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ただの使用人の女ですが、伯爵家次男の振りをして士官学校に入学します  作者: 睦見むに
一章

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13/38

終わりの始まり


 カルディアがヴィンセントに与えられた仕事は、彼に渡された数冊の歴史書から、ドゥークス・コンコルディアについての記述を洗い出すというものだった。当然歴史書など読んだことがないカルディアは、辞書を片手に四苦八苦してなんとか仕事をやり終え、騎士団の本部へと報告へ来ている。

 カルディアが読んだ歴史書の中で、ドゥークス・コンコルディアについて書かれていたのは一冊。記述は『王国歴二百五十一年:ドゥークス王、アストラ領へ出陣す。』この一文のみだった。ヴィンセントはカルディアの報告を聞くと、意外そうに目を開いた。


「アストラ領か……。王自ら北の戦線地帯に赴くなんて、今じゃありえないことだな。まぁ、三百年前ともなれば話も違ってくるか」

「アストラ領って、フェンリルさんの領地ですよね」


 ヴィンセントは頷くと、アストラ領について軽く説明をしてくれた。フェンリル・アストラ辺境伯の治める北の地。ウェリスタスでも屈指の面積を誇るが、隣国カザールと広く国境を接しており、国境線を越えようとするカザールとの戦が絶えない。ウェリスタス神国を守る、北部の盾だ。


「アストラ家は代々優秀でね。カザールに国境越えを許したことは一度もない。数年前は戦況が厳しくて、当時の当主が王に王国軍の派遣を要請したそうだけど……あえなく断られたらしい。だから、王自ら北に出陣したっていうのは意外だな」


 ウェリスタス神国の内地は、魔物や瘴気の影響にさえ気をつければ、これといった危険はない。しかし、北に行けば全く違う景色が広がっているのだろうと、カルディアはまだ見ぬ土地を想像した。


「でも、ドゥークス王が国病みを鎮めた方法とは、関わりがなさそうですね」

「それはそうだけど、単純に面白かったよ。後で一応、フェンリルにも話を聞いてみる」

「それで、次は何をすれば――」


「次は何をすれば良いですか」そう言いかけたカルディアの顔に、向かいからヴィンセントの手が伸びた。思わず目を閉じれば、頬に手を当てられ、目元を指で撫でられるのを感じる。


「本を読むのは苦手かな?」

「えっ」

「隈が出来てる。楽な仕事を頼んだつもりだったんだけど、余計に疲れさせちゃったみたいだね」


 ヴィンセントが垂れ目がちな目を細めた。頬に当てられいた手が、ゆっくりと離れていく。ヴィンセントが想定外に自分を気遣ってくれていたと知り、なんだかくすぐったい気持ちになる。


「そんなに気遣ってもらわなくても……。まだ他に、調べるべき本があれば、ぜひ言ってください」

「うーん、そうだな……」


 ヴィンセントはしばらく思案するように黙り込んでから、ぱっと顔を上げた。なんだかいつも以上に、にこにこしている。


「頼みたいことがあるから、ちょっと着いてきてくれるかな」


 そう言うヴィンセントに連れられてきたのは、人で賑わう城下町だった。フォルトゥナ神殿は王都の中心部に位置しているため、城下町へ歩いて向かっても、そう時間はかからない。しかし、王都に来てから神殿を一度も出ていないカルディアにとっては、初めて足を踏み入れる場所だった。行き交う人々、道には露店が立ち並び、昼にも関わらず酒場は賑わっている。城下町まで来て頼みたいこととは何だろうと考えていると、ヴィンセントが声をかけてきた。


「甘いものは好き?」

「? はい、好きですよ」


 士官学校に来るまでは、甘いものなんてほとんど食べたことがなかった。しかし食堂で食事を取るようになってからは、たまに食べられる甘味を密かに楽しみにしている。カルディアが頷くのを見たヴィンセントは、彼女の手を取り歩き出した。たくさんある露店の一つに並ぶと、「これを二つ」と言って店主にお金を渡した。


「はい、桃の蜜漬け。甘くて美味しいよ」


 手渡されたそれは、種をくり抜いた丸ごとの桃に、蜂蜜のようなものが贅沢にかかっている。小皿の上で串に刺さっているそれを手に持つと、ヴィンセントはがぶりと食いついた。桃を手に固まるだけのカルディアに「ほら、君も」と促してくる。恐る恐る一口食べてみれば、桃の果汁がじゅわりと口の中に広がった。


「美味しい……」


 思わず目を瞬かせると、こちらを覗き込んできたヴィンセントが楽しそうに笑った。


「もう一個食べる?」

「い、いえ!それは流石に」


 その後も、ひたすらヴィンセントに城下町を連れ回された。食べ物や飲み物を与えられるのはもちろん、しきりに何かを買い与えようとしてくるので困ってしまったくらいだ。そうして二人で歩いていると、ある雑貨屋がカルディアの目に留まった。


(殿下にもらった指輪、持ち歩くように言われてるけどサイズが大きくて、ポケットに入れっぱなしなんだよね……)


 何か紐かチェーンでもあれば、首にかけられて便利かもしれない。そう思うものの、カルディアに手持ちのお金などなく、すぐに視線を前へと向けた。


「……ねえ、あの雑貨屋見て行こっか」

「はい。分かりました」


 ヴィンセントが指しているのは先ほどカルディアが眺めていた雑貨屋だ。女性ものしか置いていなさそうだが、興味があるのだろうか。雑貨屋に入り、ふらふらと中を回る。すると、金色の華奢なチェーンが目に入った。指輪も金色だし、こういうのなら合うかもしれない。軽く手に取り見ていると、横からひょこっとヴィンセントが覗き込んできた。


「チェーン?そういうシンプルなのが好きなの?」

「好き、というか。これを首に提げるのに使えるかなと思って」


 そう言ってポケットから指輪を取り出す。カルディアの手のひらに載せられたそれを見て、ヴィンセントは目を見開いた。


「すごいね、これ。レーラント家に伝わるものかな」

「えっ!まさか。殿下に頂いたんです」


 カルディアがそう言えば、ヴィンセントはますます驚いたようだった。「少し触って良い?」と聞かれ頷くと、指輪をつまみ上げじっと見つめている。


「指輪自体も高価だけど、魔法石に尋常じゃない魔力が込められてる。質に出せば、屋敷の一つくらい買えそうだね」

「や、屋敷!?」


 まさかそんなにすごいものとは思わず、ほいほい貰ってしまった自分を悔いた。なんだかもう、持ち歩くのも恐ろしくなってくる。


「護身用にと頂いたんですが。まさかそんな……か、返そうかな……」

「くれるって言われたんならいいんじゃない?うーん……他の男から貰った指輪の為ってのは気に入らないけど」


 ヴィンセントはそう言うと、カルディアの見ていたチェーンを手に取り、指輪も持ったまま店の奥に行ってしまう。止める間もなく、店主に代金を払ってしまった。それから指輪をチェーンに通すと、カルディアの正面に立つ。


「ちょっとごめんね」


 チェーンを持つヴィンセントの腕が首元に回された。ふわりと甘い匂いが鼻を掠める。ヴィンセントがそっと離れれば、首元にはあの指輪があった。


「うん、似合ってるよ」

「えっと、代金は――」

「今日のお礼だから。それに、その指輪に比べたら大したものじゃないしね。遠慮なく受け取って」


 "今日のお礼"と言われても、カルディアはまだ何もしていない。頼み事があると言うので着いてきたが、城下町を案内されて、色々と買い与えられているだけだ。頼み事とは結局何だったのかと問えば、ヴィンセントは悪戯に笑った。


「今日の君の仕事は、俺とお出かけすることだよ。こう見えて忙しいからさ、たまには癒しがないと」

「えっと、癒せていたんでしょうか……?」

「うん、すっごく」


 カルディアは、ヴィンセントがこうも自分に良くしてくれる理由が分からなかった。初めて会った時、彼を酷く恐ろしく思ったことも原因していた。流石にあの時と比べれば恐怖はないが、彼の親切には何か裏があるように感じる。


「そろそろ日が暮れるね、戻ろうか」


 ヴィンセントはそう言うと、そっと左手を差し出してきた。その手を取るか否か、迷って手を伸ばしかけたその時。

 ドカンと背後で衝撃音が鳴った。慌てて振り返れば、建物の外壁が崩れ、血を流した人が地面に倒れ込んでいる。


「ま、魔物だ!!」


 そんな声が、どこからか響いてきた。背後にいたはずのヴィンセントが、いつの間にか人混みへ向けて走り出していた。その向こうには、黒く立ち込める靄が見える。


「君はそこにいて!」


 ヴィンセントは振り向きもしないままそう言うと、人混みの中へと消えていった。王都の、それもこんな街中で魔物が出たなんてとても信じられない。少ししの間放心していたが、先ほど見かけた怪我人の手当てをすべきかと思い至り、視線を巡らせた。そこには、すでに街の人たちが集まって対処しているようだった。となれば、カルディアに出来ることもない。


(邪魔にならないように、大人しく――)


 そう思って道の端に体を寄せた時。ふと、視界の隅に人影が映った。黒い外套を身にまとい、フードを深く被っている。ここからでは、そのフードの中を窺い知ることはできなかった。その男は、隠れるように建物の影に立ち、騒動を見守っている。彼の見る先には黒い靄が立ち込め、凄まじい轟音が鳴り響いていた。


(なんだか、あの人……)


 異様な雰囲気に視線を奪われる。じっと見つめる。小さく風が吹き、外套の隙間から腕が覗いた。初めは黒い手袋をつけているように見えたそれが、異形なものだと気づくのにそう時間はかからなかった。黒くて、ゴツゴツとした腕。それだけならまだ良い。だがその腕には、向こうに見えるのと同じ黒い靄――瘴気が纏わりついていた。


(まさか、あの人が魔物を?)


 可能性としては十分にある。そうでなくても、無関係ということはないだろう。外套の男がそっと後ずさった。追いかけるべきなのではないか。しかし、ヴィンセントにはここにいるよう言われている。そうして判断を迫られるカルディアの耳に、少し遠くから焦ったような叫び声が聞こえてきた。


「黒髪金眼だ!!」


 カルディアは思わず肩を揺らし、勢いよく俯いた。視界の端で、外套の男が路地裏へと消えていくのが見える。まさか、こんなタイミングで目をつけられてしまうなんて。


「黒髪金眼ですって?」

「男なの!?女なの!?まさか、咎の娘じゃ……」

「あの魔物も、そいつのせいなんじゃないのか!」


 焦燥は、みるみるうちに周囲へ伝染していく。どちらにせよこの騒ぎでは、ここに留まりヴィンセントを待つのは難しいだろう。異端審問官を呼ばれる方が早いかもしれない。


(だったら、あの人を捕まえる)


 カルディアは、ぐっと手のひらを握りしめ、男の消えた路地裏へと走り出した。

 


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