献身の理由
外套の男がニコレッタを連れて居なくなった後、騒ぎを聞きつけた宮殿の人々が外廊下に集まってきた。
「フェンリル・アストラが居るのを見られると厄介だな……。二人共、オレの部屋で待っててくれないか。できるだけすぐ戻るからさ」
カルディアはラディンの言葉に頷くと、フェンリルと共に教えてもらったラディンの私室へと向かった。とりあえずソファに腰掛け、目の前に座るフェンリルの顔を盗み見る。
(さっきまでは必死で気にしてなかったけど、私が女だってバレちゃったよね……)
フェンリルも何も言ってこないので、そこまで気が回っていなかったが……。これだけ露出の多い服を着ていて気づかれていないということもないだろう。脳裏に"異端審問会"という恐ろしい単語がよぎる。不吉な予感を振り払う様に、カルディアは軽く頭を振った。
「……カルディアというのか」
「えっ?」
「君の名前だ」
「あっ、はい」
(えっ、そっち?性別じゃなくて?)
まさか最初に尋ねられるのが名前についてだと思わなかったカルディアは、拍子抜けした様子で頷く。考えてみればフェンリルは、女の格好をしているカルディアを見て、驚いた様子も見せなかった。まさかヴィンセントと同じように、以前から女だと気づいていたのではと思い至る。
「あ、あの……驚かないんですか?」
「驚く……何にだ」
「私の性別についてです。もしかして、前から女だと気づいていたとか……?」
カルディアが問えば、ヴィンセントは顎のあたりに指を当て、少し考えてから答えた。
「気づいてはいなかった。だが、腑に落ちてはいる」
「腑に落ちる?」
「君と初めて会った時、俺は君を、ヴィンセントに頼まれたから助けたと言ったな。……あれは半分建前だ」
フェンリルと初めて会ったのは、フォルトゥナ神殿で【戴冠せし者】選出についての式典と、芸術奨励会が行われた日。カルディアは神話をもとにした芝居を見ているうちに気分を悪くし、神竜の森で蹲っていた。そんな彼女をフェンリルが介抱してくれたのだ。
「君が走り去る後ろ姿を見た瞬間、どうしても追いかけなければいけない気がした。あの時は君を男だと思っていたから、黒髪金眼というだけでもこうなるのかと驚いたんだ」
カルディアは小さく首を傾げる。「黒髪金眼というだけでこうなるのか」という言葉の意味が分からなかったからだ。
「次に君に会ったのは、王都で魔物が出た日だった。路地裏で気を失っている君を見て、自分でも異常と感じるほどに動揺した」
普段は寡黙なフェンリルだが、カルディアに聞かれたことに答えるため言葉を尽くしてくれているのが分かった。それは分かったのだが、やはり話の流れが掴めないでいる。
「だから君が女性だったと知って、全てが繋がった気分だった」
フェンリルは全て話し終えたと言わんばかりに口を閉ざしてしまった。しかしカルディアからしてみれば、謎は解けるどころか深まるばかり。
「あの……どうして私が女だったら、全てが繋がるんですか?」
考えても仕方がないので聞いてみると、フェンリルは何か思い出したように息をこぼし、それからそっと目を伏せる。
「すまない……。肝心なところを話していなかった。ヴィンセントにもよく注意されるんだが……」
「い、いえ!今から教えてもらえれば」
「あぁ、次こそ丁寧に話すよう心がける」
フェンリルはそう言うと、「長い話になるが」と前置きしてから語り出した。
「アストラ家が爵位を得たのは、約三百年前。ドゥークス・コンコルディアの治世だ」
「ドゥークス・コンコルディアって、【戴冠せし者】の」
「あぁ、【戴冠せし者】選出にあたっての題にもなっているな」
『ドゥークス・コンコルディアが国病みを鎮めた方法を見つけ出せ」というのが【戴冠せし者】選出の課題だ。よく名前の挙がる人だなと心の中でひとりごちる。
「ドゥークスは当時、ウェリスタス神国と歴代の王を蝕む呪い――国病みを鎮めるため、様々な策を講じていた。その一環として、咎の娘を探していた。『咎の娘を見つけたら、殺さずに王に差し出せ』と国中に触れを出してな」
カルディアは以前、ヴィンセントの手伝いとして歴史書を読み漁りドゥークスについて調べた。しかし、今聞いた話はどこにも書かれていなかったものだ。ドゥークスは有名な王であるにもかかわらず、残されている史料はほとんどなかった。
「ドゥークスは、何のために咎の娘を探していたんでしょうか」
「あくまで俺の予想だが……国病みは建国当初から始まったもの。それより古い建国神話の存在から、何か鍵を得られると思ったのかもしれない。……ここから先は、アストラ家の話になる――」
咎の娘が王城に居ると聞いた当時のアストラ家当主は、王の元を訪れ、ある取引を持ちかけたらしい。それは、「国病みを鎮める方法を教える代わりに、爵位と領地、そして咎の娘を自分に渡せ」というものだった。
「王は取引を了承し、国病みを鎮めることに成功した。そして、アストラ家は辺境伯の地位と北の大領地を手にしたんだ」
「ま、待ってください。フェンリルさんは、ドゥークスが国病みを鎮めた方法を知っているんですか?」
思わぬところから出てきた情報に勢い込んで尋ねたが、フェンリルは緩く頭を振って否定した。
「アストラ家には、代々当主にしか知らされない秘匿がある。国病みを鎮める方法もその一つだが、先代――俺の兄は、それを俺に継承する前に消えてしまった。だから俺も、詳しいことは分からない」
「あっ、すみません。不躾なことを聞いてしまって」
「いや、構わない」
「……でも、その人は何故ドゥークス王にそんな取引を持ちかけたんでしょうか」
爵位と領地を欲しがるのは分かる。だが、どうして咎の娘なんて厄介者まで求めたのだろう。何か利用価値があったのだろうか。それとも知り合いだったとか?確かでない憶測が頭に浮かんでは消えていく。
「それは……守りたかったんだろう、咎の娘を」
「え?」
「領地や爵位を望んだのも、その為だと思う。戦線地帯にあたる北部を領地としたのも、異端審問会の目が届きにくいからだ。その証拠と言うわけではないが……ミラフォッサの人間は、君を無碍に扱わなかっただろう」
「それは、そうですが……。でも、どうして」
カルディアを見つめるフェンリルの瞳は、穏やかな色を灯している。慈しむようなその眼差しが、どうして自分に向けられるのか分からない。彼の先祖が咎の娘を守ろうとした理由も。そんなカルディアの疑問を解すように、フェンリルが口を開いた。
「アストラは徹底した純血主義だ。直系が途絶えでもしない限りは、家督を傍系に継がせることはない。北を守るに当たって、一族の持つ異能が失われてはいけないというのもあるが……」
"異能"とはフェンリルの使う空間転移の能力のことだろう。あれはフェンリル特有のものというわけではなく、アストラの血族に受け継がれるものらしい。
「一番の理由は他にある――血に刻まれた使命を失わせない為だ」
「えっと……よく意味が」
「……見てもらった方が早いな」
フェンリルが胸の前に右手を差し出せば、能力によって1冊の古びた本が現れた。彼は手記をパラパラと捲り、あるページで止めるとカルディアに差し出してきた。
「四代前の当主――俺の曽祖父の兄に当たる人の手記だ。読んでみてくれ」
カルディアは頷いてそれを手に取ると、開かれたページから読み始めた。
『十一の月二十三の日。
咎の娘が、異端審問会に捕えられたと聞いた。先代から伝えられた話が確かなら、私は彼女を助けなくてはならないだろう。ミラフォッサの民もそれを望んでいる。政務を他の者に託し、王に助命嘆願を願い出ることとする。』
『十二の月八の日。
王が頷いてくれる様子はない。だからといって、事情を話すわけにもいかない。咎の娘の処刑は、明後日に行われるという。異能を使って助け出すことも考えたが……。それは出来ない。私は不確かな伝承より、アストラ領の民を慮るべきだろう。無理に咎の娘を助け出したために、民や臣下が脅かされるなどあってはならない。』
『十二の月十の日。
結局、王を説得することは叶わなかった。このまま領地に戻ろうかとも考えたが……。私には、アストラ家当主として彼女の最後を見届ける責任がある。処刑場に花を手向けることくらいはできるだろうか。』
『十二の月十二の日。
ミラフォッサに戻る馬車の中、これを書いている。父の言葉を信じるべきだった。私は全てを間違ってしまった。』
『二の月三の日。
弟へ家督を譲る準備をするのに、随分時間がかかった。もうこの手記をつけることもないと思っていたが、今後アストラの人間が私と同じ轍を踏まぬよう、全て書き残しておくこととする。
咎の娘の処刑場で、磔にされ火に巻かれる彼女を見たその瞬間、身の張り裂ける様な心地がした。私は彼女を守るために今日まで生きてきたのだと、彼女が死ぬその瞬間に理解した。この血と地位を今日まで繋ぎ続けてきた祖先の献身を、私が無に帰したのだとも理解した。あの日から、彼女の死に様が目に焼き付いて離れない。毎晩同じ夢を見る。彼女を助けようと火に飛び込むが、どれだけ足を進めようと彼女に近づくことができない。私は膝をつき、同じように火に包まれていく……。
これは我らの血に刻まれた呪いだ。我が血に宿るあの方の欠片が、彼女の死を嘆いている。私自身の意志を塗りつぶすその衝動を、私は恐ろしく思う。それ以上に悲しくもあり、愛おしくもある。
伝承は真実だ。次に彼女が生まれ直したとき、あのような辛苦を味わわぬことを祈る。この手記を読む者も、その為に尽くしてほしい。』
ページを捲る。最後のページには、今までの様に日付は記されていなかった。震える文字で、短い言葉が書かれていた。
『カルディア、君を見捨てた私をどうか許してくれ』
本を持つ手が、いつの間にか震えていた。カルディアは、建国神話をそのまま信じてはいなかった。確かに自分はいわゆる"咎の娘"だろうが、神話に登場する神殿仕えの娘が神竜にかけられた呪いによって輪廻に囚われているなどというのは、荒唐無稽な作り話に過ぎない思っていたのだ。
(定期的に、同じ特徴を持つ人間が生まれてくるだけで…………私は、神話に出てくる娘の生まれ変わりなんかじゃないと)
そうでなければ、カルディアは私欲のために神竜を弑した罪人ということになってしまう。だが、手元にある手記には確かに自分と同じ名前が記されており、『次に彼女が生まれ直した時』とも書かれている。息を浅くするカルディアの手から、そっと手記が抜き取られた。
「……大丈夫か?」
「あっ……は、い」
「……もしこれを読んで、気分を害したのなら謝ろう」
「い、いえ。気にしないでください……。その、つまり……ここに書かれていることが真実なら、アストラ家の血族は本能的に咎の娘を守ろうとする、ということなんでしょうか」
カルディアが確認すれば、フェンリルは静かに頷きを返した。
「先ほど言ったように、俺は正式な継承を経ずに当主になった。だから、咎の娘に特別な衝動を抱く理由も、この手記にある『血に宿るあの方』というのが誰なのかも分からない」
真剣な顔で語るフェンリルの言葉を、カルディアは黙って聞いていた。フェンリルはおもむろに立ち上がると、カルディアの側までやって来て跪く。まるで壊れ物でも扱うように、そっと右手が取られた。
「だが……俺が何をなすべきかは、誰に教えられなくとも分かる」
銀色の瞳が細められる。ほんの少しだけ、フェンリルの口元が綻んだ気がした。
「フェンリル・アストラは、命に代えても君を守ると――そうこの血に誓おう」
そっと手の甲に唇が落とされる。いつもなら気恥ずかしくて赤くなっていただろうが、この時のカルディアはそれどころじゃなかった。
『カルディア、君を見捨てた私をどうか許してくれ』
手記に書かれた最後の言葉が、ひたすらに頭を巡り続けていた。




