八月 ラマスとバラとジュリエット
夏期スクーリングで東京に行っていました。まだ少しバテ気味。
八月。
ミントとタイムが花盛りだ。バジルも花を咲かせた。柔らかい葉は、虫に食い荒らされている。けれどそれ以上の勢いで葉を出し、青々と繁ってくれている。朝顔も随分と伸びた。軒下に日陰を作ってくれ、毎朝、青い花を咲かせてくれる。
七月前半には随分と、雨が続いた。
ムーンガーデンは、一つのサイクルが終わりを迎えた。七月に入って間もなく、三月に植えたパンジーは、ほとんどが枯れた。ロベリアは消えた。アリッサムも枯れた茎を長々と伸ばし、荒れ果てた印象を見せていた。枯れた葉や茎を刈り取り、終わった根をとりのける。土をあらわにする作業を行った。
けれど終わりがあると言う事は、始まりもまたあると言う事だ。
枯れた葉や茎の底から黒々とした土が現れると、こぼれ種から出たらしい芽が既に、顔を出していた。
八月一日には、ラマスがある。
ラマスは、アングロ・サクソン語で「パンのミサ」を意味する言葉を由来としている。収穫の始まりを感謝する祭りで、中世の頃には、教会にパンが捧げられた。その年初めて収穫できた小麦をひいて粉にして、パンを焼き、感謝を捧げる。人々は教会に集まって祈り、村や町の広場には、パンが山盛りにされて置かれた。その日は誰でもそのパンを食べても良く、ラマスを見栄え良く、にぎやかにする為に、金持ちは資金を出し合って、立派なパンをたくさん焼かせた。芸人たちもやって来て、歌や踊りを披露する。子どもたちや貧しい人々は、心待ちにしていたらしい。
この風習は、ヨーロッパでは廃れてしまった。スコットランドやアイルランドでは、八月の『ラマス・フェア』として、骨董やお菓子の屋台が並ぶ市の名前にのみ残されている。だが移民が出向いてできた国々には、現代も受け継がれている。別の祝い事と融合して名前が変わったり、日付が変わったりしているが(アメリカではサンクスギビング、感謝祭の名前に変わり、日付も十一月になった。食べ物もパンだけでなく、七面鳥やトウモロコシなどになっている)。
本国から離れた人々は、本国の風習や祝い事などを拠り所にするようになる。より大切にしようとするものだ。その為、移民先の国々に残ったのだろう。
元は、ケルトの祭りだった。ルーナサ(ルグナサド)。太陽の神ルー(ルーグ)の祭りである。北半球では、7月、8月は夏の盛り。どの国でも暑さが続く。ケルトの人々はそれを、太陽神が世界を燃やそうとしているのだと考えたらしい。ルーが世界を燃やし尽くさないよう、祭りをした。
地域によっては太陽の神と大地の女神(この場合は誰だ。ダヌか? ブリギッドは火の女神だし)の婚姻としての祝いでもあったらしい。ルーが燃え上がるのは、大地の女神に惚れたからだ、太陽が大地に近づこうとしている、だから暑いのだ……との解釈をした者がいたのだろう。民間伝承は口伝だからこそ、わかりやすく、そして印象的な物語りとなりやすい。
夏至を過ぎて、一年は収穫の月に向かう。大地の実りは、大地の女神の子どもたち。その子どもたちは、太陽の力が大地に注がれて生まれる。
その年初めて収穫された麦は、言ってみれば、生命線である。保存が容易な食べ物は、「種」の状態で保存できるものだ(麦も米も、「種」)。管理をきちんとすれば、何年も保存できる。冷蔵庫などなかった時代、食べ物は、その季節に収穫できるものが中心だった。腐らずに何年もとっておけるものは、そうそうなかった。干したり、酢漬けや塩漬けなどの方法もあったが、それもそう長くは持たない。そんな中で、「今年も麦が収穫できた」という喜びは、「これで今年も、生き延びる事ができる」という喜びでもあった。人間ではどうしようもない、神々や精霊の領域である天候をうかがいながら、自分たちを生かすための命として育てた植物が、やっと実ったのである。信じる神への感謝、これで自分をふくめた家族が生きていけるという安堵、喜びは、現代のわたしたちが感じるよりも、ずっと大きく、深いものであっただろう。
その感謝をあらわすために、パンを焼き、人々と分け合って食べる、という形になったのだろう。キリスト教が入ってきた後も、教会に捧げる形で、収穫への感謝は変わらず続けられた。
ただケルトの時代には、パンとは言ってもイーストでふくらませたパンではなく、ショートブレッドだったのではないかと思う。ブレッドと名前がついているが、実際はビスケット。粉と油と、ちょっぴりの砂糖と塩で作る、シンプルな食べ物だ。新年や祝い事のある時に、ケルトの人々はショートブレッドを丸く焼いて、ふちに模様をつけ、太陽をあらわす形にしたらしい。それをみんなで切り分けて食べた。太陽の力や恵みを、皆で分け合うという意味合いもあったのだろうか。
現代でもイギリスでは、ウォーカーズなどから伝統のレシピで焼かれたショートブレッドが売られている。素朴でぼそぼそとした味が、ミルクを入れた紅茶に合う。ちょっとジャムを添えたりしてかじりながら紅茶を飲むと、ぼそぼそ加減がちょうど良い。
ちなみに味は、カロリーメイトに似ている。
太陽の神と大地の女神、で思い出すのは、シェイクスピアのロミオとジュリエット。
実はジュリエットは、夏生まれである。作品の中に、「次のラマス・イヴに十四になります」と乳母が言うセリフがある。イヴは前夜だから、現代の感覚ではラマスの前の日が誕生日。
でも中世の祭りは、前日の夜から始まった。クリスマス・イヴを考えてもらえれば、わかるのではないかと思う。
シェイクスピアはジュリエットを、「ラマスの日に生まれた女性」にしたかったのだ。
敵対する家に生まれ、短い期間で恋に落ち、結婚し、あっという間に命を落とした。このプロセスを見た時に、どこか神話めいた雰囲気を感じるのは、わたしだけだろうか。ストーリー自体は、ギリシャ神話の悲劇『ピュラモスとティスベー』を土台にしているらしいのだが。
太陽=ロミオ。夏至を過ぎて弱まり始める彼は、大地の女神=ジュリエットと婚姻を結ぶ。しかし太陽は、冬に向かうと死ぬ運命にある。大地もまた。
物語は、二人が死に、いがみあう二つの家が和解する所で終わっているが、それもどこか、春に向けての再生を思わせる。意識していたのかどうかわからないが、シェイクスピアは、ケルト系の伝説を、どこかで聞いていたのではないかと思う。
ショートブレッドを焼いてみる。小麦粉とバターは3対2。バターに砂糖を入れて、すりまぜる。
底本にした小説や詩は多くあるが、シェイクスピアは「ハーブの香り」を様々な意味を持たせて、自分の作品に散りばめた。生誕と死、二つの意味を持つローズマリー。聖母マリアのイメージもあり、仮死状態となったジュリエットの柩にまかれた。基本のレシピにはないが、ちょっとだけこれを加える。
練ってはいけない。切るように混ぜる。ぽろぽろ状態。
ラップで包んで、冷蔵庫で少し寝かせる。
フライパンにクッキングシートを敷いて、ショートブレッドを焼き始める。蓋をして、弱火で15分。
不格好でほろほろと、崩れそうなビスケットが出来上がった。
取っておいたパンジーとアリッサムの種を、新しくまく。秋に向かいつつあるムーンガーデン。今は黒い土ばかりだが、いずれまた、にぎやかに花々が咲き誇るだろう。
夜、蜜蝋キャンドルをともして、ムーンガーデンの周囲に並べた。甘い香りが漂う。
ユーカリとレモングラスの、虫よけ用のスプレーを肌にふっておく。小さな椅子を出して、ショートブレッドと、バラの花びらを入れた紅茶を用意した。
麦の色は、大地から生まれた太陽の色。
紅茶の色は、夕陽や朝焼けを思わせる大地の色。
はるかな時に思いを馳せるには、ローズマリー。
そして恋物語には、バラが相応しい。
部屋の灯を全て消して、一時間だけ、キャンドルナイト。シェイクスピアの言葉をつぶやいた。
『ロミオ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの』
『名前が何だと言うのでしょう。
私たちがバラと呼ぶあの花を、別の名前で呼んだとしても、
その香りはただ甘く、変わる事はありません。』
ジュリエットに、そうして今夜から、また再生するだろうムーンガーデンに。幸いあれと祈りを捧げて、ショートブレッドを一口かじった。
※ ラマス
最初に収穫できた小麦でパンを焼き、教会に捧げる祝祭。八月一日に行われていた。
なお、中世の頃は、ユリウス暦だった。グレゴリオ暦(現代の暦)をイギリスが導入したのは、1767年。シェイクスピアは十六世紀のイギリスの人なので、彼と彼の作品の登場人物は、ユリウス暦の中で生きていた事になる。現代の暦とは十日ほどずれる。
計算すると、ジュリエットは八月十日の夜に生まれた事になる。
八月十日か十一日あたりに、ラマスやジュリエットを意識してキャンドルナイトをしても楽しいかもしれない。
※ キャンドルナイト
日本は電気の消費が半端ないらしい。夜は暗いもの、との常識が、日本では通用しなくなってきている。人工衛星で夜の日本の写真を撮ると、列島の形にくっきり浮き上がって見えるそうな。
それだと環境に悪過ぎるだろう。という発想が出てくるのも当り前で、一年に一日、一時間だけ、家の灯を全て消して、ロウソクの灯で過ごしてみようとの運動が、静かに広がっている。一年に一時間だけでも、環境に与える影響がかなり違うらしい。
なお、この時使うロウソクは、石油から作られたパラフィンのロウソクよりも、和ロウソク(植物性のロウでできている)や、ミツロウのロウソク(蜜蜂が巣を作る時に出す物質を集めたロウソク)が良いらしい。二酸化炭素の出が少ないのだそうだ。
和ロウソクの灯はパラフィンのものよりも綺麗なオレンジ色をしている。ミツロウのロウソクは、蜂蜜に似た甘い香りが漂う。そういうものを使う楽しみもある。
「キャンドルナイト」で検索すると、色々出てくる。地域によっては、イベントをしている自治体もあるようだ。
ただし、火の始末はしっかりと。火事になっていては、元も子もない。
【ショートブレッドの作り方】※オーブントースター・バージョン
四角いショートブレッドができます。オーブンをお持ちの方は、5.をオーブンにして焼いて下さい。
レシピが色々ありますが、粉とバターは大体、3対2の割合でした。
材料
小麦粉 120グラム
バター 80グラム
砂糖 30グラム(大さじ2ぐらい)
塩 ひとつまみ
1. バターを室温に戻しておく。温めて柔らかくしても良いが、溶かしバターにはしないように!
2. バターに砂糖を入れて、泡立て器ですりまぜる。白っぽい、クリーム状になるまで。
3. 小麦粉に塩を混ぜ、2に混ぜる。練ってはいけない! 2、3回に分けて小麦粉を入れ、混ぜ合わせる。ぽろぽろ状態でOK。
4. ラップをして冷蔵庫で休ませる。
5. 温めておいたオーブントースターのトレーにシートを敷いて、生地を乗せる。厚さは1センチ程度。
6. ホイルをかぶせて、15分焼く。
焼き上がりは柔らかいので、崩れます。冷めてから、切り分けて下さい。
ドライフルーツなどを刻んで入れたい場合、小麦粉を混ぜる段階で混ぜて下さい。
カロリーメイトの成分表を見ると、バターの代わりにマーガリンを使っている(植物油)だけで、後はショートブレッドの材料と良く似ていました。卵が入っていますが。叩いてつぶしてから、牛乳でつないで、オーブントースターで軽く焼いてみたら、似たものに……なった気がする。微妙でした。
一番良いのは、ウォーカーズのショートブレッドを買ってきて食べる事ですかね?
【ジュリエットのローズティー(ホット)】
使用するバラの花びらは、花屋で売っているものは使わないで下さい。農薬他、様々な薬がかかっています。自分で育てたものか、ハーブ屋さんやエディブルフラワーの店で売っている、食品扱いのものを使って下さい。
材料
ニルギリやキャンディ、ディンブラなど、少し柑橘系の香りのある茶葉 5グラム(小さじ2)
バラの花びら(ドライ)小さじ1
熱湯 400㏄
シロップ(好みで)
1.茶葉にバラを混ぜ、温めておいたポットに入れる。
2.熱湯を注ぎ、3分蒸らす。
いろいろなメーカーさんから、バラの花びらを混ぜたお茶が出ていますが、自分でミックスしてみても楽しい。ミツティさんの『プレミアムローズティー』では、バラとシナモンがブレンドされていました。あっさりめのエキゾチック風味。
なお、香りには好みもあるので、自分なりに加減して、好みの味を見つけて下さい。慣れない人は、バラの香りを飲むのに抵抗があるようです。
もっと簡単な方法としては、バラのジャムやシロップを使う方法があります。普通の紅茶に一さじ入れるだけで、ローズティーに早変わりします。次にあるのは、ミツティさんが店でセットにして売っていた、アイス・ローズティーの作り方。
【アイス・ローズティー】
材料と用意するもの
バラのジュース(買って来よう)
アイスティー。(二倍の濃さで紅茶を入れて、氷を満たしたグラスに注いで冷やす)
氷とグラス
グラスに氷と、バラのジュースを入れ、アイスティーを上からそっと注ぐ。綺麗に二層に別れます。
参考文献
『ヨーロッパの祝祭典』マドレーヌ・P・コズマン/原書房(現在絶版)
『イギリス祭事カレンダー』宮北惠子・平林美都子/彩流社
『中世の祝祭』フィリップ・ヴァルテール/原書房
『シェイクスピアの香り』熊井明子/東京書籍
『ロミオとジュリエット』シェイクスピア原作・S・アットキン文/講談社英語文庫
その他
ケルトの女神について調べようとしましたが、時代によっても扱いが変わっているようで、大地の女神系が良くわかりませんでした。ダヌはダーナとも呼ばれる、トゥアハ・デ・ダナン(ダーナ神族)の母女神。
ダーナ神族はフィオナ騎士団の物語りに変わり、それもディーナ・シー(アイルランドの妖精族)に取って代わられますが、フィオナ騎士団辺りからは、神というより騎士のような、英雄妖精と呼ばれる人間めいた者に変化していました。女神たちも、戦士の側面が強い。時代が降ると全てがいっしょくたになって、小さい人たち(妖精)、という扱いになってゆきます。
シェイクスピアに関しては、子どものころに、子ども向けにリライトされたものを読んでいました。機会があって、半年だけ、原語で読む授業を受けさせていただきました。その時、言語の変遷や原文のリズムに驚かされました。続けて受けたかったのですが、諸般の事情で続けられず、半年のみとなりましたが、受けて良かったと今も思っています。上村幸弘先生、ありがとうございました。