〈2〉誘惑
「またエリスに何も言えなかったのか?」
グレコがレナトに言い、クッキーを食べた。
グレコもまたレナトと同じ上級身分の子。
「言えないよ」
「ならユウマに言えばよかったじゃないか。エリスに近づくなって」
「そうはいかない。あいつはガリム家の農民だ。エリスのしもべだ。そんなことを言ったら、うちの農民に口出しするなってエリスに言われる」
「結局、指をくわえてみているだけか?」グレコはそういって指についたチョコレートを舐めた。
「エリスはユウマのことが好きだからな」
「おいおい、まさか諦めてるわけじゃないだろうな。俺たちは上級身分だ。執政十家を支える身分だ。そんなガリム家の農民の下級身分とは訳が違う」
「そんなのはわかってる。エリスも今はユウマのことが好きでも大人になれば色恋だけでやっていけないことぐらいわかるはずだ」
「おいおい。エリスが大人になるのを待つのか?」
「今はそれしかない」
「そんなの待ってたらエリスは一生お前のものにはならないな。いや、そうでなくともエリスは執政十家の一家、ガリム家の娘なんだ。執政十家の娘を欲しがる上級身分は多い。執政十家の娘と結婚するってことはこの国の執政者の一員になるってことだからな」
「わかってるよ」
「いや、わかってない。そんな下級身分のユウマ一人、片付けられないようではお前は何も手に入れることは出来ない。執政者の一員になることも出来ない」
「じゃぁ、グレコは出来るのか? 執政者の一員になることが出来るのか?」
「執政者の一員になるのは難しいが、ユウマ一人排除することぐらい簡単だ」
「どうやって?」
「俺にいい策がある」グレコは笑みを湛えた。
それから二日後の深夜、ユウマは執政十家の一家、ヴァンノ家の屋敷を望む茂みの中にいた。荘園で一緒に働く農夫、キイチとの世間話が脳裏に引っかかっていたのだ。
「ユウマはほんとよくやっているよ。学校にいって軍人になれば少しはマシになれるのに」
「別にいいんです」
「母親想いだな。お前は」
ユウマは黙って働いた。
「じゃぁ、母親想いのユウマにだけ話しちゃうかな」
ユウマはキイチを見た。
「ここだけの話だよ。実はお前の母親の病を治す方法があるんだ」
「え⁉」ユウマの農作業の手を止めてキイチを見た。
キイチはユウマの反応の見た。
「母の病を治す方法があるんですか⁉」
「いや、でも、これ、言っていいのかな……」キイチはもったいぶった。
「なんです! その母の病を治す方法って⁉」
「いや、いいのかな……」キイチは焦らした。
「教えてください!」ユウマはキイチに迫った。
「そうかい。そこまで言うなら言ってもいいが、俺が言ったって言わないでくれよ」
「言いません! 言いませんから教えてください!」
「それは執政十家が持つ禁断の果実を食べさせることだ」
「禁断の果実」
「そう、執政十家が一家に一つ持つ禁断の果実、権力の証しである聖なるリンゴを母親に食べさせることだ」
この国、ナパ国には御神木と呼ばれえるリンゴの樹が一つだけある。その樹から毎年、十個のリンゴが実り、その十個のリンゴは権力の証しとされ、執政十家に一つずつ分け与えられナパ国を支配していた。禁断の果実とも聖なる果実ともいわれる十個のリンゴは神の実として崇められていた。決して人が食すようなものではなかった。
「その実を食べれば治るんですか?」
「そりゃ、神の実だ。治らないはずがない。それに過去に執政十家の長が病に伏したとき、聖なる果実を食べて治ったと言われる噂話がある。聞いたことないか?」
「あります。でも、それはあくまでも噂話で」
「そうとも限らん。だから、ユウマの母親も執政十家がもつ聖なるリンゴを食べればケロッと治る」
「でも、執政十家が持つリンゴなんて僕には到底、手に入れるどころか見ることも出来ない」
「エリス様にいっても貰えんだろうな。でも、他から奪い取れることは出来る」
「奪い取る?」
「そう。例えば執政十家の一つ、ヴァンノ家なんかどうだ? あそこの当主はだらしないので有名だ。執政十家でもお荷物的な家だ。おそらくリンゴを盗んでも盗まれたことさえ気が付かない」
「でも」
「大体、所領の荘園を見てもわかる。ヴァンノ家の荘園はずさんだった。それをシャダム家がヴァンノ家に変わって面倒を見ているからやっていけるようになった。そうだろう?」
ユウマは納得した。
「でも、まぁ、ヴァンノ家から聖なる果実を奪い取るのは容易だが、それもまた恐れ多いか……」キイチは笑ってユウマの肩を軽く叩いて離れていった。
ユウマは茂みの中でヴァンノ家の屋敷を見ていた。
「あの屋敷の主の部屋に聖なるリンゴはある」