知らない子ども
「ミラフォッサに帰れ」そうレオに言い放たれたのが三日前。しかしカルディアは、相変わらずファルサの家に身を置いていた。レオとはあれ以来、まともに会話もしていない。
「それで、お兄ちゃん一人で調べることにしたんだ」
港町ハルジオン、その海辺には潮風が吹き渡っている。隣を歩くミンスの言葉にカルディアは頷きを返した。一昨日から、カルディアも一人で失踪事件に関する調べを進めている。進捗はもちろん無いに等しいが、レオと仲違いしたままミラフォッサに帰るのは嫌だったし、かといって何もせずファルサの家で世話になるのも申し訳なかったからだ。
「事件が解決して海淵の石が手に入れば、殿下と話す時間ができるかもしれないから」
「なるほどねー。ま、程々に頑張れば?」
ミンスはそう言うと、道に落ちていた小石を蹴って遊び始める。カルディアが家を出る時、丁度ミンスも町に戻るところだったので、こうして一緒に町に降りてきたのだ。
(あわよくば手伝ってもらえたらって思ってたけど……ミンス君は、失踪事件に興味がないみたいなんだよね)
自分の住む町でそんなことが起こったら、嫌でも気になってしまいそうなものだが。そこはやはり年相応の楽観さがあるのかもしれない。小石を追いかけどんどん進むミンスを横目に、カルディアは道を歩いていた女性に声をかけた。失踪事件について何か知らないかと尋ねれば、女性は癖のある髪の毛を撫でつけながらか細い声で答える。
「その、手がかりとかではないんですが……。わ、私の兄も、いなくなってしまって」
女性は悲痛な面持ちでそう言うと、提げていたカバンから一枚の紙を取り出し、カルディアに渡した。
「その、それ、兄の姿絵です。事件について調べているんですよね?あの、もしも見覚えがあれば教えてほしくて……」
「………………」
受け取った絵姿に描かれているのは、穏やかな笑みを浮かべる男性。目の前にいる女性と同様ひどい癖毛で、少しズレた眼鏡をかけている。カルディアはそれを見て、思わず言葉を失っていた。
(……ファルサさん?)
そこに描かれた男性の姿は、ファルサに瓜二つだったのだ。他人の空似で片付けられる程度の話じゃない。だがしかし、ファルサは町の外れに自宅を設けて錬金術師として日々を営んでいる。失踪事件についてカルディア達に話してくれたのも彼なのだから、居なくなったという彼女の兄がファルサであるはずはない。そう思いつつも、念の為にと女性に問いかける。
「その、お兄さんのお名前をお聞きしてもいいでしょうか?」
「あ、兄は、ミンスといいます。二ヶ月前にいなくなって」
ファルサではなくミンス。名前が違うということは、異様に似ているだけの他人なのだろうかと考える。それと同時に、女性の兄と同じ名前を持つ少年のことが頭によぎった。ただの偶然に違いないだろうが、失踪したファルサそっくりの男性の名前がミンスとは。不思議なこともあるものだとカルディアは静かに驚いていた。カルディアは、彼女の兄とファルサは別人だと当たりをつけると、女性に心当たりがない旨を伝えた。彼女は少し残念そうな顔をして、姿絵をカバンにしまう。
「すみません、役に立てなくて」
「い、いえ!私の方こそ、です。あの、それじゃあ失礼します」
女性はぺこぺこと繰り返し頭を下げると、カルディアの前から立ち去っていった。なんだかその仕草まで、ファルサに似ている気がしたのは気のせいだろうか。何か見落としているような違和感を胸にカルディアが立ち尽くしていると、小石を蹴るのをやめて戻ってきたらしいミンスが背後から話しかけてきた。
「何ぼーっとしてるの」
「あっ、ミンス君」
カルディアはハッとして振り返る。苦笑いしながら、先程の出来事についてミンスに語った。ミンスは大した反応も見せないまま話に耳を傾けている。
「お兄さんが居なくなったのは二ヶ月前なんだって。ファルサさんはそれより前からあの家に住んでるんだから、別人なのは分かってるんだけど。本当にそっくりで……。しかも名前がミンスなんて、すごい偶然だよね」
「ふーん」
「あれ、そういえば――」
ファルサとミンスが出会ったのも二ヶ月前だったはずだ。女性の言葉を繰り返す中で、以前ミンスに聞いた話が思い起こされる。そしてそれこそが、見落としていた違和感の原因だと気づいた。カルディアは見つけ出した違和感の正体を、呟くように口に出していた。
「二ヶ月前……」
「どうしたの、お兄ちゃん」
「あっ、ううん。ただ、ファルサさんとミンス君が初めて会ったのも、二ヶ月前だって聞いたなって思い出しただけで……」
出会って二ヶ月しか経っていないとは思えないほど気安い仲なことから、意外に思ったことを覚えている。そんなカルディアの言葉に、ミンスは目を細めてから「ねえ」と内緒話でもするように言った。
「俺、その居なくなった人のこと知ってるよ」
「えっ」
「教えてあげようか?」
悪戯に口端を上げるミンスに、カルディアは小さく頷く。するとミンスは得意げな笑みを浮かべた。
「それじゃあ、俺のお願い一個聞いてよ」
「お願い?」
「その首に下げてる指輪、綺麗だなって前から思ってたんだ。ずっと近くで見てみたくて、一瞬だけ俺に触らせて」
そう言ってミンスが指さしたのは、カルディアの首元で光る魔法石のついた指輪だ。レオに魔力を込めてもらったもので、護身用として持ち歩いている。
「見せるだけなら構わないけど……」
「ほんと?ありがと!」
カルディアは首の後ろに手をやると、チェーンの金具を外した。差し出されたミンスの手のひらに、指輪を置いてやる。
「やっぱ綺麗だなぁ。高そう」
「あはは……」
ミンスの率直な感想に苦笑いする。ミンスはそれを手にしたまま顔を上げると、カルディアに言った。
「約束通り、居なくなった人のこと教えてあげるよ。でもその前に、一個だけ質問していい?」
「質問?うん、大丈夫だよ」
そう言ったカルディアの目をミンスがじっと見つめる。手にある指輪をグッと握りしめて言った。
「しなくちゃいけない事が二つあるのに、片方をやったらもう一つが出来なくなる時って、どうすればいいと思う?」
突拍子のない質問に、カルディアは目を瞬かせた。それから少し考えて答える。
「私なら……どちらか大事な方を選んで、もう一つを諦めるかな」
「え〜っ。これをしろって言われただけで、どっちが大事かなんて教えられてないから分かんないよ」
ミンスがむくれた顔をして言う。この言い振りだと、“しなくちゃいけない事”とは誰かに頼めまれた事のようだ。
「それならその人に聞いてみればいいんじゃない?」
何も難しい話ではない気がする。カルディアが思ったままのことを口にすれば、ミンスは大きく目を見開き、キラキラと輝かせていた。
「確かに!頭良いじゃん!」
「そ、そうかな?」
「うん、ありがと!聞いてみる!」
解決したようで何よりだ。約束通り指輪を返してもらって、ファルサに似た失踪者についてミンスに話してもらおうとそう思った時だった。ミンスはくるりと体の向きを変えると、海に向かって右手を大きく振りかぶる。その手の中にあった指輪が、緩い軌道を描いて見えなくなっていった。
「な、何してるの!?」
ミンスは慌てるカルディアに向かって無邪気な笑みを向ける。そして何か液体の入った小瓶をポケットから取り出すと、蓋を開け中身をカルディアめがけてぶちまけた。反射で目を瞑る。甘ったるい匂いが鼻をつくと同時に、酩酊したように頭がくらくらとしてくる。立っていることもできず膝をつけば、ふっと頭上から影が差した。頭を上げると、歩み寄ってきたミンスがこちらを見下ろしている。「どうして」そんな思いは言葉にならない。こんな異常な状況にあっても、ミンスは普段通りの様子だった。極めて普段通りに、カルディアを害したのだ。
「あの厄介な王子と離れてくれて良かった〜。じゃ、行こうか!お姉ちゃん」
(……さっきまで、お兄ちゃんって呼んでたのに)
幼さを滲ませる、弾んだ声音に身を震わせる。自分を見下ろす子供は一体何者なのか、朦朧とする意識の中で得体の知れないものへの恐怖だけが鮮明に残っていた。




