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村の記録  作者: 山谷麻也


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第4話 医療難民

挿絵(By みてみん)


 その1


 小杉の生家では母親が病没し、ひとり遺された父親を県内の長男宅に引き取った。八〇年代半ばのことだった。

 小杉の次姉が近くの村に嫁いでいた。妻の姉が小杉の村に嫁入りしていたこともあり、小杉夫婦は生家が廃屋になってからも、よく帰省していた。


 その日、小杉は義兄の家に立ち寄った。

 姉の腰痛、義兄の肩こりを治療した。義兄は長くトンネル工事に従事し、肺を患っていた。塵肺(じんぱい)(注五)である。小杉は肺の機能調整も試みた。

「えらい楽になっとる」

 義兄はキツネにでもつままれたような表情になった。義兄が初めて受けた鍼治療だった。


 頃合いを見計らい、Uターンして、治療院を開きたいと話を切り出した。

「けんど、帰っても、こんな、人間よりサルが多いところでは、どうしようもないぞ」

 義兄は呆れ果てた。身内として、義兄なりに心配したのだろう。姉は終始、黙って聞いていた。


 理解者はいた。

「よっしゃ、()んて来い。ワシがええ家、建てちゃる」

 小杉の幼馴染みだった。


 日本の伝統様式に縛られないユニークな建築士として知られ、九五年に大阪からUターンしていた。仲間が増えるとあって、大張り切りだった。


 妻の姉も、小杉たちが帰るのを喜んでくれた。姉もまた、宿病とされるリウマチに苦しんでいた。

「父ちゃん(夫)が生きていたら、喜んだやろな」

 姉はしんみりと言った。姉の夫は塵肺で命を縮めていた。

 開業すると患者第一号になったであろう叔母も、すでに他界していた。



 その2


 宅地を探すために、何度か帰省した。そのたびに幼馴染みが付き合ってくれた。

 幼馴染みは谷底のような、祖谷街道の脇で育った。天空への憧れからか、市の中心部を見下ろす山の上に住居兼工房を構えている。

 彼の選択眼もあって、旧市街地の一画に恰好(かっこう)な土地が見つかり、購入手続きを済ませた。あの決断の日から二年が経過しようとしていた。


 この地は吉野川の東岸に拓けた街で、南北に流れる吉野川が、ここを過ぎると東に向きを変える。

 かつて交通の要衝だった。

 鉱山があり、鉱石を積み出す駅も整備された。吉野川の対岸へは、建設時(一九二七年)、東洋一の吊り橋とされた三好橋が架かり、街の中心部を南北に祖谷街道が貫いている。


 街道には、満員の乗客を乗せた乗合バスが、忙しく行き交った。

 鉱夫をはじめ各地から、多くの労働者が集った。鉱山町の例に漏れず、一九五六年(昭和三一)に廃坑になるまでは、遊興の里としても知られた。


 廃坑後も交通の至便さから人口が流入し、田畑の多くは宅地になっていた。

 しかし、製材以外にめぼしい産業はなく、高齢化の進行に伴って空き家が増加の一途をたどっている。往時をしのばせるものは旅館や料亭の仕舞屋(しもたや)くらいで、その様子が地域住人の口の()にのぼることは、ほとんどない。



 その3


 戦前、日本の多くの村が無医村だった。

 病児を町の医者に診せに行く途中で絶命、冷たくなった児を背負って帰宅した、という例は枚挙にいとまがなかった。妻の親もまた、同じ経験をしていた。


 小杉の長姉の場合、朝、山仕事に行く父親をいつものように送り出した。

「父ちゃん、行ってらっしゃい」

 それが、父親が聞いた愛児の最後の言葉だった——。

 母親はここまで語るのが、やっとだった。涙の母親を前に、小杉は長姉の死因については、訊きそびれてしまった。


 小杉が少年時代を過ごした地域の医院は終戦後に設けられた。軍医だったと聞いた。医者はスクーターに乗り、近隣の村ばかりか、遠く祖谷の一部まで往診していた。

 それでも、戦後しばらくは、あちこちの村に祈祷を行う者がいた。

 体に異変が生じると、まっ先に頼るのがまじない、祈祷だった。

 小杉の虫歯が痛んだ時も、村の長老が何か唱えながら、湯のみ茶碗の水を(さかき)で口の中にかけていた。


 中耳炎の時も長老宅に連れて行かれた。状態は悪化し、近くの町の耳鼻科にかかるも、ついに耳は聴こえなくなった。香川県に名医がいることを父親が聞きつけ、何回か通院して耳は寛解した。


 病人がいよいよ重篤な状態になってくると、戸板に乗せて町の病院まで運んだ。薬石効なく臨終が近くなると、家族が病院に呼ばれる。村では神社に集合し、お百度を踏んで奇跡の回復を願ったものだった。

 小杉の村の幼馴染みは中学一年の時に母親を亡くした。村の神社に集まり、村人がお百度を踏んでいたのを覚えている。通学路を外れて祖谷川に降り、二人で水切りをして遊んでいると、幼馴染みはぽつりと言った。

「今日、病院へ来るように言われとったけんど、行かんかった」

 小杉はかける言葉がなかった。二人は多感な年頃だった。



 その4


 個人医院は混んでいた。ふだんの待合室には、立錐の余地もなかった。

 狭い和室で順番を待つ。熱があった小杉は、おぼつかない足取りで奥に行こうとしていた。

「まあ、この子はふらふらしとるわ。(はよ)う診てもらいな」

 同じ村に住むおばあちゃんの心配りだった。


 医者は事実上、年中無休だった。

 小杉が祖谷川で足をケガした時は日曜だった。縫合することになった。看護婦さんが休みなので、恰幅(かっぷく)のいい奥さんが小杉の足を押さえつけ、医者が何針か縫っていった。小杉は歯を食いしばって耐えた。


 地域に医療を提供してきた個人医院も廃業した。

 道路交通網が整備され、家の庭までクルマが乗り入れできる時代にはなっても、医療機関のある町までは遠い。それにドライバーは例外なく、高齢化している。


 数年前、小杉が往診の帰り、バスターミナルでバスの到着を待っていると、窓口にクレームを付けている老人がいた。

 病院で診察を終え、通りに出たところ、運よくターミナル行きのバスが停まっていたらしい。手を挙げながら、小走りに近づいた。

「スーッと発車したんじゃ。もっと集中するように、運転手に言うとけ」

 聞き覚えのある声だった。紛れもなく、父親の末の従弟(いとこ)、小杉の従叔父(いとこおじ)(注六)だった。


 従叔父は電動四輪車で山道を降り、始発の路線バスで病院通いしていた。スルー(無視)されたのが夕方の最終便連絡のバスだったら、気の毒な結末になっていた。温厚で知られた従叔父も、この時ばかりは少し声を荒げていた。

 これは、当地に限った出来事ではないだろう。交通弱者、医療難民が日本全国で増えている。



(注五)塵肺:「粉塵を吸入する事によって肺に生じた繊維増殖性変化を主体とする疾病」(塵肺法 一九六〇年)。古くから知られた職業病で、咳・痰・呼吸困難・動悸を主症状とする。鉱山や炭鉱、陶磁器製造業、製紙業、石切業、鋳物業、トンネル工事、解体業などに長年従事した労働者に多い。


(注六)従叔父:親の従弟のこと。親の従妹(いとこ)は従叔母という。親より年長の場合は従伯父、従伯母となる。



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