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ただの使用人の女ですが、伯爵家次男の振りをして士官学校に入学します  作者: 睦見むに
三章

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贖罪の山羊


 レオは自室のベッドに腰をかけると、目を閉じたまま今後のことを計画していた。失踪事件に関する手がかりは未だなく、解決の兆しは見えない。そもそも、自分の目的は海淵の石を手に入れることであって、この町で起きている問題を解決することではないのだ。であれば、ここで海淵の石を入手することは諦め、事件前にハルジオン外部へ売られた石を探す方が手っ取り早いのではないか。そんな風にレオが結論づけた時、控えめなノックの音が聞こえ、部屋の扉が開かれた。目を開けてそちらを見やれば、眉を下げたファルサが立っている。何か用かと問いかけると、ファルサはおずおずと口を開いた。


「レーラントさんが、帰って来ないんです。な、何かあったんじゃないかと……」

「はぁ……知るかよ、ンなこと。ようやく観念して、ミラフォッサに戻ったんじゃねぇの」

 

 心配そうに目を伏せるファルサに対して、レオはあからさまに不機嫌な声音で返した。“レーラント”という名さえ聞きたくない様子だ。


「そ、そんなはずは……。今朝、日暮前には戻ると言っていたんです。それに、その、もしかしたら、彼が」

「彼?」


 何やら不穏なファルサの言い様に、レオが反応した。言い淀むファルサに、鋭い眼光を向ける。


「オイ、お前何か知ってんのか?」

「それは、その……。えっと……ただ、レーラントさんが危ない目に遭ってると、お、お知らせしようと……」

「……危ない目に遭ってるだって?何でそう言い切れる」

「あ……」


 迷ったように視線を揺らすばかりのファルサに痺れを切らしたレオは立ち上がると、彼に詰め寄る。後退りするファルサの胸ぐらを掴み上げ、低い声で短く言った。


「洗いざらい吐け」


 ガタガタと地揺れでも起きたかのように、家が揺れている。窓の外では、鳥の群れが何かから逃げるように一斉に飛び立ち始めていた。ファルサは、それらの原因である強い魔力の圧に足を震わせながら、何度も頷き語り出した。



 ハルジオンに生まれた少年は、たった一人の病弱な妹と、身を寄せ合うように路地裏で暮らしていた。いつもお腹を空かせていて、残飯を探して飲み屋やパン屋のゴミ箱を漁る毎日。今日も今日とて、物乞いをしながら少年の帰りを待つ妹のために、ゴミ箱に手を突っ込んでかき回している。


「あった!」


 手のひらほどのパンを見つけた少年は、それを服で擦ると笑った。昨日は妹に何も食べさせてやれなかったから、早く持って帰ってやろうと振り返る。しかし、視界を遮る大きな壁が彼の行く手を阻んだ。顔を上げた先に居たのは、飲み屋の店主だった。少年は今しがた見つけたパンを慌てて服の下に忍ばせる。


「このクソガキが。また店のゴミ箱漁ってやがったのか」


 店主は脇にあった箒、その穂先近くの柄を持ちながら言った。少年は逃げ道を探して視線を彷徨わせてるが、完全に袋小路でどうしようもない。


「お前みたいな汚いのがいちゃ、客が寄り付かねえんだよ!!」


 箒の柄が、少年の肩めがけて力強く振り下ろされる。少年は地面に膝をつくと、痛みに顔を歪めた。


「いい加減にっ、しろ!!このくそったれが!」


 何度も何度も振り下ろされるそれから身を守るように、両手で頭を抱えたまま、少年はじっと蹲っていた。


「ごめん、これだけしかなくて」

「ううん。怪我してるんだから、お兄ちゃんが食べなよ」

「俺は腹減ってないからいらねぇの!お前が食えよ」


 妹の待つ路地裏に戻った少年は、どうにか手に入れたパンを妹に差し出した。全身痣だらけの兄を心配する妹になんでもないと笑って見せる。強がりとは裏腹に痛む体を摩りながら、少年は硬い地面に横たわり目を瞑った。


「ごめんね、お兄ちゃん。私役立たずで」


 隣に座る妹が、そんなことを口走る。


「何だよ、いきなり」

「だって、私はいつもお留守番で、お金も稼げないし、ご飯も探せないし。お兄ちゃん、こんな怪我して帰ってきたのに」

「別に、大した怪我じゃねえもん」

「そんなことないよ……。ねえ、明日からは私も、お兄ちゃんと一緒に行きたい」

「はぁ!?ダメに決まってるだろ!お前は体が弱いんだから、ここで大人しくしとけ」


 少年は食い下がろうとする妹に背を向けると、改めて目を閉じ、今度こそ眠りについた。

 

(高そうな服だな……)


 翌日、少年は懲りもせずに町中のゴミ箱を漁っていた。目ぼしい収穫もなく落胆していると、町を歩く細身の男の後ろ姿が目についた。装いからして、男はハルジオンの外から来た人間のようだ。仕立ての良い服を着て、長い脚で姿勢良く歩いている。男は懐中時計を手に取ると、文字盤を確認してポケットに戻した。服と同じで、あの時計も相当に値の張るものとみえる。少年はごくりと生唾を飲んだ。あれがあれば、自分も妹もしばらく腹一杯食べられるだけの金が手に入るだろう。


(だけど、盗みがバレたらこっぴどい目に遭うんだよな……)


 日々の暮らしが苦しい少年は、当然盗みに手を染めたこともあった。むしろ、しばらく前まではそれが生活の基盤となっていたほどだ。しかし、一度捕まり半殺しの憂き目にあってからは、もう恐ろしくなってスリからは足を洗った。だが、昨日もそうだが、このところはゴミ箱を漁ることすら安心してできやしない。だったらこっちの方が余程良いものが手に入るし、体の弱い妹に滋養のあるものを食べさせてやりたかった。


(……よし)


 少年は足音を立てずに路地に入ると、男の正面に回り込んだ。男の視線に自分が入っていないことを確認すると、自然な様子ですれ違う。その一瞬の隙にポケットに指を差し込み、懐中時計を抜き取った。それを素早く反対の手に持ち替え、素知らぬ顔で通りすぎる。上手くいった。思わずにやける顔のまま角を曲がろうとしたところで、背後から誰かに腕を取られた。心臓が跳ねる。勢いよく振り返れば、そこに居たのは少年が懐中時計を盗んだ、身なりのいい男だった。


「なっ、なんだよ」

「すまないが、私の持ち物を返してくれないか?」

「何の話だよ!離せ!」


 ぶんぶんと腕を振り回す少年に、男は困ったように眉を下げた。男はあくまで穏やかな様子で、自分のものが盗まれたことに怒りは感じていないようだった。


「それは、大切な物だから……。代わりにこれをあげよう」


 男はそう言うと、懐から貨幣袋を取り出し、少年に差し出す。しかし少年は、より強く懐中時計を握りしめた。


「おや、不満かな?」

「袋いっぱいの銅貨より、この時計の方がよっぽど金になりそうだ」


 少年はもう、自分が盗みを働いたことを隠す気はなかった。どうせこいつは体のいい話で時計を取り返したら、自分を警備隊あたりに突き出すに決まっている。だったらこの時計を持って、どうにか逃げ切る方法を探るまでだ。


「あぁ、なるほど……。ほら、見なさい」


 少年の言い分を聞いた男は、貨幣袋の口を片手で開けて見せた。少年は驚きぱちぱちと瞬きをする。袋には数え切れんばかりの金貨が入っている。思わず少年の懐中時計を握る手が緩んだのを見ると、男はすっと指を差し入れてそれを自分の手に取り戻した。それから貨幣袋を少年の目の前に置くと、くるりと踵を返す。


「それでは」


 男はそれだけ言うと、元来た道を戻って行った。

 少年はしばらく呆然としていたが、ハッとして貨幣袋を大事に抱えると、ねぐらにしている路地裏へと駆けた。自分を待つ妹に、この話を聞かせてやらなくては。


「ただいま!聞けよ、さっき――」


 興奮冷めやらぬ様子で口を開いた少年だったが、そこに妹の姿がないと分かると口をつぐむ。あまり動くのはきついだろうから、大人しくしていろと言い聞かせていたのに。少年は貨幣袋を懐に忍ばせると、妹を探し町中を走った。走って、走って、日の暮れる頃。道の向こうに人だかりが見えて近寄った。


「箒で何十回も殴られたんですって」

「いくら何でもあんな子どもを、可哀想にねぇ」

「昨日も叩かれてた男の子がいたでしょ?後ろ姿が似てたから、薄暗いのもあってあの子だと勘違いしたんですって。何回言ってもやめないから、ちょっときつくお仕置きしてやろうって思ったとかで」

「だとしてもよ。あんなになるまで殴るなんて、普通じゃないわ」


 女性たちが、そんな風に話すのが耳に入った。人だかりの中心にあるのは、昨日少年を、痣だらけなるまでに殴った男の店だ。少年は人の隙間を縫うようにして進むと、最前列までやって来た。俯き立ち尽くすあの店主の横で、眼鏡をかけたくせ毛の男が膝をつき、悲痛な面持ちで何かを確認している。


「……亡くなって、います」


 眼鏡の男がポツンと呟いた。少年は、男の足元に横たわる細い体に目を向ける。枝のように細い手足、自分と同じ色をした、自分より長い髪。目の閉じられた青白く痣まみれの顔が目に留まった。昨日、自分の隣で心配そうに目を潤ませていた少女だった。


「…………何してんの?」


 事態を理解できず立ち尽くしたまま問う少年に、眼鏡の男が何やら声をかけてくる。彼女のことを知っているかと聞かれ、頷いた。妹だと答えると、眼鏡の男は苦しげに顔を歪めて言う。


「そ、その、ごめんなさい。僕がもっと、早く止めていれば……」

「…………」

「えっと、ご遺体は……どうしますか?」


 分からないと小さく言った。それからは、流されるままにことが過ぎた。ミンスという名の眼鏡の男は、町の外れに小さな墓を建てると、そこに妹を弔ってくれた。虚ろな目をして、涙のひとつも見せない少年に、ミンスはひどく気を揉んでいた。

 それから数日後。少年は一人、路地裏に横たわっていた。貨幣袋の金貨は一枚も減っていない。使う気もわかなかった。妹が死んだ実感はなく、今も目を閉じれば、横から小さな寝息が聞こえてくる。そんな幻聴に紛れて、誰かが土をふむ音がした。足音は、徐々に近づいてくる。真横に気配を感じ、これは幻ではないと気づいて目を開けた。そこでは、あの日少年に貨幣袋を寄越した男がじっとこちらを見下ろしていた。


「…………」


 今更になって、コソ泥を懲らしめに来たのだろうか。殺すなら殺せばいい。少年は横たわったまま、そんなことを思う。


「可哀想に」


 男は長身を屈めてこちらを窺っている。


「何も持たなかった君は、唯一の肉親まで奪われたのだね」

「なんで、そのこと……」

「私たちは、生まれながらに搾取されている。憎くはないかい?」


 男の目が爛々と光っている。狂気に満ちた声音だった。


「憎い、って……言われても」


 妹の死すら受け入れられていない少年は、細い声でそんな言葉を返した。


「君の妹は、棒で打たれ、苦しみながら死んだんだ。きっと死に際、君に助けを求めただろうね」

「――っ!」


 妹が自分に助けを求めたはず、その一言で急に目の前が真っ赤になった。色のない顔で横たわった、妹の最後の姿が脳裏をよぎる。

 

「君の妹を殺した男は、大した罰も受けずに、これかはものうのうと生きていく」

「そん、なの――」

「許せないだろう?だったら君は、立ち上がらなくてはならない。私たちは、英雄面してこの地に蔓延る叛徒どもを、打ち滅ぼさねばならないのだよ」


 男は白い手袋に包まれた手を、少年に差し出した。少年は半ば無意識に、その手を握り返した。男は町外れまで少年を連れて行った。そこにある石造りの家の扉を叩くと、快活そうな青年が出てくる。知り合いというわけではないようで、青年は不思議そうに首を傾げていた。


「君、ノヴァ・サピエンタに師事していた錬金術師で間違いなかな?」

「そうですけど……先生のご友人ですか?」


 尋ねた青年に男は微笑むと、いつの間にか手にしていた小さなナイフで、青年の胸を一突きした。青年は胸から血を噴き上げながら、地面に崩れ落ちる。少年は、唐突に起こった惨事に、声を上げることもできず足を震わせていた。男はなんてことない様子でナイフの血を振り払うと、笑顔で少年に向き直った。


「この男の立場は便利だ、成り代わらせてもらおう。何、この地に彼の知り合いがいないことは調査済みだし、師であるノヴァ・サピエンタも、弟子の近況を気にするような人間じゃない。しばらくは良い隠れ蓑になるはずだよ」


 青年はすでに息を引き取っていた。少年は震える足で後ずさる。それと同時に、背後の茂みからがさりと音が鳴った。男も少年も、そちらに視線を向ける。そこに居たのは、ひどい癖毛をした眼鏡の男だった。


「……ミンス」


 少年が名を呼べば、ミンスは怯えたように引き攣った声を出した。


「おっと、見られてしまったか」

「ぼ、僕は、ただお墓参りに来てただけで……!」


 墓参り。こんなところにある墓なんて、少年の妹のもの以外にない。自分ですら訪れていなかった墓に、赤の他人であるミンスが来ていたのかと驚くとともに、こんな場面に居合わせた彼の不幸に同情していた。


「だったら何だというんだ?」


 少年の隣に立っていた男が、ミンスに向かって歩み寄る。ミンスはすっかり腰が抜けてしまったようで、地面に尻をついて震えていた。このままでは殺される、そう思った瞬間、少年は声をあげていた。


「ま、待って!!」

「……どうしたんだい?」


 男が振り返る。少年は慎重に言葉を選んだ。


「そいつは、殺さないでくれ」

「……難しいお願いだな。見られてしまった以上、捨て置くわけにはいかない」

「で、でもっ!――あっ」

 

 少年が食い下がる間もなく、男はミンスの胸にナイフを突き立てていた。先ほどの青年と同じく、あっけなく人が死ぬ様が目に映る。心のどこかで、妹はもっと苦しんで逝ったのだろうと思った。


「そ、そんな……」


 ミンスのそばに蹲る少年に、男はわざとらしい口調で言う。


「すまない、そんなに悲しむとは思わなかったんだ。だがそうだな……一つ良い方法がある」



 海に浮かぶ船、その檻の中。カルディアは両手足を縛られたまま、"癖毛に眼鏡のファルサ"がレオに話しているのと同じ話を、目の前の少年から聞いていた。


「それであの人、俺の魂を二つに分けて、片方をミンスの死体に入れたんだ。死んだ直後なら魂の残滓があるから、俺の魂を使えばそれを繋ぎ止めることくらいできるかもしれないとかでさ」

「……それは、上手くいったの?」

「うーん、よく分かんない。でもほら、向こうの俺ってなんかオドオドしてるし自信なさげじゃん?喋り方とかもそれっぽいし、割と本当かなって思ってる」

「それじゃあ結局、君は……。私がファルサさんだと思ってた人は誰なの」


 混乱するカルディアが尋ねれば、少年は軽い調子で答えた。


「本当のファルサは俺だよ。向こうのは……どうなんだろう、ミンスとしての記憶はもうないはずだけど、俺って感じもしないしなぁ。うーん、ややこしいけど、これからは俺をファルサって呼んで、向こうをミンスって呼べば良いんじゃない?」


 本当にややこしい。カルディアはその問題を深く理解することを諦め、一番気になっていたことを尋ねることにした。


「ハルジオンで起きてる失踪事件は、君の仕業?」

「そうだよ、あの人に頼まれたから。攫った人間は、この船で運んでるんだ」


 ファルサの言う"あの人"とは、例のミンスを殺した男のことだろう。となると、どうしても拭いきれない疑問が一つ湧いてくる。


「どうして君は、ミンスさんを殺した男に従ってるの」


 愛した妹のために、墓まで立ててくれた優しい人。彼が死んだことを、目の前の少年も確かに悲しんだはずだ。そのはずなのに、原因たる男に恨みはないのか。


「俺も、ミンスが殺された瞬間は、あの人のことヤバいって思ったよ。でもなんか、あの人に魂を分けられた途端、頭の中が透明になった感じがしたんだ。そしたら、ミンスが殺されたのもしょうがないことだって分かったんだ。それに俺、あの人に共感してるし、恩もあるしさ」


 理解できずに眉を顰めるカルディアに、ファルサはきらきらとした目で語りだす。


「あの人、妹を殺したあの店主を俺の前で八つ裂きにしてくれたんだ。あははっ、あいつの泣き叫ぶ顔、爽快だったなぁ」

「…………」

「それだけじゃない。あの人の理想が叶えば、俺たちみたいな報われなかった人間がようやく日の目を浴びることになる。お姉ちゃんだって分かるよね?黒髪金眼に生まれたってだけで、散々な目に遭ってきただろ?あの人のとこには、そういう人間が集まってるんだよ。俺たちを虐げてきた人間を、同じ目に遭わせてやろうよ」


 ファルサは、まるで何かに取り憑かれたように一息で言い放った。その狂気的ともいえる様子にカルディアは腰が引けてしまう。


「理想って、一体……」


 震え声で呟けば、ファルサは希望に目を輝かせながら答えた。


「俺たち贖罪の山羊(カペル)の目的はただ一つ、神竜フォルトゥナの復活だよ」



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