十月 ウバの香りと十三夜
遅くなりましたm(__)m
十月。
朝夕が、冷え込むようになった。
ムーンガーデンは、アリッサムが再び、白い花を咲かせている。花がもこもこと小さな山を作りながら、冷えてきた大気に、甘い香りを放っている。パンジーはもう少し。ロベリアは九月の終わりに少しだけ花をつけたが、もう時期ではない。一輪だけ、がんばっているが。
台風が来て、随分と雨が降った。その後も、強い雨が何度も降って、そのたびに気温が下がった。
秋。そしてやがて、冬がやって来る。
* * *
九月の満月を、ハーベスト・ムーンと呼ぶ。収穫の月。
中秋の名月に当たる。旧暦の八月十五日。農作物が収穫され、一息つくのがこの辺りだ。
その次、十月の満月は、ハンターズ・ムーン。狩人の月。季節の古い行事にちなんで付けられたのだろう。月を暦に使っていた時代の名残のようでもあって、時の流れを思わせる。
日本でも、同じ時期に十三夜月と呼ばれる月見をする。旧暦の、九月十三日の夜の月。満月ではなく、少し欠けた形になるが。
続く十月十日には、後の月と呼ばれる月見をする。ここでは、ほとんど半月。
寒くなり、空気が澄んできた空にかかる月の、さえざえとした光は、どこかこの世のものとは思えない、凄まじい力を秘めている。
旧暦の八月に月の美しさを讃えた人々は、その後の寒さの中、冴えた光を放つ月にも、心魅かれたのだろう。月からやってくる静かな力に、感謝と共に、冬に向かう季節を乗り切る力を願った。
「月見がしたいねえ」
虫の声を聞きながら、そう思った。
十三夜月や後の月を知っている人は、少ない。わたしも、伝統をはっきりと知っているわけではない。
けれど秋の夜の月は、純粋に美しいと思う。
「団子……も良いけど。もうちょっと、」
月見と言えば団子だが、こだわる事もないだろう。紅茶をいれて、ちょいっと何かつまむ。月を眺めながら。
そんな月見がしたい。
「何か作ろう。何作ろうか?」
冷蔵庫をのぞきこんで、考える。ちょっと喉が痛いので、つるんとしたものが食べたい。
ミルクティーで、ゼリーを作ろう。蜂蜜を入れて。
そう言うわけで、夜遅くにゼリー作りが始まった。
ゼラチンをふやかす。甘めのキャンブリックティー(蜂蜜入りミルクティー)を作ろう。茶葉はどうしよう。
「普通はアッサムなんだけど」
今日はルフナな気分だ。ルフナで作ってしまえ。
手鍋で湯を沸かし、茶葉を入れる。時間をはかってミルクを入れる。茶葉を漉して、蜂蜜を入れて。
「ルフナのキャンブリック・チャイ。このまま飲みたいよ」
ゼラチンをレンジでチン。溶かして混ぜる。
しゃかしゃかしゃか。
混ざった。後は、冷やすだけ。
「よし、完成。固まるまで時間かかるな。んじゃ、……クリーム作ろう」
食べる方のクリームではない。肌につける方のクリームだ。最近、顔を洗った後、肌がぱりぱり、かさかさしている。たまに、ちょっと痛い。何か塗るものを作ろうと思っていた。
「ゼラニウムがあるし」
漬け込んだゼラニウムの油を使おう。ローズマリーも入れたいけれど……これは精油を使えば良いか。
ハーブを漬け込んだ油を持ってくる。湯煎して油の中で蜜蝋を溶かし、乳化剤を混ぜる。蒸留水とエリキシル(ハーブのアルコール抽出液)を加え、泡だて器でひたすら混ぜる。
基本は「ガレノスのコールドクリーム」だ。
ガレノス(ガレンとも)がはるか昔に考案した「コールドクリーム」は、オリーブオイル、蜜蝋、水でできていた。紀元前の話。皮膚を保護する目的で考案されたそれは、塗りやすく、扱いやすい軟膏はないか、という思いから考えられた。
油のままでは、垂れてしまって塗りにくい。
完全に固まらせてしまっても、肌に滑らすにはやはり、塗りにくい。
皮膚の上にのばしやすく、のばした後、皮膜を作って薬効成分が長く留まる。そのような薬ができないか。そんな思いから試行錯誤したのだろう。彼は油を蜜蝋で固めた中に、水を加えた。
水と油は混ざらない。その混ざらないものを混ぜようとすると、中和するものが必要となる。現代では使いやすいものが色々とあるが、ガレノスの時代、そんな便利なものはなかった。かろうじて蜜蝋がそれっぽい、というぐらいだ。中和と言うより強引な乳化。ひたすら、ひたすら、ひたすら泡立て、水の粒子を蜜蝋混じりの油の粒子で固める事で、力技的に混ざったものとし、乳化させる。
泡立てる事で、感触は軽く、柔らかくなった。
水をいれた事で、皮膚の上で溶けた時、ひんやりして感じるようになった。
炎症を起こした皮膚に、ひんやりと感じるクリームはありがたかっただろう。そのゆえに「コールド」、冷たいクリームと呼ばれるようになり。画期的なものとして記憶された。
水が入っているのでそれほど長くは持たないが、薬と言えばその都度、薬草を砕いたり煎じたりして調合するのが当たり前だった時代には、さして問題はなかっただろう。使いたい時に作れば良いのだ。
現代ではただ単に、化粧を落とす為のクリームの名前として残り、そういうものだと認識されているが。「コールドクリーム」は元は、医療目的の軟膏の一種だった。
ついでに美容目的でも、二千年近く、このレシピを元に作られていた。現代では石油由来の合成されたクリームが大量生産されているが、ほんの百年ほど前まで、オリーブオイルや、ガチョウや羊の脂にハーブやアルコールを混ぜる事で、クリームが作られていたのだ。
しゃかしゃか。
泡立て器でかき混ぜる。
しゃかしゃかしゃか。
さっき作ったゼリーより大変だ。
しゃかしゃかしゃかしゃか。
頼むから、早く混ざってくれ。
しゃかしゃかしゃかしゃかしゃかしゃかしゃかしゃかしゃかしゃかしゃかしゃかしゃかしゃ、
「腕が痛い」
ちょっと手を止める。でも休めない。固まる前に、しっかり泡立ててやらないと、分離したまま混ざらないからだ。
再度混ぜる。混ぜる。混ぜる。
しゃかかかかかかかかかかかかかかかかかか。
「ま、まざった……?」
固まって来始めた所で、容器に移す。タイミングを見計らって、精油を入れる。
タイミングを間違えると、精油が熱で蒸発してしまい、香りが弱い、薬効成分の少ないものになってしまう。今回は油にハーブを漬けているので、多少は違うだろうが。だからと言って、完全に冷えるまで待っていると、固まってしまって精油が混ざらなくなる。
熱過ぎてもだめ。冷め過ぎてもだめ。ほど良い所で混ぜなければ、納得のゆくクリームは作れない。
それにしても、くたびれた。できたクリームをさましつつ、椅子に腰かけて一息つく。ふひい。
お茶をいれる事にした。
クオリティシーズンの、ウバ。
* * *
スリランカのウバは、その香りで有名だ。クオリティシーズンと呼ばれる7~9月、ウバは独特の香りをまとう。
メンソールフレーバーと呼ばれる、すうっとした香り。
雨と風、日光。季節の全てが影響し、茶葉に渋みと、ミントに似た香りが備わる。逆に言えば、この季節ではない茶葉には、その香りは備わらない。
茶葉は生き物だ。
毎年、味が変わる。暑さや寒さ、風や雨。どれだけ太陽に照らされたか。どれだけ土の調子が良かったか。人々がどのように世話をしたか。それらによって毎年、出来が違ってしまう。
クオリティシーズンのウバをいれる時、私は聖書の一節を思い出す。
『天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
伝道の書 3:1(日本聖書協会 口語訳聖書より)』
紀元前四世紀に書かれた言葉。
この後に、長い文章が続く。
『生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、……(略)』
戦争や、愛する事についても、『時がある』と著者は続ける。
この文章は、クリスチャン以外の人にも良く知られている。後半部分はともかくとして、最初の一文は有名だ。特に、何か企業を興したり、自分でものを作っている人々は、これが聖書の言葉だと知らないままに、覚えている事もある。
『時がある』という辺りが、心に刺さるらしい。
その通りだからだ。
どれだけ願っても、尽力しても、まだ時ではなかったなら、物事は成り立たない。企業家は、それを経験で知っている。
どれだけ努力しても、金銭をつぎ込んでも、まだ時ではなかったなら、作品は完成しない。物作りをしている人々も、それを経験で知っている。
あらゆる物事には、それに相応しい時がある。
この相応しい時、というのには、様々な要素が入る。人脈や金銭的な問題の場合もあるし、本人の成長や、準備ができていれば、とかいう意味の場合もある。いつ『時』になるのかは、本人にもわからなかったりするが。
けれど、『その時』というのは、あるものだ。
ウバもそうだ。日に照らされ、風にさらされ、そうして『その時』でなければ、人々の愛するメンソールの香りは、決して現れない。
二千四百年前の人間にとって、世界はどのようなものであったのだろう。
病があり、戦争もあった。医療の発達していなかった時代、ちょっとした切り傷でも、人はたやすく死んでしまう。戦争に負ければ、奴隷となる。昨日まで、自分たちの国と呼んでいたはずの場所が、別の王、別の国の人々のものだと言われ、自分たちは、自分たちの思い出や、大切にしていたものから、切り離された存在となってしまう。
それが日常的にあった。常に、どこかでそういう事が起きていた。そういう世界。
その中で生きる人々はだから、『今』をどれだけ大切に生きるか、考えただろう。同時に、『永遠に変わらないものはあるのだろうか』という思いも抱いただろう。人の世界では、全てが変わってしまう。崩れてしまう。消えてしまう。
では、永遠に変わらないものは、ないのだろうか、と。
そうして様々な人々が、数学に走り(ギリシア人。定理=永遠に変わらないものを見つけた人は、半分神様扱いになった)、哲学に走り(古代各国)、各地で独特の宗教が発達し(これも古代各国)、それがぐるりと回って音楽に変化したり、哲学に戻ったり、演劇や小説になったりして、現代につながった。
その根底にあるものは、けれど。シンプルな疑問と願い。
永遠に変わらないものは、あるのでしょうか。
わたしたちが生まれる前にあった世界は、死んだ後にも続いてゆく。それでは、わたしたちの生まれた意味は、なんですか。
教えて下さい、と古代の数学者も、哲学者も、それぞれの神に祈って数学をし、哲学をした。
人を超えるものよ。全ての善きものを持つ者よ。あなたは存在する。確かに存在する。
だから、どうか、教えて下さい……と。
現代でも、芸術家や哲学者、医者、科学者、弁護士や検事、裁判官、政治家まで。多くの人々が、教えて下さい、と願いながら、自分自身の『なすべき事』をなしている。
自分自身の『その時』を待ちながら。
* * *
「まだ固まってない」
冷蔵庫をのぞくと、ゼリーはまだ、ゆるゆるだった。残念。ここでも、わたしの『時』はまだ来ていなかったようだ。
「ゼリーが固まるに時があり、食べるにも時がある」
ぼそっと言いつつ冷蔵庫を閉めた。
静かな夜だ。
月は随分、高く昇ってしまった。窓を開けると、夜気に乗って金木犀の香り。
ゼリーが出来上がったら、輪切りにしたバナナを飾ってみよう。満月みたいに見えて、月見っぽい気分になるんじゃないか?
クリームの様子を見る。まだ温かいが、ほとんど固まっている。もう少ししたら、こちらも冷蔵庫で保存しよう。
と、言う事で。もう一杯、ウバを飲む事にした。
湯を沸かす。ポットを湯通しして温める。茶葉を入れる。
沸騰した湯をポットに注ぐ。時間をはかる。
この手順も、百年、二百年、続けられてきたものだ。月見と言い、ガレノスのクリームと言い、お茶の手順と言い。わたしたちの生活には意外と、時を超えてきたものが関わっている。
温めたカップに紅茶を注ぐ。ミルクを入れて渋みを和らげ、喉を通り抜けるメンソールを感じる。
伝道の書(新共同訳では『コヘレトの言葉』)には、読んでいると、すみません、あなた何かに絶望なさったんですか、と言いたくなるような、厭世的な雰囲気がそこかしこにある。
けれどそんな中に、思わず見つめてしまうような、美しい言葉がぽつり、ぽつりと入る。
書いた人はたぶん、本当に何かに絶望した人なのだろう。
戦争があったのだろうか。愛する人を亡くしたのだろうか。
わからない。けれど、この人はそんな中でも、『変わらないもの』『永遠に続くもの』を、ふとした拍子に感じて、それを書き残したのではないかと思う。
あの、時があり、の羅列の後に、彼はこう書いているからだ。
『神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
伝道の書3:11』
美しい、と書き残した名も知られない誰か。
絶望しながらも、彼には「世界の中の美しさ」が見えていた。それがあると、言いきった。
そこに希望らしきものがあったと、そう感じるのは、わたしだけだろうか。
ウバを飲みながら、外を見た。
月は雲に隠れていた。けれど、消えてなくなったわけではない。
月はある。
そして雲の上で、変わることなく輝いている。
※ 中秋の名月、十三夜月、後の月
旧暦の八月十五日、九月十三日、十月十日にする月見。後の月になると満月ではなく、半月に近くなる。旧暦は月の満ち欠けを基本に考えられるので、日付は現行の暦では、毎年移動する。今年(2010年)の十三夜月、旧暦九月十三日は、十月二十日。来年は十月九日。
※ 伝道の書(コヘレトの言葉)
旧約聖書。伝道の書は、コヘレトの言葉とも訳されている。聖書は元々日本語ではないので、翻訳がされる。その時代において最も相応しいだろう言葉で、今まで訳されてきた。文語訳、口語訳、新共同訳、新改訳などがある。
現在、良く使われているのは新共同訳だが、ここでは口語訳の聖書を使った。
伝道の書は、ソロモンが書いたと長く言われていた。最近の研究でそうではなく、紀元前4世紀ごろに書かれ、編纂されたのではないかと言われている。誰が書いたのかはわかっていない。哲学的な言葉が続く書で、今も様々な文学に影響を与えている。
※ ソロモン
紀元前10世紀の、イスラエル王国の有名な王さま。とにかく頭が良かったという伝説があり、実は魔法が使えたという謎の言い伝えまで、後年、付け加わった。三千年以上たった現在でも、いまだに人気が衰えず、新しい本が書かれたり映画が作られたりしている有名人。
※ 『時がある……』
『天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。
またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。
わたしは知っている。すべて神がなされる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れをもつようになるためである。
今あるものは、すでにあったものである。後にあるものも、すでにあったものである。神は追いやられたものを尋ね求められる。』
伝道の書3:1~15 日本聖書協会 口語訳聖書より
古代のイスラエルはエジプト、アッシリア、バビロンなど、強国に囲まれていたため、どこかの国が戦争を始めるたびに、途中に通る足掛かりの国として、戦争を仕掛けられていた。敗戦国の人間は、奴隷にされる。伝道の書はバビロンに支配された後、ペルシャの属国状態で書かれたと思われる(それでもバビロンよりは自由を認めてくれる支配だったため、人々は喜んだらしい)。自分の国だけでなく、支配国にも税を収めなければならないため、庶民には、生きるという事自体が難しかった。笑って過ごせる事ができれば、本当にそれが幸せだと人々が思っていた時代の言葉だと理解しながら読むと、いろいろ、考える事が出てくる。
☆★キャンブリック・ティーゼリーの作り方★☆
1.耐熱の器に粉ゼラチンを5g計り、大さじ2の水に入れてふやかしておく。
2.ポットにCTC紅茶大さじ1を入れ沸かしたての熱湯を350cc注ぎ、3分蒸らす。
3.別のポットに濾し、はちみつを大さじ2杯入れ混ぜる。
4.牛乳を適量(100ccほど)に2を混ぜ、少し甘めのキャンブリックティーを作る。
5.このキャンブリックティーを250cc計り、1のゼラチンを電子レンジで温めてから
混ぜて冷やし固める。
『ミツティ メルマガより』
※キャンブリック、は麻のような、という意味です。ハチミツを入れると黒っぽく変色する紅茶にミルクを入れて、あえて麻の色、としたのでしょう。
2010年の十三夜は十月二十日。二回目の月見を、お茶とおやつで楽しんで下さい。




