表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
村の記録  作者: 山谷麻也


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/5

第2話 リセット

挿絵(By みてみん)


 その1


 寒が戻ったほかは、いつもと変わらない早春の街だった。

 施術中だった小杉は軽いめまいを感じ、思わずベッドに手をついた。

「地震かしら」

 女性患者さんが体を起こしながら言った。

「動かないでください」

 患者さんを制して、小杉が外を見ると、街路樹がゆっくり、大きく揺れていた。


 小杉が治療院のラジオをつけた。

「緊急地震速報です。緊急地震速報です」(注二)

 ラジオが繰り返していた。


 仕事を終えて帰宅すると、家族がテレビを見ていた。特番のようだった。

 映像に小杉は息を呑んだ。


 津波が街を、田畑を吞み込んでいく。

 テレビはさらに東電(東京電力福島第一原子力発電所)の浸水事故(注三)を報じていた。


 毎日、あちこちの地点で観測された放射能レベルが発表される。

 計画停電も始まった。予告時刻になると、街の人出はまばらになった。小杉が昼食のために、治療院の前のデパートに行くと、店員が臨時休業の案内を貼り出していた。

 コンビニ、スーパーなどから、ペットボトルや食料品が消えた。停電に備えて家電量販店に携帯ラジオを買いに行くと、売り切れていた。

 ガソリンの給油制限も深刻だった。仕事にクルマを使っていた長女は方々を走り回り、山梨県との県境でやっと給油して帰ったこともあった。 

 地震と原発事故は埼玉県西部に位置するI市の生活をも変えた。



 その2


 ボランティアが続々と現地入りしていた。それらの情報に接し、小杉は日ごとに居たたまれなくなっていた。かといって、何ができるわけでもない。無力感におしひしがれた。


 阪神淡路大震災(注四)の時も同じような思いをしていた。

 当時は編集プロダクションを経営していた。知り合いの業界紙編集長は仕事を措いて神戸に向かった。行動に頭が下がった。


 上を下への大騒ぎの中、小杉の加盟する業界の全国団体から、災害ボランティア募集の案内が届いた。矢も楯もたまらず、小杉は申し込んだ。しかし、どこかに

「阪神淡路(大震災)で空いた心の穴を埋めようとしているだけでは…」 

 という罪悪感があった。


 県内の休校中の高校に、福島から町ごと避難していた。原発事故により、生活を奪われ住み住み家を追われた人々だった。避難者の数は一四〇〇人に及んだ。

 職員室はそのまま役場になっていた。体育館は食堂に姿を変えていた。教室には何家族もが同居し、簡単なパーテーションで仕切られているだけだった。


 小杉たちは玄関に臨時に設けられたスペースで治療に当たった。

 希望者が引きも切らない。高齢者だけでなく、三〇代四〇代も目に付いた。多くは避難生活のストレスから来る高血圧、不眠、肩こりなどだった。


 受付に列を作る被災者を前に、小杉は、アリバイ的に参加しているのだ、という意識に囚われていた。ずっと心苦しかった。



 その3


 治療を終えた高齢女性が小杉のネームプレートを見て、メモを取っていた。

「次はいつ来てくださいますか」

 問われて、小杉は戸惑った。

 次回は予定していなかった。思わず、言葉を濁した。


 帰りの電車のシートに、小杉は疲れた体を沈めていた。不思議な解放感があった。

(終わった)

 しかし、高齢女性の声が耳から離れなかった。


(待ってくれている人がいるんだ)

 そう思った時、小杉をかすめたものがあった。生まれ故郷・四国の叔母や姉だった。


 帰省すると、叔母や姉は体の不調を訴えた。叔母は何度も膝の手術を受けていた。姉は腰痛に苦しめられている。医療機関は遠く、切羽詰まらないと医者にかかっていなかった。まさに現代の「医療難民」だった。


 昼間の高齢女性が、叔母や姉に重なってきた。

 小杉は携帯を取り出し、妻にメールしていた。

「四国に帰ろうか。過疎地の医療に貢献したい」

 妻からは「うん」 とだけ返信があった。



 その4


 避難先の高校には何度も通った。

 そこは埼玉県の東北端。田山花袋(一八七二―一九三〇)著『田舎教師』(一九〇九)の舞台となった羽生市に隣接する。利根川の中流域に広がる平坦地で、夏は蒸し暑く、冬は寒風が吹きすさぶ。


 冬の寒さは格別だった。小杉は高校の玄関でボランティア仲間と大型ストーブを囲み、避難生活の厳しさに思いを巡らせた。


 妻や長女、孫娘も手伝いに行った。

 妻は現役看護師でもあり、受け付けをてきぱきとこなしていたほか、簡単な健康相談にも応じていた。孫娘は高校の中庭で子供たちと三輪車で遊んでいた。高校に嬌声が響いていた。


 団体は東北でのボランティアも募集していて、妻と参加した。

「このあたり一帯は津波に浸かったところです」

 宮城県石巻市に向かう車中で、ボランティアのリーダーは説明した。道路は傾き、隆起している箇所もあった。


 クルマは石巻市内に着いた。

「ビルの壁に横線が入ってるでしょ。あそこまで、津波が来たのです」

 聞いて、驚きの声が上がった。


 石巻市には二〇メートルに及ぶ津波が襲来した。死者は優に三千人を超えた。


 小杉たちは老人ホームで、周辺から集まった被災者を治療した。

 当日の様子を饒舌に語る者、口をつぐむ者、それぞれの三・一一だった。

 仮設住宅にも出向いた。プレハブの室内に足を踏み入れ、小杉は大学時代、ワンダーフォーゲル部で野山にテントを張った時の感覚を思い出していた。


「お疲れ様です。せっかくですから、見て行ってほしいところがあります」

 リーダーは夕闇迫る中を、小高い丘に案内した。石巻市内から遠く太平洋が眺望できるらしい。

 小杉には景色は確認できなかった。ただ、海の手前にこんもりと盛り上がった部分があった。


「あそこにある小山のようなものは何ですか」

 小杉は訊いた。

「あれは、瓦礫(がれき)を集めたものですよ」

 リーダーは答えた。

 小杉は自然の驚異に慄然とした。しかし、瓦礫の山からは、限りない復興のエネルギーが伝わって来た。


「がんばろう!石巻」

 街に多数ののぼりがはためいていた。



(注二)東日本大震災:二〇一一年三月一一日午後二時四六分に発生。宮城県沖を震源地とし、マグニチュード(M)九・〇。揺れや津波・火災などにより一二都道府県に二万二千余名の死者・行方不明者を出した(震災関連死を含む)。


(注三)東京電力福島第一原子力発電所事故:二〇一一年三月一一日、宮城県沖地震と大津波により、東京電力福島第一原子力発電所で発生した。三つの原子炉が同時に炉心溶融メルトダウンを起こした世界最悪レベルの事故。放射能汚染により、周辺地域の一〇万人以上が避難を余儀なくされた。溶融した核燃料デブリや、溜まり続ける冷却水の処理など、多くの課題を後世に残している。


(注四)阪神淡路大震災:一九九五年一月一七日五時四六分に発生。兵庫県淡路島北部を震源地し、マグニチュード(M)七・三。震源に近い住宅密集地での被害は甚大で、建物の倒壊・火災などにより、合計六千五百人近い犠牲者を出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ