婚約者?
(何がどうして、こんなことに……)
カザール宮殿の一角、周囲には忙しなく動き回る侍女たちがいる。侍女たちはたくさんの宝飾品を持ち出してはカルディアに当ててみて、あれでもないこれでもないと議論している。黙ってされるがままのカルディアは、カザールの伝統衣装で着飾られていた。胸元と腹部に露出があり、腕や頭部を覆う薄地の布は、金糸の刺繍で豪奢に仕立てられている。
(この服、胸の傷が目立つな……)
見苦しいから隠れるものの方が良いのではと尋ねたが、これが正装らしく変更は難しいようだった。その代わりと言って、侍女達は今、傷を隠せそうな首飾りを選んでくれている。
「これなんて素敵じゃない?宝石が瞳の色にぴったりだわ」
そう言って首にかけられたそれは、今まで見たこともないような大きな宝石のついた首飾りだった。確かにこれなら、胸の傷もほとんど隠せそうだ。侍女たちの気配りが有難い。
「えぇ、それくらい派手な方がいいわね。なんてったって未来の王妃様ですもの」
心遣いに感謝の気持ちを抱いていたのも束の間、「未来の王妃様」という言葉で現実に引き戻されてしまう。
(本当に、どうしてこんなことに……!!)
ただラディンに着いて来ただけのカルディアが、どうしてこんな状況に置かれているのか。
話は数刻前に遡る。宮殿に忍び込んだところを兵士に見咎められ、絶体絶命だった時。カルディアを背後から抱き寄せていたラディンは、体型を女性的に見せるための詰め物を捨て、首飾りを引きちぎる。それから外套を脱ぎ去って言った。
「まさかオレの顔、忘れたなんて言わないよな?」
露になった紫の瞳とプラチナブロンドを見て、正面のナイールが大きく目を見開いた。その瞳にじわじわと涙の膜が張りはじめ、皺の刻まれた頬を濡らしていく。そうして漏れたのは、嗚咽混じりの声だった。
「ご無事で、あられたとは……」
ナイールが片膝をついて頭を垂れると、兵士たちもそれに倣った。ただの廊下の一角が、なんだか荘重な雰囲気を帯びている。この場で状況を把握できていないのは、カルディアだけらしい。
「ご帰還、お待ちしておりました。ラディン王子」
「王子」ラディンの名に付けられた敬称に、信じられない気持ちで振り返る。そんなカルディアと目が合ったラディンは「あとで説明するから」と言って笑った。ナイールの指示で兵士達が持ち場に戻る。ゆっくり話せる場所へ行こうと、ラディンとナイールに連れられ別室に移動することになった。そうしてたどり着いたそこはラディンの私室らしく、案内されたソファに腰掛ける。カルディアは二人が難しい顔で話しているのを、隣でぼんやりと聞き流していた。
「つまりオレは、死んだことになってたわけか」
「ニコレッタ殿よりそうお聞きしておりました。しかし、生きておられたのならすぐに戻ってきて下されば良かったものを。一年間もどこで何を?」
「放浪生活的なのをちょっとな」
話を聞く限り、ナイールはラディンと違い、ニコレッタのことを警戒していないようだった。ラディンの方も、今回ここに来た目的を話すつもりはないようだ。話は進み、ナイールはラディンが王に謁見するために予定を取り付けてくるということに決まった。ナイールが立ち上がる。そのまま立ち去るものかと思わったのだが、カルディアに厳しい目を向けて動かなかった。どうやら、王子にくっついてきた不審なオマケを見逃すつもりはないらしい。
「それで王子、その者は?」
「コイツはカルディアだ」
「名を聞いているのではございません。ウェリスタス人のようですが」
「おう、そうだよ。良い奴だから気にすんな!」
「……ただのウェリスタス人でしたら頷けたやもしれませんが。その者の羽織、アストラ兵が使うものと同じに見えますな」
カルディアは言われてハッとした。あの時は時間がなくて、フェンリルの屋敷で借りた羽織をそのまま着てきたのだ。まさかこれが、アストラ兵と同じものだとは知らなかったし、それに気づかれるとも思わなかったので油断していた。
「そういうこともあるだろ。なっ?」
「なっ?ではありません!王子、貴方がその者をどう思っているかは分かりませんが、敵国の……それもアストラの者をこの宮殿で自由にさせることは出来ません。その者は拘束させていただく」
「なっ、待てよナイール!」
「手荒な真似は極力しないよう、見張りには言いつけておきましょう」
今にも衛兵を呼ぼうとするナイールの腕を、ラディンが強く掴んで引き止めた。部屋の中には、緊迫した空気が漂っている。
「待て、ナイール。拘束は許可しない、命令だ」
ラディンにしては珍しく、威圧的な声音だった。しかし、相対するナイールが怯む様子もない。
「……これは王の御身にも関わる問題です。それとも何か、彼女を拘束しないに値する理由がお有りですか?」
「コイツは――」
「良い奴だ、などと言う不確かなお答えはなさらぬよう」
ラディンがぐっと言葉を詰まらせる。カルディアは、ことの成り行きを見守ることしかできなかった。
「……やはり、衛兵を呼んで参りま――」
「婚約者だ!」
「「は?」」
カルディアとナイールの声が重なる。ラディンの突拍子もない発言に、二人して目を剥いていた。カルディアは驚きのあまり、無意識にソファから腰を浮かせていた。
「カルディアは、オレの婚約者だ。理由としては十分だよな?」
「ラ、ラディンさん!?」
目の前に立つラディンの袖を引くが、彼は振り返らなかった。ナイールは未だ衝撃が抜けないようで、何も言えずに立ち尽くしている。
「ナイール」
「………………承知、致しました」
長い長い間をおいて、ようやくナイールが返事をした。彼は深々と礼をすると、「王に報告に行って参ります……諸々の」と消え入りそうな声で呟き、部屋を出ていった。取り残されたのはカルディアとラディン。ようやく二人きりになれたところで、カルディアの追及がはじまる。
「ラディンさん!!」
「うん、ゴメン」
これから怒られる、ということを察していたのだろう。ラディンは先手を打って謝罪してくる。しかし、それだけで収めるには、色々なことが起こりすぎていた。
「婚約者って……!いや、そもそも、男の人――え、ていうか王子なわけで。死んだことになっていたっていうのも……」
「ははっ!混乱してるな」
ラディンが愉快そうに笑う。貴方のせいでこうなっているのに、一体何を楽しそうにしているのか。
「混乱もします!一から説明してください」
「分かったから、袖引っ張らないでくれ、伸びる」
カルディアが渋々と手を外せば、ラディンがこれまでの経緯を説明しだす。
「一年前、オレも前線に駆り出されてたんだ。王族として経験を的なやつで。で、そこでニコレッタに殺されかけて」
「こ、殺されかけた?」
「あの時はまだ、ニコレッタも今ほど盤石な地位になくてさ。東部の反乱鎮圧についても、やり方が酷いって否定的な意見が多かった。アイツはそういう自分に敵対する人間を、一人ずつ減らしていってたんだよ。当然オレも狙われた。戦場のどさくさに紛れて、後ろからズドンとな」
ラディンが、ぐっと握り込んだ手を勢いよく開く仕草をして見せる。ニコレッタは魔人を使い、爆発を起こして敵兵もろともラディンを襲ったとのことだった。
「それはもう派手に血が噴き出してさ!それ見て死んだって思ったんだろうな。アイツ、オレが本当に死んでるか、特に確認もしてこなかったんだよ」
もしそこで、ニコレッタが抜かりなくトドメを刺していたのなら、ラディンはもう生きていなかったのだろう。それだけは、不幸中の幸いだったのかもしれない。爆発による怪我は、見た目こそ派手だったが傷自体は浅かったらしい。自力で応急手当てをしてから、飛翔馬に乗ってウェリスタス側に渡ったそうだ。
「あのままカザールに戻っても、またニコレッタに狙われるのは目に見えてたからさ。アイツをどうにかする方法が思いつくまでは、ウェリスタスに身を隠そうって思ったんだ」
「そこまでは分かりました。それで、どうして女性のふりを?」
「たまたま会った商人が、振動で声を変える?みたいな魔法具を売ってて。よく考えたらオレって、ウェリスタスにとっては敵国の王子なわけだろ?ま、一種の自衛だよ。女のふりしといた方が安全かも、くらいの」
ラディンの言い分は納得のいくものだったし、「大体お前だって男のふりしてるよな?」なんて言われてしまえば、これ以上文句は言いづらい。
「アンタが一緒に寝ようって言い出した時は焦ったんだからな」
「そ、その節はごめんなさい?」
言ってから、どうして私が謝ってるんだろうと疑問が湧く。当然のように怒られて、つい謝罪してしまった。とはいえ、ここまでの問答でカルディアの中である程度の疑問は解消されていた。しかし、一つ大きな問題が残っている。
「というか、さっきの婚約者っていうの、あれはなんですか!」
「本当ごめん!あの時はそれしか思いつかなくてさ。友達とか言っても、ナイールのやつ見逃してくれないだろ?」
「だからって婚約者……」
仮にも一国の王子が、軽々しくそんなことを言ってしまって、大問題になるのではないか。頭を悩ませるカルディアに、ラディンが「でもさ」と軽い口調で言う。
「別に大した問題でもないと思うんだが」
「大した問題ですよ!この話が宮殿中に広まっちゃったりしたら、訂正するのが大変――」
「別に訂正しなくて良いだろ」
「えっ、いや、でも」
なんだかラディンがとんでもないことを言っている。咄嗟に反論を重ねようとするカルディアより早く、ラディンは言葉を続けた。
「ミラフォッサで言ったこと、覚えてるか?全部終わったらカザールに来いって」
「覚えてます、けど……」
カルディアは、急な話題の転換についていけず曖昧に頷いた。目の前にある紫色の瞳が妖艶に細められる。いつも親しみやすい雰囲気をしていて意識することはなかったが、こうしてみると物凄い色気のある人なんだと気づいた。それもそのはずだ、女として振る舞っていても違和感がない……どころか、紛うことなき美女だったのだから。体格も口調も決して女らしくはなかったのに、それでも女性だと信じきってしまっていたのは、魔法具で変えられた声だけでなくこの顔立ちのせいもあったのかもしれない。
「あの時だって、礼儀正しくてお人好しで、良い奴だなって思ってたんだ。でもオレのために、こんな危ないとこまで着いてきてさ。今回のことでますます気に入った」
「えっ、あの……」
ラディンの左手が頬を撫でる。自分を見つめる瞳に吸い込まれそうな気がして、カルディアは思わず顔を逸らした。
「アンタみたいな可愛い奴なら、オレが一生面倒見てやるよ」
歯が浮くような台詞を、ラディンは恥ずかしげもなく囁いてみせる。なんだか聞き覚えのある言葉だ。確か、ミラフォッサを一緒に歩いたときも、同じようなことを言われた気がする。
――アンタみたいなちまっこい女一人くらい、アタシが一生面倒見てやるよ
女性らしい声でそう言ったラディンを思い出した。あの時のカルディアはこの発言を、女同士の戯れくらいに思っていた。今だって、その時の気分が抜け切っていない。しかし良く考えれば、目の前にいるのは男性なのだ。そう意識すると、今まで普通だった距離感がやけに近く感じて、気恥ずかしさからか顔が熱くなってきた。そんな彼女の心情を知ってか知らずか、近づいていた体がパッと離れる。先ほどまでの色気はどこへやら、快活な雰囲気を取り戻したラディンが、いつもの調子で笑いかけてきた。
「ま、それもこれもニコレッタをどうにかしてからだな!」
一瞬にして意識を切り替えた目の前の男とは違い、カルディアの頬の熱は、しばらく冷めそうにないのだった。




