(1)初仕事
きらびやかなパーティー会場。アトリアナ帝国第一皇子ライノールは侍従からワインを受け取ろうとした。
「なんだ、空っぽではないか」
それは特別な珍しいワインで、毒味用を含めてようやく2杯分しか用意できなかったと聞かされていた。少々楽しみにしていた彼は不快そうに眉を寄せたが、
「皇子殿下、どうなさいましたの?」
フリルがたっぷりあしらわれた愛らしいドレスに身を包んだ黒髪の少女に声をかけられると、どうでもよくなっていた。
「何でもないよ、ラフィニア」
侍従は顔を青くし硬直したが、皇子が構わない様子だったのですぐさま新しいワインを開けて2つのグラスに注ぎ、一方を毒見役に渡して異常のないことを確かめると皇子にもう一方を差し出した。
◆
「よりによってあの皇子の暗殺阻止だなんて……」
会場を見渡すことができ、しかも巧妙に隠された秘密の部屋で子爵令嬢ヒューミリア・アヴィルネは奥歯を噛み締めた。
彼女が皇子に差し出されたワインを「消した」のだ。
今日は国立魔法学院の創立記念パーティー。先日まで彼女もそれに参加することになっていた。しかし今は目立たない墨色のワンピースを着て、暗い隠し部屋で膝立ちになり、無骨な細長いものを構えている。
(こんな格好でこんなことをしているなんて……お父様やお母様が知ったら何と仰るでしょうか……)
そんな自嘲的なことを思う彼女が持つのは、バイポッドを備えた狙撃銃によく似た見た目の魔道具で「針雷3号」といった。
『キヒヒ、初仕事は成功なんだな。ワイングラスの中身にだけ魔法を集中させるとは、さすがなんだな』
これは針雷3号の精、リズマ。騒がしい存在だがその声はヒューミリアにしか聞こえていない。
「拗ねるな、アヴィルネ。引き上げだ」
指揮官と観測員を兼ねた魔道具師キュノフォリアに促され、二人の女性は史料編纂室に戻るべく、秘密通路に消えた。
◆
およそ1か月半前、皇子ライノールは婚約者、公爵令嬢マグレーテを学院内のサロンに呼び出した。ヒューミリアは公爵令嬢のいわゆる取り巻きとして、一緒に着いていったのだ。
サロンでは皇子が可憐な黒髪の女子生徒の肩を抱いていた。
ラフィニア・アロフ、魔法を励起することが分かり最近になって中途入学した田舎の男爵令嬢であり、「刻印の護り手」として注目を浴びる存在である。
刻印の護り手とは体内の魔法刻印が外部からの干渉を受けにくいという、非常に珍しい体質の持ち主のことだ。
皇家の祖である勇者とともに魔王を封じた初代刻印の護り手。以来、同様の体質の持ち主はその再来と信じられ、一定の敬意が払われてきた。
学院に入る者は、体内に刻まれた魔法刻印を調べ、適性を見極めるための検査を受けることになっている。だがラフィニアには、その検査魔法がまったく通じなかったため、刻印の護り手ではないかと見なされているのだ。
彼女は入学翌日の朝に皇子とぶつかるという無礼をはたらいた。
しかし刻印の護り手らしいという彼女を許した皇子は、それ以来何かにつけ彼女を気にするようになり、あっという間に二人は人目をはばからず一緒に行動するようになってしまった。
マグレーテは皇子の婚約者として、そんな二人に繰り返し注意を与えたが聞き入れられず、皇子からはすっかり邪険にされているようだった。
「ごきげんよう、殿下……またラフィニア様と一緒にいらっしゃるとは、婚約者がいる方のなさることでは」
皇子は婚約者の言葉を遮り、こう言い放った。
「黙れ、マグレーテ。君には失望した。最近取り巻きを使ってラフィニアのプライベートをコソコソ嗅ぎまわっているそうじゃないか」
聞いていたヒューミリアの胸がドキリと跳ねた。実際、彼女らマグレーテの取り巻きたちはラフィニアの周囲を調べているのだ。
「はい、殿下。しかしそれは彼女にある重大な疑惑があるからです。決してやましいことは致しておりません」
「殿下、わたし、心当たりがありません。きっとマグレーテ様はわたしのことが嫌いで……」
マグレーテは落ち着いて答えたが、ラフィニアが言い募ったので皇子は激高した。
「刻印の護り手であるラフィニアにいったいどういう疑惑があるというのか!いい加減なことを申すと許さんぞ!!」
「重大な疑惑、としか申せませんわ。だからこそ、よく調べているのです。ラフィニアさん、あなた、ご自分では分かっていらっしゃいますわね?今すぐ真実を告白なさるのが身のためでしてよ?」
「わたし、本当に何も」
ヒューミリアは歯噛みした。
(女狐ですわね……反逆罪かもしれないなんて、確たる証拠もなしに言えるわけもなし。口惜しいですわ)
最近、皇子とラフィニアの距離は目を覆うばかりに近くなっている。元々軽薄な性格の皇子は、正義感が強い上に自分より優秀な婚約者を煙たがっていたが、以前は一応はマグレーテに最低限の礼儀を払ってきた。
それが、婚約者の言葉にまるで耳を貸さなくなり、他の女性とここまで接近するようになるなどどう考えても普通ではない。
そんな折に偶然にもマグレーテは固有魔法「魔法解析」を発現させた。この非常に希少な魔法を早速ラフィニアに向けたところ、魅了魔法が使われていることが分かったのだ。
魅了魔法――人の意識に干渉して混乱をもたらすこの魔法は、帝国法で規制され、使用可能な者の登録が義務付けられている。
そしてラフィニアの名が登録者リストにないことはすぐ明らかになった。皇子に向けて違法に魅了魔法を使ったならば国家反逆罪で極刑となってもおかしくない。
しかし、魅了魔法の使用に気付いたマグレーテは皇子を奪われそうになっている当事者だ。その証言の信憑性には疑問符がついて当然だろう。
そのためヒューミリアたちは継続的に魅了を行うには必ず必要になるという魔法のコアを探し、動かぬ証拠にしようとしているのだ。
「話にならんな。おまえのような女との婚約は、考え直すしかないようだ。不愉快だからここを出てゆけ!」
婚約は皇家と公爵家との取り決めなので皇子といえど一存で覆すことなどできない。それに刻印の護り手は王妃・王配の候補とされた時代もあったが、最近ではそこまで尊い存在と考えられているわけではない。
すぐにどうこうなるということもないだろうとヒューミリアは思っていたのだが――
――その夜、ヒューミリアはマグレーテや他の取り巻きと共に逮捕された。
驚いたことに、皇子とラフィニアからの上奏を受けたサリオン皇帝は、あっさりと婚約破棄を承認して彼女らの捕縛命令に同意したという。
マグレーテの父であるアークネスト公爵は当然激しく抗議したが皇帝は聞き入れることはなかった。
短い裁判の結果、刻印の護り手への嫌がらせ、不敬により有罪とされ、マグレーテは城の貴賓牢に幽閉、ヒューミリアを含む取り巻きたちは魔力を封じられ、在学資格を失ったのである。