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傷つけられたことなんてないけど
愛の証?
……ずるくない?そういうの
好きだから傷つくな、傷付けられるな、なんて
でも
好きなんでしょ?
「……っ」
気付いた時には走り出していて、関の言葉がぐるぐる頭の中を廻っていた。二人はいつの間にか階段下から立ち去った後だった。けれどいつまでも二人が向き合う光景が目の前から剥がれない。
更に「親友だ」と真剣に告げる莉亜くんの声もぐるぐると廻る。思考がかき混ぜられて ぐちゃぐちゃになる
莉亜くんは本当にそう思ってるんだろう。大事な、親友。
だけど傍から見て、あの雰囲気は親友というより、恋人同士の修羅場だった。真剣な莉亜くんと、取り合わない関。どこかで、誰かが、そんなやり取りをしてた。僕が。僕と関が。
莉亜くんは「身体中の傷」とも言った。身体中を見たことがなきゃ、言わないことを。なんでそこに僕や遣史郎の名前が出たのかはわからないけど、僕に限って言うなら、身に覚えはある。
だったらもしかして 遣史郎も?……嫌な予感がとまらない
同じ顔で、いつも通りの顔で笑う関
それは莉亜くんも関にとって「僕と同じ」、「同じようなこと」を、している関係だからなんじゃ……
もしかしたら 遣も
「はあ……、はあ」
息が切れてきて、走っていた脚を止める。
無意識にでも、一応遣史郎の家に向かって走ってたようだ。昼食の約束があったのなんて、意識下ではもう忘れていたのに、身体はちゃんと覚えていたみたいだ。
遣史郎の家がすぐ近くに見えてくる。
そしてその門の前に、バイクを停めて降りた人影を見付けた。
思わず 足が止まる。
「莉亜くん……」
僕の呟きが聞こえたはずも無いのに、彼もこっちの方を見て目を見開いた。
奇妙に周りの音が遠のいた気がした。
莉亜くんのことはよく知らない。有名人ではあるが、有名人であるがゆえにこっちが一方的に知っていただけだ。
なんで、莉亜くんがここに。遣史郎が莉亜くんも呼んだのか?……有り得るな。二人は友人同士、遣にとっては自分の友達を呼んだだけのつもりで僕を誘ったのと同じように昼食に誘ったんだろう。これをブッキングとは思わない奴だ。
一言伝えておいてくださいよ、遣史郎のアホ。
莉亜くんの表情を見るに、あっちも僕が来ることなんて知らなかったんだろう。
遣史郎の自宅の前で二人して向かい合い、躊躇していると、「おぅ、来たか」と声をかけられた。俯いていた顔を上げる。
「遣」と、喉がからからで引き攣れた声が出て、自分でも驚く。普段運動不足のくせに走ったせいか……。
訝しげに眉宇を潜めた遣史郎が、玄関からこちらまで出てきた。
ふとその雰囲気にどこか既視感を覚えて、つい反射のように身体を引いたけれど、今朝とは逆に、遣史郎は莉亜くんの方をスルーして、僕だけを真っ直ぐ見詰めてくる。
がし、と腕をつかまれた。
「……中入れ」
「……」
遣史郎に腕を引かれ後について玄関をくぐる。「おじゃまします」と形式的に挨拶し、靴を脱ぐやいなや強引に遣史郎の部屋へ連れ込まれた。
ドアに鍵を掛けるカチャ、という音がやけに大きく響く。
「……莉亜くんに悪いでしょう。急になんですか」
「莉亜なら自分で上がってくるだろうから大丈夫だ」
やっぱりあんたが呼んだんですね。そういうことは呼んだ相手同士にも確認を取りましょうね。
「莉亜くんに上がってくださいって伝えてもないのに、いつもそんな相手任せにしてるんですか?鍵まで掛けて……こういうのは二人だけの時にしよう」
「てことは、莉亜に何かされたわけじゃないんだな?」
「え?……は?!そ、そうですよ!何もされてません!」
しまったな、確かに、さっきの僕の態度を見たらそう思われても仕方無いのかもしれない……遣史郎が知らない他人を突然誘っててはち合せることなんて、僕は慣れてる。僕が誘ったカラオケに誰か連れてきたり、遊びに誘われて行ってみたら結構大人数だったり。その都度特にリアクションもなく僕は一緒に遊ぶかやっぱやめると言って断ってきた。そういう僕を見てきた遣にとっては、僕のさっきの態度は不自然だ。莉亜くんには関との会話を盗み聞きして気まずくなってしまっていたから。
とりあえずはぐらかさないと。
「莉亜くんに何かされたって、莉亜くんは遣の友人なんでしょ……何をされるっていうの。友人を疑うんですか?」
「友人とかいう問題じゃない。お前今の自分の顔色わかってる?朝はなんともなかったのに、離れてる間になんかあったんだと思うじゃん」
「遣、人の顔色なんか普段気付きもしないじゃないですか」
「うっ……いやその俺が気付くほどに、ってことだよ」
遣史郎は一瞬ひるんだ。ほっと、はぐらかせたかと思った、が。
「……莉亜じゃないなら、関か?」
その言葉にぴく、っと
不随意に反応してどこかが震えてしまったのが、自分でもわかった。
「あ」
「関、か」
僕の反応に遣史郎の声が確信を持つ。しまった……目を合わせられない。堂々としてなきゃ余計詮索されると思うのに、
「何があった?」
「……なにも」
「何かされた?」
「なにも……」
「じゃあ、静から何かをした?」
「……。何も」
嘘じゃない。何も無い、何も無くて……それが嫌なくらいなんだ。
莉亜くんにも関にも、何もされてない。
今回のことは本当に僕は部外者だ。勝手に盗み見た光景で、勝手に妄想して、勝手にショック受けて
「静、関のことは――――悩んでも無駄だぞ。考えること自体放棄しろ。何もなくなったんなら、結構なことじゃねえか」
「な……」
何だ 急に、何もなくなったって……
なんでそうなるんだ。というか何を言おうとしてる?どうして僕と、関のこと……
僕と関の、こと、知られてる?
「遣、知ってたん、ですか」
「何を」
「関のこと……」
「あいつのことは多分お前よりよく知ってる」
――――そういう意味で訊いたんじゃ、ない。
……悩んでも無駄とか、今言ったことは、遣が関を知ってるから出てきた言葉ってだけなのか?
僕との関わりを知ってるのかと思ったけど
そうじゃないのか?
「静さあ、何も無いのに、関のことそんなに気になんの?」
「あ」
しまった。食って掛かった形になった。
「どうして悩んでる?」
「……」
どうして。
どうしよう。何て言えばいいんだろう。どこから話せばいい?誰にも話したことは無い。誰かに話すつもりも無かった。関のことも、僕が関と知り合っていること自体、誰にも。
遣史郎だけが、あの日の電話で知らされていた。最初のあの日。関と出会ったあの雨の日に。
遣史郎は幼馴染で 親友で
誰よりも家族みたいで、理解してくれて……
だからあの時遣にだけは連絡した、……遣にだけは
あの日はまだ得体の知れなかった関と、僕がどうなっても 知っていてほしくて。
「………………すきだから」
声が震えた。
俯いたまま、顔が見れない。
あの日想定してたのは例えば、関が犯罪者で弱味握られたり 帰れなくなったりしたら、とか そういうのだったけど。
事態は想定してた真逆の方向にいってる。
遣にとってはどうなんだろう。何か反応してほしい、驚くんでも呆れるんでも…
そう思ったけれど、いざ返された言葉はとても低く、淡々としていた。
「やめろ」
「…… え?」
「あいつを好きでいるのは、やめろ。最悪だ」
「!?」
遣史郎に動揺した素振りは全然ない。むしろ僕の方が狼狽えてしまう。遣史郎は嘘を吐くのが下手だ、嘘を吐こうともしない、だからこれは彼の本心だ。
どうして……
何を根拠に、遣史郎は関の何を知ってこんなこと。
でも、
反論の言葉が出ない。
だって現に 僕は 関を好きで居る間、……
「……やめろって……最悪ってどうしてです」
「ダチが色々精神的に荒れてたとき、関に頼ってたことがあった」
僕がなんとか聞いたら、遣にしては珍しくシンプルじゃなさそうな理由を話し始めた。
「関は優しくて尽くしてくれて、しかもあの見た目だし、料理とか色々なんでも器用にできるらしい。そのダチは関に依存して、それまでは自分でできることまで他人に頼ったりしなかったのに、自分でやりゃいいことまで関がやらないと苛立つようになった」
「それを聞く限りじゃ、その友達とやらの方が最悪ですけど」
「実際に出来事を並べ立てたらそうなるんだよ。だから厄介なんだ……、どんなに、何をしても何を言っても、関は人を食い物にしか見てないよ。口から吐くこと全部嘘の甘言でしかない。尽くしてるようで相手から選択肢を奪ってるだけだ。そうやって誑し込むんだ」
だからお前が家出した時も
関のとこに居るって聞いて心配した。
……何だ、それ。
理由を聞くまでは関への疑惑が膨らんでいたのに、今度は関が悪くないように聞こえて、どう思ったらいいかわからなくなる。
ダチって誰だ。莉亜くん?それとも……遣、自身?
「……莉亜くんはそのこと、知らないの?」
「知ってる」
「莉亜くんは、……関くんと親しいよね」
「親しいよ。そういうやつだからな」
「そういうやつっていうのは、関くんが莉亜くんのことも誑し込んでると?」
「……さあな。とにかくやめろ。関に嵌って精神すり減らしたヤツが何人もいるんだ。お前だって、心当たりくらいあるだろう?」
……心当たりどころか
さっき目の当たりにしてきたばかりだし
とっくに僕も当事者だ。遣史郎が「心配した」こと、関と一緒に過ごしたあの出来事の間に現実になってしまってる。金銭の遣り取りは無かったけど、利用し合ってたのは確かだ。お互いを、縋り付ける逃げ場所として。
でも
今の話じゃ、余計に混乱してしまう。
だって関が 僕の寂しさを、苦しみを埋めて 紛らわせてくれた夜は いくつもやり過ごした二人でいた夜は、事実なんだから。それを、関がしてくれたことまでを悪く解釈することは、さすがにできない気がした。
「……遣の忠告はわかりましたけど」
最初はわかってたはずだった
誰でもいいからって
本気じゃないって、思ってた
知っていた
……それでも好きで
その気持ちを口にしてしまった瞬間、何かが崩れたような、外れたような。
変わってしまった、心持ちが。
多分何も言わずにあのまま曖昧な関係でいたら、僕は関が気紛れに訪れる日常を何の不満もなく享受していた。気紛れ。不確か。それでよかった。
よく なくなったのは 誰のせいだ?
「関くんを好きじゃなくなるなんて、出来るなら、とっくにそうしてるんですよ……」
好きで好きでいくら痕を付けても僕にとらわれてくれなくて
辛くて。
好きで好きで、辛くて。
一緒にいたいと思う程寂しくて
―――寂しければ、余計一緒に居たくなる。
悪循環。
抜け出せない。