低い授業を選びたかった。

 

「なに唸ってんの、お前」


 飛んできた声にハッと顔を上げれば、隣に座るレオ・コンコルディアが、退屈そうにカルディアを見ていた。


「選択授業を、どうしようかと」

「選択授業?あぁ……おい、それ貸せ」


 レオはニヤリと口端を歪めると、カルディアの用紙をすっと掠め取った。王族にあるまじき手際の良さだ。


「あの、一体何を」


 カルディアが思わず立ち上がって彼の手元を覗き込めば、希望用紙の枠内にサラサラと文字が書き入れられていく。


「悩んでたんだろ?こういうのはさっさと決めたほうがいい」

「馬術?」

「担当はぼーっとした爺さんだし、適当に馬に乗るだけで、筆記も実技もなし。その割に人気がねえから人も少ない」


 確かに、筆記も実技もない上に、人が少ないというのはカルディアにとっては好条件だ。


「でも、なんで私を」

「兄貴に聞いたんだが、馬術はペアワークが多いらしい。媚び売られるのも、色目使われるのもごめんだからな。その点、お前なら楽だろ?」


 レオが用紙を渡してくる。カルディアはそれを受け取ると、少し考えてから頷いた。


(他に受けたい授業もないし、条件も悪くないよね)



 それから三日後、カルディアは馬術の授業を受けるため、神殿裏の訓練場に来ていた。隣にいるレオは、ポケットに両手を突っ込んで大きな欠伸をしている。事前にレオから聞いていた通り、馬術の受講者は少ないようだった。せいぜい十四、五人といったところだ。


「場内を自由に乗ってきなさい。ペアを組んで、お互いに気づいたことを指摘しあうように。分かってると思うが、神竜の森には入っちゃいけないよ」


 馬術の担当教師であるドナートは、授業の前置きもまずまずにそう言った。生徒達はそれぞれペアを組んでその場を離れていく。残されたのは、木の根元に背を預け目を閉じるレオと、どうすればいいか分からず立ち尽くすカルディアだけだ。


「殿下、どうします?」


 カルディアが尋ねるが、レオからの返事はない。目を瞑り、安らかに息をしている。狸寝入りしてるんじゃないのかと疑いたくなる寝つきの良さだ。

 カルディアにとって最良の選択と思われた馬術の授業には三つ大きな問題があった。一つ目は、馬術経験があることを前提とした授業なこと。カルディアは馬に乗ったことなどないが、そんな初心者向けの指南はしてくれない。二つ目は、カルディアとレオ以外の生徒はみんな自分の馬を連れてきていること。自分の馬がいない生徒は厩舎から借りてくるよう言われたが、正直馬を借りるというのもどうすればいいのか分からない。三つ目は、カルディアのペアが目の前で惰眠を貪るぐうたら王子なことだ。


「早く馬を借りに行きましょう」

「ヤダ、寝る」

「やっぱり起きてたんですね。ペアワークなんですから、一緒に来てください」

「あ?サボれば良いだろ」

「貴方が私を誘ったんですよ!」

「……じゃあ馬連れてきて。ここで待っとくから」

「待っとくって……はぁ、分かりました」


 これ以上の譲歩は望めないことを悟り、カルディアは一人厩舎へと向かった。中に入ると、立派な体格の馬が何頭も並んでいる。ここから自分の乗る馬と、レオの馬の二頭を連れて行けばいいのだ。


(……どうやって?)


 ここまで来たはいいものの、肝心な馬の引き方がわからない。だいたい、こんな素人が一人で馬に近づいて大丈夫なのだろうか。下手したら蹴り飛ばされそうだ。


「とにかく、何か紐とかつけなきゃ連れて行けないよね。ど、どれだろう……」


 下手なことをしてしまうよりは、戻って殿下にやり方を聞いた方がいいかもしれない。いやそもそも、殿下はまるでやる気がなさそうだったし、ここで授業終わりまでやり過ごせれば……。カルディアは、この状況をどうするべきかとぐるぐる思考を巡らせていた。そうしてしばらく右往左往していると。


「そこで何をしている?」


 低く、よく通る声が背後から響いた。カルディアの肩がびくりと跳ねる。


「あ、あの、私は」


 思わず震える声で呟きながら振り返る。そこにいたのは、腰に剣を提げた一人の男だった。

 見上げるほど高い身長、薄茶色の柔らかそうな髪は首ほどまでの長さをしている。少し太めの整った眉に、垂れ目、薄い唇、すっと通った鼻梁。顔立ちだけ見れば女性受けすること間違いなしだろう。しかし男の持つ翡翠の瞳は、ゾッとするほど冷たい色を帯びていた。


「馬術の授業で、馬を、借りようと……」


 カルディア自身も、どうして自分がここまで目の前の男に萎縮しているのか分からなかった。悪意や嫌厭は慣れきった感情であったし、威圧感という意味なら、目の前の男よりレーラント伯爵の方がよっぽど威圧的だった。


「……」


 男は黙ったまま、足音も立てずにカルディアへと歩み寄ってくる。後ずさることもできないカルディアの前までやって来ると、ぐっと身を屈め、顔を覗き込んだ。


「君、士官学校の生徒?」


 先ほどとは打って変わって、柔らかい声音だった。男は身を屈めたまま、ぱちぱちと目を瞬かせる。カルディアが無言で頷くのを見ると、おもむろに体勢を戻す。


「馬術の授業か、珍しいね」

「え、あ……はい。ほとんどの人は、自分の馬を連れてきているみたいです」

「え?あー、確かに。厩舎の馬を借りる人も珍しいね」


 男は微笑むと、近くにいた馬に鞍をつけ始めた。カルディアは落ち着かない気持ちで、視線を彷徨わせる。


「ここの馬は騎士団が管理しててね、俺も騎士団の人間なんだよ。ヴィンセント・ベリウス、よろしく」

「……サイラス・レーラントです」


 カルディアが名乗れば、ヴィンセントは驚いたように目を開いた。


(騎士の間でも、サイラス様の黒髪金眼は有名なのかな)


 自分も黒髪金眼だからだろうか、なんだかどこにも逃げ場がないような、居た堪れない気持ちに苛まれる。対するヴィンセントは、感情の読めない瞳で、カルディアをじっと見つめていた。


「君が、サイラス・レーラントなのか?」

「? は、はい。そうですが」

「…………そうか、こんなところでセシルの弟に会うなんてね」

「セシ、兄上とお知り合いなのですか?」

「うん、一応ね」


 ヴィンセントは馬に鞍をつけ終えると、左手で馬の手綱を引き、もう片方の手をカルディアへと差し出してきた。意図が読めず困惑するカルディアに、ヴィンセントが優しく微笑む。


「サイラス、馬に乗ったことは?」

「あ、あります」


 もちろん嘘だ。だが、"サイラス"は乗馬の経験があるはず。ならば初めてだとは言えない。ヴィンセントはくすりと笑い声を漏らすと、固く握っていたカルディアの左手を取った。


「え?あの」

「基礎が出来ているか、お兄さんが見てあげよう」


 ヴィンセントはそう言うと、カルディアの手を取り厩舎から出る。たどり着いた先にあったのは、王立騎士団が使用している訓練場だった。


「それじゃあ、まずは跨るところからだ。一人で乗れる?」


 乗れないが、乗れないとまずい。こんなことで正体がバレるわけにはいかない。意を決したカルディアは、とりあえず近づいてみることにした。しかし、これからどうすれば良いのか分からない。そうして立ち尽くしていると、隣からじっと視線を向けられているのを感じた。


「その、久しぶりなので」


 何も言われていないのにも関わらず、カルディアは言い訳でもするようにそう溢した。ヴィンセントは小さく笑うと、左手に手綱を持ったまま、身を屈めて右手を低い位置に差し出す。

 

「左足を乗せて。体が持ち上がったら、右足を向こう側に回すんだ」

「左足を、こうですか?」


 なんだか気後れしながらも、手袋をつけたヴィンセントの手に足を置く。それを確認したヴィンセントは、にこっと悪戯っぽく笑った。


「それじゃあ、いくよ」

「うわっ!」


 掛け声と同時に、ヴィンセントの手に載せていた左足がぐんと押し上げられた。いつの間にか視界が高く上がっていて、慌てて右足を反対側へと回す。持ち上げられた勢いのまま鞍に跨ったのだ。慣れない高さに、思わず身を低くしてしまう。


「た、高い」

「ほら、(あぶみ)に足を乗せて。俺が手綱を引くから、君は乗っているだけでいい。高さと、揺れるリズムに慣れるんだ」


 そう言われて恐る恐る身を起こせば、いつもより高い景色が新鮮に映る。馬は、ヴィンセントに従ってゆっくりと歩いている。穏やかな風が吹いていて、遠くで騎士たちの剣を打ち合う音や快活な話し声が響いている。ついさっきまで、早くヴィンセントの側から離れたいと考えていたことも忘れて、カルディアは穏やかな心地で馬に乗っていた。


「そろそろ授業が終わる頃かな」


 しばらく歩いた後、ヴィンセントはカルディアの手を取ってそう言った。彼女を地上に下ろすと、そのまま馬を厩舎へと引いていく。カルディアはその後ろを黙ってついて行った。


「どうだった?初めての乗馬は」

「お尻と足が痛いです。でも、意外と楽しかった……え?」


 今、ヴィンセントは何と言った?カルディアは脳内で彼の発言を反芻する。間違いない、彼は確かに、「初めての乗馬」と言ったのだ。まあ、あれだけ素人感満載の様子だったのだから、隠し通そうというのも無理がある話だったかもしれないが。


「やっぱり、気づいていたんですね」

「厩舎で慌ててる姿を見たらね。可愛かったから、知らないふりしちゃったけど」

「か、可愛い」


 男性同士でも、そういう言葉が出るものなのかと驚く。褒められているのか貶されているのかは判然としない。ヴィンセントが馬を厩舎に戻すのを眺めながら、この人は危険かもしれないと考えていた。なんとなくだが、勘が良いというか、観察眼がある感じがする。正体を隠し通す為にも、あまり関わらないようにしようと胸の内で決めた。


「また授業があったら、騎士団の訓練場までおいで。一人で馬に乗れるようになるまで、お兄さんが手伝ってあげるよ」


 ヴィンセントはそれだけ言うと、「バイバイ」と手を振って行ってしまった。それを見届けて、カルディアも学校用の訓練場へと戻る。


(そういえば、殿下のこと放置しちゃってた)


 馬を連れてくると言った手前、多少申し訳なく思いながらレオの居た場所に戻る。当の本人は、別れた時と寸分違わぬ姿勢で木に寄りかかり、安らかに寝息を立てていた。この王子の怠惰さは、一周回って尊敬に値するほどだ。


「……殿下、起きてください。次回の連絡をするから一度集まるようにって」

「ン……。もう終わったのか」

「終わりました。ぐっすりお休みでしたね」


 皮肉のつもりで言ってみる。レオは全く気にした様子もなく立ち上がると、意地の悪い笑みを浮かべた。


「最後まで起こさねえなんて、意外と気利くな」

「今回は色々あったから……次は無理にでも起こしますからね」

「出来るもんならな」


 ヴィンセントは優しく乗馬を教えてくれたが、第一印象の恐ろしさもあってか無意識の内に緊張していたらしい。レオとの他愛無い会話で気分が落ち着くのを感じながら、その日の馬術を終えたのだった。


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