戴冠せし者
王立フォルトゥナ士官学校。
士官学校の名を冠してはいるが、騎士団や王国軍に身を置くものは、卒業生のうち一割にも満たない。生徒の多くは、行儀見習いと人脈作りのためにこの学校に通う。由緒正しく格式高い士官学校の成り立ちゆえ、卒業生というだけで身分を保証されるというのも大きかった。そういう理由から、フォルトゥナ士官学校には、生まれてこの方剣を握ったこともない、これから握る予定もない貴族の子女なんかも多く在籍している。
剣術や用兵術の授業は選択制な上に、入学初期の授業は全て必修のもの。要するに、座学が主だ。
「えー、王権は、王国歴293年から、現王室であるコンコルディア家に――」
この学校に身を置いて二週間、カルディアは案外穏やかな毎日を送っていた。ただ黙々と講義を受け、終わったら即刻寮の自室へと戻る。自室から出るのは、授業を受ける時と食堂に行くときだけ。キッチン以外の生活に必要な設備は自室に揃っているため、何ら困ることはない。
(最初はいつ誰に私の正体がバレるかと警戒していたけど、そもそも誰も近寄ってこないし、バレる心配もないんだよね)
生徒はもちろん、教師だってカルディアに話しかけてくることはない。隣の席のレオ・コンコルディアも、もともと積極的に人と関わるたちではないらしい。たまに食堂で会うと使い走りにされるくらいで、大した交流はなかった。幼い頃から育てられた奴隷精神というか、使用人精神的なものが原因で、使い走りにされることにも特に不満はない。
そんな安穏な日々を過ごしていたカルディアだったが、今日ばかりは落ち着いていられなかった。というのも、今日はある人と会う予定があるのだ。授業が終わると、カルディアは教室から駆け出した。そのまま一目散に神殿の外へと向かう。息を切らしながらたどり着いたそこでは、赤い髪の男性が丁度馬車から降りてきたところだった。カルディアは息を整え、背筋を伸ばして男へと歩み寄る。
「お待ちしておりました、セシル様。お荷物をお預かりします」
恭しく差し出されたカルディアの手を、男は汚いものでも見るかのように睨んだ。
「お前は私の弟なのだ、使用人のような真似はよせ。その呼び方も改めろ」
「あっ、申し訳ございません……兄上」
サイラス・レーラントの兄、父親譲りの赤髪の男の名は、セシル・レーラント。詳しいことは知らないが、現在王国軍で剣を振るっているらしい。そんな彼がここフォルトゥナ神殿にこうして足を運んだのは、他でもないカルディアに会うためだった。
「人目につかない場所となると……。おい、お前の部屋へ案内しろ」
「かしこまりました」
カルディアの自室には、私物がほとんどなかった。あるのは備え付けの家具に初日に持たされたトランク、いくつかの着替え、あとは教材くらいだ。部屋に入ると、カルディアはセシルの鞄を受け取り机の上に置いた。セシルはその横にある椅子を引き、腰掛ける。
「父上からはどこまで聞いた」
そう問われ、カルディアはあの日のことを思い起こした。
『普段であれば、厄介払いできたと喜ぶところだが、今回ばかりはそうもいかん。サイラスは二週間後、王都フォルトゥナの士官学校に入学する。しなくてはならない。何があってもだ』
『お前は今この瞬間から"サイラス・レーラント"だ。今後のことは、現地でお前の兄、"セシル・レーラント"に聞け。私からの指示は一つ、……決して真実を露見させるな』
レーラント伯爵から聞かされた言葉は精々これくらいだ。カルディアは自身の知っていることをセシルに伝えようと、椅子に座る彼に向かって口を開いた。
「サイラス様の代わりに、士官学校へ入学するようにと仰せつかっております。今後のことはセシル様に伺うようにとも」
「それだけか」
「旦那様は、サイラス様は何としても、何があっても士官学校に入学しなくてはならないとも仰っていました。それ以上のことは、何も……」
「はぁ……つまり何も説明していないわけだな、父上は」
セシルは机に肘をつき、頭を抑える。左足が苛立たしげに揺れていた。
「お前も分かっているとは思うが、父上がこうまでして"サイラス・レーラント"を士官学校に入学させたのは、あいつの将来のためではない。来月から行われる【戴冠せし者】の選出に向けてだ」
「【戴冠せし者】?」
「次の国王のことだ。身分も出自も関係なく、より優れたものを国王とするための制度。選出方法は現国王が決める。かつては文武を争うこともあれば、運や民衆からの評判で決めることもあったらしい」
幼い頃からレーラント家で働いて、ろくな教育など受けてこなかったカルディアにとっては、初めて知る言葉だった。
「……父上は、俺にも【戴冠せし者】の選出に参加するよう仰られた。参加者は来月から、ここフォルトゥナ神殿に身を置くことになる。そして選出期間中、部外者の神殿への立ち入りは、厳格に規制される」
セシルが顔を上げ、昏い目でカルディアを見つめた。どこか憎悪さえ感じる視線だ。
「要するに父上は、【戴冠せし者】選出期間中、神殿内部に手駒を置いておきたかったわけだ。少しでも有利に事が進められるようにな」
「つまり、私はセシル様が【戴冠せし者】となるためのお手伝いをすれば良いということでしょうか」
確認のために尋ねる。当然肯定の言葉が返ってくると思っていたが、セシルの返事は意外なものだった。
「別に何もしなくていい」
「え?」
「俺はそもそも、王になる気などない。この神殿には、父上の監視も届かぬからな。正体さえ隠し通せていれば、お前に望むことはない」
驚くカルディアをそのままに、セシルが立ち上がる。机の上にあった鞄を手に取ると、部屋の扉へ向けて歩き出した。
「今代の【戴冠せし者】は、もう決まっているようなものだしな……」
「? セシル様、今なんと――」
「……見送りはいらないと言っただけだ」
セシルは背を向けままそう言うと、一度も振り返らないまま部屋を後にした。




