0.1
誰かに呼ばれた気がして、目が覚めた。
傍らに人の気配、そして額に当てられた白い手。
ああ、そうか。
「おはようしずちゃん」
「… ……」
声が出ない。
「あはは、枯れちゃってるんだ。でも熱はだいぶ下がったよー」
そう言って体温計を見せてくる彼。
セキくん。
「さんじゅう……はち」
「お。一応聞き取れる。じゃあ、はい」
「……?」
差し出されたのは携帯電話。当然のように僕のじゃ無い。
首を傾げて見上げると、
「ここにいること、連絡しなよ」
と言われた。
連絡しろって、誰にだろう。家に、家族に、保護者に、恋人に……誰とも言われてない。
相手を想定せずに出てくる言葉じゃないはずなのに、と思いながら取り敢えず携帯電話を受け取り、唯一記憶している幼馴染の番号へ掛けた。
コール2回で『……はい』と明らかに寝起きの声が出た。「遣?…静です」
『……何かあったのか』
相変わらずすぐに察してくれる。心地いい距離感に多少なりと胸が軽くなった気がした。
「うん。実は風邪を引いてしまって。」
『え……今は家か?大丈夫なのか』
「……今は家じゃないから、大丈夫です」
このくらいの発言ならいいだろうと、ベッドにもたれて床に座っているセキくんを気にしながらも正直に答える。
すると『……今どこに居る?』と不安げな声が聞こえてきた。
「今は……」
言いよどむ僕に、笑いかけるセキくん。
代われと言うように手を差し出す彼に、どうしてか特に躊躇わず携帯電話を渡してしまった。
――――思えばこの時に気付くべきだったんだ。
「代わりました。遣くん、関といいます。静くんは今ぼくの家にいます。当分ここに泊まりますのでいつでも訪ねて来てください。それでは」
言い終えるともう一度僕の方に差し出して交代しようとする。
でも受け取ったときにはもう通話が切れてしまっていた。
自覚以上に熱で思考力を奪われていたのか、僕は一つ現実的な対応をとったことで満足して、二人が知り合いらしき会話をしただろうことをそれ以上考えもしなかった。
次に目が覚めた時にはもう部屋に夕日が差し込んでいた。
朝より幾分すっきりして身体が軽くなっている。なのに、妙な焦燥がつきまとうようで。部屋を見渡しながら咄嗟に
「セキくん?」と彼を呼んでいた。
「なに?」
まさか即答が返ってくると思っていなかったから驚いて声の方を見ると、ドアの近くで黒ずくめの格好に更に黒いキャップ帽を被った彼が立っていた。
「丁度良かった。起き上がれるかな?ご飯あるから食べよう」
近くまで来たかと思うと、躊躇い無く僕の肩を抱いて起き上がらせる。枕にもたれかかるようにされて、ついでとばかりに髪をなでられた。
……
もう一度部屋を出ようと離れて行くその手を掴む。セキくんが振り返る。
「どうしたの?」虹彩もわからないような真っ黒な目の色。
夕陽に当たってもなおその印象は変わらない。当たり前のように触れてくるのに、目を見れば温もりに反して感情が読み取りづらかった。
「……ありがとう」
「うん。こちらこそ」
ちゅ。
「………………」
掴んでいた手にキスされたと気付いたのは、彼が部屋を出てしまってからだった。
戻って来たセキくんの持ってきたおかゆと煮物は、全部は食べられなかったけれど、おいしいと思った。
それから真っ暗になるまでずっと、傍にいてくれて、
僕が眠くなってうとうとし始めるのを見て「そろそろ寝ようか」と笑った。
「すみません……」
「あはは。起きていられるほど回復してよかった」
横になった僕に昨夜と同じように抱きつき、嬉しそうに言うセキくんに、なんだかこっちまで嬉しくなる。
すごく、すごく、あたたかい。……こういう時 どうするのがいいんだろう。
抱きしめ返すのか、どうやってそうするのかわからないくらい、触れあうことには慣れて無かった。
抱き合うのがこんなにも 心地良いと知った。
「 ありがとう 」
つぶやくような僕の言葉に、関が顔を上げた。
笑顔ではないけれど穏やかな表情。
人形のように白い肌、月明かりも吸収する真っ暗な虹彩。……間近で。
視界いっぱいに ……彼の目が。
――――…… ドクン、と
自分の鼓動が跳ねた。
「全部」
「え?」
「全部俺に、うつしちゃえばいいよ」
ふっとその顔が目を閉じて
彼は僕を抱きしめたまま
深く深く、口付けた。