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関はあの号泣事件以来音沙汰がない。キャンパス内でも見かけない。
久しぶりにあのアパートを探してみても、やっぱり見つかりはしなかった。
遣に関の連絡先とか、知らないか訊いてみようか。
「おはよ静」
「おはよう……」
今日も今日とて、遣は家に寄ってくれる。来年度進級して同じゼミで会うようになったら、四六時中一緒にいることになるだろう。遣は僕じゃなくても多くの交友関係があって、いつでも必ず誰かと一緒に行動しているから、僕のとこにばかりこんなに毎日来てくれるとは正直思ってなかった。
「あそうだ。俺今日3限無いから昼家で食べるんだけど、静どう?午前で終わりだよな?来るか?」
「え?いいんですか」
「おう」
「ありがとう」
「作るの手伝えよ」
「勿論です」
話しながら校門を通り過ぎたところで、
「あ」
「お」
少し先を歩いていた長身の男。派手に髪を伸ばしウェーブをかけ奇抜な色に染め、タイトな服装にアクセサリーを付け、軽そうな印象の割にサボりもしないし授業中は静かなクラスメイトと、ばったりはち合せた。
彼はちょうど遣と同じ場所に足を踏み出しそうになって一歩下がると、きょろ、と僕の方を交互に見た。
「莉亜」
「お、はよ。反塚……と、えっと」
「おはよ。こっち静っていう、俺の幼馴染。来年からゼミ一緒だぜ」
「おはようございます」
「初めまして。……反塚と同じクラブの、藤莉亜、といいます」
へら、っと笑う表情は人なつこいけど、視線は僕の喉元辺りで左右に揺れている。
人見知りするタイプみたいだ。
藤、莉亜 くん。会ったことは無くとも同じ大学なのは知っていた。有名人だ、ちょうど僕らくらいの年齢層が読む雑誌の、専属モデル。スタイルがよく、日本人らしからぬ彫深い顔立ちの美形。
反塚と同じクラブってことは、ゴルフ部か。二人とも積極的に活動に参加してるとは思えないのに。いつの間に交流を深めたのか、親しげに話す流れで一緒になって屋内に入っていく。
並んで前を歩く二人の後ろから、僕がついていく形になる。完全にアウェイ。三人で歩くと一人あぶれがちだよな。こういうところ、遣史郎は気遣いゼロだ。自分の友人と、その時話したいことを話し始めている。まぁ、それこそ今更なので、僕はわからない会話に入ろうとはせずに大人しく後ろを付いていった。
一人じゃ行動できない遣史郎。小学生の時、修学旅行で自分が一緒にいたいクラスメイトと同じ班になれなくて、嫌われてるとわかって泣いてたっけ。それで僕と同じ班になった。中学から会えないとわかってた僕は遣史郎と同じ班になれて嬉しかったけど、遣史郎にとって僕と一緒だったのは希望が通らなかったハズレくじだ。
別にそれでもいい。結果的に一緒にいられたのは僕だ。その時も、今も。
「あ」「っぶ」
突然前を歩いていた遣史郎の背中が止まって、顔面からそこにぶつかった。
なんだ……?前を歩く二人をろくに意識してなかったせいで思いきり前歯からいってしまった。
「なんだよ急に止まるな……、」
莉亜くんも云いかけて、けど、不自然に言葉を切る。
ふと視線を動かしてみれば、莉亜くんの腕を遣史郎が掴んでいるのを見つけた。莉亜くんは急に立ち止まった遣の巻き添えをくったらしい。
だけどその原因を知ろうにも、遣史郎の頭で前が見えない。
顔をずらす。そこに誰かが立っている。丁度ゼミ室から出てきたらしい、誰か。
肩越しに見える黒い髪。蒼白い肌 ……
「おはよう」
聞き覚えのある声。
「……ぁ」
笑みを含んだ
光彩がわからないほど暗い双眸。
……せ、
「壬慈!」
「やっと来たか」
……え?
「来たよ。頑張った、朝からだしね。超ほめて」
「ほめねえよ」「ほめられたもんじゃ無いよ」「今更来て出席足りるの?」
名前を呼んだのは莉亜くんだった。
遣も 口々に言いながら、関に近付いて
遣史郎が関の額を小突き、莉亜くんが肩を叩く。
なんだか
とても、親しげに。
関の印象は二人で会う時とは違っていた。眼鏡を掛けているからかもしれないし、服装のせいかもしれない。莉亜くんに負けず劣らず長身な関は、影のあるインテリイケメンって風な立ち姿で、黒服のタイトなシルエットは近付き難い雰囲気があった。……雰囲気のある人。
莉亜くんみたいなのが、美形ってやつだと思うのに、関の方に視線が吸い寄せられるような。
スポットライトの当たらない闇の 暗さが余計気になるみたいな。
「あ、しずちゃん!おはよう」
笑み。
ずきん、と胸の真ん中あたりが痛んだ。
関くんも遣もいつも通りだ。莉亜くんも、多分そうなんだろう。
関の笑顔は、いつも通りだ。僕に、向けて、わらう ……あの表情。
近付けない。
困惑と、苛立ちが僕の脚を縫い止めて
一歩も、動けない。
……どうして。
どうしてこいつらと仲がいいの
……どうして、彼等は関を自然に受け入れてるの
全然、学校に来なくて 親しいとかそれほどじゃない、って…言ってたのに…
どうして、
僕はみんなと同じなの。
「あらら三人お揃いで?おはよう」
扉から離れて突っ立っていたら、扉の奥から声を掛けられた。
三人が溜ってる出入り口、その境界線から向こう側を管理する人。近付いてくる足音にほっとする。この人は中立だ、そのはずだ。にっこり微笑う長身の優男。
「おはようございます。」
山口教授。
「ボクに用事……ってわけじゃないかな?関くんが珍しいから、みんなで絡んでた?」
「あっハイ」
「ちょっと遣ちゃん!俺が珍しいって何、人を珍獣みたいに」
「ツチノコ並みのレア度だろ~自覚あんじゃん?ってか先生が言ったんで俺じゃないし」
「人のこと言えるほど真面目に出席してるんですか~?」
「少なくともお前よりゃあな」
「……僕は先生に用事です」思わず口をついた言葉に自分自身はっとして、顔を上げる。
教授と目がかち合った。
「えっ何言ってんの静?1限は?」
遣史郎がそう言って、そういや俺もそろそろ行かなきゃヤバい、とそわそわしながら聞いてくる。莉亜くんと関はどうなのか知らないが、1年生の今から授業がガラ空きってことは無いだろうから、この時間学校に来てるってことは多分1限から授業だろう。莉亜くんと遣史郎は親しいから、示しあわせて同じ講義取ってるかもしれない。だとしたら、なんだか……一緒に行きたくなかった。
「サボります」
「うわー堂々とボクの前でそういうこと言っちゃうの…」
教授がショック!みたいなポーズをしてから、「最近相談が多いね、静くん」と首を傾げる。そういうこと人前で言っちゃうあたりこの人もデリカシーがない。ただ、これは僕がただの怠けでサボってるんじゃない、って示してくれてもいるんだろう。実際、遣史郎には苛立つことが度々あるけど、教授に苛立ったことはない。眼鏡の奥の眼差しは穏やかで理知的だ。こんな風に歳取れたらいいけど、僕には無理だろうな。
「すみませんて。今までは一度も休まず真面目に参加してましたから、1日くらい平気ですよ。大目に見てください」
「しょうがないなぁ。じゃあ静は入って。君たちはちゃんと講義行くんだぞ?あと2分で開始だよ」
「ゲッ」
遣史郎はマズい、と表情だけで伝わる顔をしてみせた後、莉亜くんの腕を引いて走り出した。ああやっぱりね。一緒に行くんだろう。
関はまだ ……すぐ傍に居る。
僕は関の顔をなるべく見なかった。足元に視線を落とし、関の視線を振り切ってゼミ室に入る。
いや 関がこっちを見てたかなんてわからないけど ……と思ったが、すぐに視線を感じていたのが自意識過剰じゃないとわかった。
「しずちゃ…」
と、扉が閉まるその直前に、確かに関は呟いた。
バタン。
声を遮り、空間ごと分断する。その仕打ちに教授は「ちょっと酷いんでないの?」と苦笑したものの、それ以上何も言わなかった。僕が扉の向こうで気配が消えるまでずっと、関を気にしてたせいかもしれない。
何もきこえないのを噛み締めてから、のろのろと教授……山口秀十さんの方へ振り返った。
「にいさんと話がしたい」
目前の大人を、縋るように見る。山口秀十教授……僕の生まれた時から知っている、地元馴染みのお兄さん。
久しぶりの僕の態度に、大らかな彼でも少し驚いたみたいだった。