始まりの日
「く、黒髪金眼よ!!」
入学式を終えた教室に、甲高い女の声が響き渡った。一瞬にして、教室中の視線がカルディアに集まってくる。
恐怖、嫌悪、警戒、忌避。向けられる視線には、そんな感情ばかりが込められていた。目の前にいる女の体はカタカタと小さく震えていた。カルディアの隣に座る第二王子は、頬杖をしたまま冷めた視線を浴びせてくる。
「なぁ、聞いたか?黒髪金眼って……」
「そんな不吉なやつが、学校にいるの?」
普段なら、レーラントのお屋敷で窓拭きでもしているだろうこの時間。カルディアは、貴族の子息子女や騎士候補ばかりが集まる、王立フォルトゥナ士官学校の中にいた。それもこれも全部、レーラント伯爵家次男である、サイラス・レーラントが突然失踪したせいだ。
(こんなところで、サイラス様の代わりに過ごさなくちゃいけないなんて……)
気の遠くなる思いがする。本当に、何事もなくやっていけるのだろうか。そんな暗い気持ちが胸をつくが、とにかく今は、この状況をなんとかしなくてはいけない。カルディアは深く息を吐き、前を見据えた。
*
二週間ほど前のこと。カルディアはいつも通り、レーラント伯爵家で使用人の仕事に勤しんでいた。四歳の時に唯一の肉親である母親を亡くしてから、十四年間。十八歳になった今に至るまで、ここで下働きをしている。
「おはようございます」
「……」
廊下の掃除をしているメイド達に声をかけるが、誰からも返事はない。それもこれも全部、カルディアの黒髪金眼という容姿のせいだった。ここ、ウェリスタス神国において、黒髪金眼は不吉の証。本人のみならず、周囲の人間さえも不幸にすると言われている。
(無視されるって分かってても、挨拶しないと折檻されるから大変なんだよね)
心の中でため息をつきながら、使用人棟から回収したシーツを抱えて洗い場へと向かう。洗い終えたら庭に干して、そのまま掃き掃除をして……。頭の中で今日の段取りを整えながら仕事を進めていく。そんなカルディアの耳に、廊下から何か騒がしい話し声が聞こえてきた。
「えっ、サイラス様がいなくなった!?」
「別館に置き手紙だけ残してあったそうよ。あそこって人が寄りつかないから、一体いつ出て行ったのかも分からないんですって」
「それはまあ……しょうがないわよ。不気味な黒髪金眼ですもの。誰もお世話なんてしたがらないわ」
「ちょっ、流石に口が過ぎるわよ!」
(サイラス様が、出て行った……?)
話の内容は、このレーラント伯爵家の次男、サイラス・レーラントについてだった。自分と同じ黒髪金眼である彼に、カルディアは勝手な親近感を抱いていた。だから、そんな彼が突然いなくなったというのは気になる話題だ。置き手紙を残して消えるなんて、何があったんだろう。どんな手紙だったんだろう。ついつい仕事の手を止めて考えに耽っていたところで、洗い場の扉が勢いよく開け放たれた。
「カルディアはここか」
扉の先に立っていたのは、使用人達を取り仕切る家令の男だった。カルディアは慌てて姿勢を正すと、男へと向き直った。
「は、はい。ここにおります」
「旦那様がお呼びだ」
家令は無表情のままそれだけ言うと、くるりと背中を向けて歩き出してしまう。家令の後に続けば、たどり着いたのはレーラント家当主、カロルス・レーラントの執務室だった。
「旦那様、カルディアをお連れしました」
「入れ」
カルディアは足が震えそうになるのを必死で叱咤しながら、執務室に入室した。流石当主の部屋と言うべきか、調度品の一つ一つに至るまで高級そうだ。
「サイラスが失踪した」
カルディアを部屋へと招き入れたレーラント伯爵は、不機嫌さを隠さない声音でそう言った。
「普段であれば、厄介払いできたと喜ぶところだが、今回ばかりはそうもいかん。サイラスは二週間後、王都フォルトゥナの士官学校に入学する。しなくてはならない、何があってもだ」
そこまで言って、虚空を見ていた伯爵の視線がカルディアへと向けられた。
「私がなぜ、お前のような気味の悪い女を今日までこの屋敷に置いていたか、分かるか」
冷たい視線が突き刺さる中、彼女の脳裏には先ほど廊下から聞こえてきたメイドの話し声が蘇っていた。
『不気味な黒髪金眼ですもの』
ウェリスタス神国でごく稀に、親の容姿に関係なく生まれる黒髪金眼の子ども。そんな不吉な容姿の子どもをわざわざ引き取り育てた理由。
「……心得ております」
「言ってみろ」
「私がサイラス様と同じ、黒髪金眼だからです」
黒髪金眼は珍しい。替え玉を用意するのも簡単じゃないのだ。それこそ、性別の違うカルディアを使わなければならない程に。カルディアの返答を聞いたレーラント伯爵は、家令に向けて何か指示するように視線を向けた。それを受けた家令が、一礼して部屋を去る。少しすると数人の使用人達が執務室へとやって来て、カルディアの腕を乱暴に引きだした。
「お前は今この瞬間から"サイラス・レーラント"だ。今後のことは、現地でお前の兄、"セシル・レーラント"に聞け。私からの指示は一つ、……決して真実を露見させるな」
レーラント伯爵がそう言い終えると同時に執務室の扉が閉まる。使用人達によって別室へと引きずり込まれた。床に押さえつけられ、ぐいと髪を引っ張られる。
「おぞましい髪……。このままでは士官学校でも目立ってしまうわ。短くしてしまいましょう」
「えっ!」
「こっちは私がしておくから、貴女は着替えを用意してちょうだい」
「えぇ、わかったわ」
メイドの手で床に押さえつけられたまま、ジョキジョキと鋏で髪を切り落とされていく。胸の下まであった髪は、肩口の長さに切り揃えられてしまった。メイド達は放心するカルディアを手際よく着替えさせると、小さなトランクを投げてよこした。
「それを持ってさっさと庭に出なさい。もう行きの馬車が待っているはずよ」
準備もさせてもらえないのかと驚くが、そもそもカルディアの私物は少なく、用意するべき物など思いつかなかった。だから言われるがまま庭に出て、トランク片手に馬車へと乗り込む。小さなトランクとカルディアだけを乗せた馬車は、静かに王都フォルトゥナに向けて出発した。




