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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

美しき人魚ヴァイオレット、インスマス付近の町へ赴く

作者: 葉月猫斗

 探偵に手渡された2通の手紙を受け取ったヴァイオレットは現在こうしてバスに揺られていた。

 受け取った手紙のうち1通は父方の祖母を名乗っており、「自分はもう長くは無い。一目会う事は叶わなくてもせめて貴女のお父さんの思い出や自分達の遺産は受け取って欲しい」という旨が書かれていた。

 確かに以前彼女は母がバーで働いていた時に1人の男と出会い自分を身籠ったと聞かされた事がある。生憎父は出兵時にスペイン風邪を患ってしまい亡くなってしまったが、自分の名前は父が考えたものだとも。

 もう1通は父の友人を名乗るものであり、体調の思わしくない祖母に代わり探偵に依頼して自分を探してもらったと書いてあった。祖母は私達を気にしていたらしく、遺産は孫に譲ると周囲に話していたそうだ。

 ご丁寧に父や祖母の名前を出せば親切にしてくれるとまで書かれていた。余程慕われていたのか町自体が余所者を受け入れない性質なのか。

 そう考えながら祖母の家の住所を確認したヴァイオレットはすぅっと目を細める。インスマスに近いその町はある時期から多数の混血種が移住して来たと聞いていた。確か原因はインスマスに警察の大規模なメスが入ったからだとも。

 恐らく祖母は家を混血種に踏み荒らされたくないのであろう。だからこそ性別も知らない自分に譲ろうとした。

 しかし皮肉なものだと彼女は肩を竦める。頼みの綱の自分だって外見を取り繕えるだけで種族的には彼等と変わりないのだから。

 しかし興が乗ったのも確かだ。あの排他的の権化のような奴等が別の町で人間に馴染めているのか、冷やかしに行くのも悪くは無い。彼女は半分は物見遊山的な気分で旅に出た。

 

 バスの中はヴァイオレット以外に30代くらいの男しか乗っていなかった。勘だが荒事に慣れていそうな雰囲気で、何か決意をして目的地に向かっている様子であった。


「失礼、旅行にいらしてるの?」


 行き先も同じようだしと興味を惹かれた彼女は男に声を掛ける。話しかけられるとは思わなかったのか、男の驚いた顔は意外とあどけなく少し可愛い。


「故郷を出たきり会っていなかった友人がその町に住んでいるらしくて…。会いたいなと……」


 雰囲気からして当たらずとも遠からず。やはり訳アリらしい。


「あなたは?ご旅行か帰省ですか?」

「亡くなった祖母が遺産を譲りたいと、それで」


 「お気の毒に」の声にいいえと返す。窓際に座っていた身体を通路側に寄せて彼に向けて腕を伸ばす。彼はきっとこれから数奇な時間を過ごすであろう。ここで別れて彼の辿る物語の行く末を鑑賞する機会を逃すのは惜しい。


「ヴァイオレット・ワーグナーよ」

「ビル・ジェンキンスだ」


 ビルは差し出された手をしっかりと握り返す。ヴァイオレットは同性でも見とれるような美しい笑みを浮かべると、父の事以外にも楽しみが1つ増えたと思った以上にこの旅行に充足感を覚えていた。


 バスから降りた彼女は一旦ビルと別れて手紙に書かれた住所へと向かう。行き交う人の数はインスマスより圧倒的に多いがどこか放つ空気に緊張感がある。これは混血種が居る所為なのかはたまた別の要因か。

 祖母の家はごく普通の2階建てだった。祖母が亡くなってから2ヶ月経過した所為もあって少し荒れているが入るには問題ない程度である。中は案の定埃が積もっていたが、家中の窓を開けながら間取りを確認すると1階はリビングとキッチン、夫婦の部屋があり、2階は父らしき部屋と倉庫になっていた。

 父の部屋の棚には本や額に入れられた水彩画の他にも小さな写真立てが飾られていた。写真に写っていたのは若い男女が2人。1人は母という事はもう1人は父なのだろう。写真の中の母の笑みは作られたものではない。写真自体持ち歩いていたのか縁が擦り切れており、成程仲は良かったようだ。

 取り敢えず軽く掃除をしながら引き取る物を選んでいこうとヴァイオレットは倉庫から箒と塵取りを取り出した。


 

 

 キリが良いところで手を止めれば時間は夕方に差し掛かっていた。そろそろ夕飯と宿探しをしなければならないと、髪や服を軽く整えると外へと出る。家のベッドは寝るには少し埃っぽいのだ。

 外食先のバーにて看板娘と言われている可愛らしいお嬢さんに宿泊先を聞けば、旅行者が泊まれるような宿は1つしかなく、しかもオーナーは混血種のようだった。以前は人間が経営している所があったが、そこは15年程前に買い取られてしまい今は缶詰工場の従業員用の寮となっているらしい。

 確実にこの町は混血種が根付いているようだ。現に隅の席に混血種達が固まって食事をしている様子が見てとれる。

 

「あの、泊まる時は203号室を指定した方が良いですよ?」

「そうなの?どうして?」


 理由を尋ねると、看板娘は少し言い難そうにした後でヴァイオレットの耳元に口を寄せて内緒話として打ち明けた。

 最近この街では失踪事件が頻発しているらしく昔からの地元民は素行の悪い移住者か混血種かの犯行を疑っているらしい。「お姉さんが綺麗な人だから誘拐されないか心配でと」と嬉しい言葉と共に、203号室なら楽に外に逃げられるという有益な情報を齎してくれた。

 娘に礼を言って頭の中にメモをすると随分と草臥れた雰囲気を纏ったビルが店に姿を見せた。

 ヴァイオレットは手を挙げて居場所をアピールする。ビルも顔見知りの人間がいる状況に安堵したのか頬を緩めて隣の席に腰を落ち着ける。


「随分お疲れのようね」

「ああ、この街の人間は、昔からいる人ほど俺のようなよそ者にはそっけないみたいでね。

 反対に普通に接してくれる人は皆んな最近移住したらしいからよく分からないらしくて……」

 

 溜め息を吐きながらスタッフにビールと軽食を頼む様子は10も老け込んだようだ。先程の娘の話からして、余所者は今の時期は余計に警戒しているのだろう。


「それで、宿は決まっているの?」

「あぁ、アダムスハウスってとこだ。それにしてもオーナーの顔は言っちゃ悪いが本当に魚にそっくりだな。町の人間が「魚顔」って言ってたのがよく分かるな」


 思い出したのかビルが少しだけ顔を顰める。確かに彼等の顔は一目見ただけで印象に残るほど魚に近い。彼等にとっては海に祝福された誇りだそうだが、自分達人魚から見れば誰に利用されるかが変わっただけとしか思えない。


「あら、私もそこに泊まる予定なのよ。何処の部屋を取ったの?」

「304号室だけど…。君は家があるんじゃないのか?」

「私に埃っぽいベッドで眠れって言うの?」


 冗談めかして言えば「それもそうか」と納得しながら彼は運ばれて来たビールに手を付ける。彼女はそんな彼を一瞥すると、スタッフに自分好みだった肴を頼み奢りだと一方的に告げて店を出た。それは彼女からの「今のうちに英気を養え」という印だ。ヴァイオレットの勘が正しければ事態が動き出すのは今夜だ。自分が彼の物語にささやかな彩りを添えてあげよう。


 ビルが宿に戻った頃合いを見計らって彼が泊まっている304号室のドアをノックする。彼は驚いた様子で「どうした?」と尋ねてきた。


「急なお願いで申し訳ないけど、部屋を変わってもらう事は出来るかしら?実は私の止まっている203号室に蜘蛛が出てきて……。恥ずかしい話だけれど私、蜘蛛が大の苦手なの」


 そう、彼女が考えた彩りとは自分達しか知らない情報を設ける事である。オーナーの混血種は304号室にはビルが居るものだと思っている。もし彼に何かしらの接触をするのならば、今夜この部屋に訪れるであろう。

 ビルは快く部屋を変わってくれ、これで下準備は万全となった。出鼻を挫かれた時の彼等の顔は見ものであろう。ヴァイオレットはほくそ笑みながら暫しの休みの為にベッドに潜り込んだ。



 月が頂点を過ぎた頃、扉をハンマーのような物で殴りつける音でヴァイオレットは目を覚ます。こうなる事を予想して寝巻には着替えていなかったので軽く髪を整えて、サイドテーブルに置いていたショルダーバッグを肩に掛ける。

 何回か打ち付けているうちに木製のドアは壊れ、ドカドカと乱暴な足取りで入って来た男達の顔は皆典型的な混血種で、彼女を見るなり呆気に取られた顔をしてオーナーに詰め寄る。


「おい!話が違うぞ!」

「いや!俺は確かにこの部屋にあの男を割り振った!」

「私が部屋を代わってくれって頼んだのよ」


 口論の最中に口を挟んだヴァイオレットに彼等の視線が集まる。ただでさえギョッとする顔立ちの混血種から一斉に顔を向けられて、大抵の人間なら怖じ気ずいても可笑しくないのに平然とした様子の彼女に1人の混血種が凄む。


「女、どういうつもりだ。答えによっちゃただじゃおかねぇぞ」

「いやねぇ、排他的な深きものの血を引いている人間って。そんなんじゃ信者も集まらないわよ」

 

 その名を出された彼等は少し動揺し威嚇から警戒する姿勢へと変わる。 「深きもの」はインスマスに住む彼等を始めとして一部の者しか知らない単語だ。もし知っているのだとしたらその人間は同じ神を崇拝する信者か、神について造詣が深い魔術師などを意味する。


「女、何者だ。何故俺達の先祖の種族を知っている」

「そのご先祖様から聞かされなかったかしら?女しか居ないもう1つの種族の話を」

「……人魚か……」


 チッと舌打ちをしながら彼等は構えていたハンマーや武器を降ろす。人魚相手に事は起こさないよう言い含められていたのか、忌々しい雰囲気は隠そうともしないが今すぐ襲う様子も無い。


「それで何故お前のようなもんが居る?まさか俺達の邪魔をしにでも来たのか?干渉はし合わないルールの筈だぞ」

「それこそまさか。此処は父の故郷よ。元々取っていた部屋に蜘蛛が出たから彼に代わってもらったの」


 「蜘蛛が苦手なタマかよ」という失礼なボヤキは放って置いて「これで良いかしら?」と此処に居る理由について満足したかどうか尋ねる。


「そういう事にしといてやる。さっさと行け」

 

 彼等の内の1人が親指で壊されたドアを示す。ヴァイオレットは悠然とした足取りで部屋から出て行こうとして「あ、そうそう」と振り返った。


「そんな強引な手段を取っているから目を付けられるんじゃないの?」


 一瞬で顔に血を登らせて喚き散らす彼等を背にして彼女は今度こそ部屋から出た。


 

 堂々と表から出るのも怪しかろうと裏口から外へと出ると、物陰から様子を見ていたらしいビルが手招きをする。彼も無事に脱出できたようだ。


「良かった!無事だったんだな!」

「ええ、でもあの人達私を見るなり話が違うだの、あいつは何処だだの口喧嘩しだして……。私はどうでも良いって感じって『とっとと出ろ』って言われたわ」


 予想外な台詞なのか、虚を突かれたような顔をするビルに「彼等、本当は貴方に用があったんじゃないの?」と追い打ちをかける。

 ヴァイオレットは自分は人より優れた容姿を持っている自覚があるし、実際道を歩けば同性からも見惚れられる事は多々ある。美しい妙齢の女と、顔立ちは悪くないが体格からして鍛えている雰囲気のある男。どちらが不届き者から狙われやすいかと聞かれたら前者が圧倒的だ。現にビルもこの時までは襲撃は彼女を狙ってのものだと思い込んでいたのだろう。

 しかし彼女はこうして何処も怪我などしていないし様子も落ち着いている。そもそも部屋を交換したのはビルとヴァイオレットしか知らない事なのだから、何も知らない人間がビルを狙うのだとしたら彼が最初に取った304号室に向かうのが道理なのだ。

 混血種が彼を狙う理由があるのだとしたら彼が探している友人とやらが関わっているのかもしれない。徐々に顔色を悪くさせるビルにヴァイオレットは「今日は家に泊めてあげるから明日朝一のバスでこの町から出た方が良いんじゃない?」と提案する。


「いや……、俺はどうしても友人を見つけたいんだ…」


 覚悟を決めているだけあって彼は中々頑固だ。取り敢えず今夜は家で夜を明かすしかない。明日になればまた事は動くだろうから。



 今度は何事も起こらずに2人共無事に朝を迎えられた。強引な手段を取る彼等も流石に分が悪いと判断したらしい。


「私も手伝いましょうか?私相手なら昔から住んでる人もきっと話しやすいでしょうし」


 情報収集に出かけようとするビルに助け舟を出すと彼は少しの間逡巡し、「出来る範囲で良い」とだけ返って来る。ヴァイオレットにはまだ遺品整理が残っているがそれも後少しだ。町全体を見ながら聞き込みでもしてみよう。

 そう思い色々と動いていたが思っていたよりも早く整理が終わってしまったので、昨日早々に見つけたものの目を通さずにいた父の日記を開く。

 日記によると、父はこの町で祖父母と共に暮らしながら漁業関係の仕事をしていたが第一次世界大戦により徴兵。毎日の訓練後にはこっそり抜け出して酒場へと赴いていたらしく、そこで看板娘をしていた母と出会ったと書かれていた。父は意外と悪い事をする人間だったようである。

 母に一目惚れして口説き落とし、ヴァイオレットを身籠ったと聞かされた時の天にも昇る気持ちが詳細に綴られており、町に帰ったら両親に結婚を認めさせる決意が書かれた日から後は白紙となっていた。

 恐らくこの時期にスペイン風邪にかかったのだろう。死んだと聞かされた時の母がどんな気持ちだったのか彼女には知る由もない。だが偶に父の話をした時に何処か懐かしそうな顔をしているを見ていると、あの母にも心が動かされた時があったのだろうと思う。

 今は何処に居るのか分からないが、いずれまた会ったら見せてみよう。そう思ったヴァイオレットは日記を閉じて昼食を食べに家を出る。すると郵便受けに朝には無かった筈の差出人の書いていない手紙が入っていた。

 封を切ると指定の時間にとある場所へ来いとだけ認められており、どんな人間がこんな手紙を投函したのか推し量るのは簡単であった。混血種が住まう地区を指定されていたのなら猶更。

 時間はまだあったので先に昼食を済ませておこうと入った店の夫婦は偶然にも父を子供の頃から知っていたようで随分と良くしてもらった。情に篤い夫婦のようで彼等が語る父の話は興味が惹かれたが、全部聞いていたら約束の時間に遅れてしまう。一方的に取り付けられたものだから正直無視しても構わないが、後が面倒な事になるのは目に見えている。

 ビルの友人の名前に心当たりがないかだけ聞き、礼を言いながら店を出て指定場所に向かうと物々しい雰囲気で2人の混血種が建物の入り口を見張っていた。

 事前に伝えられていたようで「3階の突き当りのドアだ」とだけ言われて通される。言われた通りに3階へ上がるとそこは1つしか部屋がなく、しかも佇まいからして上の立場が使うような場所だった。


「待っていたよ。ようこそ人魚さん」


 ドアの向かい側の机に座っていた混血種はそれなりに仕立ての良いスーツを着ており、この町の混血種のトップかその秘書といった具合の雰囲気を醸し出していた。昨夜の彼等とは違い実のある話が出来そうだと勧められたソファへと腰を掛ける。


「初めまして。私の名はロバート・マーチン・オルムステッド。君が知り合いになったビルの友人だ」


 彼が必死に探していた友人は既に向こう側の住人になってしまったようだ。


「もしかして昨夜の襲撃は貴方の指示?」

「あぁ。でもまさかあんな強引な手段を使うとは思わなかった。そこは私のミスだ」


 ヴァイオレットは会話を続けながらさり気なく彼を観察する。真剣に気を落としている様子からしてどうやら本当に彼等の襲撃は予想外だったらしい。


「インスマスは閉鎖的な町だったんでしょう?元々そこに住んでいたのなら強行的な手段に思考が行き着くのはごく自然な事よ」


 外部からの文化を受け入れない閉鎖的な土地ではその土地ならではのルールが強く根付きやすい。他の土地の人間が見聞きしたら眉を顰められそうなものでも、その土地ではまかり通ってしまえば簡単にやろうとしてしまうのだ。

 尚且つこの町に住む混血種達は昨日のレストランで見ただけでも同胞だけで固まり、普通の顔の人間とは関わろうとはしていなかった。ならば価値観や思考はインスマスに住んでいた頃とほぼ変わっていないとみて間違いない。

 ビルの言動から察するにロバートは外の世界で育って来たのだろう。今どうこうされる心配は無いのはありがたいが、あの時ヴァイオレットが介入していなかったら今頃ビルはどんな扱いを受けていただろうか。

 余計な話はここまでにして単刀直入に自分を呼んだ理由を問えば、この町へと来た理由と滞在予定日の確認だった。どうやら彼等はまだ納得していなかったらしい。

 配下の混血種にはロバートの方から話してもらうとして、ふとビルを連れ去ろうとした理由が気になった。

 

「貴方、一体何がしたかったの?」

「彼にも海の祝福を受けて欲しくてね」


 その言葉で今までの点が線へと繋がる。最近起こっている失踪事件は奇妙な事に、1度目は直ぐに帰って来るがまた直ぐに失踪し、今度は二度と帰って来ないという特徴があった。そして決まり手の彼の言葉、まるで人為的に人間を混血種にしているかのようだ。

 

「もしかして、最近の失踪事件は貴方達の仕業だったりするのかしら」

「あぁ。もし邪魔するであれば容赦はしないが」


 彼女は横に首を振る。自分は警察でも無ければ正義の味方でもないし、こういうのは別の者が解決した方が相応しい。彼女の中にあるのは純粋な疑問だけだ。


「どうして彼にも祝福を?だって彼、生粋の人間なんでしょう?」

「だが私にとっては大事な友人なんだ。このまま別れるのは寂しいからビルにもこの素晴らしい血族の一員になってほしいんだ」


 それを聞いたヴァイオレットは思わず吹き出してしまう。何という傲慢で己の価値観に固執する考えなのだろう。目の前に居る彼も覚醒するまでは魚顔を恐ろしいと感じていた筈なのに、深きものの血はここまで寄生先の思考を変えてしまうものなのだろうか。

 眉根を寄せ「何が可笑しい」と機嫌が悪くなるロバートに「魚顔を誇れるのは貴方達だけよ」と目尻に浮かんだ涙を指で掬う。


「そんな事は無い。今は理解されないだろうが同胞になればきっと分かってくれるさ」

「貴方と彼は違う人間よ。しかもビルは生粋の人間なの。今は上手くいっているでしょうけどそんな考えを持ち続けているといつか破綻してしまうわ」

「……君は人魚だろう。何故同胞が増えるのを喜ばない?」

 

 それは簡単、彼女達にとっては同胞でもなんでもないからである。彼女達陸の人魚が同胞と呼ぶのは同じ陸の人魚と子々孫々だけ。例え深きものが種族的に近かろうが同じ神を信仰していようが、神や人との距離間が違っていれば別の種類の生き物同然なのである。それなら人間の方が容姿について共通点が多い分親近感が湧きやすい。


「1つ良い事教えてあげましょうか?」


 彼女はソファから立ち上がると机を挟んでロバートと目を合わせる。瞼の下がらないギョロリとした瞳は、最早以前の彼がどの様な顔をしていたのかさえ分からない。


「貴方とほぼ同じ顔の海の人魚はね、私達陸の人魚にとっては滋養の為の食材、つまり肥しでしかないの」


 ロバートのただでさえ大きい目が余計見開かれた。海の人魚は知性の無い本能だけで生きている存在である。その為彼女達のように陸で生きる二本足の人魚にとっては決して同胞ではなく単なる糧でしかない。

 そんな海の人魚と同じ顔の混血種が増えたところで喜びなど砂粒ほども生じないのだ。無論海の人魚と違って混血種は人並みの知性はあるが、元から生き方が相容れない存在を人工的に増やす計画など嘲笑すれど歓迎はしない。

 この場に来るまでは賛同してくれるものと思っていたのだろう。絶句するロバートを置いて踵を返したヴァイオレットは一度も振り返らずに部屋を出た。


 その日の夜、ビルは家に帰って来なかった。




 ビルが帰って来たのは町の人間が本格的に動き出す前の時間帯だった。直ぐに外に出られるよう寝巻に着替えないまま浅い睡眠を取っていたヴァイオレットの耳にドンドンと乱暴に叩く音が入る。

 混血種ならノックする前からドアを破ろうとする。家の前に立っているのがビルだと確信した彼女はベッドから直ぐに出るとドアを開けた。目の前の彼は昨夜よりも更に疲れ切っている様子だったが外から見た感じでは大きな怪我は無いようだ。


「何があったの?」


 家に招き入れながら問えば彼は弱弱しい声で「友人が、もう届かない場所に行ってしまっていた……」とだけ答える。どうやら正体を知ったようだが、彼と袂を別つか否かはビル自身が決める事である。


「何か口にする?スープくらいなら用意出来るわ」

「いや……今は何かを食べる気分にはなれない……」

「ダメよ。胃に温かいものを入れておけば少しは落ち着くわ」


 その代わりに少しでも気分を和らげる手助けくらいは出来る。温かい食事の力は意外と侮れない。それに何をする気力も無いからと何も食べないままでいると悪い方向にしか考えられないのは目に見えている。

 ヴァイオレットは有無を言わせない態度でキッチンに立つと買っておいたスープの缶詰の中身を鍋に入れて温め始める。ビルはもう断る元気も無いようで黙ってテーブルに着いていた。


 スープを一口啜るった彼から肩の力が抜ける気配がする。少しは緊張が解けたようで、そのまま無言で口と手を動かす彼に「これは勘だけど、貴方はもう町を出た方が良い気がするの」と暗に逃げるよう示唆した。


「…………君はどうするんだ?」

「この家をどうするかも決めなくちゃいけないからあと2、3日は居る予定ね。ま、上手くやるわ」

「そうか……」


 それきり会話は無く、空になった皿に水を張ると朝の澄んだ空気の中を2人で歩く。目的地は昨日の気風の良い夫婦の店だ。旦那が毎朝早い時間に食材の買い出しに出かけているそうなので、これが今考えれるバスよりも早く町から出られる方法なのだ。

 夫婦は流石に驚いた様子だったが、明らかに元気の無い様子のビルとヴァイオレットの願いに何かあったと察してくれたらしく快く相乗りを許してくれた。

 段々と小さくなる車を遠目に眺めながら彼女は物思いに耽る。彼等のやった事の結果はもう暫くしてから分かるであろう。

 



 それから1月半が経って彼女の元にビルからの手紙が届いた。あの時に助けられた礼と、友人の件は今だにショックだが周りに支えられて何とかやっている旨が書かれており、どうやら元気にやっているようだ。

 ヴァイオレットはというと結局あの家は売りに出してしまった。今の家から引っ越す気はまだ起きないし、貸し別荘にしようにも大きな缶詰工場以外にこれといった特徴の無い町に、わざわざ旅行に行くような人間なんてよっぽどの物好きか近寄ってはいけない類の人間かのどちらかでしかないからだ。

 だから彼女は手元に置きたいと思った遺品だけ引き取って後は売ったり処分してしまった。ただし家に関しては全てのドアや窓の付近などに目が中央に置かれた星を彫った上で。


 また彼の手紙と時同じくして、あの町で混血種と似通った特徴を持つ自殺者が頻発している話を風の頼りに聞いたが、彼女にとっては関係の無い事である。

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