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村の記録  作者: 山谷麻也


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第6話 語り部

挿絵(By みてみん)


 その1


 仲間を送った数日後、小杉は県の団体に盲導犬の貸与を申請した。

 一年あまり待つことになった。

 勉強会の仲間をはじめ、多くの友人が四国を訪ねてくれた。

 東京駅で別れたカメラマンもその一人だった。彼も故郷・鳥取に住まいを移すことを考えていた。

 妻の運転で秘境を観光した。歓待のつもりが、ゲストはつづら折りの街道に車酔いしてしまい、絶景を満喫してもらうには至らなかった。


 その年の暮れ、国内初の新型コロナ感染者が確認された。

 外出は制限され、母校に設けた治療院の分院は当分、休業とした。本院も日によっては開店休業状態だった。


 二〇年六月、大阪の盲導犬訓練所で三週間の宿泊訓練に入った。

 炎天下、路上のほか電車やバス、ショッピングセンターなどでも歩行訓練を受けた。また、座学もあって、犬の健康や補助犬法関連の勉強もした。


 訓練は決して楽なものではない。途中で盲導犬ユーザーになることをあきらめる場合がある。

 小杉は、盲導犬の歩行速度に腰が引けた。白杖歩行では一歩一歩確認しながら歩を進めた。ところが、盲導犬ではぐいぐい引っ張られる感じだった。それでも三、四日すると、盲導犬と一体になって歩行することができるようになっていた。


 盲導犬は雄で、一八年五月生まれ。名前をエヴァンという。庵野秀明さんのアニメ『新世紀 エヴァンゲリオン』にちなみ、「勇者」「若き戦士」への願いを込めたものだと聞いた。

 デビュー早々、ゲリラ豪雨や雷の手荒いおもてなしを受け、さしもの勇者も小杉にすがりついて震えていた。

 外出を尻込みすることもあったが、新しい環境にすぐ慣れた。毎日の散歩では道行く人に温かいまなざしを向けられ、往診先ではねぎらいの言葉をかけられる。

 県内の仲間たちも三頭から七頭に増えた。仲間たちとの交流を何よりの楽しみにしているようだ。


 しかし、よいことづくめではない。小杉が盲導犬ユーザーになったとたん、出入禁止になった飲み屋があった。食堂でも入店拒否に遭い、エヴァンとトボトボ帰宅したこともあった。

 多かれ少なかれ、ほとんどの盲導犬ユーザーが入店拒否を体験している。


「排他主義は社会の恥部、個人の暗部だな」

 小杉の偽らざる心境だ。



 その2


 小杉の生まれた村は現在、三軒の家があり、人口はわずか六人に減っている。

 一軒は同級生の家、兄が所帯を持つ。残る二軒のうち、一軒は小杉の祖父の生家で、従叔母いとこおばが住む。もう一軒はその本家に当たり、高齢の夫婦と娘さんが住む。昔、医院の待合室で、小杉の体を気遣ってくれたおばあちゃんの家だ。

 小杉の妻の姉はすでに亡く、空き家になっている。


 祖谷川の西部に広がる、隠れ里のような村だった。

 周囲を山に囲まれ、中央部に渓が流れていた。豊かな清流はカワヨシノボリや川エビ、ウナギなどを育むと同時に、田んぼの用水ともなっていた。

 田んぼは山肌に開墾された棚田だった。渓流や湧き水など水の便に恵まれない場所では傾斜畑が拓かれ、独特の農法(注八)が発達してきた。


 今、村人は家の周囲で細々と野菜などを栽培するだけである。多くは耕作放棄地となって、草が伸び放題だ。

 渓の流れは村に差し掛かるや伏流水となり、砂防ダム(注九)に大量の土砂が堆積している。


 村は杉木立に覆われる。

 周辺の山の杉は戦後、国土緑化により植えられた。廃屋の周りの杉は、住民が都会に出る時、将来の資産価値を見込んで植えたものだ。

 ともに手入れする人手もなく放置された。森林は荒れ、保水力を失った。  その結果、大量に雨が降ると土石流などの災害を引き起こす。地下水が供給されないことから、渓の水や湧き水は()れた。村の中央部にある砂防ダムとその堆積物は環境破壊のシンボルでもある。



 その3


 村の自然も人の生活も、小杉が子供の頃とは様相を一変していた。

(早いうちに、昔の話を聴いておかなければ)

 焦る気持ちはあっても、なかなか行動に移せないでいた。


 そんな折も折、従叔父が事故死した。

 飲料水が涸れたので、渓の上流の水源地に見に行った。途中で足を滑らせ転落したのだった。

 バスターミナルで耳にしたのが、従叔父の声の聞き納めとなった。


 残る語り部は、本家の長老だけになった。小杉が電話すると、突拍子もない頼みながら、快諾してくれた。


 小杉の伝聞、記憶には不確かなものがかなりあった。一五歳で村を出たのだから、無理もなかった。

 まず、そのズレを修正したかった。

 例えば、麓の有力者の著した著作(注一〇)には小杉の村にかつて温泉が湧いていた、とある。初耳だった。また、村の上の往還を通って、徳島藩の軍勢が祖谷の土豪の討伐に向かった、とある。ほかに近道があったのに、なぜあの道だったのか。

 往還は小杉が母親の実家に行く時に通った。途中の峠からの一大パノラマを、時の経つのも忘れて眺めていたものだ。


 峠に石塔が祀られていた。

(あれは道祖神だったのか、それとも庚申こうしんさんだったのか)


 峠のそばには風変わりなおじさん一家が住んでいた。

 おじさんは小杉の家に寄っては、父親と話し込む。ちょび髭を生やし、ウイスキーの小瓶を手にしていた。愛用のニッカポッカから、蛇を取り出すところを目撃したらしく、兄嫁のトラウマになっていた。

(土地の人ではない。どこから来て、何をしていた人なのだろう)

 疑問の連鎖反応が起きる。



 その4


 エヴァンを伴い、妻の運転で祖谷街道を南下した。

「手前で峠の写真を撮っておいてくれない」

 妻に頼むと、街道脇に停車した。

「木が繁って、場所がどこか分からない」

 妻が困っているので、小杉もクルマを降りた。

「あのあたりじゃないかな」

 小杉は右前方の山の中腹に見当を付けて、手で円を描いた。


 廃墟然となった商店街を抜け、祖谷川に架かる橋を渡った。道は左右に杉が生い茂り、昼なお暗い。

 子供たちが学校に通ったのは旧道だった。狭いデコボコ道で、バイクが通るのがやっとだった。大人も重い荷物を背負い、登り下りした。村人の汗が沁みこんだ道だった。

 道が整備されてクルマが通るようになった頃には、村はすっかり過疎化していた。それでも、村を出て行く人の花道にはなった。経済成長に突っ走ったニッポン現代史のアイロニー(皮肉)。笑うに笑えない話である。


 クルマは本家に近づいた。

 本家の手前は窪地の「さこ」だったはずだ。

 昔、大雪が降った。さこには吹き溜まりができる。隣の美代ちゃんの手を引き、膝まで雪に埋まりながら無言で帰っていた。ふと前方を見ると、迎えに来た母親が、さこの向こうでほほ笑んでいた。


 母親は小杉が幼稚園児だったと言っていた。しかし、あれは小学一年の冬だった。自信をもって言えるのは、美代ちゃんは夏休み明けから、幼稚園には行かなくなっていたからだ。

 二学期の初日、誘いに寄ると

「もう幼稚園は休ませるから」

 と告げられた。美代ちゃんは奥から、姿を現さなかった。小杉は寂しい山道をひとり登園した。

 美代ちゃんは六人きょうだいの三番目だった。おばちゃんは、いつもの明るい口ぶりだった。しかし、あの朝の声だけは忘れることができない。


 もうひとつ、今でもはっきり覚えている出来事がある。

 美代ちゃんのおじちゃんが村の男の子を殴った。大問題になった。事と次第によっては許さない、と男の子の父親は怒った。

「(おじちゃんの)肘の傷はムカデに噛まれた跡やって言うただけ」

 男の子は言い張った。

 小杉はその子がおじちゃんに向かって

「貧乏人のくせに黙っとれ」

 と言ったのを聞いた。

 そのことを話した。

 問いただされ、おじちゃんはその子の言い分を認めて、謝罪した。

 小杉は嘘つきのレッテルを貼られてしまった。

 やがて、美代ちゃんのおじちゃんをめったに見かけなくなった。都会へ出稼ぎに行った、ということだった。おばちゃんは心細かったのか、大きな台風が来ると、子どもたちを連れて小杉の家に避難していた。


「わあ、真っ黒な犬がいる」

 妻が声を上げた。村ではイノシシ・サル・シカなどの野生動物除けとしても、犬は家族の重要な一員だ。吠えて、客の来訪を報せた。

「元気しとったで」

 懐かしい声が出迎えてくれた。



(注八)傾斜地農法:徳島県西部には急峻な傾斜地が多く、カヤなどを敷いて土壌の流出を防いだり、土を掻き揚げるための鍬を開発するなど独特の農法が発達した。二〇一八年に「にし阿波の傾斜地農耕システム」として国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産に認定された。


(注九)砂防ダム・砂防堰堤(えんてい):普通のダムと異なり、豪雨や地震などで発生した土砂や流木を一時的にせき止めるためのもの。山間部に多い。


(注一〇)『秘境祖谷物語』(小西国太郎著・一九六二年・祖谷山岳会文化部発行)

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