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『観測の夜 - The Night of Vision』  作者: 南蛇井


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第2章:観測者の少女 「観測する者」と「観測される者」の境界が崩れる。 ――“見る”ことは、世界を固定し、“記録”は存在を削る行為である。

転入


春の終わり。

曇り空の光が、教室の蛍光灯と溶けあっていた。

どちらの明かりが本物なのか、誰も確かめようとしない。


担任の三島先生が、少し乾いた声で言う。

「今日から、新しい仲間を紹介する。高峰玲子さんだ」


その名を聞いた瞬間、空気が一度だけ“停止”した。

生徒たちの笑い声も、椅子を引く音も、ふと薄い膜の向こうに遠のく。


前に立つ少女――高峰玲子。

黒髪を後ろで束ね、制服のリボンも形が完璧すぎるほど整っている。

ただ、その佇まいは“冷たい”というより、“空気の一部”のようだった。

見ているのに、焦点が合わない。

まるで、存在の輪郭が“記録されていない”みたいに。


三島先生が何か言葉を続けようとした、そのとき。

玲子が、胸元から小さな黒いカメラを取り出した。

古びた銀縁、手巻き式のシャッター。

現代の生徒が持つには、あまりにも異質だ。


カシャ、と音が鳴る。

音の余韻が、空間に吸い込まれるように消えた。


そして、彼女は小さく呟いた。

――「……観測、開始。」


それを聞いたのは、たぶん優大だけだった。

他の誰も、気づかなかったように笑っている。


その笑い声さえ、録音を再生しているみたいに少し遅れていた。


「ええと……高峰は今日からこのクラスの一員だ。

 席は、外薗の隣に」


優大は反射的に立ち上がる。

隣の空席に、玲子が静かに腰を下ろす。

その動きもまた、再生速度が微妙にずれているように見えた。


机の上に、黒いカメラ。

ファインダーがわずかに光り、優大を“観測”している。


優大は苦笑して言った。

「……俺、そんな撮るほどのもんでもないけど」


玲子は無言のまま、ほんの一瞬だけ目を上げた。

その瞳は、反射していなかった。

光を“受けていない”のではなく、“光を返していない”。


(モノローグ)

「あのとき、俺は初めて知った。

見られる、というのは、照らされることじゃない。

焼かれることなんだ。」


チャイムが鳴る。

授業の始まりを告げるはずの音が、どこか遠くから遅れて届いた。

玲子は筆記具を取り出し、ノートの端に一行だけ書く。


『観測記録第0号 対象:Y』


ページをめくる音だけが、やけに鮮明だった。


観測記録第0号


放課後。

夕陽が教室の窓から差し込み、机の表面に金色の斜線を描いていた。

その光の中で、ひとり――玲子が机に向かっていた。


彼女のノートは、誰もが使う学習帳とは違う。

罫線はなく、紙面の質もどこか古びた羊皮紙のように見えた。

ペンの先が走るたび、かすかに乾いた音を立てる。


優大が声をかける。

「……なに、そんなに真剣に書いてるんだ?」


玲子は答えない。

ただ、ページの上にタイトルを書き記す。


『観測記録 第0号:被験体Y(外薗優大)』


その文字を見た瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。


彼女の筆跡は正確すぎて、人の手というより“記録装置”のようだった。

一行、一行が検体を分析するように並ぶ。


「対象は自我の境界を保っている」

「視線刺激への反応、軽度鈍化」

「観測時、空間のゆらぎ微弱に発生」


優大:「……なあ、俺の何を撮ってるんだ?」


玲子はペンを止めずに、静かに答える。

「存在の揺らぎ。あなたは“観測の跡”を持っている」


「観測の……跡?」


「見られた痕跡。普通は時間とともに消えるけど――」

玲子は顔を上げた。

「あなたのは、まだ残っているの」


その言葉の意味を問おうとしたとき。

彼女はカメラを下ろし、ファインダー越しではなく直接優大の目を見た。


その瞬間。


空気がわずかにざらついた。

輪郭が滲む。

机の影が薄れ、光と影の境界が溶けていく。


窓ガラスに映る自分の姿が――遅れて動いた。


まるで“今”を追いかけて、別の自分が動いているようだった。


玲子の瞳に、自分の顔が小さく映っている。

だがその“映像”は、ほんの一瞬ごとに形を変え、

波紋のように揺れながら消えていく。


「……やめろよ、それ。なんか……変だ」


玲子はペンを握ったまま、わずかに首を傾げる。

「変なのは、あなたのほう。

 本来、観測されなければ存在できないのに――

 あなたは“観測される前”から、ここにいる」


優大は息を呑む。


(モノローグ)

「見られるだけで、少しずつ削られていく気がした。

まるで存在を、光に焼かれているように。」


夕陽が沈む。

光が完全に消えた瞬間、教室の中の“時間”が一拍遅れた。

窓の外の風が、映像のノイズみたいに歪む。


玲子のノートには、最後の一文が追加されていた。


「観測対象、視線反応に異常。

現象コード:観測逆流。」


その文字が、淡い光を放ちながら紙に沈んでいった。

九条教授の声


夜。

窓の外では、街の灯がまるで海底の光のように揺れている。

玲子の部屋には、電気を点けず、机の上の小型ランプだけが灯っていた。


その光に照らされているのは――

古びた録音機、針の折れたメトロノーム、無数のメモと写真。

そして机の中央には、一枚のポラロイド。

そこには“外薗優大”が写っていた。

しかし、その輪郭は薄く、背景に溶けかけている。


玲子はヘッドフォンを耳に当て、録音機のスイッチを押す。

テープの回転音。

やがて、低く、湿った男の声が流れ始めた。


九条教授(声):「……データを続けなさい。彼の存在は不安定だ。」


玲子の指がわずかに震える。

ノートを開き、記録を取りながら、静かに返す。


玲子:「……彼は、記録されるために生きているんですか?」


一拍の沈黙。

やがて、声が笑ったように歪む。


九条:「人はみな、誰かに観測されることで形を保つ。

    彼は、その“極端な個体”だ。」


九条:「あなたが目を逸らせば、彼は“裏界”に沈む。

    観測が途切れる瞬間、記録は崩壊する。」


九条:「あなたは観測するために存在し、

    彼は観測されるために生まれたのよ。」


その言葉を聞くたびに、

玲子の胸の奥で、何かが軋んだ。


“観測するために存在する”――

それは使命なのか、呪いなのか。


彼女はカメラを手に取り、ファインダーを覗く。

そこには誰もいない机が映っている。

それでも、シャッターを切る。


カシャ。


――録音機からノイズが走った。

波のような音。

そして断片的な言葉だけが残る。


「……裏界……」

「……記録者……」

「……天の鏡……」


その瞬間、電灯が一度だけ明滅する。

部屋の壁に、まるで“誰かの眼”のような影が浮かび、消えた。


玲子は小さく息を吐く。

「教授、今……誰か、見ていましたか?」


録音機は沈黙したまま。

ただ、巻き戻しの音だけが、ゆっくりと夜の中で回り続けていた。


(モノローグ)

「観測は光。

けれど、その光が射すたびに、

影のほうが濃くなっていく。」

放課後。

理科準備室には誰もいなかった。

カーテンは半分閉じられ、埃を含んだ光が斜めに差し込む。

瓶の中の標本たちが、その光を受けて、沈んだ海のように鈍く光った。


玲子は白い手袋をはめ、机の上に装置を並べていく。

古びた録音機、銀のフレーム、カメラ、見たことのない金属片――

どれも、教室には似つかわしくない冷たい質感を放っていた。


優大は、少し離れた位置からそれを見つめていた。

「……何をする気なんだ、それ」


玲子は顔を上げずに言った。

「少しだけ、協力して。あなたの“観測の跡”を、可視化したいの」


「……意味が分からないけど」

「すぐに分かるわ」


玲子の声は、まるでプログラムの音声のように感情の起伏がなかった。

だが、その瞳の奥だけは、燃えるような光を宿していた。


彼女がスイッチを入れる。


瞬間――空気が震えた。

静電気のようなざらつきが肌に刺さる。

光が、わずかに“たわむ”。

まるで世界のピントが一瞬だけ外れたように、机の端が曲がって見えた。


玲子の声が、機械の唸りに溶ける。


「これは、観測の残響を捉える装置。

“見られた”記録を、再生することができるの。」


機械の中央に置かれた金属フレームが光を反射し、

その輪の中に、ぼんやりと“何か”が浮かび上がった。


――人影。


少女だった。

制服の袖、ふわりと風に揺れる髪。

微笑んでいる。


優大の喉が鳴る。

「……沙也加……?」


声を出した瞬間、

その像がわずかに揺れた。


笑顔が、崩れた。

粒子がほどけるように、形を失っていく。


光が砂のように散り、

残ったのは空気の焦げた匂いだけ。


玲子は小さく息を吸い、

「やはり……“削除”が始まってる」と呟いた。


優大はその言葉を掴み損ねるように、

「削除って……何を?」と問い返す。


玲子はゆっくり顔を上げた。

その表情は、恐れではなく――確信だった。


「この世界よ。

記録の外側にある“裏界”が、

観測を失った層を少しずつ侵食している。」


光が完全に消える。

静寂。


瓶の中の標本が、一瞬だけ“逆さ”に見えた。

時間の流れが、反転する錯覚。


優大は思った。

この部屋に“いる”のは、もう二人ではない。

見えない第三の何か――

世界の外側から、こちらを覗く“目”がある。


玲子は最後に小さく呟いた。

「……これが、観測の代償。」


そして装置のスイッチを切る。

その瞬間、すべての音が戻った。

時計の針の音、風のざわめき、人の気配。


だが優大には、

そのどれもが“録音の再生”のように聞こえた。


(モノローグ)

「再生された世界の中で、

俺たちは、本当に“生きてる”って言えるのか。」

玲子の崩壊クライマックス


翌朝。

玲子は、学校に来なかった。


いつものように席にカメラの影もなく、

ただ、彼女の机の上に一冊のノートだけが置かれていた。


誰もそれに触れようとしない。

まるで、そこにあることが“決められている”かのように。


優大は、ゆっくりと手を伸ばした。

ノートの表紙には、淡い銀のインクでこう記されていた。


『観測記録 第1号:記録者Yの異常反応』


ページをめくると、細かい文字が整然と並んでいた。

まるで論文のような記録。


 「被験体Yは“観測”から逃れようとしている。

  しかしそれは、存在の消失を意味する。

  次の段階:夢への接続。」


その下の余白に――

黒いインクが滲んでいた。


最初はただの染みだと思った。

けれど、見つめているうちに、それは目の形になった。

瞼も、瞳も、光の反射までも。

まるで誰かが、紙の裏から“覗いている”。


優大は息を呑んだ。

その瞬間――


教室の時計が、逆回転を始めた。


カチ、カチ、カチ――

針が音を立てて戻っていく。

秒針が、分針を追い越し、時間が“ほどける”。


世界の輪郭がゆがむ。

机の端が波のように揺れ、

黒板の文字がゆっくりと反転し、

人の声が“逆再生”されていく。


優大は立ち上がろうとする。

だが、足が動かない。


頭の奥に、あの夜の映像が蘇った。


――空の裂け目。

――無数の瞳。

――そして、“観測する意志”の声。


「記録を失った者よ。

おまえは、“裏界”に片足を残している。」


その言葉と同時に、視界が反転した。

教室の天井が空に変わる。

黒板が雲のように揺れる。


優大のモノローグ:


「観測されることが、生きるということなら、

じゃあ――

誰が俺を見ている?」


音が止む。


世界が静止した。

誰の声も、足音も、風さえもない。


ただ、遠くで鐘の音が響く。

澄んだ、世界の外から届くような音。


――チリ……ン。


その音を合図に、光が崩れた。

黒板も、机も、時計も、すべて粒子となって舞い上がる。


その中心に、開いていく“目”。

空の奥から覗く、永遠の観測者。


優大の意識が引きずり込まれる。

景色が反転し、記録がほどけ、

物語は次の頁へ――



第2断章《教会文献「観測史概論」より》


観測とは、祈りの形式の一つである。


人は、見る。

その行為の根にあるのは、理解でも、支配でもない。

それは、存在を確かめたいという祈りにほかならない。


ゆえに、神を観測することは、神に祈ることと等しい。

見るという行為は、すなわち崇めるという意思。

観測は、信仰の最も古い形であった。


だが、問題は逆にある。


もし――

神が人を観測したならば?


それは祈りではなく、

記録であり、審判である。


観測される者は、形を与えられ、

形を与えられた瞬間に、“自由”を失う。


存在は定義され、

定義された存在は、すでに終わっている。


創造とは、観測の前にある瞬間のことだ。

ゆえに、神が人を観測するということは、

創造が完結するということであり――


つまり、それは創造の終わりを意味する。


観測が続く限り、

世界は“完成”という名の静止へと近づいていく。


それを、古の記録者たちはこう呼んだ。


「観測の夜(The Night of Observation)」――

すべての視線が交わる時、

世界は自らを見尽くし、眠りにつく。


(注釈)


出典:旧教会禁書庫記録「観測史概論」

編纂者不明。成立年代不明。

原典断章《光と記録の書》との記述一致率:87%

教会内部では長らく異端文書として封印されていた。

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