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『観測の夜 - The Night of Vision』  作者: 南蛇井


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第7章:天の鏡、再起動

― 禁忌の起動


 聖句と回路が同居する、奇妙な聖堂だった。

 金属の匂いと香が混じり合い、機械の鼓動がまるで心臓のように響いている。

 ここは、教会本部の地下最深部――《ミラートゥーム》。

 天井を覆うように、巨大な鏡面装置が鎮座していた。

 光を吸い、音を飲み込み、世界を内側に閉じ込める“虚無の眼”。

 それこそが、教会が数百年封印してきた神の遺構――《天の鏡(Celestial Mirror)》。


 記録官たちが祈りの文言を唱える。

 装置の周囲に刻まれた聖句が青白く発光し、機械の軋む音がゆっくりと増幅していった。

 司祭たちは一斉に頭を垂れ、再起動の儀式が始まる。


 九条祐一教授はその列の外、観測席の影から沈痛な顔で見守っていた。

 古びた眼鏡の奥で、彼の瞳は揺れている。

 彼だけは、この儀式の結末を知っていた。


「やめろ……。

 《天の鏡》を動かせば、また“あの夜”が来る。」


 教授の言葉は、誰の耳にも届かない。

 教会上層部の代表が立ち上がり、荘厳な声で宣言する。


「世界の観測値は臨界点に達した。

 裏界の亀裂は拡大を続けている。

 我らは神の視線を鎮めるため、新たな観測核を捧げねばならぬ。」


 静まり返る空間。

 祭壇の中央に、白布に包まれた人影が現れた。

 装置の光がその輪郭を照らすと、九条の唇がわずかに震える。


「……まさか。」


 布が剥がされる。

 拘束された少年の姿――外薗優大。

 彼の瞳は半ば閉じられ、夢の底で何かを見ているようだった。


「彼を核にして、再起動を――!」

 上層部の号令と同時に、聖堂全体が震える。

 装置の中心に光が走り、無数の回路が一斉に目覚めた。

 まるで鏡そのものが“息を吸う”かのように。


 九条は祈るように呟く。


「……やはり繰り返すのか。

 神が自らを見たあの日を。」


 その言葉を飲み込むように、光が天井から降り注ぎ――

 《天の鏡》が、世界の“像”を映し返し始めた。



鏡界の目覚め ― 世界の反転現象


 ――《天の鏡》、完全起動。

 その瞬間、地下聖堂の天井が光で裂けた。

 銀白の波が螺旋を描きながら上空へと昇り、電磁圏を貫いて地上全域へと広がっていく。

 観測機器の警報が一斉に鳴り響き、地表のあらゆるモニターが震え始めた。


 それは、まるで世界そのものが“眼を開いた”ような現象だった。


 都市の監視カメラは、なぜか自分自身を映し出す。

 人工衛星は軌道上で、地球ではなく空そのものを観測している。

 電波望遠鏡は、向けた先に己の受信波を返し――

 ニュース番組の映像は、放送局の内部を無限に覗き返していた。


 データ、記録、視線、祈り――

 すべてが「観測のループ」に閉じ込められていく。


 そして空が、変わった。


 雲は消え、代わりに銀色の幕が広がった。

 まるで大気が鏡に変わったかのように、世界中の空が反射を始める。

 昼も夜もなく、あらゆる方向から光が降り注ぎ、

 その裂け目から“裏界の光”がゆっくりと漏れ出した。


 それは眩しさではなく、存在そのものを焼く光。

 観測する者の意識を反転させる――“向こう側からの視線”。


 教会本部の司令塔では、玲子がその異常な光景を見上げていた。

 無数の観測ログがオーバーフローし、機器の表示は意味をなさない記号と化していく。

 彼女は無意識に唇を噛んだ。


「これじゃ……世界全体が、ひとつの“目”になってる……」


 周囲の神官たちは祈りを止め、ただ呆然と空を仰いでいた。

 天井のスクリーンには、空の裂け目から覗く“巨大な瞳”――

 その中心に、微かに人影があった。

 白い光に包まれ、囚われたように浮かぶ――外薗優大。


 玲子の指先が震える。

 彼女は理解した。

 いま、世界そのものが彼を観測しているのだと。

 そして、彼の意識が揺らぐたびに、空の瞳が瞬きを返す。


 世界が、自分を見ている。

 人々が、見られている。


 境界が崩れ、現実がひとつの鏡像と化していく。

 《天の鏡》の再起動は、もはや制御不能だった。

玲子の離反 ― 禁忌の救出


 警報が鳴り止まない。

 教会本部の回廊を、玲子は無言で駆け抜けていた。

 赤い非常灯が点滅し、ステンドグラスに映る聖句が逆光のように歪む。

 制御不能となった《天の鏡》の反射光が、遠くの天井を銀に染めていた。


「観測官レベル3、外部行動を禁止する!」

「玲子・サヴァン、命令を聞け!」


 通信越しに響く上層部の怒号を、玲子は無視した。

 ヘッドセットを外し、床に叩きつける。

 ――もう、指令など聞く意味はない。


 彼女の目的はただひとつ。

 優大を、救い出すこと。


 聖堂へのエレベーターは封鎖されていた。

 玲子は非常階段を駆け降り、封印扉の前に立つ。

 そこは、教会の最深部ミラートゥーム

 かつて神の観測を封じたとされる、禁忌の鏡の墓場。


 その瞬間――

 ポケットの通信端末が微かに震えた。

 画面に現れたのは、ノイズに包まれた九条教授のホログラム。


「……君に、“反転式”を渡す。」

 その声は、電子の揺らぎの奥から聞こえた。


「反転式……?」玲子が息を詰める。

「《天の鏡》は、世界が自分を観測する装置だ。

 だが、それを外側から観測する者が現れたとき、

 観測の方向が反転する。」


「つまり、優大を――」


「――解放できる。だが同時に、彼は“観測の中心”から外れる。

 世界は、彼を“記録できない”。

 成功すれば……彼は、存在の外へ消えるだろう。」


 玲子は一瞬、目を閉じた。

 九条の声の奥で、かすかな祈りのようなノイズが流れている。

 恐らく、教授もこの通信を命懸けで送っているのだ。


「教授……あなたも、彼を救いたいのね。」

「……私は、観測者としての贖いをしているだけだ。」


 通信が途切れた。

 玲子は端末を握りしめたまま、封印の紋章へと歩み寄る。


 冷たい風が、地下から吹き上がった。

 古い石壁に刻まれた祈祷文が、光を帯びてゆっくりと開く。

 その先に――銀色の空間、《ミラートゥーム》。


 玲子は小さく息を吐き、

 腰のホルスターから小型観測装置を取り出した。

 九条が残した反転式のコードを入力する。


 ディスプレイに一行、淡く光る文字が浮かんだ。


――【反転観測:外界から天鏡を視よ】


 玲子は、口の中で呟いた。

「見せてもらうわ、優大。

 あなたが選んだ“祈りの形”を――」


 銀光が彼女を包み込み、

 扉の向こうの世界――《天の鏡》の心臓部へと沈んでいった。

天の鏡内部 ― 優大との再会


 鏡の向こう側は、静寂の海だった。

 上下も奥行きもない、ただ“光の反射”だけが存在する世界。

 玲子は一歩踏み出すたびに、足元の鏡面が波紋のように揺れ、そこから幾千もの記録映像が零れ落ちていった。


 ――笑う沙也加。

 ――泣く自分。

 ――観測装置の試運転の日。

 すべての記録が、彼女の足跡に反応して浮かび上がり、また音もなく溶けていく。


 その中心に、彼がいた。


 外薗優大。

 鏡の心臓に縫いとめられたように、光の糸に包まれながら、

 彼はまるで星の核のように、微かな呼吸を続けていた。


 玲子は思わず駆け寄る。

「優大……! 聞こえる? あなたは――」


 その声に応じるように、光が脈打った。

 優大がゆっくりと顔を上げる。

 その瞳の奥には、過去も未来も、夢も現も、すべてが同時に映っていた。


「……もう、見えてるよ。全部。」


 玲子の喉が凍りついた。

 彼の周囲には、時の断片が幾重にも折り重なっている。

 学生時代の自分、実験室で笑う九条、泣き叫ぶ沙也加――

 すべてが鏡の層の中で回転し、互いを観測し合っていた。


 玲子の姿もまた、無数に分裂して映りこむ。

 ある玲子は観測者として装置を調整し、

 ある玲子は被験体として優大に見つめられている。

 どちらが“現実の自分”なのか、境界が曖昧になっていく。


「優大、あなたは……どこまで見えているの?」

 玲子は震える声で問う。


 彼は、どこか遠いものを見るような微笑を浮かべた。

「世界の裏側。君の涙の先。

 ……それに、僕が僕を見る、その瞬間も。」


 光の糸が彼の指先から解け、玲子の胸に触れる。

 その瞬間、彼女の視界が幾千の世界で満たされた。

 観測と記録のすべてが、彼を中心に回転している――

 まるで、彼が“世界そのものの視点”になっているようだった。


「玲子、君も見えるだろ。

 僕たちの“観測”が、どれだけこの世界を縛っていたか。」


 玲子の頬を、一筋の涙が伝う。

「それでも――私は、君を見たい。

 消えるより、記録に焼きついてほしい。」


 優大は、静かに目を閉じた。

 彼の唇が、わずかに微笑を形づくる。


「じゃあ……僕を見続けて。

 その代わり、君も“見られる側”になるんだ。」


 玲子の背後で、鏡の光が渦を巻いた。

 彼女の姿がゆっくりと分解され、優大の中へと吸い込まれていく。


 観測者と被観測者。

 その境界が、完全に溶けた。


 鏡の海が震え、光が反転する。

 ――“天の鏡”が、目を開いた。



反転式の起動


 玲子は、両手で小さな黒い装置を抱えていた。

 金属でも、魔術器でもない。

 それは――「観測の形をした矛盾」そのものだった。


 九条からの通信がノイズ混じりに響く。


「観測を“観測する”んだ。

神が自分を見て世界を壊したのなら、

今度は――人が“観測そのもの”を見返せ。」


 玲子は静かに頷き、深く息を吸い込む。

 目の前で、優大が光の糸に包まれ、まるで世界の核そのもののように輝いていた。

 その瞳には、無数の“鏡”が映りこみ、

 玲子自身もまたその中で無限に反射している。


「……了解。」


 玲子は震える指で装置のスイッチを押し込んだ。


 ――“反転式、起動”。


 刹那、音が世界から消える。

 《天の鏡》が低く唸り、鏡面が液体のように波打つ。

 光が外側からではなく、内側から溢れ出した。


 鏡の裏側――観測されるはずのない領域。

 そこに潜んでいたのは、

 “観測の仕組みそのもの”を形にしたような螺旋構造だった。


 玲子の身体が震え、視界が反転する。

 上下が逆転し、時の流れが逆行する。

 “見る”ことと“見られる”ことの境界が、再び溶けていった。


「……優大!」


 彼女の叫びに応じるように、優大の瞳がゆっくりと開く。

 その瞳の奥には、裏返った世界が映っていた。


 空が地を見下ろし、

 影が人を踏みしめ、

 記録が記録者を読み返す。


 九条の声が、崩壊する通信の中で微かに響く。


「成功だ……! 観測が自己を“見返し”始めた!

世界の定義が……再構成されていく!」


 玲子は装置を握りしめたまま、息を呑む。

 鏡の光が彼女の全身を包み、視界が反転するたびに、

 “もう一人の自分”が鏡の向こうに立っているのが見えた。


 優大が、その鏡の中から彼女に手を伸ばす。


「玲子……これが、僕たちの“観測の終わり”だよ。」


 玲子は迷いなく、その手を掴んだ。

 そして二人の輪郭が交差した瞬間――


 世界が裏返る。


 光が闇に、闇が光に、

 記録が忘却に、祈りが赦しに、

 すべての意味が反転して――


 《天の鏡》は、外側から内側へと静かに沈み始めた。



終局 ― 祈りのまばたき


 ――空が、ゆっくりと“瞳”を閉じていった。


 一つ、また一つ。

 その瞬きのたびに、都市の光がふっと沈み、

 観測装置の赤いランプが消えていく。


 機械たちの呼吸も、世界のざわめきも止まり、

 ただ、静寂だけが残った。


 玲子は崩れ落ちた床に膝をつき、

 鏡の中心へと、震える手を伸ばす。


「……優大……」


 声は空気に溶け、

 その名を呼ぶたびに、音の輪郭が崩れていく。


 鏡の中には、もう彼の姿はなかった。

 しかし――淡い光が、水面のようにゆらめき、

 そこに文字が浮かび上がる。


『見ることを赦せ。

赦すことを、見よ。』


 玲子は唇を震わせながら、その言葉を指でなぞった。

 文字は触れた瞬間、まるで息をするように淡く滲み、

 彼女の手のひらに光の残滓だけを残した。


 背後で、通信機の残響が鳴る。

 九条教授の声が、途切れ途切れに響いた。


「……観測とは……神が眠るための、まばたきだったのかもしれんな。」


 玲子はゆっくりと顔を上げ、

 鏡に映る自分を見つめる。


 鏡の中の“彼女”は、わずかに微笑んでいた。

 そして――その微笑みが、彼女の瞳に映りこむ瞬間。


 玲子は静かに、目を閉じた。


 光と闇がひとつに溶け、

 “見ること”と“忘れること”の区別が消えていく。


 それは祈りのようで、赦しのようで――

 まるで、世界が眠りにつく前の最後のまばたきのようだった。


 やがて、鏡面の光は完全に沈黙し、

 天の鏡《Celestial Mirror》は音もなく停止した。


 誰もいない聖堂に、わずかな風が流れ込む。

 灰色の空の向こうで、新しい朝が、

 まだ形を持たないまま、ゆっくりと生まれようとしていた。


――そして、世界は再び“静寂の観測”に包まれた。



第7断章《優大の内的記録》


観測とは、存在の輪郭を描くこと。


 ――その言葉を、僕はどこで聞いたのだろう。

 九条教授の声だったか。玲子の呟きだったか。

 あるいは、僕自身の心の奥に残っていた、

 “まだ名を持たない声”だったのかもしれない。


 輪郭。

 それは、世界と僕を隔てる線。

 でも、その線を引いているのは誰だ?


 もし、それが僕自身の手によるものなら――

 僕はすでに、もう一人の“神”になってしまったのかもしれない。


 神とは、世界を観測する者。

 ならば、僕が見るたびに世界が形を変えるのなら、

 僕は無数の小さな創造を、知らず知らずのうちに繰り返してきたのだろう。


 けれど、それは祈りじゃない。

 ただの、呪いのような反射だ。


 見るたびに、何かが壊れる。

 見続けるたびに、何かが消えていく。

 玲子の眼も、沙也加の声も、

 光の中で薄れていく“記録”のように。


もし、神が自分を見たときに世界が壊れたのなら――

僕が自分を見たときも、きっと同じだ。


 だから、もうやめよう。

 見ることを、やめたい。


 見るということは、境界を作ることだ。

 世界と僕を分けることだ。

 ならば、見ないことは――

 すべてを赦すことだ。


 光と闇のあいだで、瞼を閉じる。

 音が消え、重力が遠のく。


 僕の輪郭は、静かに溶けていく。


 そのとき、初めてわかった。

 存在を失うことは、痛みではなく――静けさだ。


だから、僕は祈る。

どうか、もう誰も僕を見ないで。

どうか、世界がひとときだけ、まばたきをしてくれますように。



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