七 放送
七 放送
「ことか、ときか。分からんなあ」
全国紙の若いキャップが、記者クラブのブースでパソコン画面を見ながら、頭の後ろで両手を組みいすにふんぞり返っている。独り言なのだろうが、誰かに聴いてほしそうな口調だ。
「どうかしたの」
別の会社の年かさの記者が尋ねた。やり取りを、ソファで寝転がっていた鍛冶も聴いていた。
「いえね。したことがあるっていう意味で、したときあるって表現する一派があるらしいんですよ」
「したときある? どんな一派なのさ」
「それがさっぱり分からなくて。したときあるとかしたときないとか、聴いたことありますか」
「したときある、したときない。どういう使い方するんだろ」
「したことがある、したことがないと同じみたいなんです。食べたときあるとか、飲んだときないとか」
「漢字は? 時間の時?」
「あやふやなんですよねえ。新聞表記でも、時は漢字もかなも使うじゃないですか。事も漢字もかなも使うし。そのことは共通してるとも言えます」
「聴いたことあるような聴いたことないような。こういう場合は、聴いたときあるような聴いたときないようなって言うのかな」
「方言だとか若者言葉だとかいろんな説があるんですけど、どの情報を見てもしっくりこないんです。ネットの掲示板を見ると二十年前には活発な議論が繰り広げられてたみたいなんですけど、最近じゃぱったりやんでますね」
「二十年前っていやあ、インターネット黎明期じゃないか。実際にはもっと前からある表現なんじゃないの。それに、二十年前に成立していたとすればもはや若者言葉とは言えんよ。むしろ死語かもしれん。日の目を見ないままのさ」
「そら重大案件だな」
記者クラブにいた複数の記者が、自分のパソコンやスマートフォンでインターネット検索を始めた。
「そうだねえ。確かにヒットするよ。したときある」
「方言だとすれば、どこら辺りで使われてるんだろう」
「東北弁が首都圏に伝播したんだって著名な言語学者が指摘してるんです。ネット情報によると、『新方言』っていうくくりをしてますね。だけど、具体的に東北のどこからいつ首都圏に伝わったのか、東北のその地では今も使われている表現なのか、見てる限りじゃ解明されてません」
「ぼくは仙台生まれで大学は東京だけど、そんな表現、聴いたことないな」
黙って聴いていた鍛冶は、おかしくてたまらない。
「うちの剣城がよく言ってますよ。したときある、したときないって」
「え、剣城さんが」
記者室のほぼ全員が関心を示したように、鍛冶には感じられた。
「おい、栗坂。おまえの彼女、よく言うよな。読んだときありますとか、書いたときありませんとかって」
「彼女じゃないですけど、確かに言ってますね」
ブースで作業をしていた栗坂は、手が離せないのかこの話題に興味がないのかブースから離れず、鍛冶の問い掛けと同じくらいの大きな声で答えた。
「剣城さんって、どこの出身ですか」
「生まれも育ちも東京らしいです。大学までずっと東京で、新卒でうちに入ってます。生粋の江戸っ子でしょう。あ、アメリカに留学経験があるとか言ってたな。でも、アメリカ仕込みってことはないでしょうね」
「話し言葉だけなんでしょうか。文章を書くのもそうなんですか」
「さあ。ぼくはあいつの生原稿、見たことがないんですけど、うちのデスクに直されてるかもしれません」
「なんだか面白そうな話題だねえ」
『さくらテレビ』のロートル記者が会話に加わってきた。ロートル記者は、資本関係がある『みずほ新聞』を定年退職して嘱託として『さくらテレビ』に移ってから県警クラブに来たから、六十歳を超えているはずだ。
県警記者クラブには、新聞七社、通信二社と、テレビ六局が加盟している。テレビ局で県内から電波を飛ばすのは、公共放送『エヌ』と、県域独立局『県民放送』の二局だけ。全国系列の広域民放四局はいずれも隣の県の名古屋に本社があり、県内には支社か支局を置くのみだ。
新聞社並みに記者二人を配置する『エヌ』を除き、全国系列の民放四局は県警記者クラブには正規職員ではないスタッフを当てたり、県内に記者が一人しかおらず県警クラブには常駐の記者を出せなかったりと、名古屋から見れば番外地である県内の事件、事故報道を軽視しているきらいがある。あけぼの市から遠隔地にある山間部には、突発的な事件、事故、災害取材に当たる駐在カメラマンを業務委託契約などで置いているが、彼らは記者教育を受けておらず、映像撮影でしか活躍の場はない。
全国系列五局目の民放は免許の理由からも資金力の観点からも愛知県内にしか電波を飛ばせず、代わりに『県民放送』がその系列のいくつかの番組の放映権を買って流している。そういう体制だから、『県民放送』は全国ネットにニュースを上げる必要がなく、どこからもその能力を期待されていない。県警クラブで重大事件、事故の発表があっても、記者ではなさそうな者を含め毎回異なるやからが来て、誰が誰なのかよく分からない。
『さくらテレビ』はほかの全国系列三局と同じように、県内に一人だけいる転勤族の正規従業員の記者は、普段は県庁の県政記者クラブに張り付いている。ロートル記者は県内出身で、『みずほ新聞』時代は全国の支局、通信部を渡り歩く地方駐在記者だったという。
「ぼくね、趣味で小説を書いてるんだよ。その話、使いたいなあ。登場人物にしゃべらせたいなあ。鍛冶さん。今度、剣城さんにインタビューさせてもらっていいだろうか」
「ぜひともお願いします。あいつ喜びますよ。なぞの美人探偵とか魅惑の半人前新聞記者とかの役を付けてやってください」
そんな平穏な日の出来事を、鍛冶はすっかり忘れてしまっていた。
〈鍛冶さん、どういうことなんですか。県警クラブでわたしはいったいどんな扱いをされてるんですか〉
鍛冶の携帯電話に珍しく早苗から受電があった。しかし、怒髪天をつくような勢いの早苗の口調に、鍛冶は思い当たる節がない。
「なんのことだ」
〈『さくらテレビ』のおじさんから、会社のアドレスにメールが来たんです〉
「『さくらテレビ』のおじさん?」
早苗と『さくらテレビ』のロートル記者との接点が鍛冶にはまったくつかめない。鍛冶はいつものように記者クラブのソファにいた。『さくらテレビ』のブースは無人だ。記者クラブは閑散としている。
「なんであのおじさんがおまえのアドレスを知ってるんだ」
〈名刺交換したじゃないですか。鍛冶さんがしろって言ったじゃないですか。ファクシミリを持ってった時ですよ〉
「ああそうか。ほんでどんなメールが来たんだ」
〈わたしの言葉使いが変だとかって。クラブで笑いものにしてるんでしょ〉
鍛冶はやっと得心した。
「分かった分かった。渋谷のセンター街で今、流行の最先端をいく、モードでセレブでナウでおしゃれでスタイリッシュなスラングの話だな。そんでメールにはなんて書いてあった」
〈いつからそういう言葉を使ってるのかとか、親も東京出身かとか。一言ではとても説明できませんよ〉
「にゃははは。そのメール、おれにも見せてくれ。こっちに転送しろ。今すぐだぞ」
鍛冶はブースに移った。栗坂はおらず、荷物もない。鍛冶が開いた自分のパソコンに、早苗からの転送メールはすぐに届いた。
《剣城早苗記者殿 御社の県警キャップ鍛冶記者から、とても興味深いお話を聴きました。「したことがある」「したことがない」という表現を、あなたは「したときある」「したときない」とお話しされているそうですね。ついては以下の質問にお答えください》
質問は多岐にわたっている。パソコン画面をスクロールしながら鍛冶は見ていった。
《「したことがある」「したことがない」とどのように使い分けているか》
《あなたの家族や親戚、友人も同じような言葉を使っているか》
《物心ついた時からそうだったか》
《東北地方にゆかりがあるか》
《この言葉使いで困ったこと、便利なことは》
三十以上の項目がある。早苗の携帯電話を鍛冶は鳴らした。
「おまえ、これ全部にしっかり答えてちゃんと返信しろよ。業務命令だぞ。ほかの仕事をほっぽってでも、全神経を集中してこっちを優先しろ。にゃははは」
早苗はなにも言わずに電話を切った。切れた時の音と切れる前の早苗の様子から、電波障害ではなく故意に切ったのだと鍛冶には分かった。
そんなことも、じきに忘れてしまった。
神隠しがあった。
小学二年の八歳の女児が失踪した。女児は無事ならば、二十歳になる。県南エリアで事件が発生したのは十二年前だ。鍛冶が『県民タイムス』に入社する前のことだから、鍛冶はこの「かえでちゃん行方不明事件」に深い思い入れはない。
「叔父に変質者がいるんだ。もうじきはじけるぞ」
そんな話を鍛冶は入社当時から先輩記者に聴かされていたが、誰も逮捕も送検も起訴もされないまま事件は迷宮入りになった。
変質者とされる叔父に、鍛冶は会ったことがある。性犯罪の前歴があった。めいの失踪で何度も警察に呼ばれ事情を聴かれたと鍛冶に話した。鍛冶に話したということは他社にも話しているだろうと当時の鍛冶は思った。
叔父のことは、どこも報じない。記者経験の浅いそのころの鍛冶には、叔父がクロかシロか見当がつかなかった。
報道各社は、事件の風化を防ぐという名目で、毎年失踪した日を節目に捜査の進展を報じている。県警も報道機関と同じ名目で取材に応じる。
繁華街で、制服警官がチラシを通行人に配り情報提供を呼び掛けるなど、やらせと思われるパフォーマンスを演じる。やらせと思わせる材料はいくつもある。パフォーマンスは、失踪した前日に行う。失踪当日の新聞に載せさせるためだ。そして、報道機関を決まった時刻に現地に呼びつけ、各社が取材を終えそろって退散すると、警察も、チラシの束が残っているのにパフォーマンスを終了し引き上げる。
鍛冶は、記者として県警を担当するようになって何度もその節目を迎えた。
「今年はなにか新事実があるんだろうな」
歴代の社会部デスクから、鍛冶がキャップになる前には当時のキャップを通じて鍛冶はたびたびせっつかれたが、取材しても独自情報はなかなか出てこない。
一年間で収集した独自取材の成果をその日に当ててスクープとして報道する会社があり、鍛冶は一泡吹かされたこともある。しかし、事件の風化は確実に進んでいる。捜査に当たる警察官も取材に当たる記者も異動で人が入れ替わり、鍛冶と同じように、かえでちゃん事件への思い入れのない捜査員、記者ばかりになった。捜査本部はとっくに解散し、専従捜査員はもはや一人もいない。
小児性愛などの性的倒錯者が挙がると、警察も報道機関もこぞってかえでちゃんとの接点がないか洗っていたが、そのうち年に一度の節目を除いては話題にも上らなくなった。
失踪から十二年の記事を鍛冶は、栗坂に任せた。栗坂は、かえでちゃんが暮らし最後に目撃された住宅地やその所轄を担当する支局の記者と二人で取材と執筆に当たった。
『エヌ』は節目の日に先駆け、前日夕方の、中部エリアを放送対象としたローカルニュースで失踪十二年を報じた。『県民タイムス』を含む各社はまだ十二年の節目を報じていないから、『エヌ』がなにか抜いていないか鍛冶たちは戦々恐々として、記者クラブに一台だけある五〇インチの大型テレビの前に集まりチャンネルを『エヌ』に合わせ、いつもよりボリュームを上げ画面に見入った。
5分ほどの短い枠の特集だ。かえでちゃんの両親が出てきた。鍛冶が取材していたころより、ずっと老け込んでいる。新しい情報はなかった。
《レポート あけぼの放送局 鷺沼有紀記者》
枠の最後で、画面にテロップが表示された。
「鷺沼さん、良かったよ」
「お疲れちゃんでしたね」
画面に見入っていた記者たちは一斉にテレビから離れ、ソファに腰を下ろしたり各社のブースに戻ったりした。ソファにいた記者が、ソファセットのテーブル上にあるリモコンでテレビのボリュームを落とした。
『エヌ』の女性新人記者、有紀も、自ら取材、編集した作品のオンエアを記者クラブで鍛冶たちほかの記者と一緒に見ていた。
「緊張しました。ほら、見てください」
有紀は周囲の記者に、手のひらにかいた大粒の汗を見せた。
「ナレーションも鷺沼さんでしょ」
「そうですよ。普段の声と違ってましたか」
「うん。本職のアナウンサーが吹き込んでるのかと思った」
「またまたあ」
「顔出しすればよかったのに」
「一応、立ちレポの絵は撮ったんですけどね」
「こら、鷺沼。手の内を明かすな」
大仕事を終えて結果を見届け緊張の糸が緩んだのか、有紀は冗舌だ。それを、『エヌ』のキャップがいさめる。
そのキャップも、手下の仕事を確認して安心したのか口が軽くなった。
「こいつ、かえでちゃんの影膳をいただいてるんですよ。食い意地が張っているというかなんというか」
確かにオンエアで、行方不明のかえでちゃんのために母親が毎日三食、影膳を据えていることに触れられていた。
「せっかくだから食べていきないって言われちゃったんですよ。断ろうとしたんですけど、うちの怖いカメラマンが『いただきなさい』って。あ、またキャップに怒られる」
有紀は、本気とも冗談ともつかぬ物言いでおどけて見せた。
「影膳を食べさせられるって、あんまり縁起のいい話じゃないね。その食事シーンは撮ってないの」
「キャップに怒られるから答えられません」
オンエアが終わってしばらくは、各社入り乱れて有紀を賞賛したりからかったりした。
「栗坂、今の『エヌ』と齟齬はないか」
ブースに戻っていた栗坂に鍛冶は小声で聴いた。栗坂はすでにかえでちゃん失踪十二年関連の記事を出稿している。かえでちゃんの両親にも会えたと言っていた。現地支局のベテラン記者との共同取材、共同執筆だから、鍛冶は一切手を出さず原稿もチェックしていない。
「はい。ただ」
「ただ、なんだ」
「影膳のことには触れてません」
「母親が三度三度影膳を据えてるってことは何年も前に書いてる。今回の取材で下調べしておまえも読んだろ。あれはなんら新事実じゃない。ほかには」
「大丈夫だと思うんですけど」
「ちょっと見せてみろ」
手を出さないという方針を曲げて鍛冶は、出稿済みの栗坂と支局記者との合作を読んだ。成人式を迎える同級生のコメントが取れている。
「うん。問題ない」
「改稿なしで、このままでいいですか」
「きょうの締め切りまでなにも動きがなければな」
「動きですか」
「かえでちゃんが突然ただいまって帰ってくるとか、どっかの変質者が『エヌ』の前打ちを見て改心して交番に自首するとかだ」
「そうですね。ないとは言い切れませんね」
栗坂は神妙な面持ちになった。
翌日の朝刊で各紙ともかえでちゃん失踪十二年を報じたが、どこも新事実はつかんでいなかった。
(「八 柳眉」に続く)