穏やかな夜
部屋の扉が勢い良く開け放たれる。ハッとしてそちらを見れば、ラディンが間の抜けた表情で扉の向こうに立っていた。
「えーっと……何してんだ?」
「な、何も!」
カルディアは、フェンリルに口付けられていた右手を慌てて引っ込め首を振った。ラディンは怪訝そうな顔をしながら部屋に入ってくる。フェンリルもすっと立ち上がると元の席に戻っていった。
「事態は収まった……とは言い難いが、あのまま対応してたらアンタ達を何日も放っておくことになりそうだったからな。ちょっと無理やり抜けてきた」
王宮は後処理に追われ、てんてこ舞いの状況らしい。ラディンは珍しく疲れた様子でソファに腰掛けると、鬱陶しそうに前髪を掻き上げた。
「親父殿――国王は完全に耄碌している。ことの経緯を聞いて、オレを断罪しようとしだす始末だ。流石のナイールも顔を歪ませていた」
「その……これからどうなるんでしょう」
ニコレッタには逃げられてしまったが、カザールから追い出すことはできたわけだ。彼女は王族であるラディンに危害を加えたわけだし、もう戻ってくることも出来ないだろう。ある程度目的は達成したように思える。
「ニコレッタのお陰でカザールの内情はめちゃくちゃだからな。国内の立て直しを図ることになる」
その言葉にフェンリルが小さく眉を上げた。鋭い瞳でラディンを見る。
「……ウェリスタスに侵攻している余裕はない、と取れる言い方ですが」
「そう思ってもらって構わないぜ。魔人という武力も失った今、そんな国力は残ってないからな。ニコレッタの実験のおかげで兵も減ってるし、アイツは自分に反発する人間を尽く中枢から追いやってたから……碌な人材が残ってない。はぁ……頭が痛いな」
ラディンは深々とため息をついた後、顔を上げてフェンリルを見据えた。
「というのがこちらの現状なわけだが……。問題は、そんなカザールをお隣さんが黙って見ていてくれるのか、だ」
「…………」
「今まで散々国境に侵攻して来たカザールが、いきなりもう戦いませんなんて言っても信じてもらえるとは思えねえし。何より、今を好機と見て逆に侵攻されるなんて恐れもある」
「……何を仰りたいのですか」
「オレは回りくどいのは好きじゃないからな、単刀直入に言う。――カザールは、ウェリスタスと不可侵条約を結びたい」
「……一介の臣に過ぎない私に、そのようなことを話されても意味はありません。国王の決めることです」
淡々とした態度で言うフェンリルに、ラディンは気を悪くした様子もなく笑った。
「今のはあくまでオレ個人の考えに過ぎない。本気でそうしようとしたら、議会を開いて正式に使者を出すさ。ただ、アンタの意見を聞いてみたくてな。ウェリスタスはこの話を受けると思うか?」
ラディンの問いに、フェンリルはそう考え込むことなく頷いた。
「……恐らく受けるかと」
ウェリスタスは現在、どこの軍も魔物や瘴気への対処にかかり切りになっている。外へ力を向ける余裕がないのは、カザールと同じだった。フェンリルはそんな事情まで説明することはなかったが、ラディンも一年近くウェリスタスに居た身。内情は身をもって知っているのだろう。特に根拠を聞くこともなく「それは良かった」と言って立ち上がる。
「さて、アンタとは色々話したいことがあるんだが……。少なくとも今の時点じゃ、アンタは敵国の将だ。こんなところに居るのを見られちゃお互い困るだろ?かといって、休みなくミラフォッサに帰るってのもキツイだろうと思ってな。街に宿を取らせたから、そっちに移ると良い」
「……有り難く」
フェンリルは宿までの道が書かれた地図を受け取ると、早速立ち上がりカルディアの元へと歩み寄ってくる。
「行こう」
「あっ、そっか。私もですよね」
なんとなくフェンリル一人で行くのかと思っていたが、ニコレッタの問題が解決した以上、ここに留まる理由はないのだと思い出す。促されるまま立ち上がろうとすると、ラディンに手を取られた。
「待てよ、アンタまで行くことないだろ」
「えっ」
「婚約者様がいきなり居なくなったら問題だろ?」
「…………婚約者?」
フェンリルが低い声で呟く。何だか場の温度が低くなった気がして、カルディアは慌てて訂正した。
「こ、婚約者っていうのは、その……成り行きで!」
「確かに成り行きだったが、真実にしても良いと思わないか?」
ラディンはこちらが焦っているのもお構いなしにそんなことを言うと、腰に手を回し距離を詰めてくる。隣にいるフェンリルの視線が痛い。
「前にも言ったが、アンタに苦労はさせない。ウェリスタスより良い暮らしを約束するぜ」
「えっ、いや、あの……」
「……ラディン王子。いくら他国の王族といえど、戯れが過ぎるのでは」
フェンリルが諌めるように言った。ラディンはフェンリルに視線を向けると、口の端を上げて笑う。
「オレは本気なんだが……。どちらにしろ、アンタには関係ないだろ?」
心なしか不機嫌なフェンリルと、あくまでにこやかなラディン。二人の間に火花が散っているように見えるのはきっと気のせいではない。カルディアはなんとか場を収めようと口を挟んだ。
「あ、あの!結婚というのは、流石に」
「なんだ、カルディアは嫌か?」
ラディンがしょんぼりと眉を下げている。なんだか捨てられた子犬を見ているようで心が痛くなる。
「嫌っていうか、余りに急な話で、嫌かどうかも分からなくなってるっていうか……ラディンさんにはもっとこう、可愛いお姫様とかが良いんじゃないかと!」
「オレと結婚すれば、アンタも可愛いお姫様だろ?」
「えっ、いや、その!」
「オレのこと嫌いってわけじゃないなら、これから――」
「彼女は乗り気でないようですので、我々は失礼させていただきます」
フェンリルはラディンの言葉を遮ると、ラディンからカルディアの手を奪った。ラディンは「おいおい、まだ口説いてたろ」と肩をすくめている。
「……まぁ、今は婚約どころじゃないのも確かか。カルディア、落ち着いた頃に会いにいく。良い返事を期待してるぜ」
楽しげに言うラディンに曖昧な笑みを返し、カルディアも別れを告げた。それを見届けたフェンリルは無言で礼をした後、カルディアの手を握り直す。その瞬間、不思議な感覚が体を包み込んだ。
「えっ!?」
目の前の光景に一度瞬きをする。カルディアは王宮ではなく、城下町にいた。一体何が起こったのか分からず辺りを見回していると、フェンリルが声をかけてくる。
「移動している間に、他の者に見られると困ると思ったんだが……驚かせてすまない。これからは事前に言うようにしよう」
「あっ、フェンリルさんの能力だったんですね……なんだか初めての感覚でした」
こんなことなら、もう少ししっかりラディンとお別れをしておいたら良かったかもしれない。そんなことを考えるカルディアの横で、フェンリルは宿までの地図をポケットから取り出す。彼の案内に従うまま進めば、そう時間もかからず目的に着いた。宿に入り店番に声をかけラディンの名前を出せば、「上階に一室ご用意しております」と案内される。
「えっ、一室ですか?」
「はい、そのように承っております」
そもそもフェンリル一人のために用意された宿なのだから当然かもしれないが、予約されていたのは一室だけだった。他に空きもないようで、同室になったことにカルディアは狼狽えていた。対してフェンリルは特に気にした様子もなく部屋へと進んで行った。そうして通された部屋は広く、ソファもある。これならどうにかなりそうだ。
「私がソファで寝るので、フェンリルさんはベッドを使って下さい」
「俺には必要ないから、君が使うと良い」
「でも……あのソファは、フェンリルさんには小さいと思いますよ」
フェンリルと交わす会話になんとなく既視感があり、記憶を探る。アストラ邸にラディンと寝泊まりした数日間を思い出した。あの頃はまだラディンを女性だと思っていて、一緒にベッドで寝ようと誘ったら必死な様子で断られたのだ。
「……どうかしたか?」
物思いに耽っていたカルディアに、フェンリルが問いかける。今思い出していたことを語って聞かせれば、フェンリルはほんの少し眉を顰めた。
「カルディア、君はもう少し警戒心を持った方がいい」
「あ、あの頃はラディンさんを女性だと思っていたので……!」
「だとしてもだ」
思わぬタイミングでお説教を喰らってしまった。カルディアは何とか話を逸らそうと、口を開いた。
「とにかく、ベッドはフェンリルさんが使ってくれれば……」
フェンリルは言葉を返さないまま、窓際に置いてあった木椅子を扉の横まで運んで腰掛けた。一体何をしているのだろうとカルディアは首を傾げる。
「俺はそもそも眠るつもりがないから、ベッドでもソファでも君の好きに使うといい」
「えっ、どうして……」
「敵国の中心で、護衛もなしに無防備にはなれない。俺の首は、この国では高くつくし……それ以上に、君に何かあっては困るからな」
「疲れが取れないんじゃないですか?」
尋ねるカルディアに、フェンリルは短く「問題ない」と返した。それから、淡々とした声でこう続ける。
「そもそも、護衛の必要がなければ君と同じ部屋には泊まらない。別の宿に部屋を取る」
部屋が一室だと知らされた時、やけにあっさり頷いたのはそういうことだったのかと合点がいく。こうまで言われてしまえば、これ以上食い下がることもできない。カルディアはフェンリルに礼を言うと、その日はふかふかのベッドで眠りに着いた。
2章完結です。
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