第2話 リセット
その1
寒が戻ったほかは、いつもと変わらない早春の街だった。
施術中だった小杉は軽いめまいを感じ、思わずベッドに手をついた。
「地震かしら」
女性患者さんが体を起こしながら言った。
「動かないでください」
患者さんを制して、小杉が外を見ると、街路樹がゆっくり、大きく揺れていた。
小杉が治療院のラジオをつけた。
「緊急地震速報です。緊急地震速報です」(注二)
ラジオが繰り返していた。
仕事を終えて帰宅すると、家族がテレビを見ていた。特番のようだった。
映像に小杉は息を呑んだ。
津波が街を、田畑を吞み込んでいく。
テレビはさらに東電(東京電力福島第一原子力発電所)の浸水事故(注三)を報じていた。
毎日、あちこちの地点で観測された放射能レベルが発表される。
計画停電も始まった。予告時刻になると、街の人出はまばらになった。小杉が昼食のために、治療院の前のデパートに行くと、店員が臨時休業の案内を貼り出していた。
コンビニ、スーパーなどから、ペットボトルや食料品が消えた。停電に備えて家電量販店に携帯ラジオを買いに行くと、売り切れていた。
ガソリンの給油制限も深刻だった。仕事にクルマを使っていた長女は方々を走り回り、山梨県との県境でやっと給油して帰ったこともあった。
地震と原発事故は埼玉県西部に位置するI市の生活をも変えた。
その2
ボランティアが続々と現地入りしていた。それらの情報に接し、小杉は日ごとに居たたまれなくなっていた。かといって、何ができるわけでもない。無力感におしひしがれた。
阪神淡路大震災(注四)の時も同じような思いをしていた。
当時は編集プロダクションを経営していた。知り合いの業界紙編集長は仕事を措いて神戸に向かった。行動に頭が下がった。
上を下への大騒ぎの中、小杉の加盟する業界の全国団体から、災害ボランティア募集の案内が届いた。矢も楯もたまらず、小杉は申し込んだ。しかし、どこかに
「阪神淡路(大震災)で空いた心の穴を埋めようとしているだけでは…」
という罪悪感があった。
県内の休校中の高校に、福島から町ごと避難していた。原発事故により、生活を奪われ住み住み家を追われた人々だった。避難者の数は一四〇〇人に及んだ。
職員室はそのまま役場になっていた。体育館は食堂に姿を変えていた。教室には何家族もが同居し、簡単なパーテーションで仕切られているだけだった。
小杉たちは玄関に臨時に設けられたスペースで治療に当たった。
希望者が引きも切らない。高齢者だけでなく、三〇代四〇代も目に付いた。多くは避難生活のストレスから来る高血圧、不眠、肩こりなどだった。
受付に列を作る被災者を前に、小杉は、アリバイ的に参加しているのだ、という意識に囚われていた。ずっと心苦しかった。
その3
治療を終えた高齢女性が小杉のネームプレートを見て、メモを取っていた。
「次はいつ来てくださいますか」
問われて、小杉は戸惑った。
次回は予定していなかった。思わず、言葉を濁した。
帰りの電車のシートに、小杉は疲れた体を沈めていた。不思議な解放感があった。
(終わった)
しかし、高齢女性の声が耳から離れなかった。
(待ってくれている人がいるんだ)
そう思った時、小杉をかすめたものがあった。生まれ故郷・四国の叔母や姉だった。
帰省すると、叔母や姉は体の不調を訴えた。叔母は何度も膝の手術を受けていた。姉は腰痛に苦しめられている。医療機関は遠く、切羽詰まらないと医者にかかっていなかった。まさに現代の「医療難民」だった。
昼間の高齢女性が、叔母や姉に重なってきた。
小杉は携帯を取り出し、妻にメールしていた。
「四国に帰ろうか。過疎地の医療に貢献したい」
妻からは「うん」 とだけ返信があった。
その4
避難先の高校には何度も通った。
そこは埼玉県の東北端。田山花袋(一八七二―一九三〇)著『田舎教師』(一九〇九)の舞台となった羽生市に隣接する。利根川の中流域に広がる平坦地で、夏は蒸し暑く、冬は寒風が吹きすさぶ。
冬の寒さは格別だった。小杉は高校の玄関でボランティア仲間と大型ストーブを囲み、避難生活の厳しさに思いを巡らせた。
妻や長女、孫娘も手伝いに行った。
妻は現役看護師でもあり、受け付けをてきぱきとこなしていたほか、簡単な健康相談にも応じていた。孫娘は高校の中庭で子供たちと三輪車で遊んでいた。高校に嬌声が響いていた。
団体は東北でのボランティアも募集していて、妻と参加した。
「このあたり一帯は津波に浸かったところです」
宮城県石巻市に向かう車中で、ボランティアのリーダーは説明した。道路は傾き、隆起している箇所もあった。
クルマは石巻市内に着いた。
「ビルの壁に横線が入ってるでしょ。あそこまで、津波が来たのです」
聞いて、驚きの声が上がった。
石巻市には二〇メートルに及ぶ津波が襲来した。死者は優に三千人を超えた。
小杉たちは老人ホームで、周辺から集まった被災者を治療した。
当日の様子を饒舌に語る者、口をつぐむ者、それぞれの三・一一だった。
仮設住宅にも出向いた。プレハブの室内に足を踏み入れ、小杉は大学時代、ワンダーフォーゲル部で野山にテントを張った時の感覚を思い出していた。
「お疲れ様です。せっかくですから、見て行ってほしいところがあります」
リーダーは夕闇迫る中を、小高い丘に案内した。石巻市内から遠く太平洋が眺望できるらしい。
小杉には景色は確認できなかった。ただ、海の手前にこんもりと盛り上がった部分があった。
「あそこにある小山のようなものは何ですか」
小杉は訊いた。
「あれは、瓦礫を集めたものですよ」
リーダーは答えた。
小杉は自然の驚異に慄然とした。しかし、瓦礫の山からは、限りない復興のエネルギーが伝わって来た。
「がんばろう!石巻」
街に多数ののぼりがはためいていた。
(注二)東日本大震災:二〇一一年三月一一日午後二時四六分に発生。宮城県沖を震源地とし、マグニチュード(M)九・〇。揺れや津波・火災などにより一二都道府県に二万二千余名の死者・行方不明者を出した(震災関連死を含む)。
(注三)東京電力福島第一原子力発電所事故:二〇一一年三月一一日、宮城県沖地震と大津波により、東京電力福島第一原子力発電所で発生した。三つの原子炉が同時に炉心溶融を起こした世界最悪レベルの事故。放射能汚染により、周辺地域の一〇万人以上が避難を余儀なくされた。溶融した核燃料や、溜まり続ける冷却水の処理など、多くの課題を後世に残している。
(注四)阪神淡路大震災:一九九五年一月一七日五時四六分に発生。兵庫県淡路島北部を震源地し、マグニチュード(M)七・三。震源に近い住宅密集地での被害は甚大で、建物の倒壊・火災などにより、合計六千五百人近い犠牲者を出した。




