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ただの使用人の女ですが、伯爵家次男の振りをして士官学校に入学します  作者: 睦見むに
一章

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黒い涙


 魔法訓練場の中心、片手で男子生徒を振り回しながら、狂ったように叫ぶイザベラ。彼女は、カルディアが剣を両手に掴んで自分の方に走り寄っていることに気づいていないようだった。


(この高さなら、ぎりぎり届く!)


 黒い翼をバタバタとはためかせ、空を飛ぶイザベラ。その真下近くまで来たところで、カルディアは手にした剣を思い切り振りかぶった。構えも持ち方もなっていないめちゃくちゃな振り方だったが、その切先はイザベラの右足首を掠め、彼女の皮膚に薄い傷をつける。


「アァ……ア゙?」


 イザベラは、締め上げていた男子生徒の首をパッと離した。どさりと音を立てて、訓練場の地面に男子生徒が落ちる。


(地面は芝生だから、大丈夫だと信じたい……)


 カルディアはそれなりの高さから放り出された男子生徒を横目に、そんなことを思った。しかし、他人の心配をしている暇などなかったらしい。滞空するイザベラの首がグルリと回り、濁った瞳がカルディアを捉える。


(まずい、来る!)


 そう直感すると同時に、カルディアは手にしていた剣を投げ捨て、じりじりと後退する。イザベラをこの手でどうにかしようなんて、考えてもいない。応援が来るまで、どうにか逃げ切らなくては。イザベラは体をカルディアに向けると、ゆっくりと両手を持ち上げ、手のひらをカルディアへと向ける。じわじわと赤い光が集まり出したと思った途端、とても避けられない大きな炎が、瞬く間にカルディアの前まで迫っていた。


(……っ、ぶつかる)


 反射的に、腕で顔を隠す。しかしその程度、大した防御にもならないだろう。死を覚悟しそうになったその時、首にかけていた指輪が、フワリと浮き上がった。指輪は徐々に強い光を放ち始め、イザベラの放った炎が鼻先に届こうとしたその時、洪水のような波が炎を呑み込んだ。


「えっ」

「ウァァ……!!」


 空に浮かぶイザベラは消えた炎を見て、また両手をかざした。そうして放たれた炎も、同じように水によってかき消される。


(殿下にもらった指輪。これがあれば、どうにか持ち堪えられるかもしれない……)


 しかし、指輪に込められた魔力も無限ではない。レオが来る前に、指輪の魔力が尽きてしまう可能性が高い。


(せめて、王女を空中から引きずり降ろせれば……)


 空を飛ばれたままでは、機動力という意味でも圧倒的に不利だ。カルディアは思考を巡らせ、作戦とも言えないような方法を思いついた。


「王女殿下、言葉が届いているのかは分かりませんが。そんな炎では、私をどうにかすることはできませんよ」

「ヴァァ……!!」

「それこそ、視界中覆い尽くすような炎でなくては!」

「ヴア゙ァァァァォ!!!!」


(良し、乗ってきた!)


 イザベラの生み出す炎が、先ほどまでと比ではない大きさになっている。カルディアの視界にはもう、炎以外映っていなかった。イザベラもきっと同じだろう。カルディアは大きく深呼吸をすると、イザベラが炎を放ったと同時に、その火の渦の中へ飛び込んだ。


(熱い……!でも……)


 凄まじい熱気が身を包むが、炎が身を焼く前に、指輪の生み出す大洪水が火を消していく。そうして炎の中を走り抜けた先には、まさか足元にカルディアが居るとは思いもしないであろうイザベラが待っている。カルディアは勢いを止めないまま走ると、上空にいるイザベラの右足に飛びついた。


「ヴァッ!?」


 イザベラの体がガクンと地面に引きずり降ろされる。また飛び立たれないうちに、地面に倒れたイザベラに馬乗りになった。


「ヴァァァウ!!」

「大人しく、して、ください!」


 当然カルディアが抑え切れるわけもなく。瞬く間に体勢は逆転し、今度はイザベラが馬乗りになる。イザベラは横たわるカルディアの首に手をかけると、じわじわと力を込めていく。先ほど炎に突っ込んだ分で、指輪に込められていた魔力も切れてしまったらしい。人間離れした力の前にろくな抵抗も出来なかった。


「ぅ、あ」

「アァァウ」


(だめ、息が、できない……。王女……泣いてる?)


 黒い涙を流し、苦悶の表情を浮かべるイザベラは、まるで泣いているように見えた。いつものお人形のような笑顔の面影もない。ギリギリと強くなる締め付けが、カルディアの意識を奪っていく。視界の端が黒く染まり始めたその時、少し遠くから慌てたような声が響いた。


「で、殿下、ここです!!」

「お前は下がってろ」


(殿下……)


 ようやくレオが到着したらしい。朧げな意識でそれを理解するが、同時に首を絞める力もぐっと強くなった。ジタバタと足を動かしもがくが、抜けられない。このままじゃ不味い、そう思った途端、イザベラの体がフワリと宙に浮き上がった。イザベラが翼で飛んだのかと思ったが、どうも違うらしい。ぜえぜえと、痛む喉で息を整えながらイザベラを見る。彼女は見えない何かに捕らわれたように、指の一本も動かせずにいた。


「はーっ、はーっ……」

「一体何がどうなってやがんだよ」


 レオはそう言いながらカルディアの側まで歩み寄ると、彼女の手を取り起き上がらせた。


「殿下、王女が、ケホッ」

「大体のことは聞いてる。お前は息でも整えとけ」


 イザベラを空中に拘束しているのは、恐らくレオの魔法だろう。このまま大人しくしていてくれればいいが……。そう思ったのも束の間、イザベラが甲高い叫び声を上げた。彼女の周囲に火柱が立ち上る。


「あんなになってても魔法は使えんだな」

「殿下、王女をもとに戻せないんですか?」

「無理。あんなん見たこともねえし、魔法は万能じゃねぇんだよ」

「だったらどうすれば……」


 考え込むカルディアの隣で、レオが右手を持ち上げ、グッと手を握り込んだ。その瞬間、イザベラを囲うように上がっていた火柱がパッと消え去る。


「とりあえず、徹底的に叩きのめす。それでもとに戻ったら御の字だろ」


 イザベラが、苦しそうな鳴き声をあげた。体を強く締め付けられているようで、ギシギシと骨の軋む音が、ここまで聞こえてきそうだ。


(また、瘴気が濃くなった)


「ヴァァァァァ!!!ア゙ォォォウ!!!」


 レオはイザベラの断末魔に耳も貸さず、体をより強く締めつける。イザベラが一際大きく鳴いた。バチンと弾けるような音が鳴ると、イザベラは翼をはためかせ、上へ上へと飛んでいく。


「へぇ……破られるとは思わなかったな」


 レオは鋭い瞳で逃げるイザベラを見ると、スッと手を横なぎに動かす。レオによって生み出された氷の槍は、ものすごい速さでイザベラを追い回すと、彼女の翼に突き刺さった。翼を負傷したイザベラは、どさりと地面に落ちる。


「瘴気が……」

「あぁ、俺にも見える。…………もう魔物だな、あれは」


 レオはしばらくの間、じっと自分の手を見つめていた。それから躊躇いがちに口を開く。


「ここまで来ると、もとに戻る望みはねぇ」

「どうする、つもりですか?……貴方の妹ですよ」


 まさかとは思うが……。最悪の流れが脳裏をよぎり、尋ねた。レオは、地面に伏して唸るイザベラを静かに見ている。


「だからこそだ。いくら俺でも、身内の後始末くらいするさ」


(つまり、王女を……。そんなの止めたいけど、止めてどうするの?)


 彼女をもとに戻せるなら良い。だが、今の彼女は魔物そのものだ。そもそも、どうして人間であったイザベラが、魔物になってしまったのだろう。イザベラをじっと見つめ、考える。


(あれ?右の手首……あそこだけ瘴気が濃い?)


 この三週間近く、うんざりするほど瘴気を見続けていたカルディアでなければ、気づかない程度の差だった。しかし、確かにそこだけ瘴気が濃い。思い返してみれば、初めてイザベラに瘴気を感じた時も、そうだった気がする。


(無理かもしれない。でも、可能性があるなら)


 カルディアは先ほど自分が放り投げた剣を手に取ると、イザベラのもとへと駆け出した。


「オイ!何してんだお前!!」

「殿下、王女が暴れないように抑えていてください!」

「はぁ!?」


 最悪手首を切り落とすことになっても、死ぬよりはマシなはずだ。そう考えながら、イザベラの隣に腰を下ろすと、その手首を握った。レオが魔法で抑えているのだろう、イザベラが動く気配はない。イザベラの右手を手に取れば、その手首には禍々しい瘴気が漂う腕輪が嵌められている。


(これのせい?だったら、外せば……!)


 そう思い手をかけるが、皮膚と癒着しているようでピクリともしない。カルディアは剣を手に取ると、腕輪目掛けて突き立てた。しかし折れたのは剣の方で、腕輪には傷一つ付いていなかった。こうなればと、爪を腕輪と皮膚の間に差し込みどうにか剥がそうと試みる。


「サイラス、いい加減にしろ!!」

「腕輪が!これのせいです!殿下、これ壊してください!!」

「分かったから、お前は俺の後ろに下がれっつってんだよ!!!」


 レオがくいと指を曲げると、柔らかい風がカルディアの体を持ち上げた。そのままぐんぐんと、レオの元まで運ばれてしまう。


「殿下!王女の腕輪――」

「分かってる!」

「でも、この距離からの魔法じゃ、王女まで巻き込まれちゃうんじゃ」


 あの腕輪はとても頑丈だった。魔法の威力は相当高くしないといけないはずだ。それなのにこんな遠距離から、小さな腕輪をピンポイントに壊すなんて出来るはずがない。魔法が使えないカルディアですら、その難しさが分かった。そのはずなのに、レオの口元には笑みが浮かんでいた。彼の手元には、じわじわと魔力が溜まっていく。


「いいか、お前に教えといてやる。周りの奴らは俺を、宮廷魔法士レベルの腕前とか言ってやがるが、それ間違ってるから」

「え?」


 どんどん魔力が強くなる。レオの手のひらにあるのは、これ以上ないほど高密度で、純粋な魔力の塊だった。レオはしっかりと狙いを定め、愉快そうに笑った。


「宮廷魔法士なんて相手にもならねぇ。――俺が最強だ」


 魔力が弾けた。瞬間、体が吹き飛ぶほどの衝撃波が辺りに走る。実際吹き飛ぶはずだったが、レオが周囲の人間全員を、魔力で包みその場に留めたのだ。カルディアはしばらく呆然として、それからすぐにイザベラの方を見た。……瘴気が消えている。


「ハイ、おしまい」


 レオはそう言うと、イザベラの体を浮かせ、自分のもとへと運ぶ。イザベラは全身傷だらけだったが、その体は間違いなく人間のものだ。カルディアは勢い余ってレオの腕を抱きしめ、ぶんぶんと振る。


「よ、良かった……!良かったですね、殿下!」

「そうだな」


 なぜイザベラが魔物になったのか、あの腕輪はなんだったのか、気になることはたくさんあったが、ひとまず目の前の危機は去った。イザベラを、犠牲にすることなく。真相を探るのは、イザベラが目覚めてからでも遅くないだろう。安堵と疲労とがないまぜになりながら、隣に立つレオに笑いかけた。



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