①共依存
ある寒い日の夜。空からは大粒の白い雪が絶え間なく降っては、時々、泣き声にも聞こえる風を吹かす。野良猫のノラは、橋の下の寝床では堪え切れず、一晩雨風が凌げる場所を目指し、田舎のあぜ道を雪に足跡をつけながら歩いていた。
畑の近くに古びた掘っ建て小屋があるのを知っていた彼は、真っ直ぐに小屋に着くと、猫一匹が辛うじて通れる小さな穴を探す。毎年寒い時期はここで凌いで来た。雪は浅く、穴も埋まっていない。
ここで彼は、深く考えることなく小屋の中へ身を滑らせた。というのも、この地域は降ってもくるぶしの高さが関の山だからである。出られないことなどなかった。
小屋に入った彼は、ちょうど良い重さと大きさをした段ボール箱を、体全体を使いながら動かし、穴を塞いだ。風を入れないためだ。勝手をよく知っていた。
ひと仕事を終えた彼は、一息ついて藁の上に身を下ろした。それと言うのも、秋の内に近くの稲田から、人の目を盗んではせっせと藁を小屋に運んでいたのである。
時々、稲の中に脱穀を免れた米が入り込んでいることがある。籾ごと口の中で食んで、寒さと退屈を紛らわすことがある。夜も更けると、彼の寝てはならぬと本能で悟るのであろうか、退屈を紛らわす方法もいくつか知っていた。
夜も更け始めた頃、染み入る寒さに眠ることなどできずにうずくまる彼の耳には、風が不気味な音を立てながら外には雪の降り続く気配が聞こえていた。
彼は渋々立ち上がり、穴を塞いだ箱を真横に少しずらす。今や雪は穴の八部目まで積もり、例年とは様が違うことを感じた彼は、迷った。
いつ出られるかわからない食糧難か、今夜凍え死ぬ危険と引き換えに、食べ物は探せばある外に出るか。
どちらも避難だが、同時に窮地である。
ここで、彼には珍しく自分に甘んじる判断をした。
単純に目の前の寒さを凌げる環境と面倒という誘惑に負け、彼は箱を元に戻すと寝床に戻った。
その間にも、轟轟と唸る風の音に、焦りというものが芽生え始めたその時である。
目の前の暗闇を黒く小さな影が素早く横切るのを見た。
飛び上がりそうになり、毛を逆立てるが、もう姿かたちもない。しかし彼は腐っても猫である。暗い中で、今しがたの影が鼠であることは察しのつくようであった。
窮地に現れたご飯とあらば、逃げ出さぬ内にこの好機を掴んでおくのが吉であると踏んだ彼は、足音を潜め、影の進んだ物陰へと徐々に近づく。
すると突然、その物陰から小さな影が飛び出し、勢いを上げながら、穴の塞いである箱の方へと走った。確実に鼠であると確認できた彼は、逃してなるものかと負けじと追った。
勢いを殺せず、穴を塞ぐ箱を蹴飛ばし数歩前に出て振り返ったその瞬間、
「待った!」と鼠が声を上げた。
待つか!と思い、飛びかかろうとするが、踏み留まった。鼠のいる位置が、穴の真下であり、塞いだ箱は自分で蹴飛ばして自分2匹分ほどの距離に転がってしまっており、鼠は穴の上部に空いた、正に鼠一匹分の穴と雪との隙間へ指を指しながら、今にも飛び上がりそうな体勢を取っていたからである。自分は雪をしばらく掻かなければ出れないだろう。
彼が踏み留まったのを確認した鼠は、体勢は変えないまま、「提案がある」と言ってきた。
聞くことすら拒むと食糧に逃げられるため、ノラは「聞こう」と返した。一か八かでいま仕留めようとするより、留まってくれている今、時間を稼いだ方が仕留められる確率は上がる。立場が逆転していることはわかりながら、いつもは捕獲される側がどんな提案をするのか、単純に興味が湧いたのもある。
「今晩お前の腹の下で眠らせてほしいんだ、この寒さじゃ俺の体は耐えられない。お前も俺が腹の下にいれば気休めくらいにはなるだろ?その代わり、朝になったら俺を食べていい。、、どうだ?」
ノラは逡巡した。こいつは俺がウトウトしだしたら逃げるつもりだろうか?しかも生き延びるための手段で死を招くなら生き延びる意味がない。そしてノラ自身に有利すぎる。腹の下になど、いつでも食べてくださいと言っているようなものだ。アホなのかとも思ったが、咄嗟の機転で状況を好転させたこいつは侮れない。この提案も何を狙っているのかわからない所が逆に正体不明の畏怖を感じさせた。
「矛盾してるだろ。何が狙いだ?」
「お前は俺を食えない。そう断言できるからだ。」
「なぜ言い切れる?」
「有益な情報を2つ持ってるからさ。1つ目を言えば、この部屋にある食糧のありかを知ってる、俺以外でな」
「その前にお前を大事に食うよ。この寒さで保存も効く。お前1つで何日生きられると思ってる?」
「甘いな。今回の雪は3日は続くぜ?もう出ていかないとヤバいんだよ。人間の腰の高さまで積もったら1週間は出て行けないだろ?」
「なんでわかるんだよそんなこと」
「俺は普段は野良じゃない。人間と同じ屋根の下で暮らしてるとわかることもあんだよ、信じなくてもいい。2つ目の情報ってのが、この穴と出入り口以外にもお前の出られる穴を知ってる」
「口八丁でない根拠は?」
「お前の腹で寝るという俺に不利すぎる提案自体を担保にして、信用取引だ、これは」
「いつでも食えるから、お前が自分で人質になるってわけか。そこの雪搔いて出られそうなら食うからな」
「ああいいだろう。掻いてる間に逃げても文句言うなよ? ま、この雪では、止んでも俺じゃ遠くまで逃げられないんだが。 取引成立か?」
「ディールだ」
「騙すなよ?」
「そっちこそな。そこまで落ちちゃいねぇよ。猫(騙し討ちで知られる)だがな」
「じゃ、悪いがここ閉めてくれるか?さみぃわ」
「同じこと思ってたよ」
ノラは蹴飛ばした箱を元に戻した。
部屋の温度は急激に下がっていたが、風が入らない分幾分かマシになる。
鼠が再び続ける。
「俺はシンだ。」
「俺はノラ」
「まんまじゃねーか。自分でつけたのかよ」
「うるさいな、ダサいのは知ってる。周りが勝手に呼びだしたんだよ」
「さっきの続きだが、ちなみにあわよくば逃がすのを手伝ってほしいと思ってるぞ。雪の上を遠くに行くまでに俺の体が耐えられないことわかるだろ?」
「さっきの2つの情報が正しいことがわかれば、その有益性に免じて考えといてやる。だがひとつ矛盾してないか?」
「気付いたか。もう1つの出口使えば、脱出は早い方がいいってことだよな?見てろ」
(出入り口の扉は固く閉ざされ錠もされていて、出入りは難しいことは、ノラは試してみたことがあるため知っていた。)
シンは上手に板の継ぎ目を飛び移って小屋の中をよじ登った。屋根の真下を横向きに通った細い柱の上に来ると、木製の屋根の木板のヒビ割れを指さしてから、その手で自分の力ですらヒビ割れがギッギッと外側に開きそうなのを見せる。
「今の俺の力ですら開きそうなの、わかったろ?これが、ひらけばできる穴だ。だが、今は屋根の上の雪が積もってるから重みで開けられない。この雪の調子なら屋根の傾斜的に、明日くらいには屋根から雪が落ちるだろ?その時、俺が開けてやるからお前は下からそのままジャンプして出ろ。」
「、、、頭ぶつけて出られるかもしれないが、五分五分だな。お前が乗ってる柱には俺は乗れないから開けるだけの作業はお前の専売特許か。共同作業だといける、と。たしかに今はお前を食えないな」
ノラは素直にシンが知恵者だと思った。
むしろシンがいなければノラは困り、ノラがいなければシンが困っていた。
「シン、お前をなんとか運んでやる方向で考えとく」
「共依存なんだよな。不本意ながらも生き延びることは本位だろ?わかってくれたか。しかしいまそっちの穴の雪掻いて出ることもできるぞ?しないのか?」
「アテはここしか用意してなかったんだよ、今更探すより、ここで出られるのを待つ方が命の危険が少ない。いざとなったらお前を食って凌ぐ」
「隠し食糧ならちゃんとあるから信じろ。魚か肉の缶詰がある」
「場所は?開け方は?」
「朝教える。考えてある。そしてさっき米食ってたろ」
シンが勝手に先に食べていたことはもちろん伏せた。
缶詰を開ける方法も、ノラがいてこそ その方法が使えるので、お互いが歩み寄れば、色々と都合が良すぎるくらいだ。
「ちっ、探してやる。てか、予見そこまでできるお前がなぜこの小屋にこのタイミングで迷い込んだんだよ」
「お前のお友達に籠城させられたんだよ。諦めて出てったけどな。直後にお前が入ってくるしよ」
「なるほど、、」
「こええヤツだったぜ。威勢だけは良かったな」
「たぶんトラだそれ、模様がトラそのものなヤツだろ?」
「ダセえ名前しかおらんのか」
「つけた周りのヤツらが短絡的すぎんだよ、好きで名乗ってるわけじゃない」
「そろそろ腹に潜らせてくれ。寒すぎだ」
「しゃあねーな。お前だけ寝れる環境がなんか癪だ」
「お前だけが食糧を調達できるポテンシャルがなんか癪だからおあいこだ」
「米は俺んだとさすがにわかってるようだな、まあ食ってもいいが。缶詰はお前じゃさすがに開けられねぇか。開け方は教えてくれないとお前を食べれないな。」
シンは、脚を折り曲げて座っているそのままの体勢のままのノラの腹に潜り込み、顔をノラと同じ方向に出した。
「情報が武器とは正にこのことよ」
「はいはい、同意だがうるさい。寝やがれ」
「寝ていいのかよ、お前的には。寝首搔かれるのは勘弁だから寝るわけないけど」
「正直、情報が有益すぎるな。信じて寝ろ。どうせ共依存だ」
「もう少し付き合え、俺のアラビアンナイトを聞け」
「どんだけネタあるんだよ」
「言い過ぎた。自伝を聞いてゆけ」
「一気に聞く気失せたなあ」