ラディンの頼み
ミラフォッサ要塞に入ってから一週間。カルディアは二日前から、アストラ邸で一人留守番の役目を与えられていた。ヴィンセントたち騎士団やレオは、フェンリルと共に前線へと出ている。そんな中、どうしてカルディアが一人暇を持て余らせているのか。それは、彼らが出征する前日の軍議でのことだった。
「サイラス・レーラントの同行は許可しない」
そう言ったのはフェンリル。カルディアの瘴気を感じる力を使えば、魔人がいつ何処に現れるのか把握できる、と述べたヴィンセントに対する答えだった。
「許可しないって……護衛の兵を割けと言ってるわけでもないんだ。彼については騎士団の方で預かるから、お前が気にかける必要は――」
「だとしてもだ」
「……フェンリル、お前なぁ」
余りに頑な様子のフェンリルに、ヴィンセントはお手上げ状態だった。カルディアは、何故そこまで自身の同行が拒まれるのかと考える。ろくに戦力にもならない彼女を連れて行けば、余計足手纏いになると考えているのだろうと結論づけた。
「戦場では、足を引っ張らないように気をつけるつもりです。最悪何かあっても、殿下と違って問題にならないですし」
自分が死んでも、特に気にする人もいない。良かれと思って述べた言葉だったが、フェンリルとしては不満だったようだ。
「そう思っているなら、尚更連れて行けない。……安全を保障できない以上、許可は出せない」
「その言い方だと、彼だけはどうしても危険な目に遭わせたくないって風に聞こえるぞ」
茶化すように言うヴィンセントに、フェンリルは恥ずかしげもなく「そうだ」とだけ返した。どうしてそんな扱いになっているのか、カルディア自身も理解できない。彼にそこまで心配される関係性にはないはずだ。
「オイ、確かにコイツは弱っちくてすぐ死にそうだが。このくらいの年の男なら、いざって時に戦場に出るのは当たり前だろ。何をそんなに過保護になってやがんだよ」
(もしかして、私が女だって気づいて……はいなさそうだな)
レオの「このくらいの年の男なら」という発言に、自分が女だから気遣われているのではとも考える。しかし、どうも納得いかない。フェンリルはヴィンセントのように鋭いタイプには見えないし、仮に女だと勘付いたら、すぐに確認してきそうだ。
「彼を連れて行く気はありません。申し訳ありませんが殿下、ここでは私の決定に従って頂きます」
「ハァ……。わーったよ、お前の好きにしろ」
当然、この戦の総指揮権はフェンリルにある。彼が連れて行かないと決めたなら、その決定を覆せるものは他にいない。そんなこんなで、カルディアは一人ミラフォッサ要塞に取り残されてしまったわけだ。
フェンリル達の帰還を待つ間、特にすることのない日々ではあるが、カルディアは案外楽しい毎日を送っていた。というのも――。
「あら〜、アンタ綺麗な目してるねぇ」
「あ、ありがとうございます」
「髪も立派な黒髪で、アンタ女の子?」
「いえ、男です」
「まあ残念!女の子だったら、領主様のお嫁になって欲しいくらいだったのに」
「あ、あはは」
街の誰もがこんな様子で、黒髪金眼に対して全く抵抗がない……どころか、異常なほどに好意的なのだ。初めアストラ邸の家令に、「容姿のことは気にせず、好きにお出かけになってください」と言われた時は信じられなかったが、今ではそういう土地柄だと自分を納得させている。同じアストラ領であるキュレニアでは、いつも通り邪険にされたことを思うと、ミラフォッサだけが特殊なのだろう。
(みんな揃って、女だったら領主様の妻にって言ってくるのは複雑だけど……)
怯えられるよりはよほど良い。こんなに人の視線を気にせず過ごせる場所は、生まれて初めてだった。街の人たちに声をかけられながら散歩で時間を潰し、そろそろ戻ろうかとした時。少し遠くから何やら言い争うような声が聞こえてきた。つい気になって、声の方へと足を進める。
「一体いつになったら入れるんだよ!」
「だから、何日経っても無理だって言ってるだろう?この時勢に、カザール人を中に入れるわけにはいかんよ」
「だからアタシは、ここの主に大事な話があるんだってば!話だけでも通してくれ!」
「あー、もう、駄目だ駄目!これ以上ごねるようなら、拘束して牢にぶち込むことになるぞ!」
なんだか聞き覚えのある声だと思えば、なんとそこに居たのはキュレニアで会った褐色の女性、ラディンだった。
「ラディンさん!?」
うっかり声を上げれば、ラディンと門兵が同時に振り返った。ラディンはカルディアを見ると、パッと顔を綻ばせる。
「アンタ、この前の嬢ちゃんじゃないか!元気してたか?」
「は、はい」
「……レーラント殿。もしや、この者とお知り合いですか?」
門兵は怪訝な表情で、カルディアに尋ねた。小さく頷いてから答える。
「はい、以前助けてもらって」
「なあなあ、アンタからもこの石頭に言ってくれよ!もう何日も門の外で立ち往生してんだぜ?」
「助けてはあげたいんですが……。私が言っても、どうにもならないかと」
不満そうに口を尖らせるラディンに苦笑いする。そんなカルディアを見て、思案顔だった門兵が居住まいを正してこう言った。
「そんなことはありません」
「えっ?」
「閣下より、留守の間貴殿の希望はすべて叶えるようにと命を受けております」
(フェンリルさんが?何でそんなことを……)
「しかしこの状況下で、カザール人を要塞内に入れることのリスクは言わずもがなでしょう。それを分かったうえで、この者が貴殿の信頼に値すると考えるのなら、私にそうお申し付けください」
なんだか大変な決定権を与えられてしまった。ラディンには好感を持っているが、門兵の言う通り、敵国の人間を入れて何かあったのでは取り返しがつかない。どうしたものかと頭を悩ませながらも、キュレニアでラディンと交わした別れ際の会話を思い出した。また会うことがあれば、その時にお礼をして、名を名乗ると約束したのだ。
「ラディンさん、一つ聞きたいことがあります」
「何だ?」
「貴女はどうして、ミラフォッサ要塞に入りたいんですか?」
とりあえず、彼女の目的を明らかにしなければ何も判断がつかない。カルディアの問いに、ラディンはいつになく真剣な表情をしていた。
「フェンリル・アストラ辺境伯に会いにきた」
「フェンリルさんに……?」
「……あぁ、頼みがあって来たんだ。カザールの為の頼みだが、アストラにとっても利になるはずだ」
「内容は?」
ラディンは一呼吸の間を置くと、真っ直ぐな、揺るぎない目でカルディアを見た。
「ある女を、殺してもらいたい」
いつの間にか落ち始めた夕日が、彼女の褐色の頬を赤く照らしている。想定していたよりずっと強烈な内容に、カルディアは何も言うことができない。
「その女は、カザールの兵を魔人とかいう化け物に変えてる。魔人を使ってアストラとの戦に勝ったら、もっと数を増やすつもりだ」
(魔人……!)
「王はあの女に心酔してるが、アタシからすりゃ胡散臭くてならない。アイツは、カザールのことなんて考えちゃいない。言われるがまま国民を魔人に変えていきゃ、待ってるのは破滅だ」
「だからフェンリルさんに……」
「アタシはカザールを愛してる。だからこそこの戦、どんな手を使ってでもカザールを……いや、ニコレッタを負かしたい。……悔しいがその為には、フェンリル・アストラに働いてもらうしかないんだ」
ラディンの頼みを聞くかどうかを判断するのは、フェンリルだ。しかしここで彼女を追い返してしまっては、カザールで魔人を生み出しているという女について、これ以上情報を得ることは出来ないだろう。その女をどうにかできれば、カザールとの戦もきっと楽になるはず……。それに何より、カルディアはラディンが嘘をつき、アストラを陥れようとしているとは思えなかった。
「……分かりました」
「ほ、本当か!!」
「はい。ですがフェンリルさんは、二日前に出征していつ帰ってくるのかわからないんです。それでも構いませんか?」
「あぁ、ギリギリまで待つ!ありがとな」
ラディンはカルディアの手を両手で掴み、ぶんぶん振ってくる。その手はとても力強く、少し痛いくらいだ。
「い、いえ。フェンリルさんが頼みを聞いてくれるかもまだ分かりませんし……」
「だとしてもだよ、アンタには感謝してる!あっ、そういえば、また会ったら名前を教えてくれるって約束だったろ?」
「そうでしたね」
彼女にはもう女だとバレているわけだし、サイラスの名前を借りる必要もないだろう。カルディアは軽く頷くと、門兵の耳に入らないようにラディンの腕を引き、耳元でそっと自分の名前を囁いた。




