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ただの使用人の女ですが、伯爵家次男の振りをして士官学校に入学します  作者: 睦見むに
二章

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影に棲む者


 ニコレッタは、大蛇と化した下半身を鞭のようにしならせると、ラディンの立っていたところ目掛けて振り下ろした。地響きのような大きな音が鳴り、砂埃が舞う。その威力は凄まじいもので、叩きつけられた床には大きくヒビが入っていた。ラディンは身を転がして攻撃を避けると、ナイフから背負っていた弓に持ち変える。


「あら、いい判断ね〜。そっちの方がまだ勝機があるかもしれないわ……よっ!!」


 またしても迫り来るニコレッタの尾を、どうにか躱し続けるラディン。しかしニコレッタのあまりの猛攻に、矢を番える暇すらないようだった。


「アハハッ!せいぜい逃げ回りなさいな!」

「ッ……つくづく嫌な女だな!」


 ニコレッタは、狩りでもするように楽しげな表情で、ラディンを着実に追い詰めていく。羽をはためかせ、勢いをつけてラディンに詰め寄ると、獣のような爪を振りかざした。その爪は彼の腕を掠り、手にしていた弓と矢が外廊下の端へと弾き飛ばされた。思わず駆け出しそうになるカルディアだったが、外套の男に制されていて動けない。


「あらあら!唯一まともに扱える武器も失って、勝ち筋がなくなっちゃったわね〜?」


 煽るように言うニコレッタに、ラディンはあくまで強気な笑みを浮かべてみせる。


「さて、それはどうだろうな」

「………何よその顔。面白くないわね」


 ニコレッタは目を細めると、攻撃の手を止めラディンを見つめる。ラディンは警戒した様子で彼女の出方を窺っていた。


「そうだわ、ゲームをしましょう」

「……ゲーム?」

「えぇ、このままただ殺すんじゃつまらないし。アンタにチャンスをあげるわ、放蕩王子」


 ニコレッタは口端を歪めるとぐるりと頭を回した。その視線の先にはカルディアがいる。思わず後ずさりかけた瞬間、黒い蛇のような影が床から這い上がり、カルディアの体にまとわりついた。


(な、何これっ……!?)

 

「っ!何のつもりだ!」


 ラディンが焦った様子で叫ぶ。影はカルディアの身を縛りつけており、身じろぎすることすら出来なかった。


「言ったでしょ、チャンスをあげるって。ルールは簡単よ。あの女が蛇に絞め殺されるまでの5分間、私から逃げ切れたらアンタの勝ち。今回は見逃してあげるわ。5分以内にアンタを殺せたら私の勝ち、女もろともあの世行きよ」

「……随分馬鹿げたルールじゃないか」

「私は生き残る機会を与えてあげてるのよ。本来だったら、アンタもあの女も確実に死ぬはずなんだから」

「アンタがオレに負ける可能性だってあるだろ?」

「アハハッ、それって冗談?私が負けるなんて万に一つもないわ。奇跡でも起こらない限りね」


 カルディアは、体を締めつける蛇のような影をじっと見下ろした。まるで瘴気を凝り固めて作られたようなそれは、触れている箇所が火傷をしたようにジリジリと痛む。


(足手まといになるわけには……)


 どうにか抜け出そうともがくが、やはり身体はぴくりともしない。


(このまま大人しくしてても、これに絞め殺されるだけ。だったら、出来ることは試さないと)


 もうどうにでもなれと思いながら、唯一動く頭を下げ、身を縛る影に噛みつこうとする。しかし、実際に噛み付く前に何かが口を覆い、頭をぐんと後ろへ引っ張られた。


「お前馬鹿なの?口の中ぼろぼろになるよ」


 外套の男の左手が、カルディアの口元を抑えている。瘴気を纏う右腕とは違い、左腕は生身の人間のようだった。


「どうせ殺されるなら、口の中がどうなっても別に……」

「だとしても噛まないでしょ普通。てか、噛んでも意味ないから」


 もごもごと文句を言うカルディアの口から、外套の男の手が離れる。それから男は視線を向こうにやり、「おい、ニコレッタ」と声をあげた。ニコレッタが鬱陶しげに振り返る。


「何よ、大人しく見物もしてられないわけ?」

「咎の娘は殺すなって散々言われてるだろ。巻き込まれる僕の身になってみろよ」


(……咎の娘は殺すなって、一体どういうこと?)

 

 外套の男の言葉に、カルディアは眉を顰めた。まるで誰かにそう指示されているような言い方だ。


「あぁ、そのこと。……そもそもどうしてあのお方は、咎の娘なんて欲しがるわけ?ただの貧相な女じゃない」

「お前それ、ただの嫉妬でしょ」

「……何ですって?」

「あはは、図星だ」

「はぁ!?減らず口叩いてんじゃないわよ!」


 ニコレッタがぎろりと外套の男を睨みつける。男は深々とため息をついて言った。


「お前が殺したって知れたら、大好きなあのお方に嫌われるんじゃないの」

「そんなのどうとでも言い訳できるわよ!ていうかアンタ、私に説教する資格があるの?」

「僕、お前と違って何もしてないんだけど」

「それが問題なのよ!!アンタその女と面識があったみたいじゃない。咎の娘を見つけたら捕まえて連れて来いって言われてるのに、報告すらしなかったのはどういうこと?」

「…………それはまぁ、なんとなく?」


 ニコレッタ達は、カルディアとラディンを置いてけぼりで口喧嘩を続けている。しかし今の状態では、カルディアはもちろん、彼女を人質に取られた状況のラディンも動けなかった。言い合いに一区切りついたのか、ニコレッタは蝙蝠の羽をはためかせ、カルディアの方へと近づいてくる。目の前までやって来ると、その鋭い爪でカルディアの胸元にあるネックレスを持ち上げた。

 

「胸に傷……本物の咎の娘ってわけね。やっぱり心臓がないの?」

「…………」

「黙ってるなんて生意気。でも……その沈黙が答えってところかしら」


 影の体を締め付ける力が、少し強くなる。苦しさに息を漏らすカルディアの横で、外套の男が諌めるようにニコレッタを呼んだ。


「良い加減やめとけば?」

「あら、止めたって無駄よこの女は殺すって決めたの」


 ニコレッタの言葉に、向こうにいたラディンが懐からナイフを取り出した。それに気づいたニコレッタはくるりと振り返ってそちらを見ると、そんな彼を嘲笑う。


「その玩具、何の意味もないから捨てたら?身軽な方が逃げやすいわよ」

「馬鹿言うなよ。アンタを殺せば、オレもカルディアも生き延びられるわけだ。これ以外選択肢はないだろ」


 ニコレッタは呆れたようにため息をつき、髪をかきあげてラディンを見下ろす。

 

「大人しく逃げ回っておけば死なずに済んだかもしれないのに。バカな奴」


 言い終えると同時に飛び上がり、ラディン目がけて尾をふるった。ラディンがそれを躱し詰め寄ろうとすれば、素早く距離をとる。初めはどうにか食らいついていたラディンだが、しばらく経った頃には防戦一方になっていた。その間にも影はどんどんカルディの身を締めつけていき、痛みと苦しさから息をするのも辛くなってきた頃。隣で外套の男が小さくため息をつくのが聞こえた。ずっと動かなかった彼が、ゆっくりと進み出る。しかし、その足が二歩目を行くことはなかった。男は息を呑むと同時に、珍しく大きな声で叫ぶ。


「おい、ニコレッタ!後ろ!!」


 その声を聞いたカルディアも、つられてニコレッタの背後へと視線をやった。外廊下の向こう側、風に靡く銀髪が見えた。その手には、先ほどニコレッタにより弾き飛ばされたラディンの弓矢が収まっている。


「――っ!?」


 外套の男の声を受け振り返ったニコレッタが、動揺した様子で乱入者を見つめている。弓が引き絞られるのを見て、ニコレッタはハッとしたようにその人物へと襲いかかった。ニコレッタの体で、その人物が覆い隠される。それにもかかわらず、カルディアは弓が放たれる瞬間を見た。ニコレッタの()()()()()()()()()はその背中に突き刺ささり、胸の中心を綺麗に射止めた。


「はぁ、はぁ……」


 矢を放ったラディンが、弓を手に荒く息を吐いている。その向こう側で、急所を射抜かれたニコレッタの体は力無く地に臥した。背中に生えた羽や大蛇のようだった下半身が、煙のように消え人の形に戻っていく。それと同時に、カルディアの身を縛る影も消えてなくなった。


「カルディア!大丈夫か!」


 ラディンが足早にこちらへと駆け寄ってきた。影が消えても火傷のような痛みは消えず、触れていた箇所が赤く腫れ上がっている。だが今は、痛みよりも驚きが大きかった。少し遠くにいる銀髪の人を、信じられない気持ちで見つめる。彼はニコレッタが気を失っているのを確認した後、ゆっくりとこちらへ歩み寄って来た。


「な、何でここに」


「いるんですか」と続くはずだった言葉は、声にならずに目の前の人の胸の中へと消えて行った。視界が暗い。冷たいラベンダーのような香りと、かすかな血の匂いが鼻をくすぐる。


(な、何?どういうこと??)


 硬い胸板に頬が擦れる。背中に回った腕は震えていた。事態を把握できないカルディアは、空いた両腕を所在なさげに漂わせていた。


「無事で良かった」


 頭上からぽつりと落ちてきた掠れる言葉に、カルディアの頭はますます混乱していく。どうしてここに彼がいるのか、どうして自分は抱きしめられているのか。疑問を解消するためにも、とりあえず離してもらおうと口を開いた。


「フェ、フェンリルさん」

「……」

「は、離してもらってもいいですか」

「…………」


 返事がない。打つ手を失ったカルディアが沈黙していると、後ろからそれはもう深いため息が聞こえた。


「僕、今何を見せられてるわけ?」

「……それに関してだけは、オレも同意見だな」


 外套の男に続いて、ラディンが困ったような声で言う。ここでようやく、カルディアを抱きしめていた腕の力が緩んだ。解放されたカルディアが顔を上げれば、フェンリルは珍しくばつの悪そうな様子でこちらを見ていた。


「……すまなかった。動揺して、いきなりこんなことを」

「い、いえ……。それより、どうしてここにフェンリルさんが?」

「その話は後でする。まずは目の前のことを片付けよう」


 フェンリルは、この短い間にすっかり平静を取り戻した様子でそう言った。それから外套の男へ向けて視線を動かす。


「カザールの王子はいいとして……。お前は何者だ」

「あ、やっぱりそうなるよね」

「……正体を話す気は?」

「残念だけど、ないよ」


 フェンリルは小さな声で「そうか」と呟く。そして次の瞬間、カルディアの隣から外套の男の背後へとその姿を移していた。外套の男の顔面に、回し蹴りが叩き込まれる。男は右腕でそれを受けると、地を蹴り後退した。


「容赦ないなぁ。この腕じゃなかったら折れてたよ」

「…………」

「僕はお前とやり合う気ないしさ、見逃してくれない?」


 外套の男はそう言いながら、近くに転がっていたニコレッタを肩に担ぎ上げた。それを見たラディンが、矢筒に手を入れる。それに気づいた外套の男が、疲れた様子で問いかける。


「もしかして、何としてでも殺したい感じ?」

「殺すかどうかはさておき、このまま見逃す気はないな」


 フェンリルもいつの間にか、右手に剣を握っている。この場の全員が、外套の男の動きを注視していた。


「まあそうだよね。だけどこっちも、この女に死なれたら色々困るからさ」


 男が一歩後ずさった。ラディンが弓を引くと同時に、フェンリルが姿を消す。矢が男の眼前まで届いた。男の側方へ身を現したフェンリルが、素早く剣を薙ぐ。男はろくな構えも取らず、ニコレッタを担いだまま背中から倒れ込んでいった。外套に隠れた顔、唯一覗く口元が笑っている。


「それじゃあまたね、カルディア」


 ドプンと水に飛び入るような音がした。外套の男が倒れ込んだ先。柱の影になっているそこに、彼の体は呑まれて消えていく。フェンリルが止めようと手を伸ばすが間に合わず、男の全身が影の中へと入っていった。カルディアは慌てて駆け寄ると、男が消えていった影へと触れる。しかし硬い床の感触がするだけで、指が中へと入り込むことはなかった。



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