(9)粛清
皇家の魔道具を一切使えなくなった皇帝父子が城を去るまで、半月とかからなかった。
そのきっかけとなったのは、刻印の護り手とされていたラフィニア・アロフが、貴族議会の議長宛に手紙を残して姿をくらましたことである。
公爵令嬢マグレーテに嫌がらせをされていると、虚偽の告発をしたこと
それを受けた皇子・皇帝が碌な調べもせず、彼女を婚約破棄・幽閉したこと
自分が魔法の使えない手品師で、刻印の護り手ではないこと
これらを全て告白したのだ。
すぐさまマグレーテのラフィニアに対する嫌がらせについて調査が始まったが、そのことが耳に入るやいなや、皇帝父子は揃って、城を密かに脱出した。
その「嫌がらせ」について、ラフィニアの訴えを鵜呑みにし、調査らしい調査をしていないと自白しているも同然である。
ヒューミリアがマグレーテ解放のために仕組んだ策であったが、夜逃げという事態に至るとはさすがに予想外なのであった。
◆
皇帝父子が逃げた翌朝、ヒューミリアは早くも史料編纂室の戦闘員たちと共にライノールを囲んでいた。
キュノフォリアがイミーラを通して皇子に渡していたブローチに仕込まれた、盗聴の魔道具のおかげですぐに居場所が分かったのだ。
市民に見えるよう変装しているつもりらしい皇子に、紫電遠雷を突き付けて告げる。
「ライノール・フェナゼム・ルージュニオン様とお見受けしましたわ。帝国軍史料編纂室、ヒューミリア・アヴィルネが、国民を裏切った罪であなたを捕縛いたします!」
戦闘員たちは針雷7号――戦斧のような外見だが斧の背側に魔力供給のための交換式カートリッジを備え、柄の先端から短射程の強力な刺突魔法を発射する魔道具で、史料編纂室の標準武器である―― を構え、口々にまくし立てた。
「こいつがロクデナシの皇子か!」
「嬢ちゃんかっけえ!痺れる!!」
「浮気野郎なんだってな!」
「夜逃げしたヘタレ野郎!」
「こいつより嬢ちゃんのがカリスマあるよな」
「ゾクゾクするぅ!」
「わ、私を皇子と知って武器を向けるか!ふけ、不敬であろう!武器をおさめ――
バシュ!
震える手で剣を構えた皇子が抵抗すると、紫電遠雷が閃光を放ち皇子の足元に大穴をあけた。消滅魔法ではなく、投射魔法による威嚇である。
「見苦しいですわ。大人しく観念なさい!それでも皇族ですの!?」
剣を取り落として飛び退いた皇子は、足をもつれさせて転び四つん這いとなった。そして絶叫した。
「……くそおっ、くそおおおっ!魔道具使いが……どいつもこいつも簡単に道具に頼りおって!!」
「魔道具使いの何がいけないと仰るのです!?」
「皇位継承者はな!皇家の魔道具を起動する鍵と交信するために、魔法刻印を体に刻まれるのだ!その苦しみを、たった4歳で味わわされるのだぞ!
それなのに貴様ら魔道具使いは自分の魔法刻印を鍛えず、安易に魔道具で魔法を使って済ませようと!皇族が強制的に刻印を刻んでまで魔法を使っているというのに、貴様らときたら……」
「ふざけないでくださいまし!幼い頃に皇族だからと痛い思いをさせられたことには、同情いたしますわ。だからと言って!その苦痛を味わっていない人が、何の努力もしない愚か者ということに、なるはずがありませんわよ!」
「魔道具を使うのに、努力が必要だと申すのか!?」
「当り前ですわ!簡単な魔道具ならともかく、複雑なものを使いこなすには、繰り返しの練習が必要でしてよ。ご存じありませんの?」
皇子は黙ったが、悔しそうな顔である。納得していないのだろうか。
『知らないでしょうね。この人たち、わたしに命令するだけだったもの。命令して、魔力を流して、それだけ。細かい調整はわたしがする契約だったから、仕方ないけど』
それでは“魔道具というものは簡単に使えるものだ”と勘違いしても仕方がないのかもしれない。ヒューミリアは少々同情しかけたが、ジェスロンがいることに気付いた皇子が騒ぎ出した。
「鍵よ、ここに来ていたのか。お願いだ、戻って来てくれ!皇家の魔道具を動かすのが契約だろう!」
その勝手な態度に、ヒューミリアの内心からどす黒いものが湧き上がってきた。皇子に冷たくあしらわれ、悲しそうなマグレーテ。婚約破棄。理不尽な裁判。そして幽閉。魔力封じのために連行される、取り巻きたちの泣き声。
「ジェスロンは戻りませんし、戻ったところであなたは皇位に就けませんわ。一度国民を裏切って逃げたのですもの。それに……」
ヒューミリアの怒りはこの時、真に頂点に達した。
「婚約者であるマグレーテ様を裏切り、あまつさえ幽閉したことは、そのお気の毒な過去とは一切関係ありませんわよね!あなた方を、この私が!絶っっっ対に許しませんわ!」
紫電遠雷と義足から薄赤い魔力光が迸り、溢れ出た過剰魔力で空中にバリバリと電撃が走る。ヒューミリアはダッと地面を蹴ると一瞬で皇子の目の前まで踏み込み、紫電遠雷をすくい上げるように振り抜いた。
早くも戦技訓練の成果が出たのか、実に美しいフォームである。
皇子は「ぐげ」と呻きながら打ち上げられ、空中で5回転して路地のゴミ箱に頭から落ちた。手足は弛緩し、気を失ったようだ。
紫電遠雷は打撃武器としても優れていたらしい。
戦闘員たちは呆気に取られたようだったが、戦闘隊長がハッと気付いたように号令をかけた。
「総員整列!」
その声にヒューミリアが振り返ると、彼らは先ほどまでの騒がしくなれなれしい態度とは打って変わり、規律のとれた動きで整列し、針雷7号で捧げ剣した。
「ヒューミリア・アヴィルネ閣下に敬礼!閣下は間違いなく強者です。我ら史料編纂室戦闘隊は閣下に臣従し、忠誠を捧げます!」
今度は呆気に取られたのはヒューミリアである。子爵令嬢に過ぎない自分にとって、それは過ぎた忠誠だろう。だが、捧げられた忠誠を断られることが戦士にとって最も屈辱的なことの一つであると、彼女は知っていた。
「わ、わが身には過ぎた忠誠ですが、お気持ち、しかと受け取りましたわ……でも……私、皆様に嬢ちゃん、と呼ばれて悪い気はしませんでしたのよ。あまり、かしこまらないで頂けると、嬉しく思いますわ」
「では、改めて。嬢ちゃん閣下に敬礼!」
隊長が少しおどけた様子で号令をかけたのでヒューミリアからも柔らかな笑みがこぼれ、戦闘員たちも安心したように口々に声を発した。
「さっきのスイング、最高でした!」
「俺も痺れました!どこまでも着いていきます!」
「何でも命令してください!」
「ゾクゾクします!」
「そうですわね、まず、あのゴミの回収をお願いいたしますわ」
(マグレーテ様をお慕いしていただけの私が、屈強な戦闘員の皆様に命令するようになるなんて。少し前までは覗き屋だなんて呼ばれて虐められていましたのに……人生って何があるか分からないものですわね)
こうして、ヒューミリアは皇子を捕縛し、心強い戦力も手に入れたのである。
◆
皇帝も、その3日後に捕らえられた。
強力な気配隠しの魔法を励起する英雄魔道具「月影の杯」を使っていたので発見が難しかったのだ。
この魔道具のことは捕らえたライノールが自白した。気配隠しの魔法は同じ系統の魔法を使っている者には効果が薄い。そこでヒューミリアが自身の気配隠しの魔法を使いながら市中を捜索した結果、発見に至ったのだ。
彼女は、屋台からの食事の盗難事件が頻発していた地区に注目し、そこを調べた。いわく、「案外簡単でしたわ」とのことだ。
それにしても、この作戦が成功したのはヒューミリアの気配隠しの魔法が英雄魔道具に匹敵する強さを持っていたからに他ならない。彼女の魔法がいかに洗練されているかが改めて証明されることとなったのだ。
皇帝は、ヒューミリアに見つかったと分かると警告を無視して逃走を図った。やむを得ずヒューミリアは紫電遠雷でごく弱く投射魔法を放ち、脚を撃ち抜いてこれを捕縛した。
魔法は針のように細く脚を失うようなことにはならなかったが、その傷は腱に達しており、彼の脚は二度とかつてのように動くことはないだろう。