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二月 ハートをつなぐ、バレンタイン

二月十四日に上げたかったのですが、風邪と雪に敗北しました。ひらひら、とかちらちら、じゃなくて、ぼたぼた降ってる。毎朝、雪かきしてます。

 二月。

 冬が続く。雪や雹、霰が降る。どうかすると道が凍る。

 夜に空をあおぐと、きんと張りつめた大気の中、星が世界に食い入るかのように光を放っている。見ていると、自分自身も光に浸食されるかのよう。

 ムーンガーデンは荒れ果てている。少しだけ残っていた花が終わり、かちかちになった土の上、枯れた草が散らばっている。

 庭の草木もほとんどが葉を落とし、静かだ。山茶花だけは元気よく伸びて、赤い花を咲かせているが。

 それでも春を予感させる動きは少しずつ、起きている。

 梅の枝に、小さく花芽が見えている。

 寒さは強まっている。けれど、昼の時間は少しずつ、長くなってきている。植物は、それを自分自身の体で現している。





 二月には、バレンタイン・デーがある。この行事は日本では、女性から男性へ贈り物をするが、この形は世界でも珍しい。実は、バレンタインに女性から男性に贈り物をする、というのは、日本と韓国だけである。なお、韓国の場合、日本の行事として伝わってそうなった。

 ほとんどの国では、バレンタインの日に、男性から女性への形で贈り物をする。

 スペインでも中国でも、男性は、赤い薔薇を女性に贈る。英国では花束や甘いお菓子。コンサートや芝居に誘う事もある。アメリカでは、気が合う男女が集まってパーティを開いたり、お互いに贈り物をし合う。他の国々でも大概が、男性から女性に対して、花や、お菓子や、綺麗な小物を贈る、もしくは互いに贈り物をし合う日、となっている。

 始まったのが殉教したバレンタイン司祭の記念、という事で、元々が西洋の行事である。日本では『恋人の日』がクローズアップされているが、他の国々ではどちらかと言うと、『愛の日』として認識されている。

 長年連れ添った夫婦が、お洒落をして食事に出かける日なのだ。

 普段、感謝の言葉が足りないのは大抵、男性側。長年、一緒に暮らしている夫婦でもそんなものだ。だからこの日は、ありがとうの気持ちを込めて、奥さんに小さなサプライズをしたりする。食事に行くレストランの人に頼んで、ウェイターさんたちに歌ってもらったり、コンサートのチケットをこっそり手に入れておいて、連れていったり。バレバレな場合もあるが、奥さん側は知らないふりをする。

 ちなみに計画を立てている間、男性側もわりと楽しい。

 恋人の日ももちろん含まれるが、愛の日、という事で、息子や娘たちから両親に、何かが贈られたりもする。また、この日に結婚の申し込みをする男性も多い。基本的に、男性から女性に告白し、何かを贈る日という認識だ。

 西洋諸国の場合、財産を持ち、受け継ぐ権利を持っているのは男性、女性には権利がないという時代が長かった。こうなると贈り物は、男性から女性へという流れができる。『贈り物』というのは普通、お金を持っている方から、持っていない方へと渡されるからだ。逆だと封建的な社会での、税の取り立てのような状態になってしまう。

 未婚女性は父親に所属する、既婚女性は夫に所属する、という発想の元では、女性が身にまとっている衣服でさえも、基本的には父親、あるいは夫のものである。父親や夫が破産するか亡くなって後ろ楯をなくした場合、その女性は家の中にあるもの全てに対して権利を失う。差し押さえに来る者や、次に家を継ぐ権利を持つ男性に対して、女性たちは身の回りのもの、着ている衣服を持って家を出て行きたいと願い出て、相手の好意や良識にすがらねばならなかった。

 ある程度身分があるものの場合、それなりのものを持たせなければ、評判に差し障りが出る。が、身分の低い女性に対しては、裸でなければ良いだろうという扱いになる事もしばしばだった。この辺りの事を描いた作品は、探せばそれなりに出てくる。

 そういう事情の中では、男性からの贈り物は、女性にとって、『自分が自由にできる、自分だけの財産』となる。いざという時に差し押さえられる事なく売り払い、生活費にできるもの。男性側もそうした事情を知っているので、誠意を現すものとして、女性に何かを贈る。自分の死後に相手が困らないようにとの思惑が、元々あった。

 歴史の中で、女性の立場も変わってゆき、バレンタインの贈り物の意味合いも次第に変わっていったが、こうした背景を考えると、『女性から男性に何かを贈る』日本式バレンタイン・デーは、珍しい形のものと見えてくる。




*  *  *




「カラメルティー、いれようか」


 ふと思い立って、ポットを用意した。アッサムCTCを使おうとして、手を止める。

 一年ほど前に、お土産にもらった紅茶の缶が目に入った。

わたしが紅茶好きだと知っている知人たちは、旅行に行くと、土産に紅茶を買ってきてくれる。ありがたいのだが、どうかすると、飲みきれずに残る紅茶が出てしまう。この紅茶もそうだった。封を開けた状態で、中身が半分ほど残っている。


「まだ、湿気しけってはいないと思うけど……」


 紅茶や緑茶の茶葉は、周囲の湿気を吸い、臭いを吸い取る。封を開けたら、なるべく早く飲みきってしまうのが良い。そうでなければ、妙な匂いが移ってついてしまうのだ。

 この紅茶も、飲み頃を過ぎてしまっている。

 でも捨てるのは勿体ない。どうしようかと考えて、軽く炒って湿気を飛ばす事にした。熱しておいたフライパンに茶葉を入れ、強火でささっと炒る。



 しゃかしゃかしゃっ

 しゃっ、しゃざしゃざしゃさっ

 かしゃっかっ

 しゃっ、しゃざざっ、しゃかしゃかかしゃっ



 手を止めずに、フライパンをゆすり続ける。こうすると、湿気が飛んで、ほうじ茶テイストのお茶になる。ミルクティーにすると美味しい。飲み頃を過ぎてしまった茶葉でも、そこそこ美味しく飲める。


焙烙ほうろく買おうかなあ」


 豆などを炒るための道具だが、ほうじ茶を作る時には、フライパンより扱いやすい。

 温めたポットに炒った茶葉を入れ、沸騰させた湯を注ぐ。

 砂時計をセットして、茶葉が開くのを待っている間に、水で溶いた砂糖を焦がして、カラメルソースを作る。

 砂の落ちきったのを確認してから、カップにほうじ茶テイストの紅茶を入れる。ミルクを入れてから、カラメルソースを垂らす。


「カフェオレ風味」


 甘いけれど甘過ぎない、ちょっぴりほろ苦い、大人風味の紅茶になる。


 


*  *  *




 男性は、変化を嫌う。自分の居心地の良い環境があると、無意識にそれを変化させまいとする。周囲の状況が変わっても、それにより不便な面が出てきても、変化をできる限り先に伸ばそうとして努力する。それが本人には居心地が良い。

 女性は、変化を求める。今現在の居心地の良さよりも、未来に起きるだろう変化から楽しみを得る。理屈ではなく、感覚的な面で、自分自身の中にためてきた情報を総合的に判断して、次に起こる変化を予測する。それに合わせるのが楽しい。

 どちらも人には必要な資質だ。自分自身の足元をしっかりと固める堅実性。それと同時に、現在の自分を打破する為の、ギャンブルめいたチャレンジ精神。

 絵描きにしろ、小説書きにしろ、一流の人物になると、双方の感覚を持っている。男性的な感覚、女性的な感覚のどちらをも兼ね備えるようになってゆく。物を作るというのは、確実に、堅実に、積み重ねる事であり、同時に一度完成したものに囚われず、それを打ち壊し、さらに新しいものへと挑戦し続ける事だからだ。

 片方だけでは作品は生まれない。

 バレンタイン・デーのシンボルは、ハートのマーク。

 ハートマークは、山が一つだけでは成り立たない。

 二つなければ、ハートにならない。

 この形は良く見ると、漢字の『人』の字を分解して裏返し、ぎゅーっと伸ばしてくっつけたように見える。『人』の字は背中合わせだが、ハートの形は向き合って、お互いに支えあっている。

 また、腕を組み合っている形のようにも見える。どちらが上になるわけでもなく、対等な位置で手を取り合う、二人の人間のイメージがある。

 異なる価値観、異なる世界の持ち主に、あえて結びつこうとする、勇気と喜びの記念の日、バレンタイン・デー。

 それは相手を、自分と全く違う価値観、全く違う存在と認めた上で、対等な存在であると、あなたを尊重しますと、互いが互いに告げる、記念の日でもある。





「なんだか、良い匂いがするね」


 母が台所に顔を出した。


「お茶を炒ってた。古くなったから」

「紅茶もほうじ茶にできるの?」

「似たようなものにはなるよ」

「飲んでみたいから、いれてみてくれる?」


 了承して、ちょっと待っていてくれと頼む。もう一度フライパンで、茶葉を炒り始める。


「ああ、お茶の良い香り!」


 まだいれてもいないのに、母がそう言っている。





 基本に忠実であろうとするあまり、教科書にない扱い方、把握の仕方をする人間を、批判する者もいる。古くなった茶葉をフライパンで炒って湿気を飛ばし、ミルクティーにして飲んでいる、と以前どこかで話した時に、それはそれは大仰に顔をしかめられ、犯罪を犯したかのような口調で責められた事があった。

 別に客に出すお茶で、そうしたわけではない。自分一人で楽しむ為のお茶だ。そう言ったのだが、駄目だった。

 紅茶関係の本を、良く読んでいた人のようだった。やたら詳しかった。

 たぶん彼は、常に基本通りに紅茶を入れ、保存も全て完璧で、お土産にいただいた紅茶も、封を切ったら二ヶ月以内に全て飲みきってしまうような、きっちりとした人物だったのだろう。ついうっかり飲み頃を過ぎてしまった、という茶葉が出る事などないに違いない。わたしにはちょっと難しいが。



 しゃしゃっ、かっ、しゃっ、しゃかかっ

 しゃさしゃさしゃっ



 火を入れた茶葉は香ばしくなって、どこか懐かしいような、ほっとするような味になる。新しい葉を、美味しいうちに飲むのが良いのは当然だが、少し古くなって香りが弱くなった葉を、美味しく飲もうと工夫し、考えるのも、わたしは好きだ。そういう経験をするのも楽しいと思う。

 彼はそれを知ることがない。それも彼の選択した道なのだろうが……少し気の毒ではある。基本に忠実であるのは大切な事なのだが、彼の紅茶への態度は、ひどく窮屈そうなものに見えた。お茶を飲んでほっとする、という事が彼には、あったのだろうか。

 美味しくお茶をいれるために、基本の入れ方がある。

 楽しくお茶を飲むために、工夫や趣向を人は凝らす。

 香りや味をより良く出すために、基本はおろそかにはできない。

 けれど、楽しくお茶を飲むためには。必ずしも、基本が常に必要というわけではない。飲もうとしている自分、あるいはお茶をお出ししようとしているお客さまが、その時、体調が優れなかったとしたら。どれほど基本通りにいれたとしても、楽しいお茶になるとは限らない。紅茶のカフェインが、具合をさらに悪くする事もある。そんな時には茶葉を使わず、ホットミルクや温めたりんごジュース、レモネードで十分なのだ。

 美味しく、と楽しく、が両方あれば申し分ない。

 けれど、何かの事情でどちらかが成り立たない場合。無理に成り立たせる必要はない。

 自分自身がリラックスして、お茶をいれたり、飲んだりする。

 そうやって飲むお茶が、人には優しい。




*  *  *




「はい、どうぞ」


 カラメルではなく、シロップを入れて、少し甘めのミルクティーを作った。


「あら、美味しい」


 あっさりしている、と言いながら母が飲んでいる。父の分も作って持っていくと、「ミルクコーヒーみたいだな」とか何とかつぶやいていた。


「コーヒーじゃないわよ、紅茶よ」

「わかってるよ」

「味が違うでしょ」

「だから、わかってる」


 母と父が言い合いを始めた。


「炒って香ばしくなった分、カフェオレみたいな味になったんだよ。イタリアに、オルゾって麦茶みたいな飲み物があるけど。カフェイン取るのを禁止されている人が、コーヒーの代わりに飲んでる。ミルクを入れると、カフェオレそっくりなんだって。紅茶も、炒ったら、その味に近くなるんだと思うよ」


 ぷうっとふくれる母と、むっつりしている父の間で、苦笑いを浮かべながら言うと、二人とも何となく納得した。





 一方の立場でだけ見る社会では、誰かがいつもギリギリ状態になってしまう。

 それはしんどい。

 自分たち以外にも別の立場の人がいる。その人たちの見る世界はどんなものだろう。その人たちにも暮らしやすい社会はどんなものだろう。そういう視線で物事を見て、何かを作ろうとするなら、それは誰に対しても優しい社会になってゆく。

 視覚障害者のためにデザインされた炊飯器やオーブントースターは、高齢者が「使いやすい」と喜ぶ商品だ。年を取ると指先の感覚が鈍くなり、目も悪くなってくるので、タッチセンサー式の道具は使うのが難しくなる。スイッチを入れたつもりで入っていなかった、消したつもりで入れっぱなしだった、という小さな事故が次々と起こる。しかし、視覚障害者用にデザインされた商品は、触って確かめる形のものなので、高齢者にとって非常にわかりやすい、ありがたい商品となる。

 車椅子の人のためにデザインされた環境や空間は、妊娠中の女性やベビーカーを押している人々、小さな子どもにとってありがたいものだ。段差が少ないので疲れにくく、目的地にたどりつきやすい。道や建物の幅が広く取ってあるので、広々として見え、視覚的なストレスも受けにくい。

 特定の、数の少ない社会的な弱者のため、その人が過ごしやすいようにと考えられたものは、逆に多くの人を助け、潤すものとなってゆく。

 数の多い者のためにのみ便宜をはかる社会は、いろいろなところが歪み、ストレスの多い、ぎすぎすしたものとなりやすい。




*  *  *




 バレンタインの前後の日に、小学生の集まる集会があった。そこに持っていくお菓子をどうしようかと考えて、チョコレートアレルギーの子がいたな、と思い出す。他の子が食べている時、いつも我慢している。

 食べたいのだが、食べると湿疹が出て、痒みが止まらなくなるのだ。

 その子にだけ別のお菓子、というのも可哀相だ。今年はチョコレートではなく、別のものを持って行く事にする。

 りんごや洋梨といった種のある果物は、愛をイメージさせる果物とされた……という事で、果物味のグミに決めた。

 綺麗な毛糸で一袋ずつ、リボン結びをつけてあげよう。

 リボン結びは、上の部分が8の字を倒した形、「∞」に見える。この「∞」は中世の時代、愛のシンボルだった。この形のブローチやペンダントが作られて、バレンタインの日にはみんなが身につけた。始まりも終わりもないこの形は、永遠のシンボルでもあった。だから、愛の日に、愛が永遠である事を願って身につけた……そういう話をしながら渡せば、何となく、特別な気分になってくれるのではないだろうか。

 チョコレートがお菓子として食べられるようになるまでは、バレンタイン・デーには、果物がどっさり入った甘いお菓子を食べていたんだよ、とか。

 本当は、りんごのジャムにリボン結びをして渡してあげたいのだが、人数分作るのが難しい。


「うちの分だけは、作っておこうか」


 紅茶で煮たりんごのジャム。愛の食べ物。


「愛だとか何だとか、誰も気がつかないんだろうけど……」


 自己満足で、瓶にリボンを結んでおこう。





 ハートの形は、リボン結びの「∞」の形にも似ている。

 ものを結ぶ形に似ているのだと思う。

 異なる二つのものを対等に結ぶ、とは。実は難しい。

 大抵の場合、どんなものでも、対等な位置にあること事態が稀だからだ。

 どちらかが低くされ、どちらかが上から見下ろす構図になっている事が、とても多い。

 その場合、その状態のまま、同じ条件で結んでも、形はいびつになる。

 まず低くされている方を上げてやり、位置を同じにしてやらなければならないのだ。

 それから結べば、綺麗なハート形ができる。

 昔の人はこの形から、そうしたことを敏感に感じ取っていたのだろう。古い小説を読むと、男性が女性に贈るプロポーズの言葉には、必ず『尊敬』や『敬意』といった言葉が入っている。社会的に高い立場であるはずの男性の方が、男性よりも立場が低いと見なされている女性に向かって、あなたを尊敬します、と言うのである。

 相手の女性の立場を高く上げる事で、対等な位置まで女性を持ってきている。

 それからプロポーズの返事を待つ。女性側が承諾すれば、二人は綺麗なハート形に結ばれたという事になる。

 現代の場合、女性側から申し込む事もあるので、プロポーズの言葉もこの限りではないが、結婚するというのは、立場が違う、育ち方も、考え方も違う二人の人間が、一緒に暮らしてゆく決意をし、公に約束する事だ。それは、どちらか一方だけが優先されて良い関係ではない。

 互いに譲り合いをしなければ、一日も過ごせなくなる。

 その譲り合いをお互いにします、と、相手に対して、また立ち会った人々に対してする約束でもある。





 買ってきたグミの袋に、赤いハートの切り抜きを貼り、綺麗な毛糸でリボン結びをつけてゆく。とりあえず、三十個あれば間に合うか。

 男の子も女の子も、一つずつ。小さなハートを持ち帰ってもらう。

 中学生や高校生には、紅茶のティーバッグを一個とクッキー一枚のセット。こっちは十五個で良いか。


「バレンタインだからね」





 詩も音楽も、絵画も演劇も。

 異なる二つのものを対等に結ぼうと、千年、二千年とこの日を祝い続けている。

 あなたを尊敬します、対等な存在として尊重しますと、お互いに約束する日、バレンタイン・デー。

 ハッピー・バレンタイン。

 誰にとっても、優しい、良い日でありますよう。




参考文献

『ヨーロッパの祝祭典』 著/マドレーヌ・P・コズマン 原書房(絶版)


※ バレンタイン・デーの由来

 諸説あるが、結婚を禁じられたローマの兵士を密かに結婚させたため、処刑されたバレンタイン(ウァレンティノス)司祭の記念というのが一般的。ローマでは元々、二月十四日は、結婚をつかさどる女神ユノの記念日でもあったらしい。


※ 愛の印

「∞」の他に、冠をつけたAの文字も愛の印とされた。Aは、愛を意味する「アムール」の頭文字。愛は全てに勝利する、という意味があったらしい。





☆★「カラメルティー作り方」★☆


プリンで使うカラメルソース。

これを、ミルクティーやチャイに入れてみまると…、

あらら不思議。 おこちゃまが好きなプリンのイメージとはかけ離れ、、、

ほろ苦い甘さの、大人カラメルティーの出来上がり★



【材料】


・砂糖   60g

(グラニュー糖が澄んだカラメルが出来ますが、上白糖、てんさい糖でもOK)

 注⇒三温糖はかるめ焼きになってしまうので不向き。


・水    大さじ1

・お湯   大さじ3

(加熱を止めるためのもの。水だと飛び跳ねて危険!)



【作り方】



1.砂糖と水を小さめな鍋に入れて、中火にかける。

たまに鍋を揺らして、カラメル色になるまで煮詰めていく。


カラメルの濃さは好みですが、濃い目に作ってもそんなに心配ないので、プリンのこげ茶色のカラメルを目指しましょう。


   

2.お湯はコップなどに用意しておき、カラメル色になったところで

大さじ3のお湯を1杯ずつ、飛び跳ねに気をつけて1の鍋に加えて色を止める。


カラメルソースのゆるさは好みで調節出来ます。 

小瓶などに移し替えて使うと便利です。


※ カラメルソースに牛乳を加えてもコーヒーミルクのような感覚で飲めます。


「紅茶専門店ミツティ メルマガ」より

※ 2010年三月のメルマガでした。冬の話に使ってみたかったので、ここに上げました。


☆★「冬りんごジャム 作り方」★☆


【材料】


・紅玉りんご       3~4個

・砂糖(または蜂蜜)   150~200g

・水           50cc

・レモン汁        50cc

・ラム酒漬けフルーツ   50g

・くるみ(粗刻み)    大さじ1~2

・マサラチャイ      大さじ1




【作り方】


1.りんごは皮を剥いて5mm厚さのいちょう切りに。

 水、レモン汁、砂糖と一緒に鍋に入れ、弱火にかける。


2.アクを取りながら煮詰めていく。汁気、甘さは好みで。

 りんごが透明になり、汁気も減ってきたら、ラム酒漬けのフルーツを入れる。

 

3.マサラチャイでストレートの紅茶を淹れる。

 (今回は、ポットにマサラチャイの茶葉を大さじ1を入れ、熱湯を350cc注ぎ、4分ほど蒸らしたものを漉して使っています)


4.2の鍋へオーブンで少し焼き色をつけたくるみと、マサラチャイのストレートの紅茶を大さじ1~2ほど入れてひと煮たちさせる。


 

温めてバニラアイスクリームの上にかけると美味♪

もちろん、バゲットや、クラッカーにもピッタリです♪


「紅茶専門店ミツティ メルマガ」より

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